雨の日
ぽつぽつと雨が降り始めて水滴が僕の頬を濡らした。
雨を凌ごうと傘を開こうとすると後ろから
見知った声に話しかけられた。
「二見・・誠君よね?」
僕が振り返るとそこには少し青い顔をした幸子おばさんがこちらに向かってお辞儀をしていた。
「久しぶりね。彰浩のこと見送りに来てくれたの?」
僕は傘も差さないままじっとこちらを見つめるおばさんに少し頭を下げた。
「・・この度はご愁傷さまでした。」
僕が言うとおばさんは少し微笑んだ。
「気を使わなくていいのよ。それに高校生の男の子にご愁傷様でしたなんて言われたらむずがゆいわ。」
おばさんは少し冗談めかして言ったがその顔はすごく泣きそうに見えた。
「彰浩に・・線香・・あげてくれる?」
僕は頷くとおばさんの視線を振り切り式場の中へと向かった。
一年ぶりに見た元クラスメートの顔は安らかで、何より、この世のものとは思えないほどに真っ白だった。
僕は父親から聞いた焼香の仕方を思い出し、すばやく線香をあげ、彰浩のご神体に手を合わせた。
ふと上を見上げると遺影の中の彰浩が僕に向かって笑顔でピースサインを向けていた。
遺影はまだ彰浩が僕と同じ中学に通っていた頃の写真を使っていた確かこの写真は二人でバーベキューをした時に僕が撮って彰浩に焼き増しして渡したものだ。
まさか遺影に使われるなんてあの時は夢にも思わなかった。
僕は自嘲気味に少し口元を歪め立ち上がった。
周りを見渡すと彰浩の行った高校の制服を着た女子高生が数人、端のほうでこそこそと喋っていた。
「・・・まさか自殺するなんて」
「でも・・いじめてたのは私達じゃないじゃん。あんたが気に病むことないってば」
「でも・・・飯島に言われてクラス全員で無視とかした事あったじゃない?」
「それは・・・仕方ないじゃん。飯島に逆らったら私たちも何されるかわかったもんじゃなかったし」
仕方なかった・・・・ねぇ。
僕は青い顔をした女子高生を横目に彰浩のいる部屋を出た。
平川彰浩は僕が中学3年生の時に知り合った。
受験シーズン真っ只中でピリピリとした教室の中彼は一人飛び抜けて明るかった。
クラスメートの中にはそんな彼を煙たく扱う奴もいたが、僕はクラスの陰鬱な空気を少し浄化してくれる彼が少し有難かった。
そんな彼と僕が本格的に仲良くなったのは、夏休みの前、きっかけは僕がいつものように授業をさぼって屋上でタバコをふかしている時だった。
僕がタバコの煙をゆらゆらと遊ばせていると後ろからポンと背中を押された。
振り返ると彰浩がにきびだらけの顔をニヤニヤさせていた。
「なーにやってんだよ。授業さぼってさ。」
僕は教師ではないことを確認した安堵で胸をなでおろし、寄りかかっていた手すりでタバコを潰した。
「お前がこんな不良だったなんて思わなかったぜ。」
彰浩がどかりと床に腰掛けた。
「教師にでも言いつけるかい?」
僕は冷静に見せかけて彰浩に尋ねた。
誰だって教師にだらだらとどやされるのは嫌だ。
彰浩は僕の方を一瞥して首を横に振った。
「冗談。そんなことしても俺に何の得もないしな。それに俺も授業サボってこんなところに来てんだ。同罪だろ?」
彰浩はそういうと足元の落ちていた石を壁に向かって投げた。
「やっぱ授業はつまんないか?」
僕が彼の隣に腰掛けた瞬間、彼は唐突に行った。
「つまんないね」
僕が答えると彰浩は吹きだして笑った。
「素直だな。やっぱIQ190の頭脳には中学の勉強なんて屁みたいなもんか。」
僕のIQが他の人よりもかなり高い事はこの町の誰もが知っていた。
小学五年生の時、担任が道楽でやらせたIQ測定テストで僕は脅威的な数値を叩き出した。
