21話 あの日の出来事から続く
時刻は夜半。
昼間の熱気と湿度は未だ収まらず、じわりじわりと身体にまとわりついてくる。
今は独り書斎の椅子に腰掛けているフミアキは、先程までのクーとの遣り取りを思い出し、浦島太郎の状況を振り返り情報を整理し始めた。
「の、前に。アイリさん、そちらの情報を頂けませんか?」
「よくお分かりで。どの情報をご入用でしょう」
「あれ、言葉使いが前に?戻ってますよ」
「どうにも、メイド服を着ているとこの喋り方になってしまいます。任務の為にと…、あちらで散々仕込まれました故」
フミアキの投げ掛けた言葉を、書斎の隅から姿を現したアイリが受け取る。
昼間に着ていた鎧ともドレスともとれぬ服装ではなく、以前務めていた時に着ていたメイド服姿に変わっていた。
「器用なモノですね。ですが、アイリさんは無表情キャラなのに行動が読み易いんですよ」
「…そうでしょうか」
「別に悪いと言ってる訳ではなく、ですね。それだけクーを大事に思っての行動なんですよね?クーも主冥利に尽きるんじゃないんですか」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
何処からともなく涼風が吹く。
アイリの後ろ、書斎の壁の隅に冷房の光具が設置されていた。
大きい図体で、少ない涼風を送り出すこの光具は、今のフミアキの稼ぎでは半年分は掛かるだろう金額である。
これもクーが住み込むと言った事と関係してるかもしれない。
そのクーは、自室と決め込んだ部屋にて、静かな眠りに就いている。
「…それで“ああ”なったクーの原因は何だったのですか?今度は教えてくれるんですかね」
「はい、主より許可を頂きました。まずは、遅れましたがフミアキ様に感謝を。今回の件もそうですが、あのフミアキ様の光具が無ければ…、クーエンフュルダ様の御命は危なかったかと。本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、簡単に壊れてしまう様な光具を渡してしまって、情けない話ですね」
「そんな事は御座いません。そうですね、事の発端はクーエンフュルダ様の誕生会での出来事に始まります…」
前回フミアキを迎えに来た時には、クーからの許可がなかった為に、事情を説明出来なかったアイリだが、その事の始まりを語りだした。
あれはクーエンフュルダ様の誕生会の夜の事、私どもは身辺警護に当たっておりました。
普段は夜会の席には参加なさらないクーエンフュルダ様でしたが、此の度は16の成人の年齢となりそれは大規模な会が、お父上様の計らいで催されました。
滅多に人前に出ない事もあり、その日は大勢の貴族がクーエンフュルダ様の元へと集まりました。
慣れぬ人の集いにまいられたのか、御心を休ませる為にバルコニーに出た時“奴”が現れたのです。
…忘れもしません。
私にこの目の屈辱を与えた、奇妙な隠形術を用いた暗殺者です。
どんな…ですか。
アレの隠形術は、息を潜めると言った行為を超越しておりました。
姿は見えず、音も聞こえず、余計な奢りも無い敵でした。
そんな芸当が出来るのは“居来種”と呼ばれる者でしょう。
純粋な種族と言う訳ではありません。
――古よりこの地に居、遥かな血の連脈を以て、今生に来たる者。
そう伝わる、特殊な力を持った者の事です。
話が逸れましたが、再びクーエンフュルダ様を襲撃しに奴が現れたのです。
奴の前には警備は意味を成さず、御側に控える者で応戦致しましたが、何分居来種の力は超常、クーエンフュルダ様に危害を及ぼす下手を打ちました。
気が付いた時には、クーエンフュルダ様の胸元、例の光具が光り奴を退ける光景を、唖然と見ているだけでした。
…言いたい事が山程ございます。あの様な小さな物に何故方陣を刻めるのか、紋言を用いずしてアレ程の防御を放つ事に。巌窟族の『防主方陣』に勝るとも劣らぬ出来で正直呆れました。
あの光具も尋常成らざる物、なれば私のこの眼鏡も同様です。
誕生会の前に、『面白機能』とやらを使ったのですが…、何ですかアレは。
視界が黒くなったと思ったら、人が赤く見えるなど…。
いいです。もしやと思い、奴が怯んだ隙に使ってみたのですが、おかげ様で奴の居場所が分かりましたので。
温度の可視化?もし目が治らなかった時の保険…ですか。
紋言を、出来ればもう少し、口にし易い言葉にして頂けたらありがたかったモノです。
アレでないとダメ、ですか。『さーもぐらふぃっくもーど』どうにも口にし難いのです。
