第10話:強制執行
書類整理は大事です
騎士団演習場を出たルーカスの視界は、過負荷寸前のスキャナのように、端からチリチリと白く焼き切れていた。
地下回廊での激闘、回廊魔力回路解析、多量の魔石回収、そして英雄ユスとの精神的ハッキング。
常人ならとっくにシステムダウンしている負荷が、青年の細い体を蝕んでいる。
だが、乱れた呼吸の合間に覗く瞳は、濁るどころか、獲物を視界に捉えた猛禽のように研ぎ澄まされていた。
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[TIME: 000000252333:0455:382] STATUS: EXTERNAL_GUI_CORRUPTION
[TIME: 000000252333:0455:432] ALERT: PARTIAL_DRAGON_ROOT_ACCESS
ハミルトンの屋敷へ向かう。
一歩踏み出すごとに、奥歯が軋む。
神経系はとっくに悲鳴を上げているが、脳内回路は「リーゼ」という名の単一コマンドに占有(占領)され、シャットダウンを拒絶していた。
(……くっ、脳が……焼けるっ…………)
ルーカスは、頭髪に隠れた小さな「片角」が、皮膚を突き破らんばかりに熱を帯びているのを感じていた。
感情の高ぶりに同期して偽装が崩れかけ、手首に露出した「竜の鱗」が、剥き出しの回路のように鈍い光を放ち始めている。
それでもルーカスは、それを気力で抑え込んだ。
門番に難なく通された執務室。
ハミルトン伯爵は、山積みの紙を前に、焦燥という名のノイズを撒き散らしていた
「ハミルトン様、ちょっと宜しいですか」
「あぁ、ルーカスくん! すまない、今ちょうど書類が立て込んでいてね。不備が多くて……少し待ってくれ」
ルーカスは「善良な事務官」の貌で、そのデスクの隣に滑り込む。
「あ、お手伝いしますよ。……ハミルトン様、この帳簿、三ページ前の収益と数値が 12bit……いえ、数%ほどズレています。ここをこう修正して……あぁ、こちらの陳情書も、前例と照らし合わせれば一文で却下できますね」
「……は!? お、おい、そんな速さで……!」
羽ペンが紙の上を滑る音だけが、等間隔のクロック刻みのように響く。
ルーカスが手に取る書類は、次々と「最適化(処理)」され、完了のトレイへと積み上げられていく。
「……はい、終わり(デリート)です。これで、あなたのデスクに『ノイズ』は無くなりましたね?」
ルーカスは、震える手首の鱗を袖で隠しながら、顔を上げた。
限界を超えたアドレナリンが、頬に不自然な紅潮を、そして瞳には冷徹な絶対零度の光を宿らせている。
「な、なんて速さだ……。君は、一体どういう処理を……」
驚愕するハミルトンに対し、ルーカスは懐から「ユス団長の委任状」と「ゼノによる回廊からの魔力横領陳情」を、まるでゴミでも捨てるような仕草でデスクに放った。
「雑談は不要です。……ハミルトン様、本題に入りましょう。……これを見て、あなたの強欲な脳を再起動させてください。……あなたの政敵である侯爵家が、王都の魔力を何十年も『タダ』で使い続けていたという、最高に不潔な請求書です」
ハミルトンが書類に目を落とした瞬間、その顔面から血の気が引いた。
「これ、は……! 侯爵家が都のエネルギーを……? それに、ユス卿の『全権委任状』だと!? 騎士団の指揮権の一部を、事務官の君が握っているというのか!?....しかし王都の魔力を一体どうやって……」
ハミルトン伯爵が、書類から顔を上げて絶句する。ルーカスは「教育係」のような慈悲深い、しかし冷徹な微笑を浮かべた。
「ハミルトン様、地下魔力回廊をご存知ですよね?」
「あぁ、下水道だろう? しょっちゅう詰まるから、定期的に冒険者を放り込んで掃除させている、あれのことか。……それがどうして魔力横領に」
