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奈落の【魔法杖職人】が、自分の作る杖は神話級魔道具だと気付くまで~「魔力ゼロの役立たず」と森に捨てられた元聖女、廃工房で物作りしてたら、いつの間にか世界中の英雄から神職人として崇拝されてた~

作者: 茨木野

連載候補の短編です。

「聖女召喚の儀、成功だ!」


 耳をつんざくような歓声が、石造りの広間に響き渡った。

 視界を埋め尽くすのは、煌びやかな法衣を纏った神官たちと、見るからに派手な衣装の男。

 この国の第一王子、テオドールである。


 小諸こもろ千佳チカは、気だるげに瞬きをした。


 頭が重い。徹夜明けの脳味噌は、鉛でも詰め込まれたかのように鈍い痛みを訴えている。

 ついさっきまで、オフィスのデスクでデバッグ作業をしていたはずだった。終わらない納期、鳴り止まないチャットツール、そして上司のヒステリックな怒声。

 それらが突然、プツリと途切れ、気づけば見知らぬ場所に立っていたのである。


「……む? どういうことだ。なぜ二人いる」


 テオドール王子が眉をひそめた。彼の目は自分、そして隣に居る女に向けられる。

 神官長が慌てて書物をめくった。


「おかしいですね。古の儀式では、救国の聖女は『一人』のみ召喚されるはずですが」


 ざわめきが広がる中、チカの隣に立つもう一人の少女が声を上げた。


「んぇ? ここどこぉ?」


 ふわふわとしたピンク色の髪に、大きな瞳。チカとは対照的に、いかにも愛らしい容姿をした少女だった。

 王子が興味深そうに歩み寄る。そして、当然のように、可愛らしい見た目をしている少女に尋ねた。


「美しき異界の娘よ。名はなんという」


 チカが口を開くよりも早く、少女がさも当然とばかりに答えた。


「あ、ゆなはぁ、木曽川きそがわ湯女ゆなですぅ。えっと、もしかして、これ異世界転生ってやつですかぁ?」

「キソガワ……ユナか。おお、なんと愛らしい名だ」


 王子は満足げに頷くと、今度はチカの方をちらりと見た。明らかに興味がなさそうだ。


「おい地味女。名を名乗れ」


 地味女。そちらの子と比べたら確かにそうだろう。しかし、それを初対面の相手に面と向かって言うのはいかがなものか。チカは内心で呆れつつも、短く答えた。


「……小諸こもろ千佳ちかです」

「ふん。まあよい。二人召喚されたのなら、どちらかが本物で、もう片方は余計なノイズということだろう」


 チカは、システムエンジニアとしての習性で、まずは状況の「解析」を試みた。

 夢、ではない。空気の冷たさも、床の硬さもリアルだ。

 ならば、これは巷で噂の異世界召喚というやつだろうか。


「突然呼び出して申し訳ない。聖女ユナ、そなたを呼び出したのには理由があるのだ」


 王子は芝居がかった仕草で語り始めた。


「近年、我が国には人間に有害な毒ガス、すなわち『瘴気』が蔓延し始めている。我々は魔導具や魔法で対処しようとしたが、その濃度は増すばかり。もはや人の手には負えぬ。故に、古の儀式『聖女召喚』を行い、異界の浄化の力を求めたのだ」


「えぇ~。それってつまりぃ、ゆなが世界を救う聖女様ってことぉ?」

「ああ、その通りだ、ユナ」

「そっちのおばさんはぁ?」


 ユナはチカを見て、はっきりと言い放った。どうにも女子高生らしい彼女からすれば、チカはおばさんに見えるのだろう。

 王子といい、このユナという少女といい、かなり失礼な人たちだ。だが無理からぬことかもしれない。


「ああ……まあ、たまにあるのだ。聖女召喚に巻き込まれ、真の聖女と一緒に付いてくる輩が」


 そして自分は、どうやら「余計なノイズ」扱いされているようだ。

 チカは驚くでもなく、ただ「ああ、そうですか」と納得した。社畜として摩耗しきった彼女の感性は、事態の異常性を正常に処理することを放棄していたのだ。


「さあ、水晶に手を。どちらが真の聖女か、その力を見せるがよい」


 王子が高らかに宣言し、大神官が二つの水晶玉を差し出した。


「この鑑定魔道具に触れることで、聖女様の体内にある膨大な魔力と、お持ちになられる特別な才能スキルを測ることができます。それらは光の輝き具合で表され、さらに数値として可視化されるのです」


