第8話:オーバークロックの果て
定期的な掃除は大事です。
ハミルトンとの取引を終えたルーカスは図書館に来ていた。
ギルド会員証を見せれば、簡単な手続きで入館は許可された。
王都図書館の最深部。
ホコリの匂いと、インクの重苦しい湿り気が漂うその場所で、ルーカスの指先は流れるように古い羊皮紙や紙をめくっていく。
そんなアナログな情報の海で、ルーカスの瞳だけが異質な光を宿している。
(…情報化されていないとは、何とも非効率。ですが、紙のログには 1bit 単位の『嘘』が混じりやすくて面白い)
ルーカスは隣国の貴族名鑑と、ここ数週間の社交界のログを瞬時にスキャンし、脳内で突合した。
そこで検出されたのは、致命的な「遅延」だった。
「……ふふ。馬鹿にしていますね、この国の貴族たちは」
『花嫁修業』を理由とした結婚の延期。
そんな古臭い偽装を、王都の連中は信じ込んでいるのか。
想定外のトラブルが起きている様子が紙面から伺えた。
(……受理しましたよ、リーゼ。……あなたは今も、僕があなたを奪いに来るのを待っているんですか?それとも、運命が僕の味方なのか)
図書館の静寂の中で、ルーカスの唇が微かに弧を描く。
それは、最愛の女性の献身への感謝などではない。
自分の「演算」通りに彼女が動き、再会のための「空白」を作り出していることへの、深い愉悦と独占欲の表れ。
図書館を後にしたルーカスは、そのまま冒険者ギルドの掲示板へと向かった。
騒がしい冒険者たちの喧騒を透過し、彼が指先でなぞったのは、一枚の奇妙な依頼書だ。
『癒しの小草、銀のブローチを添えて』
(……銀のブローチ。僕の手元にある『鍵』を認識させるためのバックドア)
依頼主は、ユス団長。
平民から成り上がり、属国の王女を娶った救国の英雄。……王国の「物理的な防壁」そのものである男が、あえて公的なギルドにこんな「暗号」を放り込んだ。
(……救国の英雄も、娘の『鍵』を握る男を探している、というわけですか)
ルーカスは、迷いなくギルドの掲示板から依頼書を引き剥がした。
その時、背後から騒がしい足音と聞き慣れた声が響いた。
「あれ! ここにいたのか、ルーカス!」
振り返れば、そこには『暁の金鱗』の面々がいた。カイルが満面の笑みで駆け寄り、ルーカスの肩を親しげに、そして強引に抱き寄せる。
「あぁ、カイルさん。……ちょうど良かったです。すみません、例の依頼品……ハミルトン様に、市場の定価の半分で譲ると約束してしまいました」
ルーカスは申し訳なさそうな「嘘」の貌で、眉を下げてみせた。
本来なら、分け前が減る冒険者が激昂する場面。だが、ルーカスはこの男たちの「脳内の脆弱性」を既にハッキング済みだった。
「いや、いいさ! ハミルトン様だろ? 貴族様に直接恩を売れるなら、安売りした甲斐があるってもんだ!」
カイルが豪快に笑い、さらにぐい、とルーカスの肩に力を込める。
「それに……また稼がせてくれるだろ、お前は。俺たちにはお前の『勘』が必要なんだよ」
(……ふふ。おめでたい人たちだ。……僕が差し出したわずかな利益に、一生繋がれていればいい。……あなたたちは、王都のゴミ掃除に使える便利な『盾』ですからね)
「それで、王都依頼はどんなものなんですか?」
ギルドを出た直後、ルーカスは「頼りになる事務官」の貌でカイルに問いかけた。カイルは苦い顔をしながら、分厚い依頼書――『王都直轄・旧式魔導回廊の定期メンテナンス』を広げる。
「これだよ。王都の地下にある、100年以上放置された旧式の魔導回廊だ。……厄介なのは、ギルドに渡された地図が古すぎて使い物にならないことだ。ギルドには実質魔物駆除だから大丈夫って言われたが、ゼノが心配性でな。まずは探索魔法を撃ちながら、過去の文献と照らし合わせてマッピングするところから――」
「あれ。この地図、さっき僕、見ましたよ。図書館で」
「は!?」
カイルが間抜けな声を上げるのと同時に、ルーカスの脳内では図書館でスキャンした「地下配管の真の仕様書」が、カイルの持つ「不完全な地図」の上に 1bit の狂いもなくオーバーレイされた。
「ええ。過去の都市計画議事録38巻、たしか……地下3階の換気口から回り込めば、魔物の密集地帯を完全にスルーして、最奥の供給コアまで最短パスでログインできるはずです」