「魔力回廊、という大層な名前の割に、ただの排水溝にしては無能だと思いませんでしたか?」
ルーカスの問いに、ハミルトンは怪訝そうに眉を寄せた。
「ん? 魔力で排水を集めて流しているんだろ? 土地に高低差があっても溜まらないように。……それ以外に何があるというんだ」
「……ははっ。ハミルトン様、それはあまりにも『不潔な誤認』ですよ」
ルーカスは、デスクの上に広げた回廊の図面の一箇所を指差した。
「本来、あの回廊は王都全体の魔道結界と排熱を管理する、都市のOS(基本盤)そのものです。……排水はその『ついで』に過ぎない。……ですが、侯爵家はそのメイン回路を勝手に分岐させ、自分の屋敷の動力源として不法に書き換えた」
「……なっ!?」
「その結果、回廊の処理能力は低下し、逆流したエネルギーが『詰まり(ノイズ)』となって、毒ガスや魔物を生み出していたんです。……ハミルトン様、あなたが『清掃費用』として演算法(予算)を組んでいた金は、すべて侯爵家の『タダの電気代』の維持費として消えていたんですよ?」
「.....そんな、馬鹿げたことを!?」
ハミルトン伯爵が驚愕に叫ぶ。
「ハミルトン様。……こちらの予算書、侯爵邸がある区画の魔石購入費用が、他の貴族街と比べて著しく少ない……いえ、ほぼ『零』であることに、不自然さを感じませんでしたか?」
「……いや、そこまでは……。ただ、管理が優秀なのだと……」
「あはははは。管理が優秀? 違いますよ。……魔石を買う必要がないんです。……本来なら国庫に納められるべき王都のエネルギーを、自分の屋敷という名の非公式サーバーに直結して、24時間365日、横領し続けているんですから」
ルーカスは、今しがた整理した書類数字を活用して「さくさく」と書き上げた一枚の書類を、伯爵の目の前に差し出した。
それは、過去数十年分に及ぶ「推定横領額」と「生贄にされた冒険者の賠償金」を 1bit の誤差もなく合算した、死神の請求書だ。
ルーカスは、それに加えて手際よくハミルトンのデスクへ添えて、「盗魔力のさらなる物的証拠」を展開した。
「……ハミルトン様。これらは侯爵家が数十年に渡って、計画的に王都というシステムに植え付けた『時限爆弾』の設計図ですよ」
1. ギルドの異常な死傷ログ:
「定期依頼の死亡率。……おかしいと思いませんでしたか? 清掃という名の演算に、なぜこれほどのリソース(冒険者の命)が消費されているのか。……彼らは魔物に殺されたんじゃない。回廊の異常排熱という名の『システムパージ』に焼かれたんです」
2. ゼノの手書き計算式(物理的脆弱性):
「ゼノさんの推論。……王都の防衛結界が、本来の出力の 15.2% も減衰している。……もし今、外部からの大規模アクセス(魔獣襲来)があれば、この都は 1bit も耐えられずに陥落します」
3. 医学書と風土病の紐付け(生理的汚染):
「『流行性の胃腸炎』。……いいえ、この医学論文の 12 ページを見てください。……これは『変性魔力酔い』の初期症状そのものだ。……侯爵家が垂れ流す排泄物が、王都の住民の健康を 1bit ずつ削り取っている」
4. 聖女セシリア様の病名(政治的暗殺):
「そして……これ。変性魔力酔いと、王妃様の『魔力欠乏症』の因果関係。……侯爵家の不法利用がなければ、王妃様はとっくに快復していたはずです。……これはもはや、王家に対する『不作為の暗殺』ですよ?」
5. 図書館の古い議事録(設計思想の蹂躙):
「最後はこれ。避難経路構想。……本来、災害時に都民を救うためのバックボーンだったはずの回廊を、彼らは『自分専用の充電器』に書き換えた。……人命救助のプロトコルを、私欲のためにデリートしたんです」
「なん……だとぉ!? あいつ、そんなことを……!!!」
