少年ヤクザ
桜が舞い散る4月。 出会いや別れのドラマが織りなす春の月。 ある顔の厳つい男の子が真新しいピカピカのランドセルを背負い、川沿いをまっすぐある場所に向かい歩いていた。 彼の名前は坂元大輔。 ちょっぴり恥ずかしがり屋だが心優しい男の子である。 彼が待ち合わせ場所の彼が住む小さな街では交通量の比較的多い、大きな橋(余談だがこの街ではデートスポットの一つである)に彼を待つ童顔で目が輝いている聡明そうな男の子が彼が到着したのに気がつくと彼に向けて大きく手を振った。 彼の名前は川口健吾。 その魅惑のベビーフェイスにより、彼に迫ってくる女の子はつい先日100を超えたとか超えないとかそんな噂が絶えない彼であるが大輔には心を開く唯一無二の相棒(親友)である。
さて、二人が合流し、向かう先には少子高齢化が進む中、その荒波に負けぬようにと年々、子供数を増やそうと躍起になっている大きな小学校が一つ。 名を尋常小学校という。
今回の舞台や登場人物の大まかな説明はこの辺にしといて、そろそろ本編に繰り出そうとする。 坂本大輔という男の子を中心に渦巻くドラマをとくとご堪能あれ。
威風堂々な入場曲が体育館に流れ、教師を筆頭に在校生達は拍手をし、新たに加わる学友を心暖かに迎え入れた。 ぞくぞくと花のアーチを潜り、緊張した面持ちで入ってくる新入生の中に大輔も居た。 だが彼が入場した時の異様さと言ったら目に見張るものがあった。
彼を含め、一列で入場してくる新入生達、その前後の感覚は割かし狭いにも関わらず、大輔の前後の感覚は人一人分は入るのでは無いかというほど広く空いていた。 在校生はその姿を見て最初は戸惑った。 だが彼の厳つい顔つきや額にある大きな傷を見て各々震え上がった。 新入生が全員席につき終わった頃、壇上には尋常小学校の校長と名乗る老人が立ち、挨拶をする。 挨拶が終わり、在校生代表の激励が始まる。 それも終わると今度は校歌を歌い、新入生は退場し、各クラスに向かうこととなる。 残念ながら、最初のクラスでは健吾とは同じクラスになることはできず、大輔は健吾と別れ、自分のクラスに入っていった。 そこでも事件は起こる。 大輔は自分のクラスであてがわれた席に着き、隣の可愛い女の子に友好の証として挨拶代わりに握手を求めた。 それがイケなかった。 彼女が大輔の差し出す手を見るやそれまで小学生にしては極度の緊張に晒されていた彼女だったが何を勘違いしたのか、大輔を恐れる心が引き金となり、彼女は泣きだしてしまった。 彼女に続き隣の席の子、また隣の席の子とクラス中で感染し、二人を除く43名は男女問わず一斉に泣きだした。 教師が教室に入ってきた時、教師もこの状況下でパニックになり、泣いたほどだった。 数分後、数名の教師の素早い対応によりその場はなんとか収められた。 その日は簡単な説明を受けた後、解散することになった。 その事件を皮切りにクラスの中で大輔と友だちになろうとする者は誰も現れなかった。
翌日、学級員長を決める為、教師が皆に問うた、誰か立候補する者はいないか、と誰も手を上げない中、大輔は勇気を振り絞り、手を上げた。 だが、教師はそれを見て見ぬふりをして、勝手に決めようとした。 大輔には似たような状況に出くわしたことが何度かあり、それを対処する方法も知っていた為、立ち上がり、その教師に講義をしようとした時、大輔よりも早く立ち上がり教師に向けて抗議する生徒が一人いた。
一番後ろの窓際に座っているキリッとした顔立ちの整った凛々しい女の子が口を開いた。
「先生! どうして坂元くんを無視するんですか?! 彼だって立候補してるでしょうが! 彼にも正当な権利があるはずです! 何故そのようにないがしろにするのですか?」
その言葉を受け、反論する言葉が見つからないのか、教師は頭を垂れながら黒板に大輔の名前を書いた。