「お、おい、マジかよ……!?」
「僕の『勘』を信じてくれますか? カイルさん」
ルーカスの微笑みに、カイルたちは抗えるはずもなかった。
彼らにとっての「難関クエスト」は、ルーカスにとっては「答え合わせ済みの試験」に過ぎない。
(……ふふ。地下回廊のコアを現地解析できれば、王都の魔力系統の解析に繋がる。僕のバックドアを仕込むことだって。……ついでに、ユス団長が重視する『王都の守り』の脆弱性もスキャンさせてもらいますよ)
「あ、あぁ。じゃぁ、準備して出発しちまうか?」
カイルが気の抜けた声を出す。だが、ルーカスは既に装備品の最適化を開始していた。
「通常回復薬だけではなく、麻痺と毒対策も要りますね。……それも、かなり強力なものを」
「なんでだ? 依頼書には『物理的な魔物の排除』としか書いてねえぞ」
カイルが首を傾げる。ルーカスは、図書館でスキャンした「王都新聞のアーカイブ」の 1bit を呼び出した。
「三年前、回廊のちょうど真上にあたる地区で、原因不明の毒ガス事件がありました。……地下の亀裂から漏れ出した魔力の腐敗ログだ。原因不明と処理されていますが、場所が回廊の排気ダクトと完全に一致しています。……中には、毒を好む変異種が溜まっているはずですよ」
「……あ、あぁ」
カイルたちが絶句する。
彼らが「運」や「力」で突破しようとしている場所を、ルーカスは既に「論理」で解体済みだった。
「準備ができ次第、ログイン(出発)しましょう。……半日で終わらせて、その後は『僕の依頼』の件がありますから」
(カイルさん、そんなに驚かないでくださいよ。……僕があなたの『盾』に、最高のデバッグ(装備)を施してあげただけなんですから)
王都の地下、100年の沈黙を守る旧式魔道回廊。
湿った空気の中に、魔力の腐敗臭と古い排泄物の匂いが混じり合う。
出会い頭の猛毒の魔獣は、事前対策により難なく駆除された。
「すごい匂いだ。……本来は下水道と避難経路を担っていたんでしょうね。……パージ機能が停止しているせいで、処理しきれないログ(残滓)が溜まっている」
ルーカスは壁面に刻まれた、煤けた魔道回路に指を這わせた。
彼の指先がなぞるたびに、埃に埋もれていた回路が淡い光を帯び、古いシステムの構造が脳内に 1bit 単位で読み込まれていく(ロードされる)。
「.....その回路,生きてるのか?」
ゼノが訝しげに問う。
「そのゼノさんが身につけてるマントの、防毒陣と似たような波長を感じません?」
ルーカスの指さす場所に、ゼノはそっと手を触れる。
「.......これは」
彼は手のひらの確かな旧式魔法陣の弱い拍動を感じていた。
「汚物処理そのものも、この回路が担う設計だった、と。僕の勘が囁いてますよ。……実に、合理的ではない。ねぇ、ゼノさん。これ、どっかの回路が詰まってる匂いがしません?」
「.....言われてみれば...」
ルーカスの誘導に疑問を持たず、ゼノは回路解析に集中する。
「おい、見ただけでわかるのか? 俺たちにゃ、ただの不気味な模様にしか見えねえぞ」
カイルが松明を掲げ、不気味な影が揺れる壁を睨む。その横で、ルーカスは「善良な講師」のような微笑みを浮かべた。
「ほら、そんな匂いじゃないですか。腐敗した魔力が、処理を求めて回路に滞留している匂いです」
「.....確かに、ただの汚泥の匂い以外に何か混ざってるな」
ゼノが同意する。
「ゼノさん、力押ししたら行けそうな気がしません?」
「......大元の出力低下を感じるな」
ゼノが回路を触りながら答える。
「……カイルさん、ガラムさん、あと3歩下がってください。……今から、この『詰まったシステム』を強制終了しましょう。ゼノさん、水系魔法発動する要領で、魔力流してくれません?出力は70%……時間は2.4秒。……行きすぎたら止めます」
「あ、あぁ」
ゼノが指先から魔力を回路に流し込む。
直後、眠っていた回廊が、不協和音のような駆動音を上げ始めた
「うお!? なんの音だ! 地響きか!?」
カイルが抜剣し、震える壁を背に周囲を警戒する。沈黙を破り、地下回廊という名の巨大なハードウェアが、唸りを上げながら「目覚めて」いく。