 まずは、ピンク髪の少女――ユナがおっかなびっくり手を伸ばした。


「えっとぉ、こうですかぁ?」


 彼女が触れた瞬間。

 カッ、と水晶が虹色に輝き、広間中が眩い光に包まれた。


「おおおお! なんという光量! そして見よ、【聖女】のスキルだ」


 水晶の内部に、鮮明な文字が浮かび上がっていた。

 そこにははっきりと、『聖女』と刻まれている。


「間違いない、彼女こそが伝説の聖女だ」

「素晴らしい、国が救われるぞ」


 王子と取り巻きたちが、熱狂しながらユナを取り囲む。ユナは「えへへ、なんかすごぉい」とまんざらでもない様子だ。


 一方で、チカの前にも水晶が差し出された。

 チカは言われるがまま、細い指を水晶に乗せる。

 しかし、彼女が触れた瞬間。

 水晶は光らない。それどころか、内部で渦巻いていた光さえもが、チカに触れた部分から急速に沈静化し、ただの透明なガラス玉へと変わってしまった。


「……あ?」


 テオドール王子が間の抜けた声を上げた。場の空気が凍りつく。


「魔力測定、不能。いや、反応がありません」

「故障か」

「いえ、水晶は正常です。ユナ殿のときには使えましたし。これは……つまり、チカ殿の魔力が『ゼロ』なのです」


 王子はあからさまに顔を歪めた。まるで汚いものでも見るような目で、チカを見下ろす。


「なんだそれは。加護もなし、スキルもなし。完全なる『無』だと」

「はい。隣の聖女ユナ様に全ての魔力を吸い取られた出涸らし……いえ、ただの搾りかすかと」

「チッ。期待させやがって」


 王子の掌返しは早かった。


「おい、その地味な女をつまみ出せ。聖女の横にゴミが立っていると、絵面が汚れる」

「はっ! 直ちに」

「えー、チカさんかわいそぉ。どんまーい」


 衛兵たちが粗暴にチカの腕を掴む。

 罵声が飛んだ。


 役立たず。給料泥棒。バグ。

 聞き慣れた言葉だ。前の職場でも、毎日言われていたことと変わらない。

 だからチカは、無表情のまま運ばれていった。抵抗しても無駄だと知っている。仕様通りに動かないプログラムは、削除される運命にあるのだから。


「不要な召喚者のゴミ捨て場、奈落の森(アビス・ウッド)へと貴様をご招待してやろう」

奈落の森(アビス・ウッド)……?」

「呼び出した人間を処刑したとなれば角が立つからな。魔物うろつく森に、転移魔法を使って飛ばし、処分するのだ」


 処分。殺すということか。なんと身勝手な理屈だろう。

 チカは抵抗をしなかった。王子の周りには武装した護衛がいる。また、魔法使いらしき男が呪文を唱え始めている。何の才能チートもない自分が、敵う相手ではないのだ。


 そして、転移魔法が発動した。

 こうして彼女は、王都から遥か遠く離れた辺境の地――『奈落の森』へと廃棄された。


「ここが……奈落の森(アビス・ウッド)


 生存率ゼロ。魔獣が跋扈する処刑場。

 深い森の奥底からは、おどろおどろしい気配が漂い、どこかから聞こえる獣の咆哮が肌を粟立たせる。鬱蒼と茂る木々は日光を遮り、辺りは薄暗く、湿った土の匂いが鼻をついた。