その時、大輔は意外にも涙ぐんでいた。 それは悔しいとか悲しいとかそんな感情では無く、素直に嬉しさからくる涙であった。 親友の健吾以外に友達はいなかった大輔だったがここに来てようやく、健吾以外の人から好意的な感情を受け取った気がした。
その後、副学級員長を決める際、その女の子が立候補した。 黒板には二人の名前が書かれている。「学級員長 坂元大輔 副学級員長 理后マヤ」
その日以降、大輔は組長、マヤは姉さんと何故か呼ばれるようになった。
夏が近づいたある日の下校時間、大輔は健吾と家路を急いでいると河原から猫の威嚇する鳴き声が聞こえてきた。 河原に降りると数人の男の子が子猫を紐でつなぎ、石をぶつけて遊んでた。
男の子達が笑いながら石をぶつけ、子猫が苦しみ鳴くのを見てまた、更に笑い声をあげる。
「おっしゃ! この俺の豪速球でこの化け猫にとどめを指すぜ」
石を持ち投球する姿勢の男の子が言う。
「おいおい…殺しちゃまずいでしょ? 掃除するのも面倒くさいし…」
それを見て、半笑いで止める男の子が投球する姿勢の男の子に向け言った。
「構わないよ。 死んだらそこの河に捨てれば問題ないもん」
何気なく見ていた無表情の男の子がそう言い放つ。
「んじゃ、そういうことで…本気でいくぜ!」
投球する姿勢の男の子がそう言うと全身の力をその石に込めるかのように子猫に向け、投げつけた。
子猫は思った。 もう自分はこのまま向かってくる石にぶつかって死ぬのだと。 このまま自分を産んで間も無く死んだ母の元へ自分もいけるのだと。
口惜しや。 まだまだ、食べることができたであろう。 成熟して子供も産めたであろう。 誠、口惜しや。
子猫が覚悟して目を瞑った。 だが、いくら待てども硬い、硬い石は飛んでこない。
目をゆっくり開けてみるとそこには大きな手が自分を庇って血に塗れていた。
「…胸糞悪いことこの上ないな」
大輔は血に塗れた手を軽く振り、ランドセルを下ろしながら、男の子達に向けて言い放った。
「誰だよお前! 俺らの楽しみを邪魔するなよな!」
石を投げた男の子が怒りを露わにして言う。
「お、おい。 待てよ。 確かこいつ隣のクラスの組長じゃね? ほら、入学式当初、クラス内を恐怖で震撼させたって言う…」
「こいつが? ちょっと顔が厳ついだけのチビじゃねぇかよ! なぁ?」
同意を求めるように投石した男の子は他の男の子達を仰ぎ見る。
だが、半笑いの男の子は必死で逃げるようにその場を走り去った。
投石した男の子はチッと舌打ちをし、大輔に向けて醜く歪んだ口を開く。
「2対1だ!構わねえ、このお調子者をボコボコにして黙らせるぞ!」
そのまま大輔に向かって二人の少年は拳を叩きつけようと迫っていくのであった。
「はぁ…やってられるかよ」 河原から逃げた半笑いの少年は一人ごちた。 クラスでもガキ大将ポジションの投石した少年とつるめばいいことがあるんじゃないかという浅はかで軽い気持ちで付き従っていただけだった。
「ったく…これだからガキには付き合えねぇんだよ」
遠くから彼らの喧嘩を見ながら呟く。
「…そうだね。 まったくもってその通りだ」
半笑いの少年が振り向くと童顔の少年が視線の先に立っていた。 確かこいつは…同じクラスの川口健吾…多少女にモテるからって普段はクラスに関心を示さないスカした野郎じゃねぇか… 半笑いの少年は心のなかで一人毒づいて、それから川口健吾に向き直った。
「や、やぁ川口君。 どうしたんだいこんなところで? 散歩かい?」
そう言うと健吾は半笑いの少年に関心が無さそうに口を開いた。
「白々しいな。 さっきまで猫を一緒になって虐めていたのに今では友達を捨てて他人ごとか?」
「なっ!? 何を言うんだ! 証拠でもあるのかよ!! めいよきそんで訴えるぞ!」
