32話 帰る道(裏)
一歩進んで二歩戻る。
雨が降る。
面倒な。と、アイリは胸中で呟く。
雨に濡れる事が躊躇われる。などと言う軟弱な気持ちからではなく、護衛にあたり不確定要素が増える事に頭を痛めるからだった。
護衛の対象は勿論、主であるクーの事である。
本日は、昼からフミアキとの買い物を約束していたクーは、前日から随分と浮かれていた。
チシャの件からここ数日、フミアキと追いかけっこをしてまで聞き入れて貰いたい『お願い』は、思わぬ形で成果を遂げた。
アイリはその時の事を思い出しては、何とも言えない気持ちになる。
クーが押しに押してもビクともしなかった男は、自分の仕事道具が壊れたからと、あっさりクーを頼ったのだ。ちなみに、嘘泣きの演技まで付けて。
散々振り回されたクーの事を想うと「仕事用の筆だったのならば、予備の一つも用意しておけ。もしくは、予備など何本あってもいいのだから、それを口実にさっさと受けてほしい」とも思うのだった。
当初は職人を呼び出し、特注品を作る段取りだったが、そこでフミアキがバッサリと断った。
『時間かかりますし、買ってくるのでお金下さい』
『でも、贈り物なんだし、ちゃんとした物を用意したいんだけど』
『クーの気持ちは有り難いんですが、この職人さんの筆に慣れてまして、次買い換える時の約束もしてるんですよ』
アイリは納得できたが、他の面々の敵愾心が伸びたのは間違いなかった。
そして、どう言う訳かクーがそれに着いていくと言う話に転がった。
当然、アイリはその二人に付添う事を念頭に入れていたが、クーの一言が――――先生と二人っきりで出掛けるのって久しぶりだね!――――なんて言うものだから、アイリは空気を読んだ結果、隠れて護衛をする事になった。
二人のやりとり、と言うよりも、クーの嬉しそうな表情を見るに、アイリは自分の判断が間違いではなかったと誇らしく思うのだった。
だが、文字通り雲行きが怪しくなってきたのが帰り道での事。
雨がぽつりぽつりと降り出した頃、運悪く労働者達の帰宅時間ともかち合ってしまった。
ただでさえ人通りの多くなる時間帯に、折しもの雨である。
経路である大通りは、足早に歩く人の群れにごった返していて、アイリ達の神経を磨り減らす。
幸いにもフミアキの背は高い方で、雑踏の中でもよい目印になった。
しかし、雨が降り始める前後、フミアキの挙動が緩慢になった。
その事に気を取られたセイか、クーを見失った。
慌てたアイリは、進行先に控えているコリーに直ぐ様連絡をとり、クーの身柄の確認を急いだ。
人波はあまりに雑多で、アイリは歯噛みを堪えて目を皿にする。
頭の中で「何か理由があってクーエンフュルダ様を先に屋敷へ戻らせた?」とも、考えが過ぎった時に、フミアキの声が聞こえた。
「――――よーならー!」
この人をイラっとさせる口調は間違いなくフミアキだと、確信し雑踏をかき分け進むと、主であるクーをようやく発見した。
一安心するよりも様子がおかしく、呆然としているクーに素早く駆け寄る。
入れ違えか、ガタイのいい二人組の男が走っていくのが目の端に引っ掛かった。
「クーエンフュルダ様、御無事でしたか……フミアキ様はどちらへ?」
「アイリ!先生がッ先生がッ!僕のセイで……」
悲痛な声は尻窄みになっていったが、アイリの耳には確かに届いた。
慰めの言葉よりも、ここは一刻も早く行動をすべきと判断しコリーを呼びつける。
「コリー!クーエンフュルダ様を任せる!」
「はい!ってアイリーン様はどこへ?」
滅多に声を張り上げないアイリの発声に、背筋を条件反射で伸ばしたコリーは、クーを支えながら疑問を口にした。
行動にて答えを示す。獣性を感じさせる跳躍を見せ、アイリは雨に向かい消える。
家の屋根に一瞬で登り、入れ違いで“何か”を追って行く二人組の男が向かった方角を見た。
頭の中で、状況を抜き出し組み立てる事も並行して行う。
こちらに気付かせるように大声を出して去ったフミアキ。
怯えと、後悔に、混乱してしまったクー。
後ろ姿からでもガラの悪さを滲ませる二人組、良くない出来事が起こった事を、アイリに容易く想像させる。
屋根から屋根へと、路地裏を注視しながらアイリは飛び移るも、その中で疑問が湧いてくる。
普段のフミアキならば、荒事に出会ったとしても情けないだろうが穏便な手段を取るハズだ、とも思った。
よくあるような出来事の中、アイリは少しだけ不穏な空気を嗅ぎ足を更に早める。
「雨が鬱陶しい……」
収まる気配を見せない空模様は、高所の利用を目論むアイリの視界を邪魔した。
ふと、雨の音の中に人の怒号らしき音を拾う。
ざわつく心が雨と同じく煩わしいく、雑念を露と払い聴覚に集中する。