 森の入口に放り出されたチカは、スーツについた土埃を払い、眼鏡の位置を直した。


「……静かだ」


 それが、彼女の第一声だった。

 森は深淵のように暗く、不気味な気配に満ちている。

 けれど、あの喧騒に満ちたオフィスに比べれば、ここは天国のように静寂だった。

 誰も私を怒鳴らない。納期もない。


「……もう、訳分からない。なんなのこの展開」


 チカは、深くため息をついた。

 静けさは心地よいが、現実は厳しい。

 急に異世界に連れてこられ、着の身着のままで放り出され、しかもチート能力もない。このままでは確実に死ぬ。

 さしもの限界社畜であっても、死ぬのは勘弁願いたいところだ。


(森には魔物がいるっていうし……。とりあえず、人里に向かおう。ここがどこかも、わからないけども……。とどまっていても状況は変わらないし)


 彼女は革靴で湿った土を踏みしめ、森の奥へと歩き出した。


    ◇


 小諸こもろ千佳チカ。二十四歳。

 彼女の半生は、常に何かに追われ、否定されることの連続であった。


 教育熱心な母の元に生まれ、物心つく前からピアノの前に座らされた。来る日も来る日もレッスン。ミスタッチのたびに飛んでくる罵声と、定規で叩かれる痛み。

 それでも彼女は、母に愛されたい一心で鍵盤を叩き続けた。


 けれど、現実は残酷だ。どれだけ努力しても、有名なコンクールでは落選続き。挙句の果てに、著名なピアニストから「君の指の骨格は、ピアノに向いていない」と宣告されたのである。


 母は興味を失った玩具のように、チカを見捨てた。


 居場所を失った彼女は、奨学金を借りて大学へ進学し、逃げるようにシステムエンジニアの職に就いた。

 しかし、そこもまた地獄だった。終わらない納期、理不尽な仕様変更、徹夜の連続。


 そうして摩耗しきった果てに、彼女はこの異世界へと放り出されたのである。


    ◇


 どれくらい歩いただろうか。

 チカの耳に、奇妙な「無音」の領域が感知された。


 森全体が不協和音のような魔力のノイズに満ちている中で、そこだけが真空のように静まり返っている。

 吸い寄せられるように茂みを抜けると、開けた空間に出た。

 そこには、古びた石造りの小屋が建っていた。

 蔦に覆われた外壁。人の気配はない。


「小屋……こんなところに」


 その時である。

 背後の茂みが爆ぜるような音と共に揺れた。


「グギャアア!」


 空気がビリビリと震える。

 振り返ったチカの瞳に映ったのは、闇夜のような漆黒の体毛を持つ巨獣――『黒虎ブラック・タイガー』であった。

 象ほどもある巨大な虎が、涎を垂らしながらこちらを睨んでいる。


「ひっ……」


 喉が引きつり、足がすくむ。

 捕食者の殺気に当てられ、体が震え上がった。

 死ぬ。食べられる。本能が警鐘を鳴らす。


 チカは弾かれたように駆け出した。

 目指すは、目の前の小屋。あそこに入れば、あるいは。

 背後で風が唸った。虎が跳躍した音だ。

 間に合わない。

 チカが絶望に目を瞑った、その瞬間。


 バヂィン。


 硬質な音が響き、熱風が頬を撫でた。

 恐る恐る目を開けると、すぐ目の前で、黒虎が何もない空間に爪を阻まれている。

 透明な膜のようなものが、虎の巨体を弾き返しているのだ。


「あ、あれ……? 虎が、近づいてこない」


 黒虎は苛立ち紛れに何度も体当たりを繰り返すが、そのたびに青白い火花が散り、決して敷地内には入れない。

 周囲には緻密に編み上げられた強力な結界が張られており、魔物の侵食を拒絶していたのである。


「……綺麗」


 チカは思わず呟いた。

 結界を構成する魔力回路があまりにも美しく、まるで完成された旋律のように見えたからだ。


「なんだか分からないけど、助かった……」


 どうしてこんな場所に結界があるのか、この小屋が何なのかは分からない。だが、この結界の内側にいる限り安全なことは理解できた。

 虎は執拗に周囲を徘徊し、隙を窺っている。この状態では、外に出ることはできない。

 チカは意を決して、小屋の扉を叩いた。


「……ごめんください」


 返事はない。

 留守だろうか。鍵がかかっているかと思い、ドアノブに手をかける。

 カチャリ、とノブはあっけなく回った。


(鍵がかかっていない。不用心すぎないだろうか)


