1-4 見知らぬ背中で
視点切り替え、女子高生。
悪夢を、見ているようだ。
そこは黒い影が跋扈する洋館で、私は影から逃げることしか出来ない、そんな夢。
まるでそれは私の日常をも再現しているようで。
私にとっては、無数の黒い影と学校のクラスメイトは、そう大した違いのない恐怖の対象だった。
「はぁ……はぁ……、はぁ。」
洋館を駆け抜ける。
逃げる方向とか逃げる道とかそんなものはお構いなし。
目の前に迫る影を潜り抜けて、後ろから追いかけてくる影を振り切れさえすればそれでよかった。
「ハァ、もう、だめ。」
手近の部屋に逃げ込んで、座り込む。
もう身体は動かない、体力の限界だ。
見たところ、ここには影はいないみたいだし、もう少しだけ休んでいこう。
「なんで、私だけ……。」
泣きたくなる衝動をぐっと抑えて、一言だけ呟く。
私は何もしていないのに、なんにも悪いことなんてしていないのに、なんでこんな目に遭うの?
浮かび上がる疑問には誰も答えてくれない。
ここにいる人間は、私一人しかいないのだから。
取り留めの無いことを一人で考えていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。
迷いの無い、まっすぐで確かな足音。
そうか、私がここにいることはもうばれてしまっているみたいだ。
逃げ場は無い。
この部屋には出入り口は一つだけ。
完全なる袋小路は、私のこの先の未来を示唆しているように思える。
バタン!
勢いよく、ドアが開かれる。
もう駄目だ、私は動けないし、もう逃げるような元気も気持ちもない。
もういっそのこと、一思いに楽にして欲しい。
何も見ないし、何も聞かないから、一瞬で終わらせて。
まるで蝸牛のように、私は顔を膝に押し付けて、最後の時を待った。
「……、……?」
あれ、いつまで経っても、何もされない?
じゃあ、入ってきたのって?
《ねぇ。》
耳を抜けるような、力強い声音。
《私が、助けてあげましょうか?》
見上げた先には、見たことも無いような女の人が。
差し伸べられた手を取るか否かのタイミングで、意識が急速に浮上するのを感じた。
「ふあぁ!?」
突如、目を覚ました。
目にしたもののあまりの衝撃に悪夢そのものが破裂してしまったような感覚。
お陰で眠気などもまったく残らず、すっきり目覚めることが出来た。
「あれ……、ここ、は?」
辺りを見回してみれば、今が真夜中であることがわかる。
住宅が左右に多数見えることから、ここはどうやら団地の中らしい。
規則的に置かれた電灯から、心もとない明かりが点々と続いている。
ふむ、ここが団地なのは分かった。
真夜中なのも分かった。
ついでに言えば、私は今全く動いていない。
にも関わらず、なぜ風景は流れていっているのだろうか。
「貴女、人の耳元で大声出すとは、なかなかやってくれるよね。」
夢の中で聞いた声が、現実の私の耳に届いた。
しかも、割と近く。
っていうか、すぐ近く。
「え、あ、え、なな、なんで!?」
そこまで言われてようやく自分の状況に気がついた。
私は今、帽子さんにおんぶされているのだ。
「はいはい、混乱しない。家まで送ってあげるから、安心しなさい。」
帽子さんがなだめるように言ってくれる。
でも、そうは言っても落ち着かないものは落ち着かない!
「お、下ろしてください! 自分で歩けます!」
「そう、ならいいけど。」
帽子さんは両手を伸ばして、私の足を下ろす。
自分の足が地面に付いた瞬間、立とうと力をいれる。
が。
「あ、あれ、きゃあぁ!」
足に力が入らず、そのまま尻餅をついてしまう。
結構な勢いでこけてしまったため、ダメージも相応に大きい。
「あいたたた……。」
「……ふぅ。」
そんな私を見下ろして、帽子さんはため息をついた。
あぁ、また呆れられてしまった。
「ほら、いいから、乗りなさい。」
私に背を向けて、しゃがみ込んでくれる。
「ご、ごめんなさい……。」
おずおずと手を伸ばして、背中に身体を預ける。
軽々と立ち上がった後に、帽子さんは再び歩き始める。
あぁ、どうして私はこんなにもドン臭いんだろう。
やることなすこと、全部裏目に出てしまう。
決して迷惑を掛けたいわけじゃないのに、結果的には迷惑をかける形に落ち着いてしまう。
「はぁ……。」
無意識のうちにため息を吐いてしまう。
自己嫌悪は自分にとっては日常だ。
こんな自分、大嫌いだ。
「そんなため息はいて、どうしたの?」
帽子さんが声を掛けてくれる。
「いえ、なんでもない、です。」
わざわざ知らない人に話すようなことでもない。
自分の駄目さ加減なんて話しても、帽子さんが悪い気分になるだけだ。
「まぁ、いいから話してみてよ。大体分かるけどさ。」
「えぇ!?」
「貴女、自分のこと嫌いなんでしょ? あまり要領よさそうじゃないもんね。」
か、完全に見抜かれてしまっている。
もしやこの人は心の声が聞けたりしてしまうんだろうか。