その噂は町中に浸透し小学校を卒業する直前に父親が連れてきたどこかの研究機関の人が僕の所に来た。そして小学校の担任がやらせたような簡略化されたものではない、本物のIQ検査を受けた。
結果は・・・・ご想像の通りだ。
その後僕は神童という大層な呼び名を回りからつけられ、中学を私立にしろと父親に言われ、それを全力で拒否して入学が決まっていた地元の公立中学に入学した。
中学に入ると、違う小学校出身の奴からは奇異な目で見られ、同じ小学校出身の同級生の一部も僕をなにか珍しい動物をみるような目で見た。
だから僕は中学に入ってから出来た友達は一人もいない。
中学になってつるんでいた奴らは小学校からの悪友で中学に入り俗に言う不良って奴らばっかりだった。
その仲間も中学三年の時期に入って一生懸命お勉強をやり始めた。
おかげで中学三年生の夏休みは今までの夏休みよりさらに暇になりそうだった。
僕はニヤニヤ笑いながらこっちを見ている彰浩を一瞥した。
「お前こそこんなところで油売ってていいのか?他の皆は教室で真剣にお勉強しているよ。」
彰浩はふふっと微笑み何故か勝ち誇ったような顔で僕に言った。
「俺は野球の推薦がおそらく決まるから勉強はしなくて大丈夫。」
彰浩は去年の地区大会優勝ピッチャーだった。
彼の投げる球は中学生の投げる球とは思えないほど速く、球速は140キロを超えるとも言われていた。
「今年は俺の球が取れるキャッチャーがいなくて三回戦負けだったけどな。もう高校のスカウトから話は来ているし、間違いないぜ。」
彰浩は握りこぶしを振り上げガッツポーズを決めた。
「だったら尚更だ。こんな所でタバコ吸ってる不良と一緒にいる所見られたら推薦取り消しは間違いない。」
僕は彼の自慢話を軽く流し忠告してやった。
「暇なんだよ。部活も終わっちまったし、周りはお勉強に夢中だしな。」
彰浩がそう言いため息をついた。
「じゃあ投げ込みでも走りこみでもやってろよ。いい機会じゃないか。更なる成長を期待するよ。」
僕はそう言うと二本目のタバコに手を伸ばした。
瞬間。彰浩の手が僕の手を掴んだ。
「なにすんだよ。」
僕は彰浩の手が食い込む腕の痛さに顔を一瞬歪め、彼を睨んだ。
「抜け出そうぜ。」
彰浩は手の力を緩めないまま今度はズカズカと僕をひっぱった。
「抜け出すって・・・」
彰浩は首を少しこちらに向け極上の笑顔を僕に向けた。
「どうせ暇なんだろ!じゃあ抜け出してどっか遊びに行こうぜ。」
勝手に行けよ、と慌てて叫ぼうとしたが、さすが昨年の地区大会優勝投手なだけあるその腕力に負けた僕はずるずると彰浩に引っ張られていくしかなかった。
式場を出るともう雨は上がっていた。
幸子おばさんは少し雨に濡れた着物を着て客に挨拶をしていた。
おばさんは僕に気づくと、こちらに向かって歩いてきた。
「わざわざ遠い所から来てくれてありがとう。誠君は今高校の近くで一人暮らしをしているんだったかしら?」
僕は黙ってうなずいた。
僕は中学を卒業してから青嵐高校と言うそこそこの進学校に入学した。
高校は僕の故郷から電車で二時間以上かかりさすがにここから通うのは無理だった。
いや。あえて僕はここから通えない距離の高校を選んだのだ。
誰も僕を知らない所に行きたかったのかもしれない。
父は僕が一人暮らしをしたいと言うと、背をむけたまま、一言。
「勝手にしろ」
と、呟いた。
中学に入りだらだらと何もせず、家に帰りもしない息子と一緒に住むのはさぞかし息がつまることだったのだろう。
おかげで僕は父とはそれからもほとんど会話をせずに卒業と同時に家を出た。