えぇ、そうですね。
奴の居場所が割れたので、そのままクーエンフュルダ様を背に地走りにて斬り付けてやりました。
“逆袈裟”と言うモノです。
どうかなさいましたか?顔色が悪い様に見受けられますが…、はぁ、照明が、ですか。
?その後は、バルコニーから落ちる奴と方陣の燐光が見受けられたので、生きていると確信し王都警備隊にも追撃の指示を出しました。
騒がしかった…、恐らく奴の搜索に走り回っていたのでしょう。
未だに捕まえられぬ所見るに、何らかの支援者の存在があるハズです。
だいそれた狙い、お…貴族の命を付け狙うのですから。
…そうですね。主犯は元より、奴の支援をした者が見つかったのなら…ふふふ。
はい、出来ればこの手で切り刻んでヤリたいモノですね。
なんでしょうか?笑顔が怖い?これは失礼を致しました。
ですが、別にフミアキ様を切り刻む訳ではございませんので、何を慌てて…。
撃退出来た事、今後の奴の隠形術に対抗する力の存在で安堵したのも束の間、クーエンフュルダ様から悲鳴が聞こえ駆けつけたら…、えぇ、例の光具の無残な姿に涙しておられました。
御労しい事に、その取り乱し様は酷いモノでした。
分かっておりませんね。
当日の夜、あの光具を付けて出るのだと最後まで言い切り参加されたのです。
他の貴族の手前、出来れば上等な質の良い装飾で飾りたかったモノですが、今思うとその我侭に救われました。
勘違いしないで頂きたい。
クーエンフュルダ様は我侭など、滅多に申されないのですから。
はぁ…、いえ、こちらの事です。
これが、今回の事の顛末でございます。
長い語りが終わり、ここで一息を入れる。
フミアキは考え込む様にして下を見ていた。
「成程成程、そう言う経緯でしたか。それで“元に戻った”原因は分かりましたが、まだまだ色々な事情を抱えていそうですね」
「元に戻ったとは…」
「そのままですよ。普段の明るいクーは裏で、本当はアノ姿がより近しいクーの性格なんでしょう?」
「……」
答えられなかった。
沈黙を以て肯定してしまったアイリは、迂闊な自分を呪う。
「どうして、と言う雰囲気ですね。ヒントはアイリさんが言ってくれましたよ。「クーは夜会と言う人の集まりに出ない」っと、そんな社交性の無い人間がアレ程明るくなりますか?よしんば明るい性格としても、何か人の多い所に出たがらない“理由”があるんじゃないんですかね」
――あの暗いクーを見たからこそなんですが。と、言って口を閉じる。
騒めく様な沈黙が二人の時間を取り巻く。
「人は…」
沈黙が固まりかけるその前にフミアキが、場を解す様に口火を切る。
少し躊躇う様な出だしは何の為か、引き返せるならここだと、存外に告げているのか。
「常日頃、明るく振舞う様な人ほど、内側に色々抱えてるモノです。明るいと言うのはその裏返しなんでしょう。そうなるには環境だったり、性格だったり、人間関係だったりと様々なんでしょうが、クーのソレはきっと重たいモノなんでしょうねぇ。まだ若いのに難儀な事です」
深く静かに息を吐き出す。
たった少しの溜息に、アイリの心が激しく揺れ動く。
言ってしまいたい。説明したい。それが彼女の主の最も重要な事柄であっても。
この男ならば、主の秘密を喋ってしまっても、受け止めてくれるだろうと思うからだ。
逡巡する。
「無理に言う事はないですよ。私があてずっぽうで喋ってる事なんですから、あははは。外れてたら恥ずかしいですね。馬鹿が見るー豚の穴ー」
フミアキの軽口に、アイリの肩が脱力する。
この男は何時もそうだ。こちらの心を察して意識して軽口を開く。そうやって救われてきたアイリだからこそ、己の大切な主を託す様にこの屋敷を選んだのだった。
何を今更迷う事があるのだろうかと、心の内を決めた。
脱力した気持ちを切り替えて、フミアキを見詰める。
「フミアキ様にお話が御座います。我が主クーエンフュルダ様の重石を背負っては下さいませんか」
「構いませんよ」
「まだ内容を口にしてはおりませんが…」
「内容がなんであれ、話を聞いて引き受ける、引き受けないと選ぶ事はしませんよ。クーのアノ細い肩に重石が乗っているのならば、どんなモノでも構いません。…まだ、私を信用して貰えませんかね」
――全くこの男はこれだ。心が少し浮かれてしまう。
フミアキの真摯な声音を受けて、アイリは心が軽くなる気持ちになる。
やがて自然と口が動く。
「もうしばらく、この夜の長話にお付き合い下さいませ。フミアキ様」