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30話 買い物に決まりました

 夏の終わり、気持ち涼しげな風が王都の街を潜る。

 高い城壁が周囲を二重三重に囲うが、吹き抜ける風には関係なく、王都に住む人々に秋を届けに何度も吹き抜ける。

 行く先を見定めるように、フミアキは目に見えない風の行方を追い続ける。

 石造りの家々に赤茶けた屋根を見越せば、自然と街を取り囲む城壁に視線が途切れる。



 人々にとって、守護の壁である存在も、フミアキにとっては不安を煽る存在でしかなかった。

 そも、二十世紀を生きていた人間にとって、電波塔や高層ビルなど城壁などよりも遥かに高い建築物に囲まれていたが、石の壁は存在が圧迫感を伴って、フミアキに与える印象はコンクリートジャングルよりも息苦しい。

 中に住む人間の身を守る壁も、言い換えれば常に外敵がいる事を示す。

 未だに現役の城壁は、安全の象徴であり、争いの続く時代が終わらぬ事を物語る。



「先生、考えながら歩くと危ないよ」



 フミアキの真横を歩くクーは、フミアキの服の裾を掴み注意を促す。

 等身の差から見下ろす形になるフミアキは、すいません。と謝意を口にし、考え事を終いにする。

 今日のクーは、いつにも増して上機嫌だった。跳ねるような足運びで、背中の束ね髪が尻尾のように動く。

 出会った頃よりも、少し長くなった少年の金の髪を見て、感慨深げに時間の経過を思い出す。



「ほら、また。道はこっちであってるんだよね?子供みたいにはぐれないでよ」



 自分の半分くらいの少年に、子供扱いされてしまった事に、年上としてのプライドがチクチク痛む。

 しかし、いつもの事か。と、思い直し人波を歩く事に専念する。

 そろそろ目的の近くに差し掛かる。目印が少ない路地裏を抜けるので、ぼんやり歩いていたら迷ってしまうだろう。



「あぁ、ここです。ここの路地を入って――――」



 クーを先導しながら、記憶の中の地図を頼りに歩く。

 路地裏と言っても、ここは洗濯物がロープで吊るされている訳でも、東京のような人がすれ違う程の狭い場所で将棋を打ってる人達が居る訳でもない。

 人通りの少ない、表通りよりも道が狭いだけの裏手を進む。



「おっと、ここですね。ごめんくださーい」



「えぇ?ここ本当にお店なの?何にもない、普通の家じゃない」



 フミアキが今潜ろうとしている家は、確かに両隣の民家と同じ造りの、王都で一般的な二階建ての家屋であった。

 商売を表す看板は軒に吊るしていない、辛うじてドアの無い戸口が、商売をしていると匂わすくらいである。



「ここの職人さんは腕がいいので、看板がなくとも仕事に困らないらしいですよ。まぁ、気難しい職人らしい職人さんですね」



「言ってくれるな、食い詰め野郎が。ちったぁ世間様に胸張れる物くらい書けたのか」



 ひぃっ。フミアキは、小さく息を吸い込むように悲鳴を上げた。

 軒先で話していたためか、迷惑を咎めるように苦い顔の壮年の男が顔を出した。

 若干猫背の男は、白髪混じりのオリーブ色の髪をオールバックにし、煩わしそうにストレートグレイの瞳を細めていた。

 慌てて弁明を始めたのはフミアキだった。



「腕の良い職人が気難しいのは、高い理想とそれに見合う技術を持ち、常に現状に安定を求めないからだと考えています。お久しぶりです、ハヴォックさん。本日は、新しい筆が欲しくて来ました」