「依頼達成条件はコアの確認らしいですが……。ははっ、いっそ起動したほうが早いでしょう?魔物も流れますし」
「お前っ!! 魔術師だったのか!?どうやって解析を……!」
「いいえ? 僕は魔術なんて使えませんよ。やったのゼノさんじゃないですか。……止まっていた回路の接続がゼノさんの魔力で繋がって、蓄積されていたゴミが流れてるだけですよ」
ルーカスは、駆動音に包まれながら淡い笑みを浮かべた。
彼の指先がなぞった回路は、今や王都の地下を巡る血管のように脈動し、停滞していたエネルギーを「パージ」し始めている。
「……ところでカイルさん。この依頼、五年前に失敗しているそうですが、見ましたか?表向きは『魔物駆除成功』で処理されてますが」
「え? そんなのどこにあったんだ?」
「ギルドに置いてあった、ここ10年の未達成依頼一覧ですよ。……資料は隅々まで読むものです」
カイルの顔から血の気が引いていく。システムの駆動音が、今や「捕食者」の咆哮のように響いていた。
「……ちなみに未達成理由は……?」
「請負人の消息不明。……おそらく、不運にも『処理すべきゴミ(ノイズ)』として、当時のシステムにデリートされたんでしょうね。こうやって」
「……っ!! まさか、この音は……!」
「……ふふ。死にたくなかったら、僕が今から作る『安全なセクタ』から 1bit もはみ出さないでくださいね? カイルさん。このラインから、一歩も動かないでください」
ルーカスが片手で冷徹に境界を示す。
その直後、回廊の壁面全体が白銀の光を放ち、凄まじい熱量が通路を駆け抜けた。
「ギャァァァッ!?」
闇に潜んでいた魔物たちが、断末魔を上げる暇もなく光の奔流に飲み込まれ、1bit の残滓も残さず蒸発していく。
カイルたちは、ルーカスの示した「安全な空白」の中で、腰を抜かしながらその光景を見守るしかなかった。
「これ、コア確認の中枢部で作動させたら、逃げ場がないでしょうね」
ルーカスは、光に照らされながら無機質な声で分析を続ける。
死の光が吹き荒れる中、彼だけは散歩でもしているかのように、壁の回路を指先で愛撫していた。
「……本来の操作盤は、地上にあると推論できます。わざわざ地下に降りて操作させるなんて、保守のコストを考えれば非効率極まりない。……5年前の方々は、その『仕様』に気づけなかったんでしょう」
ルーカスの脳内には、最深部へ行かずとも、再起動した回路を通じて「王都全域の魔道波長」が次々と流れ込んでくる。
(……ふふ。お疲れ様でした、カイルさん。……これで依頼は完了です。……ついでに、王都の喉元に僕の『糸』を繋ぎ終えましたよ)
ルーカスは壁に冷たく白い手を当て、脈動を始めた魔道回路の深部へと意識をダイブさせる。
そこから流れ込んでくるのは、設計思想の綻びと、何層にも積み重なった「強制起動ログ」のデータだった。
(……本来の管理人がいるはずですが、制御できていない。……いえ、あえて管理を放棄して、数年おきに冒険者を生贄として放り込み、防衛システムを強引に作動させていた……といったところですか)
王国の「下水処理」という名のOSが、外部の使い捨てパケット(冒険者)の命でパッチを当てられている。
その事実を 1bit 単位で受理しながら、ルーカスは「善良なポーター」の声色でカイルを振り返った。
「あ、カイルさん。浄化が終わって、水路に魔石が落ちていますね。……ノイズがパージされた後の純粋な結晶だ。拾って帰りましょう。これだけの量なら、定価の半分でハミルトン様に譲っても、十分な利益になりますよ」
「……あ、あぁ。そうだな……。お前、本当に……」
カイルは、先程までの死の光への恐怖を、目の前の「魔石」という物理報酬に上書きされ、思考を停止させた。
彼らにとってルーカスは、もはや「幸運の女神」などではなく、自分たちの命を 1bit 単位で管理する「絶対的な管理者」になりつつあった。
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「今日の業務は終わりだ。これから軍事訓練なんでね」




