36話 兆し
日増しに秋の気配が近づく王都の隅、フミアキの住む屋敷にも涼しげな風が吹き抜ける。
開け放たれた窓から風が入るたびに、しみじみと生きている実感を得るフミアキだった。
しかし、そんな九死を越えて頭の中を占める事がある。
「やっぱり、と言うか三面陣と四方陣は“発動しなかった”か。陣図の作成には至ったのに、発動しないのは種族特性なのかね。その辺の協力者が必要か……」
ぶつぶつとベットの上、左肩には包帯が巻かれた状態で、右手を忙しく動かす。
クーには打撲だと説明してあるが、フミアキの左鎖骨はヒビが入っており、左腕を動かせば未だに激痛が走る。
利き腕が無事だったのは不幸中の幸いで、物を書くくらいならば何ら問題はない。
ベットで上体を起こし、板に乗せた紙の上カリカリと筆を泳がせていた。
しばらくして筆をとめ、暴走のおりの経験を引き出し反芻する。
「あの方陣を完成させるには、協力者が必要……理想としては、徒人族、巌窟族、長耳族、もしかしたらあともう一種族。ありもしないモノを作るんだから、足りないモノだらけなのはしょうがないか」
空中に向けていた視線をベットの側、水差しの置かれた台の上に転がる宝石に向けられた。
直径2~3ミリの色とりどりの宝石、その内変色し砕けた一つを凝視する。
その宝石は、当時アイリが持っていた物だった。
「素体自体が悪かったのか、それとも……」
右手を伸ばして、もう一つ変化のあった宝石を取り上げる。
陽の光りに透かしてみると、中心に濁りのような陰が見えた。
これはチシャが握っていた宝石だと言う。
しげしげと眺めるも、中心にある陰がなんなのか判断する事が出来ず、宝石を戻しベットに身を投げる。
「いっそ割ってみるか。アレが成功品なのか、失敗品なのかも分からない。よくまぁこんな事でアノ時なんとかなったな。足りないモノが少しわかってきた分、理想の効果を出すための肝心要が全く分からない」
奇跡的に事件を収める事に成功したが、かえって問題が山盛りになった事に、難儀だと溜息をつく。
窓の外を見れば、雲が流れていた。
「ふぁー、ここの所イベント過多だったから、もうこれ以上はお腹一杯ですね。平和サイコー」
少しの間、呆けたように外の風景を眺めていると、短いノックに続きクーが入室する。
ベットに寝そべったままの状態で、右手を振り「やぁ」と簡単に反応した。
急いでいたのか、少し息を乱したクーがフミアキを見て、胸を撫で下ろす。
「よかった。目が覚めたんだね」
「そんな大事があったみないな風に言わないで下さいよ。どうかしたんですか?」
「大事だったんだってば、先生。ありがとう」
飄々としたフミアキの返事に、クーが呆れつつも心をこめて感謝を口にする。
そう言った顔には晴れ晴れとした笑顔に、フミアキは素直に見惚れる、実に良い表情だった。
「いえいえ、単なる偶然ですよ。あの場を切り抜けられた事自体奇跡に等しい話です。結果を引き寄せたのは、クーの頑張りだと思いますよ」
「でも、先生が用意してくれたモノを使ったに過ぎないから。また暴走起こしちゃって、僕なにも考えられなくて先生に頼ってただけだもの」
自身の力の無さを嘆く言葉だが、その顔はスッキリとしておりフミアキはクーの態度に疑問を覚えた。
男子三日と言う言葉をフミアキは思い出す、フミアキは妙な予感と共に、取り越し苦労であればよいと思い探りを入れる。
「頼られたって言うよりも、私は傷が痛くてキミに寄りかかってただけですよ?いやー、未だ腕が上がりません」
「そう言って僕を試してるの?ふふッ」
「ありゃりゃ、あっさり躱しますね」
「僕も自分でも不思議なんだけど、なんて言うんだろ……」
そこで区切りを付けて、思い出すように繋げる。
「あの方陣、優しかったって言うか――――“先生を身近に”感じられたから、かな。おかげですごく心が安定してる」
クーの言葉の意味に、フミアキは息を忘れた。
それはフミアキがこちらの世界で最も聞きたくない、変化の兆しの言葉だったから。
足元が突然脆くなり、膝から崩れて落ちる感覚。何度も性懲りもなく繰り返している自分の罪が、クーの口から出てきてしまった。
(まさか、いや、多分大丈夫だ。同性ならば影響が遅いハズ。居来種なんて言っても、クーはそんな感覚の鋭い方でもないし、今までだっても……一緒に住み始めたのがまずかった?前みたいに距離がなくなったからか?それとも、試験段階の合成方陣が知らない所で悪影響を?!)
