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第2話 管理された聖域と、銀の鍵

リーゼちゃん、危機意識薄くていい子ですよね。

ルーカスは、アリサが屈託なく笑い、リーゼがその笑顔に心底喜んでいるのを見て、胸の奥に「なぜか嬉しい」という演算不能な感情の波を感じた。その感情は、結界安定値とは無関係の、新しいノイズだった。


(……非効率だ。母の笑顔によるエンドルフィン分泌を、僕の脳が共鳴シンクロしてトレースしている。これは個体としての独立性を損なうバグのはずだ)

そう理屈をこねながらも、彼は自らの指先が、いつもよりわずかに熱を帯びていることに気づいていた。

20歳の彼はまだ、その熱が【奪われた時にどれほどの凍土に変わるか】を知らない。


「ルーカス、ほら、もっと食べなさい。リーゼさんが丹精込めて焼いてくれたのよ」

母アリサが、悪戯っぽく、ルーカスの口元にパイの欠片を差し出した。


「……自分で行います。母さん、そういう過保護なプロトコルは卒業したはずだ」

そう言いながらも、彼は拒絶できない。

差し出されたパイを口に含む。


甘い。

暴力的なまでの、平穏な甘さ。


「……糖分過多です。ですが、活動エネルギーとしての吸収効率は悪くない」


「あはは! ルーカスって、本当に素直じゃないんだから!」

リーゼが顔を赤らめながら笑う。その瞳には、すでに【この家族という聖域の一部になりたい】という、あまりにも純粋で強欲な「受理」の意志が宿っていた。


その様子を、父ギルベルトが満足そうに見つめている。

彼は知っていた。

自分の息子が、その強大な竜の力を「破壊」ではなく「維持」に、誰かを「殺す」ためではなく「笑わせる」ために使おうとしている、その尊い「算段」を。


「リーゼさん、今夜は泊まっていきなさいな。外はもう暗いし、ルーカスの部屋の隣が空いているわ」


「えっ! いいんですか!? アリサさん、大好き!」


「……母さん!? 客室の清掃コストと、防衛結界の権限設定の書き換えにどれだけの手間がかかると――」


「いいじゃないか、ルーカス。効率よりも『楽しい』が優先だ。これが、お前の言う『資産価値』の向上だろう?」

ギルベルトが肩を叩く。

ルーカスは、呆れたようにパイの最後の一片を飲み込んだ。


リビングに満ちる、家族の笑い声。

その全てが、20歳のルーカスにとっては、自らの命を賭して守るべき「完璧な方程式」だった。

「……了解しました。今夜の居住権を承認(受理)します。……ただし、明日の朝食の片付けは手伝ってもらいますよ、リーゼ」


「ええ、喜んで!」

窓の外には、静かな星空。


客室の埃を払い、シーツを整える。

かつて母を救うために師匠から授けられた「効率」という名の剣が、今はリーゼという名の「ノイズ」を迎え入れるための、滑稽なまでの家事プロトコルに費やされている。


(……非効率だ。客人のために、なぜ僕が0.1ミリのシワまで気にする必要がある。演算回路がリーゼという変数の処理にリソースを割きすぎている)


