第11話:唇の受理と駆け落ちの棄却
兵は神速を尊ぶ。
欲しいものがあれば全力で。
その夜、侯爵邸の優雅な晩餐は、物理的な「闇」によって唐突に終了した。
「な……なんだ!? 灯りが消えたぞ! 給仕、何をしている!」
脳筋の侯爵が怒鳴り声を上げるが、返ってくるのは静寂ではない。
屋敷を取り囲む、数百の鉄靴が刻む「死のビート」だ。
バチバチと魔力結界が断ち切られる音が鳴り響く。
ドゴォォォォン!! と、正面玄関が法的な強制力(物理)によって粉砕された。
松明の炎に照らされて現れたのは、ユス団長率いる重装騎士団。そして、その傍らで「査察官」の冷徹な貌をしたハミルトン伯爵。
そして。
松明の逆光を背負い、砕け散った玄関の残骸を踏み越えて、その「無機質な黒髪の青年」が、静かに、しかし絶対的な存在感を伴って執務室へと滑り込んできた。
ルーカスは、手首に隠した「竜の鱗」が放つ異常な熱を、冷徹な理性のパッチで抑え込んでいる。
その瞳は、もはや事務官のそれではない。
獲物を 1bit の狂いもなくデリートしに来た、死神の検索エンジン(サーチ・エンジン)だ。
「……お食事中、失礼します。侯爵様」
「な……ユス! ハミルトン! 何の真似だ、不法侵入だぞ!」
「不法なのは、貴公の『家計』の方だ、侯爵」
ハミルトンが、書類を、まるで処刑宣告のように突き出す。
「魔導回廊からのエネルギー横領、それに伴う国家インフラの損壊、及び公金横領の疑いだ。……今この瞬間をもって、貴公の全爵位、全資産を凍結する。……逆らうなら『国家反逆』として、ここで処分するが、どうする?」
「なっ……バカな、そんな証拠が、どこに……!」
ルーカスは、パニックに陥る侯爵をちらとも見ることなく、スキャナで特定済みの「北西の塔」へと視線を向けた。
そこには、自分を縛り付けていた鎖(婚約)が、物理的に引き千切られる瞬間を待っているリーゼがいるはずだ。
「……さあ、ハミルトン様。……ゴミ(侯爵)の処理は、お任せしました。僕は、僕の『私物』を回収しに行きます」
「あぁ、ここは私が受け持とう!」
ハミルトンは快く答えた。
彼の目にはもう、侯爵家排除後の権利分配しか見えていない。
(さぁ、あと少しですよ、リーゼ。邪魔するものは、1bit も残さず、物理的にデリートして差し上げますから)
ハミルトンの宣告という名の「轟音」を背に、ルーカスは音もなく歩き出した。
怒号と悲鳴が響き渡る階下を、侍従や侍女たちが右往左往している。
そこを、ルーカスは振り返ることなく駆け抜けた。
向かうは、魔力の澱みが最も濃く、最も不潔に凝固している北西の塔。
ユス団長すら、法的手続きと騎士団の指揮という「ノイズ」に捕らわれている今、この場所へ一番にログインできるのは、誰よりも速く演算を終えたルーカスだけだ。
混乱する衛兵も、泣き叫ぶ給仕も、彼の視界には 1bit も入らない。
ルーカスは最短距離を計算し、障害物を「排除」し続けた。
(……リーゼ。……そこにいるんですね)
「……そこ、どいてください。……邪魔ですよ」
行く手を阻もうとした侯爵の私兵に対し、ルーカスは事前に魔法陣を吹き込んでおいた「小さな魔石」の一つを無造作に放り投げた。
物理的な衝撃波が廊下を駆け抜け、「物理的なデバッグ」が完了する。
閃光と音を主体としたそれは、命は奪わないまでも戦闘不能に陥らせた。
「な……貴様、何者だ! その服装、事務官ではないのか!?」
「……事務官ですよ。……ただ、少しだけ『独占欲』が強いだけのね」
衝撃を免れた「幸運」な私兵に、ルーカスは腹部へ魔力を込めた殴打をして排除する。
「....このくらい、不自然じゃないですよね?」
螺旋階段を駆け上がる足音が、等間隔のクロック刻みのように塔内に響く。
魔力の澱み——それは侯爵家がリーゼを縛り付けるために張り巡らせた、卑劣な結界の残滓だ。
(……はは。不潔で脆弱なセキュリティ(結界)ですね。……僕の演算を 1bit でも止められると思ってるんですか?)