「ようやく自分で買えるようになったか。足りんくても、うちはツケなんぞやってないからな」



 ぶっきらぼうな物言いも、フミアキにとってはグリゴス同様、“職人らしい”と思い頼もしく思う。

 フミアキの後ろに隠れていたクーに小声で「私の使っていた筆は、ここの店主ハヴォックさんの作品なんですよ」と、答える。

 ハヴォックはフミアキの同行者に、ようやく気が付き威嚇するように口を開く。



「こんなガキ連れてきて、ここは遊び場じゃ……」



 言いかけて途中で口の動きが止まり、目はクーをじっと見つめて固定された。考え込むように顎に手を当てる。

 おや?と思いつつ、フミアキが先にクーの紹介をした。



「こちら、今日は私のお財布でして、クーエンフュルダ――――家名ってありましたっけ?」



「お財布って……もう。初めまして、クーエンフュルダ・ミシ・ライッツアと申します」



「あ、あぁ、これはお貴族様にしてはご丁寧に……失礼、失言をお許し下さい。私めは、筆を作る事を生業としております、ハヴォック・ラミーと申す者です」



 二人のやりとりに釣られてなのか、素の言葉使いを漏らしつつ慌てて自己紹介をする。

 自己紹介を終えた所で、フミアキが先程のハヴォックが見せた、喉奥の小骨を尋ねた。



「あれ、二人はてっきり知り合いかと思ったんですが、違ったんですか?って、私の後ろに隠れないで下さいよ」



「だって、その。初めて会う人は、ちょっと……」



 人波を歩いていた時とは全く違って、おどおどした様子にフミアキは首を傾げる。

 ハヴォックはハヴォックで「ライッツア……ライッツア」と、ぶつぶつ呟いている。



「おい、フミアキ。ライッツア家と言えば、10年程前に嫡子が生まれなかったから途絶えた家名じゃなかったか?」



「へぇ?そうなんですか、私は分かりませんがよく知っているんですね」



「これでも王家御用達で抱えられた事があるからな。だが、家名じゃなくてな……そん時に見かけた覚えが……」



 古い記憶を引っくり返すように、唸りながら考え込む。

 「あぁっっ」と、気の抜けた声を上げたかと思ったら、何故か脂汗を浮かべるハヴォック。

 今まで見ていたクーから、フミアキへと視線を動かす。二人の間を忙しく往復して、最後に遥か上空に目をやる。

 これには、フミアキは困惑を隠せないでいた。

 クーに見覚えがあるようなのだが、思い出す事にフミアキを見る必要がない。

 そもそもフミアキを考えるように見やったのは、何かを思い出したあとの話だ。

 ハヴォックは猫背を正し、クーを前に身を改めた。



「ライッツア様、お懐かしゅう御座います。覚えておいででしょうか?」



 上辺だけの虚飾が消え、心底の敬意をみせたハヴォックに、クーは目をぱちくりさせている。

 置いてきぼりのクーとフミアキを余所に、「幼い頃の事ですので仕方ありませんか」と懐かしむように言葉を続けた。



「ここでは何ですので、どうぞ奥の方へ。“御父上”の事などお話すれば、思い出して頂けると存じます」



 ピクリと小さな肩を揺らして反応したクーは、おずおずとフミアキを見上げる。

 困った事に、フミアキは二人の会話についていけない。

 頬を指で掻きながら、言うべき事を言っておこうと思う。



「ハヴォックさん、どうも一方通行じゃないですか。ここで話せない事なんですか?」



 憮然とした顔で、心外だと言う表情をつくるハヴォックは、一度店の奥に戻る。

 再びやってきた時には、その手に『勝訴』と言わんばかりに掲げる。



「え?えッ?!」



「ふーむ、前衛的な?独創性溢れ零れて九十九里浜を横断しそうですね。って、子供の落書きですか」



 ハヴォックが持ってきた物は、古ぼけた紙に描かれた子供の落書き、そのものだった。

 線の太い輪郭で、オールバックの猫背気味の男が笑っている。

 色あせた紙は古く見える反面、丁寧に丁寧に保管されていたのか、綺麗に形を残している。

 この一枚を見れば、保管者のハヴォックが相当大切に持っていた事を伺わせた。



「確かに落書きだ。だがな、これはその内に大画伯になる人物の絵だ。俺の宝物だぞ!」