再び怒号が聞こえた。今度こそ両の耳に納めたアイリは、跳躍し声の元へ辿る。
目的の人物を追いかけている二人組の男のモノだとしたら、今そこで荒事が行われているに違いない。
もどかしい気持ちを堪えて、アイリは降りしきる雨の中、目を凝らす。
三度の声は思ったよりも近くで聞く。
場所の特定に至ったと喜ぶよりも、その声を聞きアイリの背筋がぞっとした。
それは、今まで続いた怒号ではなく、野太い奇声だったからだ。
苦痛だった、後悔だった、憎しみだった、恐れだった、絶望だった、苦悶だった、おそよ人の発する事が出来るのかと思うような異常な声で、アイリの動きを躊躇わせる。
しかし、確認しなくてはならない。
この先で待ち構える状況に惑わされないように、気持ちを引き締め路地裏に降りた。
踞る二つの影に、一人立つ男の姿が見えた。瞬時に警戒心からナイフを抜き放つ。身体の本能がそうさせたとしか言えない動きだった。
突然現れたアイリに慌てる事もなく、一人立つ男が馴れ馴れしく話しかけてくる。
「あれ、どうしてこんな所に居るんですか?」
「……誰だ貴様は?この男達は貴様の仕業か?」
「あっれー、酷いですねアイリさん。っと、まだ“影響”が残ってるのかな。しょうがない……くっくっく、良くぞここまで辿りついたな。私こそこの世界の魔王、私を恐るるのならばかかってくるがいい!ふはーはっはっはっくしゅん」
先程までの違和感は霧散し、アイリはフミアキのおちゃらけた態度に抗議の溜息をつく。
踞る男達に警戒もしていたが、気絶しているのを確認しナイフを仕舞い、フミアキの無事に安堵もした。
元々、フミアキを見付ける事がアイリの役目だったので、無事な姿を収め幾分か心持ちが楽になった。
「あれ、ツッコミなしですか?魔王って誰やねんとか、恐るなら逃げるだろ的なモノ」
「そう言う事は御自分でなさって下さい。それよりも、この男達はどうされたのですか?」
暴力を振るわれたのならば、警備隊に突き出す所だが、アイリが見た所“フミアキに変わった様子はない”。
改めてフミアキを凝視したが、普段通り、としか感想が出てこなく訝しげに思う。
どこか草臥れた表情で、笑っているのか困っているのか判断に迷う。
しかし、先程のフミアキは明らかに違っていたと、確信を持って言えるだけに、何故見間違えたのかとアイリは自分の感覚に回答を出せずにいた。
唯一の関連性がありそうな、目前の男達の事を訪ねたのは当たり前の流れだろう。
「さぁ?」
「さぁ、とは?フミアキ様が倒したのではないと?」
「私にそんな腕力事なんで出来る訳ないじゃないですか。金品をタカル職業の人達みたいなんですが、行き成りと言いますか“突然”倒れたので、私にも何が何やら分かんないんですよね」
明らかに不自然と感じる一方、極自然だとも思わされる言い訳に青い瞳が細まる。
一旦保留にするしかないと考え、次は明確に答えて貰えるだろう事柄を聞く。
「……フミアキ様は、怪我などはしておられませんか?」
「えぇ、見ての通り“怪我一つ”していませんよ。まぁ、いつまでもここに居るのも何ですし、クーも心配してると思いますから戻るとしますか」
その声音は飄々としており、アイリに奥の感情を読み取らせない。
あっさりした答えの中に存外と、もういいでしょう?と含んだ刺が見えた気がした。
どうしてフミアキ様は、一つの出来事で二つも三つもこちらの悩みを増やしてくれるのか。愚痴が口を突きそうになるのを、抑えるのに力を使うアイリだった。
頭痛を感じるも、一連の出来事にはフミアキの根子の部分が絡んでいそうで、一筋縄ではいかない事を物語る。
意識を失った晩の日の事が思い起こされた。
はぐらかし、答える気のないゆるい顔の中には、あの時と同じ黒曜石に似た硬さの瞳が“また”見えた。少し頭痛が強くなった気がする。
追求したい所だがフミアキの言う通り、優先すべきはクーであり、錯乱した状態でフミアキを追いかけたモノだから、アイリとしても早くクーの元へと戻るべきと理解出来る。
少し癪に思いながらも、フミアキの言葉の正しさは、アイリの信条にも合致した。
「異存は御座いません。しかし、あの奇声の正体と、フミアキ様を見誤ったカラクリ、それに“あの晩”の事も、そろそろ教えて頂きたく存じます」
「自分語りなんて趣味じゃないので勘弁して下さい。そんなモノ素面じゃ……そうですね、夜に晩酌を付き合ってくれたら話しますよ?二人っきりでねぇゲッヘッヘ」
「はい、構いません」
「えっ?」
もうはっきりと顔は見えないが、フミアキの『何を言われたのか理解出来ない』と呆けた声に、胸がすく気分を味わう。
「言質は頂きました」
「えっ?えっ?」