「先生ぇー?」
鼓動が早くなり、背筋には嫌な汗が伝う。
必死に最悪の事態を否定する。
それは前向きな否定ではなく、後ろ向きな否定。だからフミアキは、何度も何度も何度も繰り返す。
たった一つの希望に縋って、後ろ向きで歩くから、きっとその希望と言う希望に届かない。
「さ、さてここで問題です。ピポーン」
「はい、ピポーン!」
「残念ながら今回は全部聞いてからですよ。問題、『私の顔はどう見える』でしょう」
「はい!黒髪黒目で、アイリみたいな“眼鏡”をしてる!」
そう答えてクーは首を傾げた。
自分の言葉に、直ぐ様疑問を覚えた。
だってそれは――――。
「あれ、先生って眼鏡してた……?」
極自然な疑問だった。
日常の中で、毎日のように顔を付き合わせておきながら、口にしてようやく疑問を覚える。
有り得ないほどの不自然な状況に、クーがにわかに混乱をきたす。
フミアキ曰く、『世界』から嫌われているために、他人はフミアキの顔を認識し難いらしい。
外見の顔とは、視覚から得るその人個人の情報の塊である。
故に、『世界』から嫌われたフミアキの顔と言う個人情報は、『世界』によりヴェールをかけられ隠匿されると。
一人の人間に対して、過剰ともとれる処置に、原因となる要素は一つだけしか心当たりがない、異世界人である事。
大きな『世界』の小さな異分子は、未だ『世界』に認められる事ない。
普段、他人が知覚するフミアキの表情とは、声から情報・雰囲気を察し、あたかも表情から読み取ったと『世界』に思わされているに過ぎない。
いつだって、こちらの世界の現実はフミアキを傷つける。
それはフミアキの中では、確信であった。繰り返し見せ付けられた。
穏やかな昼下がり、初秋の風が吹き込む屋敷の一室で、フミアキは無性に泣きたくなった。
泣きたくなって、けれどやらねばならない事を意識して、心を補強する。
「やはり起き抜けですので、少々疲れてしまいました。私は休ませて貰いますので、クーは戻って下さい」
「えッ?……僕なにか気に障る事言った?」
明らかに会話を切り上げるための嘘があった。
建前をわざわざ口にして、出て行ってほしいと言うのだ。
理由の検討すらもつかないクーからしたら、本当に突拍子もない流れで、自分の身をふりかえるくらいしか思い浮かばなかった。
目をパチクリさせるクーに、再度フミアキは乞い願う。
「少し、独りにさせてほしいんです。すいませんクー」
「あ、うん……ごめんね?先生、またあとで」
クーに落ち度などない事は百も承知であり、寂しげな横顔は自分の弱さのセイだと、フミアキは噛み締めた。
苦渋の滲みきった顔を横目に、クーは部屋から出て行く。
少し時間をおいて会いにこよう。そう思いながら、ざわめく胸に蓋をかぶせた。
しかし、クーがフミアキに会えたのは、その件から一週間後の事だった。
“教導院”から戻ったフミアキは、憔悴を通り越して魂がないような抜け殻になっていた。
ここまで読んで頂き、有難う御座います。
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