そうでなければ、どれだけ分かりやすい挙動してたんだ、私。
「ぇ、はい、そうなんです。私、その、ホントにどん臭くて。何をやっても、誰かに迷惑をかけちゃって。」
口から自然と言葉が出てくる。
「私だって迷惑を掛けたいわけじゃないんです。本当ならもっとうまくやって、誰の手も煩わせないようにしたいんです。」
考えずに出てきた言葉は偽り無い本音で。
「でも、どんなに頑張っても結果が追いつかなくて。どんどん周りから見放されちゃって、いつの間にか一人になっちゃって。」
偽り無い本音は私の感情をどこまでも掻き立てて。
「学校でも、家でも、ホント一人で。誰も、一緒に、いなくなっちゃって。」
ずっと胸の奥にしまっていた気持ちすら、溢れ出してきて。
「ふーん、それでいじめられっ子かぁ。」
「あぅ。」
帽子さんは情け容赦ない。
私今にも泣いてしまいそうなのに、あまり辛辣だとホントに涙腺崩壊しそう。
「まぁ、その様子だとそこそこ頑張ってきてるんだろうし、努力もしてるんだろうねぇ。」
帽子さんは立ち止まって、よいしょ、と一声。
少しずれていた私の身体を背負いなおす。
「でもね、多分、なんだろう。君、努力の仕方も凄い下手だと思うんだよね。」
「え……。」
「いや、そこまで裏目に出てるんなら、努力の仕方もなんか裏目に出てそうだなぁって。」
い、言われてみれば、昔から勉強は丸写し、丸暗記しかしていなかったし。
クラスメイトに話しかけようと心に決めて、前日から話す内容全部決めてたけど、いざ話すとなると頭が真っ白になったり。
掃除とかで役に立とうと思って、重いもの一気に持とうとして、結局全部ひっくり返しちゃったり。
あながち、ノウとはいえないコレまで。
「そ、そうかも、しれません……。」
「心当たり、あるみたいね。まぁ、こればっかりは生まれついたもんだし、諦めるしかないかもね。」
ハハハ、と笑う帽子さん。
いや、まったく笑い事じゃないんですけども。
私にとっては生きるか死ぬかの死活問題なんですけども!
「まぁ、そう悲観しなさんな。要は君は一人で全部しようとするから、いけないの。」
「一人で、全部、ですか?」
「そうそう、一人が駄目なら二人で、それが駄目ならもっと大人数で。基本でしょ?」
「はぁ……。」
確かに、正論ではある。
しかし、今の私は親にも見放されている落ちこぼれ中の最下位だ。
こんな私に付き合ってくれる人なんて、どこにもいない。
「あぁ、でもそういえば貴女、友達いないんだっけ?」
グサ。
心無い言葉が容赦なく私を責め立てる。
この人、わざと言っているのか?
泣いちゃうぞ、泣き散らかしてしまうぞ?
「……はぃ。」
答えたくはなかったが、もう張るような見栄も無いので正直に答える。
「んー、なら、ほら、コレあげるよ。」
帽子さんは立ち止まって、自分のポケットから何かを取り出す。
長方形の薄い紙。
電灯の淡い光に照らされて、ぼんやり映し出されたそれは。
「名刺?」
「そそ、それ私の名刺。これでも一応事務所持ってるから。事務所にきたら、相談ぐらい受けてあげる。」
私はそれをぼんやりと眺めていた。
なんというか、目の前で起こっていることが信じられなくて。
この人はどうやら私のどん臭いところを知ってなお、私に付き合ってくれると言っているのだ。
「え、い、いいんですか!?」
私が思わず大声を出してしまったせいで、帽子さんはビクッと肩を震わせた。
「……いいも何も私が来いと言ってるんだから構いません。好きなときに来てもいいわよ。」
「あ、ありがとうございます……!」
なんだかよく分からないけど、凄く嬉しい。
胸の奥から熱いものが込み上げてくるような、とにかく凄く嬉しい!
あれ、でも、待って。
なんでついさっき会ったような見知らぬ女子高生にここまでしてくれるんだろう。
あまり疑いたくは無いが、まさか騙されて監禁とかされないよねぇ。
「あの、なんでここまでしてくれるんですか?」
こういうことは聞けるうちに聞いておくのがいい。
帽子さんはんー、と返事をして一言。
「貴女には借りがあるからね。恩返しみたいなもの。」
私に、借り?
はて、私はこの帽子さんに対して、貸しを作らせるようなことをしたっけか?
色々と考えているうちに団地の出口に到着した。
「さて、とりあえず団地は出たけど。貴女の家って、どこにあるの?」
「あ……。」
そういえば、私の家がこの団地内にあるってこと、伝え忘れてた。
そのことを小声で伝えると、帽子さんはまたため息を一つ。
「……、こりゃ荒療治が必要そうだね。」
「ご、ごめんなさーい!!!」
これが、私と帽子さん、サカガミコトネさんとの関係の始まり。
この出会いが私にとってとても大きな意味を持つことを、このときの私はまだ知らなかった。
とまぁ、こんな感じにちょくちょく視点変わります。
一応そういうときは前書きに書いておきますんで、あしからず。