 不法侵入なのは重々承知だ。しかし、結界がいつまでも保つ保証はないし、背後の虎の視線も限界だった。


「失礼します……」


 彼女は重厚な扉を開けた。

 鼻を突いたのは、埃と、古い紙の匂い。

 入ってすぐの場所は、生活感のあるリビングのようになっていた。さらに奥へ続く部屋を覗くと、そこは工房の様相を呈している。

 見たこともない実験器具、壁に掛けられた工具類、そして美しい装飾が施された完成品の杖が、乱雑に放置されていた。

 チカは一通り小屋の中を探索し、一つの結論に至る。


「ここ……誰かが捨てた、廃アトリエみたい」


 捜せども、人の気配はない。

 鮮魚や野菜といった生鮮食品もなかった。

 しかし、地下の食料庫らしき場所には、保存の利く缶詰や乾パンなどが山のように備蓄されている。おそらく、何日もここに引きこもって作業するためのものだろう。


 この小屋の持ち主について、わかる手がかりは一つだけあった。

 奥の書き物机の上に、一冊のノートが置かれていたのだ。

 チカはそれを手に取り、ページを開いた。

 そこに記されていた文字を見て、彼女は息を呑む。


『八代目・八宝斎はっぽうさい 研究日誌』


「はっぽうさい……? なに、八宝斎はっぽうさいって……中華料理?」


 聞き覚えのない名前だ。しかし、それよりも衝撃的な事実があった。


「! これ……日本語だ」


 小屋の中には他にも多くの書物があったが、どれもチカが見たことのない異世界語で書かれていた。

 しかし、この研究日誌だけは、明確な日本語で綴られていたのである。

 丸みを帯びた優しい筆跡。

 異世界で出会う同郷の痕跡に、張り詰めていた緊張の糸が切れ、チカはその場にへたり込んだ。


「……先輩が、いたんだ」


 あの場にいたテオドール王子は言っていた。

 チカのいるこの『奈落の森』は、ハズレを引いた召喚者を捨てる場所であると。


 そこに来て、この日本で書かれた日誌。

 導き出される結論は、この工房は自分と同じ日本から召喚された人の物だということだ。

 孤独な世界で、自分以外の誰かがここにいた。

 会いたい。是非とも、会ってみたかった。


 だが小屋の中をいくら捜しても、持ち主であるこの八宝斎なる人物を見つけることはできなかった。

 この工房には、人が最近まで生活していた気配がまるでしない。腐った食べ物は一切なく、作り途中の製作物もない。


 あるのは、保存の利く食べ物、物作りに使われる道具、衣類など。主がここを去る際、意図して残していったかのようだ。


(読んでみたら、何か分かるかもしれない。すみません、他の人の日誌なのに……)


 自分の日記を誰かに見られるのは嫌なものだ。だが残していったということは、見られても構わないということだろう。

 心の中で謝罪しながら、チカは手記を手に取った。


 ハラリ、と何か紙片が落ちる。

 どうやら手記の下に、手紙が挟んであったらしい。

 チカはまず、手紙から目を通すことにした。


『この地を訪れた、同郷の者へ。この手紙を読んでいるということは、あなたは地球から来たのでしょう。この小屋は、召喚者……異世界から召喚された人しか招けない仕組みになってます』


「召喚者……。そうか、だから私も入れたのか」


 チカは手紙を読み進める。


『ここは私、八代目・八宝斎(偽名です)が使っていた、魔法杖工房の一つです』


「魔法杖工房……魔法の杖を作っていたってこと?」


 だから、やたらと杖の完成品や、工具があったのだろう。


『人気の無い場所で集中したいからっていう理由と、それと……あなたのような、同じ境遇の方に、使ってもらうために用意した小屋です』


「私に……?」


『この森は、王国が呼び出した召喚者を捨てる廃棄場でもあるんです。その人達の避難所として使ってもらいたくて、用意しました。なので、今この手紙を読んでいる貴女にも使う権利はあります。中にあるものは、自由に使ってください。裏手に井戸もありますし、お風呂なども魔道具で作ってあります』


