34話 距離感
クリスマス?なんですか、ソレ
クーの突然の宣言を受けたのは、ゴロツキ事件の翌日の昼過ぎの事だった。
「今日は、先生に僕の強さを見せつけようと思います!」
「行き成り何言ってるんでしょうかね、この子は。それと誰に説明してるんですか」
「もちろん先生にだよ!昨日は……えぇと、違うからねッ!あの時は、たまたまって言うか、ちょっと驚いてたって言うかッ、本当は浮かれてた僕が悪いだけど……」
「ははぁん」
まだ昨日の事を気にしていると合点したフミアキは、手を止めて新品の硬筆をスタンドに差す。
ゴロツキに絡まれる切欠を作ったのは、クーの不注意があるかもしれないが、状況を考えれば仕方がなく、その事でフミアキはちゃんとクーからの謝罪を受けている。
それでも気に病むとは真面目君だな。そう思いながら思案する。
クーの精神安定に繋がるなら、申し出を受けるにやぶさかではないと、フミアキは二つ返事で受ける事にした。
(クーの訓練を見ながら『すごいですね』とか『キャーしびれるー』くらい言っておけば問題ないでしょ)
気楽に考え、そのままクーに腕を引かれて書斎を後にした。
「どうしてこうなった」
「いっくよー!」
快晴な空の下、クーの元気な声が響き、フミアキは両肩を落とす。
午後の訓練でクーが使っている開けた中庭で、二人は木剣を携えていた。
訓練風景を見学するつもりで出てきたフミアキは、何故クーの相手をしなければならないのか、最もな質問をする。
「あのですね、私は子供にすら腕力で負けるんですよ?相手ならアイリさんにお願いしたいのですが……今日は居ないんですか?」
今日この場にはクーとフミアキの二人しか居らず、不在のアイリの所在を尋ねた。
アイリの名を出した時に、わずかに苦い空気をクーから感じ取った。
初めて見るクーの様子に困惑するも、場の空気をかき混ぜるかのようにクーが両手をバタバタ振って答えた。
「アイリは、今日お休み!……なんでも昨日飲みすぎたとかって言ってたよ。珍しいよね、あのアイリがお酒で参るなんてさ」
「あぁ……」
納得と同時に、今度はフミアキが曖昧な相槌を打った。
やはりダメだったか。そう思い、封印した記憶を起こさないように努める。
アイリとて花の年頃の女性である。フミアキは昨日の一件について、同情から記憶の海底へ沈める事にしたのだ。
これもアイリのプライドを守るためである。
「……先生は“理由”知ってる?」
「いえいえ、全然これっぽちも全く以て知りません。まぁ、たまには飲みたくなる時もあるんじゃないんですかね?一般論で」
「ふーん……先生“も”飲んだの?」
「へっ?私は、お酒に弱いですからね。普段は飲まないですよ」
頭上に輝く太陽によって暑くはあるが、風の涼しさが抜ける良い塩梅の気候の中で、フミアキは背中に冷や汗を流す。
クーの様子はいつもと変わりはない……ように見受けられる。少しばかり気持ちが高い気がするだけ。
事態を飲み込めないフミアキは、諦めて話題の方向転換を図る。
「アイリさんがお休みなら、クーの訓練も適当に切り上げたらどうです?ほら、方陣の勉強が最近面白いんでしたっけ?」
「合陣の事よりも、今はこっちを見てほしいんだ」
二人一組で行い、形ある紋言と陣図をそれぞれが分担し、より高位の現象を呼び起こす技術。
いわゆる徒人族の奥義だった。
話を反らそうとしたフミアキに、クーは話を元に戻す。
「うん、ちょっとの時間でいいんだ……僕を見て?この間は格好悪い所見せちゃったから、僕だって先生を守れるんだからね」
雲行きがおかしい。フミアキはクーの様子から違和感を察した。
言うなれば焦燥感。
だが、別段おかしい感情でもないとフミアキは思う。
クーのような思春期には誰しもが経験する気持ちで、男の子ならば背伸びしたくなる気持ちが強いし理解出来る。誰しもが通る道なハズである。
フミアキはクーからの突拍子もない話を一般的に推測した。
いつしか、この世界の住人に対して深入りする事を止めた男にとって、クーの真意は気付かれる事なく一般的な価値観として、上辺をなぞるような結びつきで処理された。
「分かりましたが、あんまり張り切らないでくださいよ。なんたって、私は子供にも負ける男ですからね」
「……言ってて哀しくない?」
