アルク11
8月6日(火曜日)
いつも通りに起きた。今日の寝覚めもいたって普通である。
面倒にもクラスの学園祭実行委員とやらになってしまったので仕事はやらないといけない。今日中にやれるところまでは進めておくとしよう。進めすぎても教室の内装はどうやっても前日からいじることになるのだけど。
教室の扉を開けた。と同時に予鈴が鳴る。
今日もぎりぎりのようだ。すでに僕以外の席は全部埋まっていた。
「皆の衆。おはよう」
なんかいつもよりも声が渋いよ。昨日何かあったのか。
「今日も特にいうことはないが、祭りの3週間前と中間考査の5週間前ということを忘れるなよ。以上だ」
中間考査か。学園祭の終わった後にそういうのがあるということをすっかり忘れていた。僕と同じような意見が教室の各地で聞こえ、一部には絶望の声すら混じっているものもある。
いつもならこの時期にフレンが泣きつき始めるのだけど……。そもそも最近は姿を見ていない。どこで何をしているのやら。
授業が始まる。僕にとっては繰り返されることによってほとんど内容が頭に入っている事柄だ。いつのタイミング、どこで誰が当てられるのかということでさえ頭に入ってしまっていることだ。
退屈。気味が悪い。気持ちが悪い。不快。
時たま不思議に思うことすらある。
こんなものを持っていてよく僕は無事に7年間生きてきたものだと。
例えば、一度この力が好奇の目に触れたらこれを利用しようとする人が寄ってたかって僕のところに来ることになるだろう。自分でもわかっている。この力は悪用すれば簡単に自分の見ている世界を一変させることが出来る力だ。
絶対に避けられない事柄はいくつかあるものの、自分がどういう行動をとればどのように相手が動くかが分かってしまう能力だ。ちょっと何かと組み合わせるだけでも、それこそ賭け事にこの力を使いさえすれば巨万の富を築くことも可能となるだろう。
そういった外部の問題もあるけど、何より自分の内面だ。
どうして僕は今もなお生きているのか。
これのせいで両親を失い、これのせいで人のぬくもりを知ることも出来ず、これのせいで自分に何が起こるのかも全部わかってしまうあまりにも退屈な世界を見続けさせられている。
自分を客観視した時、自殺でも計ろうというものだ。もしくはそんなことをするよりも前に気でも狂ってしまうのではないだろうか。
たまに吐きこそするものの、それ以外はいたって正常……だと自負している。
だから僕はこの力に恐怖しているというよりも自分に恐怖しているのかもしれない。
なおのうのうと生きようとする自分に。
授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
もう一度自分を客観視すると、自分が3,4年前ぐらいに思いそうなことだと考えて思わず笑ってしまった。黒歴史と呼ばれるものと置き換えてもいいだろう。
まあ、それでものうのうと生きているのだから、死ぬ時まで生きなきゃいけないんだろうな。この退屈なだけの人生を。
鐘が鳴る。今日は終わり、また僕は今日に目覚める。
8月6日(火曜日)
目を覚ました。
手は……完治したようだ。治る前と同じように動かすことが出来る。
しかし、未来の世界の中にはアルクの存在そのものが消えていた。彼女が編入してきたときには彼女の存在はあって、僕に認識できないという状態だったのに。
あまりやりたくはないけれど、僕の右手で左手首を握ってみた。
これで僕は僕自身の未来を視る。
自分が学校に行くところまで進めて、止めた。
やっぱりいない。彼女がいない。この未来の世界の中に、彼女は存在すらしていない。
ここまでいくと少し不安にもなってくる。
僕が学校に行っても彼女はいないのではないか。
僕の知っている彼女は実は妄想か何かで……。
よそう。僕としては自分の能力よりも自分の頭の方を信じていたい。
未来で見たとおりに学校に向かい、教室の扉を開ける。