お金は毎月定期的に僕の通帳に振り込まれていた。
多すぎるくらいに。
「だったらホントに遠かったでしょう。本当にありがとう。」
幸子おばさんが深く頭を下げた。
僕は黙ったまま幸子おばさんを見つめていた。
幸子おばさんとは彰浩が僕を家に初めて招いた時に知り合った。
おばさんは僕が抱いていた母親のイメージそのままで彰浩を溺愛していた。
夏に行ったバーベキューも当然の如くおばさんは付いて来て、おかげで僕は一本もタバコが吸えなかった。
彰浩も母親をとても大事にしていて、二人はとても仲のよい親子に見えた。
いや、実際仲がよかったのだろう。
いつの日か僕は彰浩に聞いてみた。
「お前。反抗期とかなかったのか?」
彰浩は訝しげな顔をして、僕を見た。
「なんで、自分を無条件に愛してくれる人に反抗する必要があるんだよ?」
彼はきっぱり言い放った。
母親の記憶がほとんどない僕には彼の気持ちがわからなかった。
「そうそう」
いつの間にか顔を上げていた幸子おばさんが言った。
「この写真。あなたに持っていて欲しいの。」
写真を見るとそれは遺影の原画になったと思われる一枚だった。
「何ですか?これ?」
僕が聞くと、おばさん少し目をふせて、とても小さな声で言った。
「彰浩が・・・手首を切った時に持っていた写真なの。・・あなたといる時の彰浩・・・とっても楽しそうだったわ。あの子、あなたの事とっても好きだった。だから。死ぬ間際に・・・」
そこまで言うとおばさんは言葉につまり目元を押さえた。
抑えた手の隙間からとめどなく涙が溢れて来た。
僕はこんな時どんな言葉をかければいいかわからない。
いくらIQが高くたってわからないことなど山ほどある。
僕はおばさんの手から写真を受け取ると、
「大事にします。」
と一言告げて、会釈した。
おばさんは涙を流したまま無理やり笑顔を作り、
「またね。」
と言った。
僕はそのまま反転し写真を胸ポケットに入れ、泣くおばさんを残し、駅の方向に歩き始めた。
角を曲がるまで、いつまでもおばさんが僕の方を見ている。
そんな気がした。
角を曲がると、また雨が降ってきた。
僕は傘を開こうと、その場に立ち止まった。
傘を開くと、僕の10メートル前方に同じように傘を開こうとしている女子高生がいる事に気づいた。
雨脚はいきなりひどくなり、僕は傘の中に身をちぢめて再び歩み始めた。
女子高生はうまく傘が開けないのか、それとも傘が開かないのか、未だに手元で傘をガチャガチャといじくっていた。
僕がすれ違う時にようやく傘が開いた。
その瞬間。
僕は今通り過ぎた女子高生の方に振り返った
腰まである長い髪。
今の女子高生にしてはキチンとひざ上五センチの校則を守っている。
何よりもその制服。
僕の高校の物だ。
片道二時間もかかるここまで、しかも日曜日に制服で、都市とは逆の方向のあるこの町にうちの高校の生徒が何の用だ?
しかも、僕は彼女を知っている。
彼女はとても有名だった。
名前は・・・たしか宮森・・沙紀。
誰が話しかけても無視して会話をせず、さらには少しからかってきた男子生徒に鉄拳を加えると言う、いろんな意味で凄い生徒だった。
顔立ちは可愛いというより美人。
背も高く、僕とあまり変わらない
そんな変人が何故?
僕は傘を差しぼんやり彼女の後ろ姿を眺めたが、彼女はこちらを振り向かなかった。
どことなく、あせっているようにも見えた。
まぁ。学校でもかなり浮いている奴の考える事はわからない。
ふとある可能性が頭によぎったが、僕はすぐにその考えを破棄した。
彰浩の葬式に向かっている・・・・?