フミアキの脱力させる物言いに、クーは脱力させられて思わず突っ込んだ。
クーは気が付いていないが、先程までの焦燥感が和らぎ肩の力が抜けていた。
仕切り直しとばかりに、クーは大きく深呼吸して木剣を正面に構える。
両手で持つ木剣はブレず動かず、クーの力量の一旦を正しく示す。
釣られてフミアキも正面に構えるも、比べてみるに余りに酷く不格好な姿だった。
自分から訓練の相手に誘ったクーだったが、フミアキの構え方に「これ冗談なのかな?」などと、心の中で思ってしまう程に戸惑った。
アイリとの戦闘訓練しかした事のないクーにとって、格下過ぎる相手との訓練は初めてで、持ち前の意識のズレがこれから起こる不幸を確定付けた。
「さぁ、かかってきなさい。物の見事にやられてあげましょう」
「やる気が削がれるよ……それじゃッ、行くよ!」
「戦闘では決して油断しない事」口を酸っぱくアイリから指導されているため、クーは教えを守り全力でフミアキに向かう。
膂力のないクーは、小柄な体格を生かし早さを武器にした戦いを取る。
コリーと似た戦法だが、コリーは速さを手数に変換し、クーは早さを速さに変換する。
「初見の相手は必ず良く観察する事」これもアイリからの教えの一つ、それを守り素早く動く中でフミアキの挙動を観察する。
クーの動きについていけないのか、フミアキがきょろきょろする姿が金の瞳に映る。
その姿がクーにとっておかしくて、ちょっと笑ってしまった。
フミアキからすれば、目の前にいたクーが消えたように映った。
目で追う事の困難さに考えを直ぐ様改め、音を拾う事でクーの痕跡を辿る。雑音の少ない屋敷の中庭だったから出来た事だった。
足音は小さく軽やかに、タンッと辛うじて耳に拾うも、反応して振り向くと既にクーは居ないと言う有様だった。
タン、タタン、タン、タタン、タン。軽妙に続く足のタップ音に、クーの姿を探り続けるフミアキは目を回し始める。
完全に遊ばれている。
「無理ゲー過ぎる。ちょっとこの子、マジ人間ですか」
むッ。と、フミアキの視界に入らないように死角を縫うクーがむくれた。
(酷いな、ちょっと懲らしめてやってもいいよね?)
フミアキの言葉に、心外だとクーは思いタップするリズムを変える。
狙うはフミアキの背後、嘆息する頭をちょっと小突いてやろうと間を計る。
クーは、軽いいたずら程度の気持ちでいた。
「ハナっから勝てないと……ん?」
集中して聞き耳を立てていたフミアキは、一定に保っていたクーのリズムのわずかな変調を感じた。
「よくあるパターンは、後ろのしょーめんだーあれっ?」
(えッ?)
懲らしめてやろうと、フミアキの無防備な後頭部目掛けて振り下ろされた木剣は、タイミング良く振り向いたフミアキにそのまま向かう。
予測しなかったフミアキの行動に、一瞬頭の中が真っ白になったクーは、寸止めするハズの木剣を止める事が出来なかった。
慣性の法則はここに発動し、わずかな意識の空白は木剣の制動を乱した。
カァン!と木剣のぶつかり合う音が短く響き、ミシリと何かの軋む音がクーの木剣の手を伝わった。
「あ、あ、あ」
フミアキは、振り向き様に構えていた木剣に助けられ、頭部への直撃はなかったものの、クーの木剣はフミアキの木剣の上を少し滑ったが、それでも勢い止まる事なくフミアキの左肩に叩きつけられていた。
苦しげにフミアキが悲鳴を噛み締める。
未だ事態を飲み込めない、いや、飲み込みたくないとでも言うのか、クーは茫然自失になっていた。
打ち込まれた激痛に苛まれながら、フミアキはたった一つの思考を四苦八苦して繋ぎ合わせる。
即ちクーが危ない。と、瞬時にその事が頭に過ぎる。
「……」
「あ、あ、あ、あぁぁぁ」
壊れた人形のように意味のない言葉を紡ぐ口を、フミアキは何としても塞ぎたかった。
もしクーが事態を飲み込んでしまったのならば、心優しいクーの事である、どれ程自分を攻めるか想像に難くない。
心理面の心配をしていたフミアキの目に、突如として物理面の問題が出現した。
二人を取り囲むようにして、半円形のピンク色のドームが現れたのだ。
ピンク色を通して景色は揺らいでいる。
危険か、危険でないかと、問われれば、間違いなく前者を指す状況に、フミアキは大いに焦った。
(まずは私が!復活して……主導権を握らないと!くそっ!痛過ぎる!)