「水がある。しかもお風呂も? 魔道具って……」


『私は魔道具や、魔法杖を作る職人として、ここで暮らしていました。でも、そろそろ歳なので、ここを残して立ち去ります。食料等は、三年分はあります。もしあなたが異世界で生きていくのに必要であれば、少額のお金も用意してます。どうか、頑張って、この厳しい異世界で生き残ってくださいませ。きっと、生きていれば良いことありますので!』


 文字の感じや文体から、八代目・八宝斎は女性のように思えた。


「……ありがとう、八宝斎さん」


 突然連れてこられた異世界。

 しかもさっきは死ぬ思いをした。正直、もう駄目かと思った。

 しかしここにきて、顔も知らぬ先達の優しさに触れ、じわりと涙が滲んだ。


(死ぬのは、辞めよう。この子に、八宝斎さんに悪い)


 自分を助けてくれた人に頼まれたら、死ぬわけにはいかない。

 半ば生きることを放棄しかけていた彼女の中に、『生きてみる』という選択肢が生まれた。


「そうとなれば、これからの方針を決めないと」


 チカは現状を整理する。

 彼女がいるのは『奈落の森』。魔物うろつく危険な場所だ。

 現在は、同じく召喚者の八宝斎の小屋という安全地帯にいる。

 ここは魔法杖・魔道具工房であり、食料は三年分がある。


「三年は、生きていける。でも……それ以降は自分で生きていかないといけない」


 自分で生きるためには、お金を稼ぐ必要がある。

 だが元SEの社畜に、異世界で金を稼ぐ手段はない。定番のチート能力も、自分には備わっていない。それどころか、魔力ゼロであるらしい。


「魔法もスキルもなしで、異世界転移とか……無理ゲーすぎでしょう」


 どんなネット小説の主人公でも、一つくらいは最強のアイテムとか、装備とかがあって、それを使って異世界を生き抜いていくというのに。

 自分には何もない。


「いや、待って。私には……先輩と、先輩が残してくれた物がある」


 ここは、魔法杖工房だと言っていた。

 つまり、魔法の杖を作るための素材や、道具がそろっているということだ。

 先輩である八宝斎は、自分と同じ地球人だった。その人が、生きていたということはつまり。


「私にも、魔法杖……作れるかも?」


 おそらく八宝斎は、魔法杖を作り、売って、生活していたのだろう。

 同じ地球人である彼女にできたのなら、自分にも、魔法杖というものは作れるのかもしれない。


「うん……やってみよう。他に、私にできそうなことはないし」


 謎の隠された能力が覚醒したり、謎の超存在が目の前に現れて力を貸してくれたり、そういった都合の良い展開は起きないようだ。

 チカが選んだのは、先輩の技術を身につけ、それを売って生きるという道。

 自分の幸運は、安全地帯と、食料、技術習得に必要な機材、そして極めつけは。


「この研究日誌だ」


 彼女は貪るように手記を読んだ。

 そこには、魔法杖の製作理論が記されていた。素材の選定、魔力回路の構築、魔道具作成の基礎理論。


 専門的な内容は難解だったが、SEとして仕様書を読み込んでいたチカには、それが一種の技術マニュアルのように思えた。

 そして何より、著者は人間味に溢れていた。


『旦那さんが、今日新しいリボンを褒めてくれた。死ぬほど嬉しい。記念にこのリボンを触媒にして、恒久保存の魔道具を作ろうかと思ったけど、流石に引かれそうだからやめた』

『杖作りに熱中しすぎて、徹夜したら旦那さんに怒られちゃった。君は相変わらずだなぁって笑った旦那さんほんと好き』


 時折挟まれる惚気や失敗談。

 この「八代目」という人物は、凄腕の職人でありながら、とても可愛らしい女性だったようだ。

 手記の最後の方に、職人としての心得が記されていた。


『職人になるには、石の上にも三年。一年目は、ひたすら良いものを見ること。二年目は、手に馴染むまで真似ること。そして三年目に、やっと自分の音を奏でなさい』


 三年。

 途方もない時間だ。

 けれど、チカには時間だけはあった。

 工房の地下貯蔵庫には、軍用と思われる保存食の缶詰が山のように積まれていた。


(缶詰技術なんてあるんだ。まあ、異世界だからね。実際の中世ヨーロッパじゃないし)