半笑いの少年は焦りを顔に出しながら必死にまくし立てるが健吾が懐から出した、カメラを見て、血が一気に下っていくのが分かった。
「一部始終、カメラに収めさせて貰った。 もう言い逃れはできないけどどうする?」
半笑いの少年がその言葉を聞いた瞬間、今度は逆に頭に血が一気に昇るのを感じ、近くにあった石を掴み、カメラに向けて投げつけた。
無常にも、半笑いの少年の目論見通り、少年の投げた石はカメラに当たり、地面に落ちて粉々になった。
「あははは! もう証拠うんぬん言えなくなったね、川口君!」
尚も、高らかに笑い出す少年に健吾は口元を歪めながらこう答えた。
「ふふ。 阿呆が。 奥の手って言うのは隠すから奥の手って言うんだよ」
健吾は高らかに笑う少年に向かって走りだすと、そのまま速度を殺さず、少年の顎に向け内角にストレートを繰り出す。 その拳は見事的中し、少年は膝から崩れ落ちた。
倒れている少年に向けて、健吾は汚いものでも見るかのように顔を歪めながら口を開いた。
「ふん。 俺はお前みたいな友達を見捨てる人間のクズが一番嫌いなんだよ」
そう言い捨てると少年を土手の芝生の上へ寝かせ、自身も加勢すべく、大輔の元へ向かうのだった。
大輔は無表情の少年が放つ拳と、リーダー格の少年が投げてくる石をバックステップで交わしながら勝機を待っていた。 遠くから飛んでくる石と近くから放たれる拳。 どちらか一方に対処がいけば、もう一方からの攻撃を避けられなくなる。
大輔は考えながら待った。 ただひたすらに勝利の女神が微笑むのを待った。
リーダー格の少年が投げつけてくる石をかわそうとした時、ふと無表情の少年を見るとつかず離れずのところに身を引き、また大輔に向けその狂拳を振るってくるのを大輔は見逃さなかった。
そして考えついた作戦は彼に勝利を確信させるのには十分だった。 大輔はまず相手を撹乱するためにバックステップで避けるのを止め、とかくあちらこちら走り回った。
そして痺れを切らし、追いかけてきた無表情の少年が殴りかかってきたところを躱し、ある地点へと誘いこんだ。
そこは大輔自身が中心に立つ、一本の直線。 大輔は後ろ目でリーダー格の少年が投石姿勢に入ったのを見逃さず、同時に無表情の少年が向かってきたことを確認するといきなりしゃがみこんだ。
リーダー格の少年によって放たれた凶石は、大輔の頭上を通り越し、大輔の読み通り見事無表情な少年のこめかみに当たる。
リーダー格の少年は無表情な少年が倒れるのを見て、一瞬怯んだが、その隙に大輔はリーダー格の少年に素早く近づき、渾身の力でアッパーカットを繰り出し、リーダー格の少年の意識をも飛ばした。
「大ちゃん!」 大輔が振り向くとそこには健吾が手を振り、走りながら近づいてきた。 「大丈夫?」 大輔のことを心配そうに見つめる健吾だが、何も怪我がないことを確認すると今度は周りを確認する。
「二対一でも大ちゃんは負けないんだね。 強いなぁ」 健吾が顔に微笑を貼り付けながら言うと大輔は軽く流して、子猫の方に向けて歩き出した。
「まだ息はあるが…そうとう重症だな…ちょっと動物病院に連れていく、健吾はその頭から血流して倒れてる奴を病院に連れて行ってくれないか?」「お安い御用さ」
そういうと大輔はランドセルを背負い直し、子猫を抱えて急いで近くの動物病院に走っていった。
「さて…」と健吾は懐から携帯を取り出し、どこかに電話をかける。
「あ、もしもし。 俺。 一台車を回してくれない? うん、そう。 河原だから急いでね」 電話を切ると溜息を吐き、後処理に回るのであった。
「うん、これで問題ないよ。 あとは少しばかり入院してもらうだけだね。 心配はいりませんよ、見積もって2,3日だから」
白衣を着た医者がそう言うと大輔は安堵の息を漏らした。
「では、先生よろしくお願い致します」 大輔は深々と頭を下げて動物病院を後にした。