「ぐるぐる」と空転する思考を、ジジ、と通信機の起動音が邪魔をした。


「ルーカス、新しい個体の発生(出産)以外での許可申請は珍しいな? 母体(アリサ)の周囲に、想定外の生命波形が混入したことを検知している」

薄暗い工房の隅に、ノイズと共にホログラフが立ち上がる。


紺色の軍服。深く被った軍帽。

表情は伺えない。

ルーカスが生まれた時からの、いや、父ギルベルトが母ライラに出会った時からの因縁。

師匠たる執行官。


「……客人です。母の精神衛生(HQ)安定のために、一晩の滞在許可を申請します」


「そうか。……計算上、その騎士ノイズに脅威はない。むしろ、家族の『平和の総量』を一時的に押し上げる触媒ギフトとして機能するだろう。許可する」


「……ありがとうございます。師匠」

ルーカスは、ホログラムに向かって深々と頭を下げた。


彼にとって執行官は、自分という「不完全な息子」に、家族を守るための力を授けてくれる慈愛に満ちた導き手(師匠)。

だが、師匠の第一目的は「観測データ(アーカイブ)」。

全ては来る日の執行猶予でしかないのをルーカスは知っていた。



師匠への感謝という名の、無言の従属。

師匠からの「お墨付き(許可)」を得たことへの、安堵を感じた。


ホログラフがノイズと共に消滅し、薄暗い部屋に静寂が戻る

ルーカスはホログラムの消えた空間をしばらく眺め、再びシーツを整える作業に戻った。


「計算上、脅威はない……か」

だが、ルーカスの胸の奥で「ぐるぐる」と渦巻く演算は、もっと卑近で、もっと生々しい「困惑」を弾き出していた。


客室の埃を払い、予備のシーツを広げる。

なぜ自分が、見ず知らずの女騎士のために、こうして「場所」を作っているのか。


母が喜ぶから?

家族の平穏指数が向上するから?

それとも、あの白銀の鎧を脱いだ彼女が、自分の「理知的な瞳」に救いを見出した、その情動の揺らぎに、自分もまた「受理」を求めているのか。


(……非効率だ。清掃作業に、これほどの情緒的コストを割く必要はない)

彼は無機質に、事務的に、枕の位置を1ミリ単位で調整した。


そこへ、扉を叩く音。


「ルーカス? お掃除、手伝うわ!」

リーゼだ。鎧を脱ぎ、母アリサから借りた「ソリチュード家の日常着」に身を包んだ彼女は、騎士団の威厳を脱ぎ捨てた、ただの眩しい20歳の女性だった。


「不要です。完了しました。……あなたの滞在は、師匠――外部ネットワークの管理権限者にも承認を得ています。明日までは、ここがあなたの『聖域セーフティ』だ」


「シショウ……? 師匠ね!剣の師匠がいるの!?よくわからないけど、ありがとう! ルーカスって、本当にマメなのね」

リーゼが客室に入り、ルーカスが整えたばかりのベッドに腰を下ろす。


その瞬間、部屋の空気が一変した。

石造りの冷たい壁、鉄と魔力の匂いがする工房の片隅。そこに、「リーゼ」という名の、あまりにも健康的な「生命のニオイ」が満ちていく。


「……夕飯は1800。母が待っています」

逃げるように客室を後にしようとしたルーカスの背中に、リーゼの声が届いた。


「ねえ、ルーカス。あなたの『師匠』って、どんな人なの?」

ルーカスは足を止めた。


脳裏をよぎるのは、軍帽の下で青白く発光する、あの無機質なホログラフ。

母さんを、家族を、観測し続ける執行官。


「……気さくな方ですよ。僕に、『効率』と『生存』を教えてくれた人だ」


嘘ではない。


だが、その言葉が、リーゼの瞳には「尊敬すべき師を持つ、若き天才」という、さらに輝かしいフィルターとして受理されてしまう。

リビングに戻れば、母アリサの弾んだ声と、父ギルベルトの豪快な笑い声。

ソリチュード家が、夕陽の差し込む食卓で「幸せ」を謳歌している。


ルーカスは、その光景の隅で、自らの演算回路をフル稼働させていた。

この幸せを、一秒でも長く。

このニオイを、一滴も損なわずに。


師匠の「許可」という檻の中で、彼は自らが「全能の守護神」であるという、最も甘美な錯覚を「受理」した。

幸せな夕食の時間が、家族の歴史に刻まれていく。



翌日も、朝からリビングは場違いなほどに賑やかだった。

昨日までの「鉄と魔力」の静寂が嘘のように、リーゼの快活な声が、朝食の湯気と共にソリチュード家の結界内を弾んでいる。


「リーゼさんは、どうしてこの国へ?」

母アリサが、焼きたてのパンを並べながら優しく問いかけた。


「父がこっちの魔獣生態を研究してこいって。……あと、まぁ、『遊んでこい』って父が。あー、正直に言います。母が『自分が選んだ相手と結婚しろ』って煩くて。それで、その、ちょっと想定外の事態で、付けてくれた護衛を失っちゃいましたけど」