 これなら、一人で食いつなぐには十分だ。

 彼女は決意した。

 外に出れば魔獣に食い殺される。

 ならば、この食料が尽きるまでの三年間、ここに引きこもって生き延びよう。

 この偉大な先輩の教えを守り、身を守るための術を身につけるのだ。


 こうして、元社畜SE・小諸千佳の、優雅なる隠遁生活が幕を開けた。


    ◇


 一年目。

 チカは八代目せんぱいの教え通り、工房に残された「完成品」の観察に没頭した。


 八代目・八宝斎はっぽうさいの杖からは、壮大で優美なオーケストラが聞こえる。杖に満ちる魔力の流れる音だ。

 一切の淀みがなく、すべての魔力回路が完璧なハーモニーを奏でているのだ。


 元来、チカには特殊な「耳」が備わっていた。

 幼少期のピアノレッスンと、SEとしての過酷なデバッグの日々。その二つの経験が奇妙に融合し、彼女は「整然とした論理」を「音楽」として聴く共感覚を得ていたのである。


 かつては楽譜から、そしてプログラムコードの羅列から、彼女は音を感じ取っていた。

 そしてこの異世界において、魔道具や魔法杖の内部に刻まれた「魔力回路」は、彼女にとっての新たな譜面となった。


 さらに、この修行期間において、彼女の能力は劇的な進化を遂げることになる。

 要因は、彼女が「魔力ゼロ」であったことだ。

 通常の魔法使いは、体内で常に自身の魔力が流れる音がしており、それが外部の音を聞く際のノイズとなる。


 しかし、チカの体内は空っぽだ。

 彼女の肉体は、自身の魔力という雑音が一切ない「完全な無響室」であり、それゆえに外部の魔力の音を、極限までクリアに聞き取ることができたのである。


 研ぎ澄まされた聴覚は、魔力回路の構造を、まるでプログラムのソースコードのように鮮明に解析していった。


 無駄のない美しいコードが良いプログラムであるように、優れた魔力回路は美しい旋律を奏でる。

 彼女は毎日その杖を眺め、その旋律を脳裏に焼き付けた。

 これが、この世界の職人の「最低基準」なのだと、彼女は勘違いをしたまま信じ込んだのである。


 二年目。

 模倣の年。チカは裏庭の素材を使い、杖作りを開始した。

 そこで彼女は、手記にある『素材と対話する』という言葉の真意を知る。

 杖の素材となる木材には、固有の魔力回路――すなわち「年輪」が刻まれていたのだ。


 ここからが、天才と凡人の分岐点である。

 八代目は、その神がかった器用さで、木材の回路を直接組み替えていたらしい。

 素材の制約を無視し、バラバラのパーツを緻密に繋ぎ合わせ、理想の回路を構築する「足し算」の技法だ。

 だが、不器用なチカにそれは不可能だった。繊細な回路をいじろうとすれば、たちまち断線させてしまう。


 だから、彼女はやり方を変えた。

 元SEとしての経験則、「デバッグ」の手法を用いたのである。

 あるがままの素材を生かし、邪魔なノイズだけを取り除く「引き算」の技法だ。


 彼女にとって、自然界の歪な魔力回路は、バグだらけのスパゲッティコードに見えていた。

 ならば、バグを潰せばいい。

 彼女は進化した「耳」を頼りに、不協和音を奏でる部分を物理的に削り落とし、回路の流れを最適化していった。


 八代目がパーツを組み上げて像を作ったのに対し、チカは丸太から仏像を彫り出すように、木材の中から純粋な回路を掘り出したのだ。

 出来上がった試作品は無骨で歪だったが、そこから聞こえる「音」だけは、八代目のものに限りなく近づいていた。


 そして、三年目。

 いよいよ、自分のための道具を作る時が来た。

 食料の備蓄も心もとない。近いうちに、この森を出なければならない。

 そのための旅支度として、チカは三つの杖を製作した。


 一つ目は、護身用の『重力杖』。