ルーカスは、手首の鱗が放つ熱を心地よく感じながら、北西の塔の最上階……リーゼが閉じ込められた「不潔な檻」の前に立った。
そこには、リーゼを縛る婚約の象徴である、重厚な、行く手を阻む石扉。
ルーカスは足を止めることすらしない。
手首の「竜の鱗」から漏れ出す異常な熱量を、そのまま右手に集束させた。
バキンッ!!
物理法則を無視した破壊音が、塔を震わせる。
鍵も、蝶番も、侯爵家の権威も。
すべてが「エラーログ」として粉砕され、煙の中に消えていく。
「...まったく。荒事は苦手なんです」
ルーカスは、その瓦礫を無造作に踏み越えた。
「……お待たせしました、リーゼ。……随分と、ひどいバグ(魔力酔い)を植え付けられましたね。不自由な回路、今ここで引き千切ってあげますから」
高濃度魔力の霧の中に横たわる少女は、既に自浄作用を失い、システムダウンの寸前だった。
ルーカスは、彼女を抱き起こすと、その青白い唇に自分の顔を近づける。
(……『月の涙』の成分、僕の体内に 1bit 分だけ残留させておきましたから。……直接、流し込んであげますよ)
[TIME: 000000262933:0314:380] STATUS: EMERGENCY_DEBUGGING_START
[TIME: 000000262933:0314:381] METHOD: ORAL_RESOURCES_TRANSFER (KISS)
[TIME: 000000262933:0314:383] LOG: "LIESE_SYSTEM_REBOOTING"
重なり合う唇を通じて、ルーカスの中に蓄えられた「特効薬」が、リーゼの壊れかけた回路へと強制的に流し込まれる。
それは「救済」の形をした「侵食」。
毒が抜けるとともに、彼女の意識の奥底には、自分を繋ぎ止めたルーカスの熱が、消えないログとして刻まれていく。
「……ん……っ……」
眠れる森の美女が、演算を再開し、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
その瞳に一番に映ったのは、王国の英雄でも、愛する父でもない。
自分を略奪しに来た、冷徹で美しい「簒奪者」の微笑みだった。
「………ルー、カス…………?」
リーゼの瞳に光が戻る。急激に流し込まれた清浄な魔力が、彼女の回路を焼き焦がしていた毒素を 1bit 残らず中和していく。
「……おはようございます、リーゼ。……この屋敷は、今さっきシャットダウン(滅亡)しましたよ。……さあ、もう少し中和を」
「えっ...あっ!?」
ルーカスは、彼女の震える肩を抱き寄せたまま、一切の動揺を見せずにその「処置」を終えた。
「急性症状で良かったです、リーゼ。……王妃様のように慢性化(固定)していたら、こんな手軽な方法ではリブートできませんでしたから」
「え、あ……手軽……?」
「ええ。事務的な処置ですよ」
ルーカスが冷徹に、しかしどこか独占的な愉悦を込めて微笑んだその時。
扉の外から、荒々しい足音とともにユス団長がなだれ込んできた。
「リーゼ!! 無事か!!」
だが、英雄が見たのは、自分の娘を抱きかかえ、その唇を拭いながら平然と立ち上がる青年の姿だった。
屋敷の魔力供給が断たれた暗闇の中、ルーカスの琥珀眼だけが、月光を反射して不気味に、そして美しく発光している。
「お義父様、ようやくログイン(到着)ですか。……ご心配なく。リーゼ様の『急性バグ』は、僕が直接、責任を持って処理しておきましたよ」
ユスは、娘の命が救われた安堵と、目の前の男の「得体の知れない特異な有能さ」への恐怖で、一歩も動けなかった。
砕かれた石扉の残骸が、月光を浴びて鈍く光っている。
「……ルーカス……どうして、ここに……?」
魔力酔いから覚醒し、視界のノイズが晴れたリーゼが、自分を抱きかかえる青年の名を震える声で呼んだ。
「あなたが危ないと知って、僕が何もしないと思ったんですか?」
「……え……」
「あなたの体調不良は、侯爵家の魔力横領に伴う『変性魔力酔い』が原因だった。……そうですよね? お義父様」
ルーカスは、背後で立ち尽くす王国の英雄を、声だけで牽制した。
「……あぁ」
ユス団長は、苦虫を噛み潰したような顔で、辛うじて肯定のログを返す。
