いざ尋常に
水坂国、八ヶ島。今宵、合戦の狼煙が上がる。されど、地にある影、二つのみ。一つ、剣聖へと至り、鬼へ落ちたもの。一つ、無名の剣士より鬼へと成り上がったもの。もはや人の身に非ず。ただ二人であれど、尋常ならざる者による合戦よ。
今宵、この場所は彼らのみの合戦場。諫めるものはおらず。二匹の鬼は、ただ自らの道を信じ、剣を揮うのみ。
「漸くだ。漸く儂らの道も聖へと至る」
「行儀の良いものだな、寂静斎よ。貴様は直ぐにでも斬りかかるものと思っていたぞ」
「何、年寄りの感慨というものよ。名無し。この十余年、長いものであった」
寂静斎、巌種 宗景は剣を抜けど、構えなし。老境ながら、若き獣の如く。其の様、荒々しく。
「剣の道を捨てるか、宗景」
「おうさ、今より儂は寂静斎に非ず。一人の鬼、宗景よ」
「なれば、心より迎えねばなるまい」
名無しは獣の如き眼光を治め、上段に剣の構えあり。若輩ながら、寂静に至りし者の如く。其の様、寂滅。
「其の十余年。貴様の為、磨いた技を御覧に入れよう。今よりは名無しの獣に非ず。貴様という鬼を殺すもの、殺鬼と名乗ろう」
滾る血潮に、唸る鼓動。目の前の者を斬る為、互いに剣の道を捨てた者同士。遠き日、十余年前のただの一合。其れが全てを決めた。彼の者たちの道、生涯を懸け進むべき道。そは即ち、
「我が道は」「儂の道は」
「宗景を」「殺鬼を」
「「愛すことよ」」
「いざ尋常に」「勝負」
一息のうちに間はなく。両者、剣を振るう。
宗景の剣に既に型はなし。ただ力と経験でもって、打ち込まれる。
対し、殺鬼の剣は型にあり。技と理でもって、その全てを捌く。
其の一合の度に散る火花。是は相手の死の手向けと言わんばかりに、互いに花を贈り合う。花は鮮烈に咲く。
――言の葉は要らぬ。手に取るように理解る。その目、その技。燃えておるのう。殺鬼。
獣は深く踏み込み、横へ薙ぐ。剣士により一閃は上へと逸れる。そして、剣士の刃が翻る。頬を掠め、血が滲む。
――凄まじいものだな。宗景。貴様、荒ぶるように見えて、しかと意を持ってことを成す。
足を引き、降ろされた剣の死角へと獣が身を回るようにして、入れ込む。身の回転を殺さず、柄による殴打。よろめく儘に、殺鬼は距離を開ける。その距離が、僅かな緩みが死線を招く。
一歩。深く、遠く、低く踏み込む姿に身構えども、すでに時遅し。剣ごと身が宙へ打ち上げられる。剣は宙を舞い、守るものなし。今より命を取らんとする刃。躊躇いなく脳天へと振り下ろされる。
されど、自らの死は覚悟済み、今死ななければよし。身をよじり殺意愛の剣を腕を犠牲に絡めとる。脳天は砕かれず、肩口までに沈み込む。
「勝負ありか。殺鬼」
「ぬかせ。俺はまだ死んでおらぬ」
宗景の胸に短剣が挿入される。
「貴様は最後まで剣を離せなかったな」
「無念な話よのう。長生きが仇になった。だが」
まだだ両者ともにまだ止まらず。片や剣をさらに深くへと押し込み、片や短剣で胸を抉らんとす。
ただ二人動かず。呻く声の身が辺りに二人の生存を知らせるのみ。華はなく。互いの血に濡れていく。赤い血だまりの中、共に死を待つ。絶える息に思う。先に逝ってたまるものか、と。
吸い込む息が漏れる音。自らの血に溺れる声。力を失いゆく腕。僅かでもいい。相手よりも長く息が続けばよい。
――喉を立てばよい
宗景の喉に歯が深々と刺さる。渾身の力を、己の生涯を、相手への思いを込めて。
勝敗は決する。
その有様は浅ましき獣の如き様相。
悪鬼の如き形相。
あるいは亡者の執念か。
そのどれもが事実に非ず。
死の直前、その者は聖であった。