 素材置き場にあった黒く重い木材――『鉄刀木タガヤサン』を削り出し、グリップに重力制御の魔石を埋め込んだ。

 魔力ゼロの彼女でも使えるよう、感度は最大に設定。

 見た目は地味な登山用のステッキだが、振れば惑星級の質量攻撃を生み出す鈍器となった。


 二つ目は、照明用の『極光杖』。

 透明度の高い魔力結晶を取り付けた、シンプルな懐中電灯。

 光量調節機能を省いたため、スイッチを入れると直視できないほどの聖なる閃光が溢れ出す。


 三つ目は、着火用の『獄炎杖』。

 赤い魔石を埋め込んだ、ライター代わりの短い杖。

 確実な着火を優先した結果、古龍のブレスに匹敵する三千度の熱線を放射する仕様になった。


「……うん、これなら……いけそう」


 チカは満足して頷いた。

 徹底的なデバッグにより、抵抗ゼロで魔力が流れるそれらが、国をも滅ぼしかねない「奈落の三神具」であることなど露知らず、彼女はリュックに杖を詰め込んだ。

 翌朝、彼女は住み慣れた工房に別れを告げる。

 八代目の手記は、大切にリュックの奥へ。


「行ってきます、先輩」


 誰もいない空間に頭を下げ、チカは森の出口へと向かって歩き出した。


    ◇


 森の出口までは、予想以上に順調だった。

 時折、遠くで茂みが揺れる音はしたが、チカが重力杖を地面に突くたびに、その気配は蜘蛛の子を散らすように消えていった。

 彼女の杖が発する微細な魔力の振動が、周囲の生物の本能に「逃げろ」と警鐘を鳴らしていたのだが、彼女は単に運が良いのだと思っていた。


 森の端に差し掛かったそのときだった。

 前方に騒がしい気配を感じた。

 金属音と、爆発音。


 チカは木陰に身を潜め、様子を伺う。

 開けた場所で、一人の男が魔獣の群れと対峙していた。

 茶色の革鎧に、黒いロングコート。背が高く、引き締まった体躯をしている。


 彼は手にした剣で、巨大な熊のような魔獣を切り伏せていた。

 強い。

 素人のチカでも分かるほど、その動きは洗練されていた。

 しかし、彼の剣からは悲鳴が聞こえている。

 キィィン、という高い金属音。限界を超えた負荷がかかっている時の、不協和音だ。


「くそっ、保ってくれよ……」


 男が叫び、剣に魔力を込める。

 その魔力は、視認できるほど濃密で荒々しい。


 次の瞬間。

 バキンッ、と音がして、剣が根元から砕け散った。

 破片が舞う中、男は体勢を崩す。

 魔獣がここぞとばかりに腕を振り上げた。


(危ない……!)


 チカは考えるよりも先に動いていた。リュックから『極光杖』を引き抜き、スイッチを入れる。


「伏せてっ!」


 叫びと共に、杖を魔獣に向けた。

 カッ、と世界が白く染まる。


 杖の先端から放たれた奔流のような光が、闇を切り裂く。

 視界が戻った時、そこには何もなかった。

 魔獣も、その後ろにあった数本の木々も、綺麗さっぱり消滅している。

 地面には、抉られたような半円形の跡だけが残っていた。


「……あ」


 やってしまった。

 チカは青ざめた。

 助けるつもりが、魔獣ごと彼まで消し飛ばしてしまったかもしれない。

 恐る恐る確認すると、男は地面に尻餅をついたまま、呆然とした表情でこちらを見ていた。

 無事だった。光の射線からわずかに外れていたようだ。


「……あの。お怪我はありませんか?」


 チカは杖を背中に隠し、努めて平静を装って話しかけた。

 男はパクパクと口を開閉させ、しばらく言葉が出てこないようだったが、やがて震える声で言った。


「……あんた、何者だ?」


(召喚者ってことは、隠した方がいいね。廃棄された召喚者が生きていたなんて知れば、あの王子が何をしてくるか分からない。最悪また殺されそうになるかも……)