 文句あるか。と、威嚇するように絵を誇る。

 話の流れからして、この絵を描いた人物とは、クーに違いないのだろう。

 自慢げに誇らしげに威嚇するハヴォックをスルーして、フミアキは自分の後ろに隠れているクーを上から覗き込む。



「ちょっとやめてーーーーッッ!!?」



 残像が残るほどの速度を生み出し、クーはハヴォックを引っ張って店の奥に消えた。

 チラリと見えたクーの横顔は、それはもう真っ赤になっていた。耳までも。



「え?私はこのままですか?」











「ハッホ!どーゆー事だ!先生の前であんな昔の絵を見せるなんてー!」



「お懐かしゅう御座います、姫様……未だに私めの名前を言えない所は、幼少の頃より変わっておりませぬな……」



「これは、その、昔のクセで……もういい!……本当に久しいな、ハ・ヴォ・ッ・ク」



 小さな部屋の中、工具が散らかる作業室にて、二人は八年振りの再会を果たした。

 ハヴォックの皺が増えた目尻には、薄らと光が湛えられている。年を実感してしまうも、あまりの偶然の出会いに、感謝の念が零れたのだと致し方なしとした。



「私めが御役を払われた後に、姫様の“御力”の噂を耳にしました。その時には、下座からただただ眺める事しか出来ぬ自身に、不甲斐なく腹が捩じ切れる思いでした。姫様を知らぬヤカラ共は、口さがなく『人形姫』などと言う。それが定着してしまうなど、当時を知っている私めは信じられませんでした。ですが、変装はなさっておいででも御心変わらず、この老骨安堵の限りで御座います」



 当時既に、職人として王族に献上を許される程の栄誉を与えられていたハヴォックは、作品を収めるにあたってクーと知り合った。

 まだ居来種としての発現はなく、周囲から溢れんばかりの愛を注がれて育ったクーは、勉強用に作られたハヴォックの筆を絵遊びに使い、大変気に入られた事から縁を深めていった。



 しかし、ハヴォックは最初、クーを快くは思っていなかった。

 自分の納めた筆で『絵を描いている』と、苦笑混じりで侍従から告げられからだった。

 当時、王族にまで認められた男は、有頂天になっていた。悪い方向で職人としての矜持が育ってしまったハヴォックは、本来の文字を綴る役目以外に使用された事で激怒した。

 例え王族であろうと、真っ向から文句を言えると息巻いたハヴォックは、勢いそのままにクーとの目通りを願った。



『そなたがハッホックか!この筆は、とってもいいぞ!』



 小さなクーは、そう言ってハヴォックに自分の描いた絵を見せた。

 その時のハヴォックは衝撃に次ぐ衝撃を味わった。今でも何度でも思い出したとしても、何に驚いたのか自分でも分からなかった。

 小さな可愛らしい銀の姫に驚いたのか、あまりに天真爛漫な気さくさに驚いたのか、簡単に目通りが叶った事に驚いたのか。おそらく、と付くが、描かれた絵の才能に引き込まれたのかもしれないと、不確かに想像する。ハヴォックは、自分に絵を見る教養などないのではっきりとは言えない。



 しかしその時の感動が、御用達まで登り詰め満足した男の道を開いた。

 もうこれ以上ないと思っていた人生の先に、まだまだ遥か先を教えられたと、ハヴォックは思っている。

 小さなクーは、ハヴォックに新たな可能性を与えたなどと、微塵も思っていないだろう。

 


 当たり前のように、筆は文字を綴るだけの機能以外必要はない。本来の用途以外に使われる事は、道具を貶める行為なのだ。一般的な常識であったが、クーとの邂逅以来、毛筆は絵に硬筆は文字になどと、所詮は細かい括りなのだと悟った。



 クーと接すれば接するほどに、創作意欲が湧いて来るハヴォックに、契約が切れるには少し早い年、王城より引き払いの打診があった。

 前の自分だったのなら、酷く矜持を傷付けられたと憤慨していただろうが、ハヴォックはその事を好機とし、食い下がる事なくあっさりと身を引き今の店を構えた。

 一度関係が切れてしまえば、再びクーと会う事は難しい事も分かっていたが、職人としての欲求を優先した。そもそも王族とは雲上人であり、青臭い矜持がなくなった時、気後れした事も関係あったのかもしれない。