帰り道、大輔は考えていた。 何故人は弱いものを虐げるのだろうか。 あんなに残酷に、あんなに笑顔で。 涙が出てきた。 神様は何故こんな不条理な世の中を作ったのだろうか、何故みんな他の生き物を敬おうとしないのか。
何故心があることを理解しようとしないのか…
見上げると曇天が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな気がした。
「おい、ヨウ、それでお前は何もせずにおめおめ帰ってきたっていうのか」
小学生にしてはガタイが良く、丸坊主の少年は先程健吾に殴られ失神していた少年、ヨウに向けて気だるそうに首を回しながら言い放った。
「だ、だって…キヨ兄ぃ、相手は同じタメでも組長って呼ばれている奴だし…二対一でも勝っちゃう奴だぜ? そんな俺じゃ無理だよぉ」
ヨウは情けなく震えながら、まるで地獄絵図でも見たように顔から血の気が引いていた。
「んで、その組長っていうのと…お前を殴った健吾っていうのを取っちめればいいんだな?」
軽く腕まくりしながらキヨ兄と呼ばれた少年は関節を鳴らした。
「そうだよぉ…あいつらに仕返ししておくれよぉ…」
ヨウは泣き真似をしながら口元を歪めた。 ふふ。これであいつらは僕に従うはずだ。 待ってろよ…受けた屈辱を倍以上にして返してやるからな。
次の日、大輔は廊下に出て空を眺めながら、昨日の疑問について考えていた。 昨晩は考え過ぎてあまり寝つけていなかった為、大あくびをした時、後ろからクスクスと笑い声が聞こえた。
振り向くと同じクラスの理后マヤが口元に微笑を浮かべ大輔の方を見ていた。
「天下の組長さんも気が抜ける時があるのね」
大輔は罰が悪くなり、顔を背け、頬を指で掻きながら口を開いた。
「何かようか?」「あら、用がなければ話しかけちゃいけないのかしら?」
フフフと笑ってマヤが続ける。
「昨日の子猫は大丈夫だった?」
大輔は思わずマヤの方を見た。
「昨日、見てたのか?」「ええ。 大輔君がいなかったら私があいつらをひっぱたいていたでしょうね」マヤは急に無表情になり、大輔に告げる。
「ねぇ」と言ってマヤは大輔に一歩近づき口を開いた。
「今日学校が終わったら動物病院に行くつもりでしょ? 私も一緒に行ってもいい?」
大輔は知らない内に胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「べ、べつにいいけど…」「やった! じゃぁ、放課後ね!」
そう言うとマヤは足早に教室の中へと入っていった。
大輔はしばらくその場から動かずにぼーっとマヤが入っていった教室の方を見ていた。
物陰から怪しく覗く者が一名、二人の会話を聞いていた。
放課後…動物病院… その単語だけ聞き取ると足音を立てずに廊下の端にある階段を昇っていった。
放課後、手早く帰り支度をして、昇降口を出た。 校門を出ようとした時、後ろから理后マヤの呼ぶ声が聞こえた。
二人並んで歩く帰り道、無言で気まずい雰囲気が二人の間に漂っていた。
どうしよう…こんな時、健吾だったら上手くやるんだろうが…どうも俺はこういう感じは苦手なようだ。 大輔は苦々しくそう思った。
大輔は生まれた時から不動明王のような厳つい顔で生まれ。異性はもちろん、同性すら、もともとは寄り付かなかった。 そして幼稚園の時についた傷のおかげで一層大人まで気味悪がり寄り付かなくなった。
今まで自分に親愛の感情を惜しみなく注いでくれたのは、家族以外では健吾只一人であった。
「ねぇ、大輔君って動物好きなの?」 マヤが突然そのようなことを大輔に尋ねた。
一瞬大輔は何を聞かれたのか分からなくなり、間が空いたが、やっと理解して問の答えをマヤに返した。
「動物? …ああ、結構好きな方だな。 どうしようもなく感情に押しつぶされそうになった時なんかは見ていると落ち着いてくるものだ」
