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29話 意地は意地

「すいません、匿ってください」



 するりと、少し開けた扉の隙間から、フミアキが部屋に侵入してきた。

 その部屋には、読書中のアイリが椅子に腰掛けていた。

 突然の事態にも関わらず、氷の相貌は揺るがず静かにフミアキを見る。



 夏も終盤に入り、朝晩の冷え込みが肌で感じる日々が、ここしばらく続いていた。

 しかし、まだまだ日中、今日の今の時間では、室内に居てもじわじわと発汗を誘う。

 そのために、窓を開け扉を少し開けていたのだが、それがフミアキを招く原因になったのだろうか。

 ちなみに光具の冷風器は、アイリの部屋には設置されていない。本人が遠慮したからだ。

 


 一般的な『失礼』に当たる行為に、アイリは抗議する事もなく、普段の彼女にしては幾分ぼんやりとした目で『失礼』な男を見ているだけだった。

 当の本人は、大きく運動をこなしたのか、肩で息を吐き玉の汗を床に落とす。



「いや、ほんとにすいません。女性の部屋に勝手に入ってきて……その、目についた扉が位置的状況的に良い場所にありまして、やむにやまれぬ事情を、ですね」



 女性の私室を逃亡場所に選んだ事に、罪悪感を受けての事か、しどろもどろになりつつ言い訳を並べる。

 午後にクーとの戦闘訓練を受け持っているアイリは、食事休憩の合間を利用して自室にて本を読んでいた。文字通り、あくせくしているフミアキを余所に、灰青色の短くなった髪を揺らし席を立った。

 汗を床に吸わせるフミアキに、手拭いを渡し使うように促す。



「有難う御座います。……音は、なしか。上手く一つ前の手で、追っ手を撒けたかな」



 どうやらフミアキは、誰かと逃走劇を繰り広げていたようだった。

 ふと昼時の事をアイリは思い出す。『今日こそは』そう言って息巻いていた、可愛い主を思い浮かべる。

 今日もフミアキに軍配が上がりそうだと予想が着き、アイリは少し主の訓練時間を増やそうかとも思うのだった。



「ふぅ、アイリさん。クーの“アレ”なんとかして貰えませんかね?本気なのか、連敗で引っ込みがつかなくなってるのか……後者ならば、一声掛けて貰いたいのですが」



 ここ三日ほど続いている追いかけっこに、疲れた声でフミアキが言った。

 フミアキとしては、どうしてこうなった。と言いたいばかりで頭を抱える。



「いいではありませんか。クーエンフュルダ様の御心使い、素直に御受けしても宜しいかと存じます」



 一陣の清風のような声音は、やはりクー寄りにスタンスをとる。

 クーの援護の後に、ふと、フミアキの汗を拭う布に赤い染みが目に付いた。

 どうやら追いかけっこの最中に、ぶつけたのだろうか顎の左下に小さな傷口があった。この程度ならば、意識しなければ気が付かないかもしれない程度である。



「器用な所に傷を作りますね。失礼致します」



 器用に不器用な場所に傷を作ると、短く感想を呟き小さな方陣を瞬時に創り上げた。

 癒しの力を持つ方陣を、傷口に押し当てる為にアイリはフミアキに寄る。

 フミアキは、接近したアイリから女性特有の匂いを感じ、若干の居心地の悪さを覚えた。

 思わず、訳の分からない何時もの軽口が口をついて出ていた。



「しかし、今日は何だか普段の雰囲気と違うように感じますが、水分はとっていますか?室内にいても暑さに当てられて、体調を崩す事があります。日影だから問題なしって訳じゃないんですよね。そろそろクーに言って、あの冷気の出るヤツ、置いて貰った方がいいんじゃないんですか?心頭滅却じゃないんでしょうけど、やっぱり根性論って眉唾なんですよね。あぁ、でもアイリさんならば心頭滅却どころか、明鏡止水までいってそうですよね」