「よかった」
思わず声に出てしまった。僕の右斜め前の席には彼女がいつもと変わらない笑顔でそこに座っていた。
予鈴が鳴る。せかされるように自分の席に着いた。
間髪入れず、前の扉が開き、担任殿が入ってきた。最近は顔をのぞかせるだけだったのに珍しいこともあるものだ。
「皆の衆。おはよう」
なんかいつもよりも声が渋い。昨日何かあったのか。
「今日も特に言うことはないが、祭りの3週間前と中間考査の5週間前ということを忘れるなよ。以上だ」
中間考査か。学園祭の終わった後にそういうのがあるということをすっかり忘れていた。僕と同じような意見が教室の各地で聞こえ、一部には絶望の声すら混じっているものもある。
「え、イザちゃん。ちゅうかんこうさ? ってなに?」
「なんでおぬしはそんなことも知らんのだ。テストのことじゃ。今まで何回か受けたであろう?」
「うん。確か右上にまるが一つだけついて返ってきた紙のことだよね」
「アルク、お主……」
今のセリフに僕もアルクの学力が心配になってきた。というかここに入るときに必要なはずなんだけどな……。
「まあよい。それのもっと大規模な奴じゃ。時間もかなり長くなって、問題も多くなっておる。それで、右上に25以上の数字が書かれるまで何回もやり直しになるテストのことじゃ」
「右上のって記号じゃなかったの? ○とか△とかじゃないの?」
「……お主のそれは○じゃのうて0じゃ。右上に書かれるのは紛れもなく数字じゃ」
「え? でもでも0って横にちょっと丸みを帯びてなくて縦に長いよね。先生から渡されたプリントに書いてあったのは丸みを帯びていたんだけど」
「……パル、頼む。我にはもうこやつの相手を出来ん」
そう言って軽い音をたてて机に沈みこんだ。
……僕にも難しいよ、これは。
「そうだな……」
あったかな。多分、カバンの中に一枚ぐらいあってもおかしくないと思うのだけど。
「これ、見て」
あまり点数はさらしたくないのだけれどね。
「パルくんのには90って書いてあるね」
ん? ちょっと教室が静かになった?
「あれ? 数字だ。っていうことは記号じゃない……本当に数字?」
「そう。それで今までは良かったけどここに25以上の数字が書かれていないとダメ」
「ダメ?」
「うん。もう一回同じようなのを受けなきゃいけない」
「え? ホントに?」
「嘘ついてどうすんのさ……」
「パルくん助けてー!」
「いや、いいけど。どうしたのさ急に」
「私もう○は取りたくないよー!」
「○取らないと25点以上にはどうやってもならないんだけどね」
っていうかあなたの後ろの人の方がよっぽどうまく教えてくれるとは思うけどねぇ。
まあ、頼りにしてくれるのは嬉しいんだけど。
「パルくーーん!! 何とかしてよーー!!」
「僕はなんでも屋じゃないんだけど……」
いつもならこの時期にフレンも泣きつき始めるのだけど……。そもそも最近は姿を見ていない。どこで何をしているのやら。
授業が始まった。試験週間が近づいているからといっても、まじめに授業を受ける気はさらさらない。授業内容は全部頭に入っているから。
ほら、ここで教師が
「じゃあ、ソレイユさん。ここの都市ラックが出来た年は?」
「う。……えーと、分かりません」
「それじゃソリアさん」
「zzz」
「分かってはいましたが、授業まともに受ける気ないですね」
ちなみにソレイユとはアルク、ソリアというのはイザのことを指す。
って、そんなのはどうでもいい。いや、やっぱりそんなにどうでもいいことではないけれど。それでも今重要なことはそんなことではない。
この時、この教師が指名するのは別の人であるはずだ。
つまり、アルクのいない世界では別の未来になっていたけれど、アルクがいるおかげで少し変わったことになる。
バタフライ効果となって、ここを起点として僕の見えるこの世界が少しずつ変わってくれれば……。半ば本気でそう考えた。