「……ただの、通りすがりです」

「通りすがりが、戦略級の極光魔法をぶっ放すか」


 男は冷や汗を拭いながら立ち上がった。

 近くで見ると、精悍な顔立ちをしている。

 ただ、その目は先程の光景への恐怖と、理解不能なものを見る警戒心に彩られていた。

 彼は砕けた剣の柄を見つめ、深いため息をつく。


「助かった礼は言う。だが、見ての通り武器がない。このままじゃ俺もあんたも、次の魔獣が来たら終わりだ」


 彼の言葉に、チカはハッとした。

 そうだ、彼は武器を失っているのだ。


 責任を感じた彼女は、リュックの中を探った。

 予備の武器ならある。自分用に作った『重力杖』だ。

 使い勝手が悪く、重すぎて地面にめり込む失敗作。

 街に出たらちゃんとした既製品を買うつもりだったし、彼にあげても惜しくはない。


「あの、これ……よかったら使いますか」


 チカは黒い杖を差し出した。

 男は怪訝な顔でそれを受け取る。


「杖? 俺は魔法使いじゃないぞ。剣士だ」

「いえ、それ、ただの棒なので。叩く用です」

「叩く用……?」


 男は杖を振ってみた。

 ブンッ、と重い音が空気を震わせる。


「……妙だな。見た目はただの木なのに、芯に異常な質量を感じる。それに、俺の魔力に触れても共鳴しない」


 彼は不思議そうに杖を観察している。

 チカは補足した。


「ああ、それは私が魔力ゼロの体質なので、絶縁処理をしてあるんです。魔力を通そうとしても無駄ですよ。ただひたすら頑丈なだけが取り柄の、失敗作ですから」


「失敗作……?」


 男の目の色が変わった。

 彼は杖を両手で握りしめると、これでもかというほど強く魔力を込めた。

 普通なら、杖が発光し、許容量を超えてヒビが入るところだ。

 しかし、杖は無反応。

 涼しい顔で、彼のとんでもない魔力を受け流し、あるいは遮断している。


「嘘だろ……」


 男が呻いた。


「俺の全力を込めても、ミシリとも言わない。オリハルコンだって、俺が握れば歪むのに」


 彼は信じられないものを見る目で、杖と、そしてチカを交互に見た。

 その瞳に、恐怖とは違う、熱っぽい色が宿り始める。

 それは、砂漠で水を求めて彷徨っていた旅人が、オアシスを見つけた時の目に似ていた。


「あんた、名前は」

「え? あ、チカです」

「チカ……」


 彼はその名前を噛み締めるように復唱すると、突然、その場に膝をついた。

 チカが慌てて駆け寄ろうとすると、彼は杖を抱きしめたまま、地面に額を擦り付ける勢いで頭を下げた。


「頼む、チカ様! 俺と契約してくれ!」

「……は?」

「この杖だ! この杖が必要なんだ! 俺の魔力に耐えられる魔導武器なんて、この世に存在しないと思ってた。だが、これは違う。これなら、俺は全力で戦える!」


 彼は顔を上げ、必死の形相でチカを見上げた。


「金なら払う。あるだけ払う。だから頼む、俺専属の職人になってくれ。あんたがいないと、俺はもう生きていけない!」


 その言葉は、まるで求婚のように熱烈で、そして重かった。

 チカは一歩後ずさる。

 ただの失敗作の棒切れ一つで、どうしてここまで感謝されるのだろう。

 この人、よほど武器に不自由していたんだな。

 チカは苦笑いを浮かべた。


「えっと、とりあえず顔を上げてください。契約とかは大袈裟ですけど、街まで案内してくれるなら、その杖は差し上げますよ。ゴミに出す予定だったんで」


「ゴミ……!? これが……!?」


「ええ、やはり八宝斎さんの魔法杖と比べたらまだまだダメな部分が多くて。あの人と違って完成後に細かい調整できないですし」


 彼は絶句し、わなわなと震えながら杖を拝んだ。

 どうやら、チカの「断捨離」は、彼にとっては「神の施し」だったらしい。

 こうして、彼女は森を出て早々に、妙な信者を一人抱えることになった。


 彼の名はグレン。

 この世界でたった十二人しかいないという、Sランク冒険者の一人であることを知るのは、もう少し先の話だ。

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とても面白くなっていきそうですね。 連載楽しみにしています。
面白い!ワクワクです ありがとうございます 連載、楽しみにしてます!
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