「ぁぁぁぁ……これ、ぼ」
「クー……!」
「ぼくが、せんせいを」
「クーエンフュルダァァァァ!!」
クーが己の仕出かした事を口に出してしまえば、加速度的に悪化するであろう現在を止めるために、クーの言葉を遮るように痛みを振りかぶり肺を空にするまで叫んだ。
虚ろな“紅い”瞳は、零れるかと思うほど見開かれるも、フミアキの大声に驚いたように反応する。
クーの意識を向けられた事に一安心する。
話が出来ない事には、文字通り話にならない。しかしと、この後の展開にフミアキは頭を悩ます。
激痛は絶えずフミアキの思考を四散させ、クーに至っては爆発寸前の火薬庫のようなものである。
居来種としての力の暴走。
いつかアイリが説明した、感情の高ぶりによる暴走への引き金が、今のクーの手にかかっている。
超常現象など、こちらの世界に来てからしか経験のないフミアキであってすら、今現在の力のうねりのようなプレッシャーを肌で感じる。
フミアキには、暴走とやらの齎す被害はさっぱり分からないが、周囲への被害よりもクーの身がなによりも心配だった。
地面に投げ打ってしまいたい膝に活を入れて、肩の激痛に歯を食いしばる。
「ぅッ……ううぅッ……」
「はぁ……はぁ……なんて顔してるんですかっキミは」
「せんせぇー……」
「まったく、紅顔の美少年顔が、台無しですよ。まったく……」
「せんせぇ……ぼく、ぼくぅ……」
「は、はっはっは!なーにこれしきの事全然ですね」
「……ひっく」
「……全然」
「ひっく……」
「全然……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「気にしない」
「……」
「と」
「……」
「でも、思ったかーーーーーーーーーー!!」
「えッ?!」
「すごい痛い!めちゃ痛い!超痛いぞ、コレェェェェェェ!!」
「えーーーーーーッッ?!」
「どぉぉぉぉしてくれるかコレは?!損害賠償を請求する!断固請求する!」
「えッとえッと」
「居来種の暴走?!甚大な被害?!知るかそんなモン!やれるモンならやってみろ!おー?びびってんのか?腰引けてんぜ?!」
「あの」
「キレて怖いのが十代の特権と思うなよぉぉ!?三十過ぎのおっさんのキレっぷりを見せてやんよ!」
「その」
「全部クーが悪い!」
「ひッ」
「この痛みも、クーが原因!」
「ぼくが」
「クーの責任!」
「……」
「ぜはっ……ぜはっ……」
息を切らして体力を振り絞ったフミアキは、荒く息をあげる。
完全にうつ向き、項垂れたクーの心情は、周囲に満ちる居来種の力によって雄弁に語られる。
フミアキにとって、悪酔いするぐらいの力の空間が出来上がり、今か今かと解き放たれる瞬間を待っている。
散々クーを罵倒したフミアキは、震える小さな身体を力弱く抱きしめた。
行き成り抱きしめられたクーは、何の事かとようやく顔を上げるも、そこにはフミアキの顔はなく、歪んだ空間から望む空がイビツに見えた。
「全部クーの責任なんですがねぇ……まぁ、前に言った通り、ほら半分この話し覚えてますか?」
「ためいき?」
「そそ、残念ながらですね、半分この約束があるのでしょうがない」
「……うん」
「一緒に死んであげましょう」
「えッ?」
「もうすぐ暴走とやらをするんでしょう?空間が軋んで悲鳴あげてるって場面を初めて見ましたよ。こりゃすごいですねぇ」
「でも」
「物事には、万事すべからくツケがついてまわるモンなんですがね。実はツケってのは肩代わりも、折半も出来る代物なんですよ」
「ダメだよぉ……」
「何がダメなんですか。大人がいいって言ってんですから、子供は素直に頷いておきなさい」
「逃げてよぉ……せんせぇ……」
クーの意思とは別に、暴走への秒読みが始まったのか空間が鳴動する。
フミアキは、子供のように泣きじゃくるクーを、絶対に離さないと言外に強く抱きしめる。
限られた時間の迫り来る中で、フミアキの脳裏に去来する事があった。
(なんかクーからいい匂いがするけど、私はホモではない。断じてホモではないぞ!)
ここまで読んで頂き、有難う御座います。
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