そんな考え。あまりに現実感がない。そうだろ?
僕は一人暮らしの生活感のないアパートに戻りぼーっと幸子おばさんから渡された写真を眺めた。
帰ってから雨脚は更に凄くなり部屋中に窓に叩き付けられる水滴の音がこだましていた。
「いじめ・・・・ねぇ。」
僕はなんとなく独り言を呟いた。
あの彰浩がいじめに遭っていたとは・・・。
僕の知っている彰浩は力が強くお調子者でさらに自信家。それだけの印象だ。
空気の読めないところがあったが・・・。
まぁそんな奴だから、中学時代も嫌っている奴は大勢いた。
しかし僕はそんなに嫌いではなかったし、三年生のころはどちらも暇人だったためよく遊んでいた。
さらに嫌っている奴でも、学校の野球部のホープである彼につっかかって行く奴は少なかった。
野球・・・そういえば野球はどうなったんだろ。
確かに三年生の頃よく遊んでいたが、卒業してからはそんなに連絡を取っていなかった。
そういえば・・・半年前くらいに一度携帯に電話があったような・・・。
僕はそこまで考えると何気なく写真を裏返してみた。
・・・・そこには写真の裏側に書いてあるには少し不自然なものが書いてあった。
ホームページのURL。さらにその下に小さな文字で。
「マギルーム」
そう書いてあった。
何かのホームページだろうか?
僕は再び写真をひっくり返しもう一度じっくり眺めた。
やはり表にはピースサインをした彰浩しか写っていない。
僕は写真の中の彰浩を数秒眺め、少し悩んだ後、重い腰を持ち上げ、奥にある勉強机に腰掛けた
。
入ってみる事にした。・・・このホームページに。
別に彰浩の死因や何かを見つけたかったわけではない。
でも何故かこのホームページに入って見たくなった。
それだけだ。
パソコンの電源を付けインターネットを起動した。
僕は手馴れた手つきでURLを打ち込み、エンターキーを押した。
パソコンは微細な電子音を奏で即座に画面を検索システムの画面から切り替えた。
「マギルームへようこそ」
そんなふざけたようなロゴがパソコンのちょうど真ん中くらいに映し出された。
僕がそのロゴの真下にあるenterと言う文字をクリックすると今度はトップページらしき物が現れて更にほぼ同時に注意書きと言うものが書かれていた。
注意書き 1 このサイトを見つけたあなたはラッキーでありますが、アンラッキーでもあります。
2 このサイトの内容の無断転用を禁止します。
3 中にあるソフトのインストールはご自由にどうぞ。
4 条件が一致しないままソフトのアンインストールはできません。
5 ソフトをインストールした瞬間にマギが一つ、アンインストーラーが一つ、自動的にダウンロードされます。
6 インストール後の責任についてはサイトは一切責任を負えません
・・・・・胡散臭いサイトだ。
しかし僕は何故か猛烈にこのソフトをインストールしたくなっていた。
確かに最高に胡散臭いが・・・・。
僕はいつの間にかインストールのボタンをクリックしていた。
何か逆らえない絶対的なものに心を支配されている感覚を覚えた。
理性では必死に逆らっているのに・・本能がそれを邪魔する。
僕は震える手で名前を入力しパソコンのインストールソフトを開いた。
瞬間。
パソコンの画面が急に明るくなり画面に変なエンブレムみたいな物が浮かびあがった。
それとほぼ同時に頭が狂ったように痛くなった。
しかし僕は画面から目を離すことが出来ずに頭を抱えたまま画面を凝視した。
画面にはダウンロード中という文字が浮かび上がってきてものの10秒程度で画面いっぱいに完了と言う文字が浮かんだ。
そこまでが僕の意識の限界だった。
猛烈な筒頭痛に耐え切れなくなった僕の精神はうっすらと消えていった。
意識を失う前に画面を見るとこう表示していた。
おめでとうございます。あなたのマギの名前は ライアーキング です。