「それではクーエンフュルダ様が気になりますので、御無礼致します」
俵担ぎをすると、アイリは雨の路地裏を主人の元へと急いだ。
上手くフミアキをやり込めたアイリは『クセになりそうかもしれない』と、胸中でひっそりと想う。
俵はいつまでもポカーンと放心していた。
家と家とに囲まれる路地裏の道、ようやく見覚えのある大通りの景色が見えてきた。
いつかの雨の時のように、方陣を使って跳ばなかったのは、担がれたフミアキの為であった。
肩と腕に挟まれたフミアキは、大人しくされるがままになっている。
少し速度を落とした矢先に、コリーの必死な声が飛び込んできた。
「あぁ、落ち着いて下さいよ。あの馬鹿だったら殺しても死にませんから。どうせひょっこり入れ違いで戻ってきて、アイリーン様に無駄足を踏ませ……ありそう」
大通りの端に位置するも、コリーがあたふたとする姿は少々目立つ。
いくつか向ける目もあれ、、雨の降る道を歩く人々は家路に急ぎ足を止めない。
そして、肝心のクーはコリーの方を見ることなく、黒い皮鞄を抱きしめて踞っていた。
アイリが慰めの言葉をかけるより先に、日常会話を強調するような、気の抜けた声がこの場を動かした。
「やれやれ、アイリさんの移動は身体に堪えますよ。どうかしましたか、クー?」
目的の人物の前に合流したアイリから、ずるずると目を背けたくなる動きで降りたフミアキが、顔を上げたクーと見つめ合う。
泣きはらしたかのように見える紅い目を、後悔の念と少しの気まずさから伏せ、クーは勢い良く立ち上がりフミアキに直進する。
「先生ッ!ごめんなさい!」
己の不注意で、フミアキの身を危険に晒してしまった。そんな考えがクーの内を占めていた。
そうして自然と心と体は扉を閉める。
往来でありながら、塞ぎ込むほどに落ち込んでいた。
何のためにサイリから知識を、アイリから戦い方を、そして方陣を学んできたのか。
フミアキが聞けば呆れる事だろうが、クーはクーなりに己を磨いてきたのだ。
特殊な環境から、いつ何時であっても自分の力で切り抜けられるよう、そのために蓄えた力がイザとなった時に使えなかった事がクーには大変悔しかった。
もっと釈明するならば、フミアキを格好良く助ける側になりたかったと言う想いも強かっただろう。
クーから見たフミアキの『強さ』は、憧れであり目標でもあったが未だに遠く思う。
心的な距離を、そしてアクシデントからの距離を埋めるように、力強く踏みしめフミアキに近づく。
「おふっ」
フミアキの身を両手で掴み嬉しくなったが、風船の空気が抜けたような声と共に、フミアキは崩れ落ちる。
「気絶オチはさ――――」
驚くべき事に、フミアキは耐えた。
事実を正確にするならば、堪えた時間はわずか1秒。
クーの突進力に押され体は弓なりに軋み、まず最初に両膝がくの字に負けた。
次いで突進の衝撃で首と上体は吹き飛び、支えがないフミアキの体は、クーを抱きかかえる形で後方に倒れこむ。
フミアキの抵抗力とクーの突進力は、互いに反発をした結果、勝利を納めた突進力はクーに少しの浮遊感と、短い空の旅をプレゼントした。
理解する間もなく、地面に背中を痛打したクーはそのまま気を失い、その場に居た者達は急展開に誰もが言葉を忘れた。
雑踏の騒音と雨音が遠くになっていくような、おかしな感覚を味わう空間の中、三人の内まずアイリが覚醒した。
ただならぬ気配を感じ、フミアキは仰向けのまま顔を上げると、降りしきる雨すら凍ると錯覚させる氷の瞳が狙いを定め動かない。
本能の衝動にかられ、何か言わなくてはいけない。と、必死に気まずい空気に鈍る頭を働かせる。
その間もアイリは歩を進める。
「待ってっ、家にはお腹を空かせた子供たちが!ちがっ、これじゃない、えと、えと」
まだ歩を進めるアイリを前に、フミアキは胸の前で腕を交差させて目を瞑る。
堅く閉じた瞼の下から見ていたが、いくら経っても何も起きない。
おそるおそる瞼を持ち上げると、アイリの姿は消えていた。
肩透かしを受けたフミアキは、痛む背中を堪えて周囲を見渡す。
大事そうに、クーを両腕に抱きかかえたアイリが後ろに立っていた。
「フミアキ様、いい加減に起き上がった方がよろしいかと。クーエンフュルダ様が濡れておりますので、早めに帰宅したく存じます」
「あ、はい」
平素の声に変わりなく、当たり前と言えば当たり前の提案に、フミアキは間抜けに頷いた。
ここまで読んで頂き、有難う御座います。
アイリさん視点?で前半送りましたが、地の文がブツブツ切れているような。
なんとなく判断がつかないので、ツッコミ来たら紳士に受け止めます。
次回は、アイリさんとの桃色空間に突入です。R15が火を吹きません。
ご指摘、罵倒ありましたらお願いします。