 両手を使って、バタバタと意味の通じないジェスチャーを操りながら、立板に流す水のごとく話す。

 片や大運動直後の心臓がバクバクしている男のテンションと、片や食事後にゆったりと紙を一枚一枚捲っていた女性との対比が面白い事になっている場面だった。

 そんなフミアキの様子を見ながら、やはり静かな落ち着た状態のアイリは、ゆっくり間を取った後状況を口に乗せる。



「申し訳ありません。直前まで読んでいた物語に引き込まれていたのか、その感覚が少し抜けきらないのです。教本の類ですと、こんな気持ちになる事はないのですが……」



 アイリとしては本など読む性分はなく。と、言うのも売られ飼われの身分であり、クーに引き取られてからは、戦闘や方陣の勉強のためだけに文字を覚えたくらいだった。

 所謂娯楽本を読むようになった切欠は、フミアキに端を発する。

 クーがフミアキの著書に傾倒するようになり、当時快く思わなかったアイリは、クーを元凶から離し遠ざけたいが為に、フミアキの著書を読み始めた。

 説得するための『理由』を探し、アラを探す事に苦心していた。

 一冊読み終わり、呆れ果てた事をよく覚えている。アラしかなかったのだ。

 結局は、それらの『理由』でもってもクーの行動は止められなかった訳だが。



 それからは、巷で最近出回るようになった従来の本と違う、『娯楽本』は全部同じ内容の物なのか気になり、他の本にも手を出したのが切欠で、今の作者の本に出会った。



「へぇ、アイリさんが夢中になる程の内容とは、実に気になりますね」



「同じ出版元から出ていますので、面識をお持ちかと存じます。『旅人』と言う少し変わった名の方のようですね」



 ――――マジデスカ……。フミアキにしては珍しく“嫌そうな”声で呻いた。

 これにアイリは俊敏に反応した。



「随分と険が混じっておいでですが、例えフミアキ様であろうと、続く言葉次第では手加減出来ません」



 贔屓の作者の事は悪く言われたくはない、そんな思いからかアイリは思わず、買い言葉のような返しをしてしまった。

 これには失言かと、フミアキは口つぐんだ。

 クールビューティーとも言える少女は、常日頃感情を殺しているが、ある特定の事柄には沸点が低い事を知っているためである。どうやら、NGワードに引っかかってしまったようだ。

 徐々に冷えていく室内の温度を、肌で感じながら勘違いを正そうと試みる。



「あー、っとですね。正直“面白いですか?”その本」



 時間をたっぷりとって試みた結果がこれだ。

 沸点の下がっている状態のアイリに、選ぶセリフを間違えた事に気が付かないフミアキ。

 暗に『その本面白くない』と、言われていると受け取ったアイリは、出入口の扉を開き大きく息を吸う。



「クーエンフュルダ様!フミアキ様はここにお居でです!」



 屋敷中に響く声に誘われて、廊下を走る音が近づいて来るのが良く分かった。

 首を傾げるフミアキは、自分の言葉のニュアンスを理解していなかった。











「どうしてこうなった……」



「ねぇッ、聞いてる?!」



 一見すると、体調管理をサボりクーに怒られている図に近いが、今回は少し内容が違った。

 今から数日前に遡るが、チシャがフミアキに危害を加えた事件の後の話から始まる。



 強いわだかまりを残したチシャは、フミアキに形の上だけの謝罪をすませた。

 クーとしては、フミアキの話を聞いていたために、二人の感情の行き違いを正したかった。

 これにフミアキは釈明も説明もしないまま、チシャの空の謝罪を受け取り、逆に「申し訳ない」と肯定するような発言で締めてしまった。

 慌てるクーを余所に、二人の遣り取りはここで断たれてしまった。



 フミアキ自身は、彼の青年の最後を看取っていた為、事実をチシャに伝えるに忍びなく思った事から、誤解を都合良いとしそのままにする事を選んだ。

 嫌って近づかないでくれるのならば、青年の話題を出す事もないだろうとの考えだった。



 その意図をクーにすら伝えなかったものだから、一人気落ちするばかりでフミアキに対する謝罪の念を膨らしていった。

 ここの所、迷惑ばかり掛けてしまっている事も思い起こされ、再び後悔を抱えてしまいそうなクーを見兼ね、誰かが『感謝と迷惑のお詫びで、贈り物でもしては?』と提案した。

 素晴らしい名案と感銘を受けたクーは、それからすぐに行動を開始したのだった。



「ですから、普段お世話になっているのは私の方ですし、経済援助、衣食住の提供、命の恩も忘れません。こちらが御返しする必要はあれど、私がクーからそれ以上を受け取るなど、厚かましくてとても出来ません」



 これはフミアキの譲れない理由であり、追いかけっこが長引く要因ともなっている。

 二人はお互いに睨み合うようにして、沈黙を作り上げた。

 もう言いたい事とその理由も出し切っている。

 ならば、後は二人のどちらかが折れるしかない。その為に状況は膠着してしまった。

 意地が支えの緊張を、先に破ったのはフミアキだった。



「あーーっ!あんな所にスベスベマンジュウガニが居る!」



「えッ?スベス?」



 一瞬呆気にとられたクーは、フミアキの指差す所を振り返った。

 すかさず窓際まで退避し、窓を開けるとさすがにクーが気付く。

 騙された事を理解したクーは怒って非難する。



「くくく、この手の駆け引きは、まだ私に一日の長がありますよ。おっと、もうクーは午後の鍛錬の時間でしょう?私も執筆の時間が欲しいですし、今日はこれで終わりです」



 ニィ。と、口の端を上げて三日月に笑う。

 どちらもここ毎日追いかけっこをしているが、基本的に昼の間、フミアキの言う通りクーが午後の鍛錬を始める時間までが、タイムリミットと暗黙されていた。

 そして、クーの悔しがる顔と、アイリの避難がましい視線を受け、フミアキが勝ち誇る光景が、本日も量産されたのだった。











「今日は一段と気合が入ってますね」



 フミアキの書斎から中庭を覗くと、クーがアイリを相手に木剣を懸命に振るっているのが見えた。

 そうさせている原因は、「そろそろマズイかも」などとボヤきながら、手に持ったペン先を走らせる。

 変な所で頑固な二人の決着は、もうすぐ着く事となる。



「他の連載も残ってるし、どーしたモノ……かっブシっ!」



 大きなくしゃみに、小さな破裂音がした。

 ピシッ。と、フミアキは自身の持つペン先を破壊した事に、暑い日の中青ざめた。

 それもそのはず、予備のペンなどなかったからだ。

 ここまで読んで下さって、有難う御座います。


 短めですが、投稿間隔が伸びに伸びているので投下です。

 前は、週一で書けたんですけどね。

 浮気してはいけないと思いつつ、やってしまうのが原因ですか。そうだと思います。


 ご意見・罵倒ありましたらお願いします。


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