「そうか、私にもこんなに心配してくれる者が居たのだな……思い出せずにいた事、許してほしい」



「勿体ない御言葉。あの時、不自然な引き払い通告を、大して気に止めませんでした。あの後の事を思えば、首を賭けてでも食い下がればと……悔しくて悔しくてなりません。御辛い思いをなさったのだと、臆見すれば私めは……」



 またもや涙腺が緩くなる。

 極端な環境の変化に、年頃の心がどれだけ傷ついたか、支えるべき人間がこぞって少女を裏切ったのだ。実の肉親すらもだ。

 クーはハヴォックの心を汲むように、昔の姿よりも一層の猫背になった肩に手を置く。



「今はこうして笑っていられる。そしてまた、偶然にもハッホに会えた。それが何よりも嬉しい」



「うぅ……ぅ。っく」











「先生?なんで隅っこでうずくまってるの?」



 確かな旧交を温めていた二人は、フミアキを待たしている事を思い出し、店の方に戻ってくると、当の本人は店の隅で壁と床に同化するように体育座りをしていた。



「落ち着くんですよ。いえ、別に久しぶりの再会のようでしたし、放っておかれた事なんて何にも気にしていませんよ」



「ったく、その曲がった性根はまだ直らんか。よし、俺の宝物をもちっと見せてやろうか?どうだ?お前の創作意欲を刺激する事間違いなしだぞ。なんたって将来は大画伯様の現物だ」



「やめてくれ……ない?その大画伯だっても、ハヴォックが子供の僕を散々おだてるからで」



「昔は乗り気だったじゃありませんか。おいフミアキ、今度の“旅人”の挿絵はクーエンフュルダ様の絵を使ったらどうだ?ん?」



 羞恥からくる赤い頬のクーを余所に、ハヴォックは正しく名案と言わんばかりに、提案の形をとった重圧をフミアキに掛けてくる。

 ハヴォックの言葉の中に、クーは引っ掛かりを覚えてフミアキの側に座り尋ねた。



「旅人って、アイリの読んでる『異世界珍奇考』の旅人?『無人島漂流記』の旅人?」



「あー……まぁ、いちおう」



 曖昧な返事ながらも、自分の事だと言うフミアキに、クーは大いに驚いた。

 最近出回り始めた娯楽本の、一番売れて出回っている作者が、一番売れない作者と一緒なのだ。

 『異世界珍奇考』は、筆者の旅人が旅する、こことは全く違った世界の話である。方陣や光具とは違った文化を育む文明の、不思議で珍奇な旅の話は、妙に具体的で内容の濃い物語に仕立てられており、大衆に鮮烈な印象を与えている。噂では国のとある研究筋にも熱心に読まれているとか。

 『無人島漂流記』は、海で遭難した男女の無人島サバイバルと、二人が退廃的な関係に落ちそうになりながらも、数少ない道具を駆使して生活を生み出していく物語である。裸一貫からの創意工夫は、民衆に新たな知恵とスリルを与えている。ちなみに子供でも許容範囲の濡れ場もあるとか。

 驚くと共に、何故隠していたのか、思わず詰問調でフミアキに話しかけていた。



「何で僕にまで黙ってたの?!教えてくれてもいいじゃない!」



「あんな本出してりゃ、まぁ、分からんでもないがな。クーエンフュルダ様にまで隠すこた無いだろう?」



「……」



「え?何?」



「……本気で書いてる『勇者』より、気休めで書いてる『珍奇考』と『無人島』が売れてるなんて、業腹じゃないですか」



「そんな理由で……?」



「うぅ、何故だ。そんな逆転現象いらないのに、理不尽過ぎる」



 どうやら矜持に触る問題らしいので、どうにも言えなくなってしまったクーは、アイリにこの事をバラしてしまおうか悩み、空を見上げるのだった。なお、天井は暗かった。






 ここまで読んで頂き、有難う御座います。


 いつもあとがきに「これ書かないと(注釈入れないと)」とか、思うんですが、いざ投稿する時分になると忘れます。

 今日も忘れました。


 ご指摘、罵倒ありましたらお願いします。


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