自分の娘の命が、目の前の「たかがポーター」と見なしていた男の、圧倒的な知能と独断によって繋ぎ止められたという事実に、それ以上何も言えなかった。
「お父様? ……え? ルーカス、なんで……いつのまに父と……? でも……」
リーゼの瞳に、再び絶望のパッチが当たりかける。
「……私の婚約者は失脚した、のね?けれど、私は『政治的資源』よ。……この家系が失脚しても、また次の『政略』という名の不条理な縁談が降ってくるわ」
震える手で、リーゼはルーカスの服の裾を、唯一のライフラインのように掴んだ。
「……お願い、ルーカス。……このまま、誰も知らない場所へ……一緒に駆け落ちしましょう!」
「リーゼ!?」
ユス団長の驚愕の声が、静まり返った塔内に響き渡る。
だが、ルーカスは、その胸元に縋り付く彼女を抱き寄せたいという、システム外のノイズ(衝動)を 1bit 単位で抑え込み、冷徹な理性の檻の中から淡々と告げた。
「……それは、最も非効率な選択です、リーゼ」
その声は、甘い囁きなどではなく、冷たい数式のように彼女の脳内に響いた。
「駆け落ちという名の『逃亡』では、あなたの人間としての『価値』も、未来の『安全』も、永続的に保証できません。……僕は、そんな不確かな手法は受理しません」
「……っ……でも……」
「……リーゼ。僕は、あなたを『正当』に手に入れます。システムそのものを書き換えて、あなたが僕以外を愛する必要がないほどの完璧な『正解』を、僕がこの手でビルド(構築)して差し上げますから」
その宣言は、愛の告白というよりは、世界の再定義だった。
絶望に濡れたリーゼの瞳に、自分を支配し、救済し、そして「所有」すると言い切った彼の貌が、消えない焼き付け(バーンイン)となって刻まれる。
「正当に……?」
「ええ。今はただのポーターです。……ですが、システムに『僕が貴族であるべきだ』と認めさせればいいだけの話ですよ。……お義父様、あとはお任せしました」
「.....ルーカス..?」
ルーカスは、彼女の額に一度だけ、事務的な検温(処置)を装った指先を触れさせた。
その指先が震えていたことに、誰も気づかない。
彼は一歩も振り返らず、勝利を確定させたチェスプレイヤーのような足取りで、瓦礫の塔を後にした。
「……っ、ぐ……っ!?」
屋敷の影、月光も届かない路地裏に入った瞬間。
ルーカスの膝が、物理的な限界を叩き出して地面に砕けた。
「……はぁ……っ、は……ふ、っ……」
熱い。
全身の皮膚の下で、「竜の鱗」が皮膚を突き破らんばかりに脈打ち、肉を焼き焦がしている。
視界は 1bit ごとに白濁し、肺に吸い込む空気すら発火しそうな熱量を帯びていた。
(…………見られなくて……よかった……)
移動魔法を起動する精神力すら、さっきの「物理的デバッグ」で使い果たしている。
ルーカスは、壁を支えに這い上がる。
一歩、また一歩。
宿までの距離が、果てしない演算の連なりのように感じられた。
だが、その瞳に宿る琥珀の光だけは、消えていない。
「……リーゼ、君は……こんな僕でも……受け入れてくれるか?」
湿った夜気に溶け出したのは、無敵の事務官(管理者)とは思えない、あまりに無防備で気弱なクエリ。
自分が人間ではない「何か」であるという恐怖。その正体を知った彼女の瞳に、軽蔑や恐怖が走る未来を 1bit 単位でシミュレートしてしまった絶望。
(……はは。くだらない。……そんなこと、手に入れてから考えればいい)
次の瞬間、ルーカスは自嘲気味に笑い、その迷いを無理やりデリートした。
嫌われようが、怖がられようが。
システムを書き換え、外堀を埋め、逃げ場を失くして、彼女を自分のディレクトリ(手元)に固定してしまえばいい。
(――その後に、いくらでも絶望すればいい)
ルーカスは熱に浮かされた瞳で、夜の空を睨みつけた。
次のターゲットは、鉱山の竜。
自分の「正体」を隠すための仮面(爵位)を剥ぎ取りに行く、最短攻略(RTA)の始まりだった。
(……待ってろ、リーゼ。……次は、竜を狩って、あなたの隣の『椅子』を奪い取ってやる……)
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「鱗の偽装?ここではいらんだろ」