「そうなんだぁ! んじゃ、私と同じだね。 私も動物大好きなんだぁ!」
マヤはそう言うと嬉しそうに顔一杯に笑顔を咲かせると次から次に大輔に質問を始めた。
大輔は途中、苦笑しながらもなんか尋問を受けているみたいだと心の中で思ったが口には出さなかった。
そうしている内に、動物病院まで着いた。 中に入ると昨日の医者が顔を意地悪く歪めると大輔に小声で冷やかしを入れた。
大輔は嫌そうにしながらも満更でもなさそうに苦笑しながらマヤと子猫を見比べていた。
帰り道、日がすっかり傾き、道路を歩く二人の影が長く伸びた。
十字路に差し掛かり、マヤが大輔の方に向き直り、口元に微笑を浮かべながら口を開いた。
「じゃぁ、私、こっちだから! 今日はありがとう! また明日ね」
大輔もそれに答えるとマヤは足早に家路に着いた。 大輔もマヤの背中をしばらく見送ると自分の家路に着こうと振り返った刹那、マヤの叫び声が十字路の壁に反響した。
咄嗟にマヤの向かった方向に大輔は駆け出すと数人の背丈が大輔達よりも大きい少年達がマヤを囲んでいた。
大輔がその少年達の前に立つと、一人の少年の影から大輔達と同じくらいの歳の少年が姿を現す。 ヨウと呼ばれる少年である。
「おっと、動くなよ組長。 このブスがどうなっても知らないぜ?」 まるでドラマの悪役みたいなセリフを言ってのけたヨウは自分に酔いながら続ける。
「今日は、川口は一緒じゃないのか…まぁ、いいや。 キヨ兄、こいつが組長だよ」
そう言ってヨウが振り向いた先に立っていた一番ガタイの良い坊主頭の少年は顔をイヤラシく歪めて大輔に向けて言葉を放った。
「お前が組長か。 なんだ、えらくちんまりしたガキじゃねぇか。 まぁ、いいや。 お前今から死刑な。 とりあえず河原へ向かうぞ。 ついてこい」
そう言うとキヨ兄に続いて取り巻きがマヤを連れてゆっくりとした足取りで歩いて行く。
その後ろから大輔も従いていった。
物陰から一部始終を覗いていた少年が居た。 彼はおもむろに上着の内ポケットから携帯を取り出すと誰かに電話をかけはじめた。
コール音が三回鳴り終わった時、電話の向こう側の人物が電話に出た合図を送る。
「もしもし? 健吾君か…大輔君がどうやら中学生の連中に拉致られたようだ。 場所は河原の方だよ。 僕も今から後を付けるから君も早めにおいでよ、それじゃあね」
電話を切り、懐に仕舞うとその少年も足早に大輔達の後を追った。
できるだけ足音を立てぬよう、気配を消しながら。
河原に着いた。 辺には大輔達以外人の気配は無く、聞こえる音と言えば、河の流れる音と遠くから聞こえる車の走行音だけである。 キヨ兄はいきなり大輔の首元を掴むと左頬に右ストレートをぶつけた。
大輔は耐え切れず、後ろに吹き飛び数回転がるが、すぐに立ち上がりキヨ兄を睨みつける。 「ふぅん…それなりに根性はあるようだな。 泣き顔一つ見せないなんて」
大輔を殴るまでつまらなさそうにしていたキヨ兄はすぐに立ち上がり睨みつけてくる大輔を見て、顔を醜く歪ませながら、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような感情が湧いてくるのを感じていた。
「おい! 組長! いくら睨んだってお前は手を出せやしないんだよ! 手を出した瞬間、このブスをお前の代わりにボロボロにしてやるからな」 ヨウはキヨ兄の取り巻きたちが両脇から羽交い絞めにしているマヤの頬をイヤラシく撫でながら、大輔に向けて注意を促した。
「…」大輔はそれを無言で返すと足元を見ながらキヨ兄に近づき、目の前で止まった。
キヨ兄は、再度大輔の首元を掴むと今度は右頬に拳を叩きつける。