でも、現実そんなに上手くいくものではないらしい。残念ながらそこからは見たものと一緒だった。ただ、僕の右斜め前にアルクという少女が存在していることと、放課後以外は、というおまけがつくけれど。
放課後になった。
『パルはもう帰るの?』
「帰りません。自分のクラスの出し物の方で残ります」
『そう。それは残念ね』
「あまり残念がっているようには聞こえませんけどねぇ」
『いえいえ。私は別にあなたの成績は心配していませんから』
「露骨に出し物の方で僕の成績が落ちればいいのに、と言っているように聞こえますね」
『それじゃ。また明日』
「はい。また明日」
通話は切れた。僕もアルクと一緒にやるとしよう。まあ、今日はどこまで進んだのかっていう確認ぐらいで終わるような気がするけど。
「パルくん復帰おめでとー!」
「ありがとー、って返せばいいのかな」
ちょっとだけ彼女に乗ってみた。
「うん。でも、パルくんがいない間に進んだことなんてほとんどないからちょっと申し訳ないかな」
「いや。十分だよ。2人にも僕がお礼を言ってたって伝えてくれると嬉しいな」
「……ばれてましたか」
「最初の時点で」
「うぅ~~」
「なんで唸るかなぁ」
「何か全部見破られていたのが悔しいというかなんというかで」
別に自分の手柄にしようと思ったわけでもあるまいし。
「とりあえず、どこまで進んだかを教えてほしいな」
「えっとね。まずは……」
クラスの宣伝のための絵とか、当日の配置とか大きなものや外部に提出しないといけないものの大体をやってくれたようだ。
「……凄いね」
「え?」
「正直に言うとここまで進むと思ってなかったから」
「パルくん正直すぎだよぉ」
「む、ごめん」
つい口が滑ってしまった。
「お詫びに何かしてほしいな」
「お詫びかぁ」
絶対に無茶なお願い以外なら大体は応えますかね。
「ん!」
「ん?」
頭突き出されただけじゃ解らないよ。
「ん」
「もしかして」
と思った次の瞬間、自動的に僕の脳みそはその行動をあるものだと勝手に解釈してしまったらしい。
自然と手が彼女の頭にのびて撫でていた。
「えへへへへへ」
正解したらしい。商品はこの手触りかな。
「…………」
「……ぽわぁ」
さて。
いつ止めればいいかなぁ。いつまででもって言いたいけど手もつるしなぁ。彼女の髪を必要以上に乱すわけにもいかないし。
まあ、先ほどの行為は彼女が正気に返ってきたことで中断され、作業開始と相成った。
「でも、大体は終わってるよね?」
「ううん。校内に張るポスター作りとか、制服の正式な受注願いとか」
「確かに必要なものはまだあるね」
特になくても集まることにはなりそうだな。
「あ」
彼女がシャーペンを落とした。こちら側に転がってきたので拾う。
「はい」
「ありがとー」
「いや、別にかまわないけど」
「それで、ポスター類は……」
作業再開。
でも、また。
「あれ?」
カラカラカラと音をたてて、またこちら側に転がってきた。
これも彼女に返す。
「ど、どうもお手数おかけします」
「この程度でお手数っていうのは言いすぎなんじゃ……」
「えーっと。言葉のはずみ?」
「何かが違うよ、それ」
作業また再開。
しかし、その直後。
「あぅ」
今度は消しゴムが彼女の手から滑り落ちていった。僕の近くではなかったけれど、彼女よりも僕の方が近かったので、僕が拾いに立ち上がった。
「ほら、アルク。さっきから何回も落として……」
「…………」
「アルク?」
どこか様子がおかしかった。
「どうかしたの?」
「ごめん。パルくん。私今日はもう帰るね」
「へ?」
呆気にとられてる僕を尻目に、彼女は足早に教室を去って行った。
「……なにがあったんだろう」
前にも同じようなことがあった気がするけれど、その時と同様に僕は彼女の後を追うことが出来なかった。
何か急用でも思い出したのだろうと、そんなことを考えていたのだ。
しかし。
彼女はこの日を境に、学校に来なくなった。