リーゼは、パンを頬張りながら悪戯っぽく笑った。

婚約という名の「檻」から逃げ出し、自由を求めて国境を越えた彼女にとって、この不法滞在じみた放浪こそが、人生で初めて手に入れた「自分の意志」だった。


「あら。それは困ったわね。今はどうしてるの?」


「とりあえずギルドに申請して、長期契約を受けてくれる人待ちです。今は日雇いで凌いでいます。父がお金を向こうから振り込んでくれるので、生活には困らないんですけど……」

ルーカスは、その会話を背中で聞きながら、揚水機の最終調整を行っていた。


(……婚約破棄、あるいは逃避行。護衛の喪失は計画的か、あるいは実力不足か。いずれにせよ、この個体の「背後」には巨大な利権と、それを追う追跡者の影がある)

彼の演算回路は、リーゼの明るい声の裏側に潜む「リスク」を即座に弾き出していた。

だが、そのリスクを「排除キル」ではなく、「どうすれば彼女がここで笑い続けられるか」という【維持メンテナンス】の方向で処理し始めている自分に、彼はまだ気づかない。


「……日雇いなど、効率が悪すぎる。あなたが先日のような不手際で『ノイズ』になれば、この森の資産価値が下がる」

ルーカスは、工具を置いて振り返った。


「リーゼ。……ギルドの返答があるまで、僕があなたの『長期契約(護衛)』を受理しましょう。ただし、代金は母さんの夕飯の手伝いと、僕の素材採取の運搬。……それで、計算は合いますか?」

「えっ! ルーカス、本当!? やったぁ!」

リーゼが弾かれたように立ち上がり、ルーカスの手を取る。


その熱。

その光。


リビングの隅で、アリサとギルベルトが顔を見合わせ、満足そうに頷く。


ルーカスの世界に,今までにない光が食い込んでいった。


朝食後、昨夜の「居住権の承認」を盾に取るかのように、リーゼは当然のような顔でルーカスを散歩へと連れ出した。


「ルーカス、こっち! この森、空気がとっても綺麗ね!」


「……非効率な歩法です。そのルートは傾斜が大きく、演算(データ)が推奨する散歩コースの熱量消費効率を下回る。こっちの獣道を使えば、0.8倍の歩数で外郭結界まで到達可能です」

理屈を並べながら案内するルーカスの横で、リーゼは楽しそうに笑っている。

ふと、彼は昨日の「事態」を思い出し、問いかけた。


「……昨日は。護衛はどうしたんですか。あなたは貴族階級、あるいはそれに準ずる資産価値を持つ個体のはずだ。護衛の喪失は死活問題でしょう」


「え? あはは、あの子たちは町で待機させてるわ。だって、ルーカスのところへ行くんだもの。あなたがいれば、護衛なんて要らないかなって」


「…………」

ルーカスは足を止め、思わず頭を抱えた。


(……致命的なセキュリティ意識の欠如だ。僕の戦闘力を正しく算出できているわけでもないのに、何を根拠に『要らない』などと。……いや、そもそも僕をそこまで無条件に『受理』しているのか?)

計算不能なノイズが、彼の脳内で「ぐるぐる」と渦巻く。

このままでは、彼女が町へ戻る道中で、別の「ノイズ」に捕まり、ソリチュード家の平穏が物理的に脅かされる可能性がある。


「……理解不能です。あなたの安全管理プロトコルは破綻している。……帰りは送ります。それと、これを持っていきなさい」

ルーカスがポケットから取り出し、リーゼの掌に押し付けたのは、一見するとただの銀のブローチだった。だが、その内部には帝国の最新鋭機さえ凌駕する、高密度の魔導演算回路が組み込まれている。


「何これ、可愛い!」


「……可愛い、ではありません。僕が構築した、超広域空間転移の座標指定デバイスです。来る時は、魔力を込めてここを押す。これで知らせてください。……この世界の一般的な魔導士では解析不可能な、僕専用の暗号化通信を用います。……護衛よりは、効率的にあなたの命を維持できるはずだ」

自分の力を見せびらかすつもりはない。

ただ、彼女がこの家に来る道を、誰にも邪魔させたくなかった。

「効率」という名の、あまりにも重すぎる贈り物。


「ありがとう!」

その笑顔は、ルーカスには眩しすぎた。


帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「帝国国籍がない?なら移民か。まぁ、許可しよう」

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