大輔は堪らずに勢いのまま後ろに転がった。 取り巻き達はそれを見て何が可笑しいのか腹を抱えて笑い転げている。 大輔は殴られた際に切れた下唇を噛み、悔しさを耐えながらまた、キヨ兄に近づき殴られる。 それを数回繰り返す頃には、大輔の膝は大輔自身を笑うようかのように震えていた。
一体何発殴られただろう、分からない。 大輔はフラフラと立ち上がり、キヨ兄にゆっくりと向かう。 覚束ない足取りでキヨ兄の元に向かう途中、大輔はマヤの方を見ると涙を流しながら大輔に向けて何かを叫んでいるようだった。 だが、大輔の耳は耳鳴りに襲われ、マヤの声は届かない。 マヤの方へ顔を向け、大輔はボコボコに腫れた顔で精一杯の笑顔を作った。 「何笑ってんだ! おら!」 その行動が気に入らなかったらしい、キヨ兄は先程よりも硬く拳を握り大輔の顔面を叩きつけた。 大輔は意識が飛びそうになりながらも気合で喰らいつき、立ち上がる。
「ああ…もう飽きたわ、終わりにしようか」 キヨ兄はそう言うと近くに転がる拳程の大きさがある石を右手で持ち、大輔の首元を左手で掴むと右手を天高く振り上げ、そのまま大輔に向けて振り下ろす。
グシャッと嫌な音が河原に響き渡り、真っ赤な飛翔が空を散った。
少女は目を瞑った。 残酷な現実をもうこれ以上直視できず、まだ幼い心はその光景を無意識に逸らそうと身体に働きかけたのだ。
だが聞こえてきたのはよく知る人物の悲鳴ではなかった。
「うぐぁぁああああ! 目がぁぁあああ」
目を開くとそこには蹲る巨躯と血塗れでボロボロになりながらも立ち続けている少年。
この状況を目の前にして少女はもちろん、取り巻きたち、この騒動をけしかけた少年にすら把握しきれなかった。 なおも痛みに苦しむように呻く巨躯を血塗れの少年は見下ろしている。
突然、風を切る音と共に短い悲鳴が聞こえ、少女を拘束していた取り巻きたちは次々に倒れていく。 的確に顎へ衝撃を拳で伝え、小さな影は工場の流れ作業のような無駄の無い動きで自身よりも一回りも二回りも大きな少年達を地に伏していく。
気がつくと少女の周りには一人の無表情な少年が立っていた。
「どうやら間に合ったようだね」 少女が視線を前に向けると童顔の少年が石を持った少年を連れてこちらに歩いてくるのが見えた。
血塗れでボロボロになりながらも立ち続けている少年は振り返り、定まらない視線でその少年を見つめ呟くように口を動かした。
「…健吾」
健吾は蹲る巨躯を避け、大輔の目の前に立つと両手を広げ、大輔に向けて口を開いた。
「大ちゃん水臭いぞ! なんで黙って先に帰っちゃうんだよ! デートならデートって言えばいろいろアドバイスとか言えるのに!」
大輔は痛む頬を指で掻きながら足元に視線を落とすが背後で動く影に気が付き、健吾の肩を掴み脇へ退けた。
「ひひひ…いてぇ。 …みなごろしだぁ」
目をおさえ蹲っていたキヨ兄はゆらりと立ち上がる。 右目は潰れ、閉じた瞼の隙間から涙を流しているように真っ赤な血が重力に逆らわず、下へ下へと流れている。
キヨ兄は懐に右手を入れると折りたたみ式のナイフを取り出した。
「健吾…下がってろ」 大輔は覚束ない足取りで前へ出ると重くなった両腕を顔の前に出し、構えた。
キヨ兄は左目で大輔を視認すると、右手に持つナイフを大輔に向け一直線に付き出した。その黒く鈍い光を放つバタフライナイフは大輔の左腕に深々と突き刺さる。 それを見たキヨ兄は宝くじの一等に当たったかのようなはしゃぎようだった。 しかし、やがて異変に気がついた。
押せども引けどもナイフが抜けないのだ。 大輔はキヨ兄の顎目掛けて全体重が乗った右ストレートを叩き込み、キヨ兄を後ろへ吹き飛ばした。
数十回転がっても勢いは殺せず、とうとう河原から土手に続く緩やかな傾斜にぶつかり止まった。 その後、キヨ兄が立ち上がることは無く、完全に意識は彼の身体から離れた様子だった。
「大ちゃん! 大丈夫か?! 腕にまだナイフが刺さってるけど!?」 大輔が膝から崩れるのを支えながら健吾は大輔に問いかけた。
「…カッコ悪いところ見せちゃったな…健吾…あとの処理は任せたわ」
大輔はそう呟くと目を瞑り、健吾を巻き込みながら倒れた。 遠くから大輔を呼ぶ声が聞こえたのを最後に、そのまま意識を失った。
気が付くと見知らぬ白い天井が目の前にあった。 大輔は痛む身体をやせ我慢しながら起こすと、部屋の中を見回す。 白い壁、白いベッドシーツ、丸椅子、白い簡易型のベッド机…どこにいるか検討がついた。 窓の外を見ると、夕日が沈みかけていた。
どうやら長い時間病室で眠っていたらしい。 自分の今置かれている状況を把握し、今後のことを考えようとした時、病室の扉が控えめにスライドするのが見えた。
そちらの方に視線を向けるとランドセルを持ったマヤが河原で積んできたのであろう青い小さな花を持って、俯きながら病室に入ってきた。
マヤは大輔が起き上がっているのを確認した途端、大輔に飛びつき抱きしめながら泣いた。
「大輔くん…ごめんなさい! ごめんなさい!」 大輔は身体が軋み、痛むのをやせ我慢しながら、右手でマヤの頭を撫でてやる。
一頻り泣くと落ち着いたのか大輔の首に巻いた両腕を離し、大輔にぽつりぽつりと大輔が起きるまでの状況を話し始めた。
大輔が3日間、高熱が続き、意識が戻らなかったこと。 子猫の傷が完全に治り、そのまま病院に住みつき始めたこと。 健吾があの後、どこかに電話し、黒い高級そうな車を何台も呼びつけて、処理をしたこと。
あの子猫を虐め、大輔に喧嘩で負けた二人が大輔を助けたことに一役買っていたこと。
その二人は今では健吾につき従い、おとなしくなったこと等。 すべて話終える頃には日がすっかり暮れて、夜になり変わっていた。
「…そうか」 大輔はそう言うと一つ頷き、扉の方を向き、「健吾! いるんだろ? 入ってこいよ!」と大きな声で呼ぶと気まずそうに健吾は病室に入ってきた。
「大ちゃん…なんで俺が病室の前にいるの分かったの?」 「お前は気が利くからな…もしかしたらと思って呼んでみた」 そういうと健吾は「大ちゃんには敵わないや」と言って頭を掻いた。
健吾にマヤを送っていくよう促し、二人は病室を後にした。
二人が出ていった後、大輔は一人物思いに耽っていた。 もし、あの時助けが来てなかったら俺は死んでいたのだろうか。 もし、あの時倒れていたらマヤはどうなっていたのだろうか。 大輔は考えた。 自分はまだまだ弱い人間だ。 これからもこんなことが起こっていくのだろうか。 その時俺は果たして、大切なものを守りきれるのだろうか…
大輔は目を瞑りながら考え、しばらくするとその意識は夢の中に向かっていった。
一週間後、病院を退院した大輔が学校に行くと、クラスの雰囲気が変わっていた。
「組長! おかえりなさい」 「お? ヒーローの凱旋だ!」 「組長! 怪我は大丈夫なの?」 同クラスの生徒達はおろか、廊下に出たら他のクラスの生徒まで大輔に向けて虎舞賞賛の念、を送ってきた。 しばらく考え、この状況を引き起こした人物に検討がついた。
廊下に出てその元凶たる人物の元へ行こうとした時、背後から誰かに呼び止められた。 振り返ると、マヤが顔に微笑を浮かべて大輔の視線の先に立っていた。
「大輔君! 凄い人気じゃない! 良かったわね!」 嬉しそうにマヤがそう言うと大輔はこの状況を引き起こした人物の元に行き、抗議するような気持ちが消え失せていくのを感じた。
「子猫! 今日、また一緒に子猫の様子見に行こうね! 約束だよ!」 マヤは一方的に大輔にそう言うと大輔が答える間を与えず、振り返り教室に戻っていった。
大輔はふぅ、と息を短く吐き、窓から空を見上げた。
もう間も無く夏に入る。 真白い入道雲が青い空の中を気持ち良さそうに泳いでいるのが見え、大輔は微笑みながら、そのまま自身の教室に入っていった。