ハミルトン伯爵のさらなる叫びが、書類の山を揺らす。だがルーカスは、一切の動揺を見せず、無機質な事務作業を続けた。
「……ふふ、声が大きいですよ、ハミルトン様。……計算が狂う(ノイズになる)じゃないですか」
ルーカスは、羽ペンを置き、冷え切った瞳で伯爵を射抜いた。
「……これ、今すぐに陛下へ受理させれば、侯爵家は『国家反逆罪』に相当する不当利得返還義務を負います。……当然、屋敷も全財産も差し押さえ(デリート)。……どうしますか? ハミルトン様。今なら、あなたの功績として処理して差し上げますよ?」
ルーカスは、震える手で「死神の請求書」を凝視するハミルトンに対し、とどめのパッチを流し込んだ。
「……さあ、ハミルトン様。……この『請求書』を執行する権利が今ここにあります。……騎士団には、ユス団長の『委任状』という名のパスワードを。……あなたの私兵には、『侯爵家の私有財産は、今日からあなたのものだ』という名の管理者権限を。あの屋敷には未登録の脱法魔石が積んであります。……これ以上に美味しい取引、他にあるんですか?」
ハミルトンの瞳に、恐怖を塗りつぶすような、真っ赤な「強欲」が再起動された。
「ルーカス君、君は、一体……何者なんだ……?」
ハミルトン伯爵は、書類の山と、そこに突きつけられた「侯爵滅亡のシナリオ」を交互に見て、戦慄に声を震わせる。
眼の前の少年が放つ、人ならざる威圧感に動けない。
ルーカスは、一切の不純物を含まない「無垢な事務官」の貌で、首を傾げてみせた。
「ただの事務員ですよ。……ゼノさんが回路の『バグ(不正利用)』を物理的に解明し、僕は今ここで書類の不備という名の『ログ』に気づいた。……それだけのことです」
「……あ、あぁ。そうか、ゼノか……。彼ならやりかねんが、君は……」
無理やり納得するように、ハミルトンは首を振る。
「ハミルトン様。……これだけの大手柄を差し上げるんです。……ひとつ、僕のわがままを受理していただけませんか?」
ルーカスは、さらりと、まるで明日の天気を話すような軽やかさで、爆弾を投下した。
「実は、そこの侯爵家に囚われている婚約者……僕が欲しいんです。……家系ごとデリートされる彼女を、僕の個人サーバー(手元)へ移送する手伝い、していただけませんか?」
「……は? 婚約者……? 略奪、ということか?」
「いえ、救済ですよ。……ハミルトン様、あなたは政敵を葬り、僕は『欲しかった鍵』を手に入れる。……誰も損をしない、完璧な演算でしょう?」
(……たしか彼女は、ユス団長へ嫁入りした属国王女の娘。穀物利権に関わる重要な『資産』だったな。……それを手放すのは、行政的な損失が大きすぎるか……?)
ハミルトン伯爵の瞳に、打算という名のノイズが走る。
ルーカスは、その迷いすらも 1bit 単位で予見していたかのように、涼しい顔で「追加のログ」を提示した。
「ああ、そうそう。ハミルトン様、ついでにご報告が。……最近の不作原因の一つ、湿地帯付近の毒物汚染は、道中で解消してきました。作物に甚大な被害を与えていたロック・ボアの群生地も、既に除去済みです」
「な、何だと……!? あれは騎士団でも数ヶ月かかる難題だぞ!」
「暁の金鱗の皆様が、実に優秀でしたから。……他にも、物流を阻害していた細かなバグを数点処理してあります。……どうです? 侯爵家という『腐った利権』を抱え続けるより、正常化された『穀倉地帯の収益』を受け取る方が、国庫にとっては遥かに高効率だと思いませんか?」
ハミルトン伯爵の喉が鳴った。
目の前の少年は、一人の女を救うために、王国の食糧事情という巨大なパッチを平然と用意してみせたのだ。
これを受理しない管理者は、この国には存在しない。
「……ルーカス君。……あぁ、わかった。侯爵家への弾劾と、リーゼ嬢の身柄保護……。私の権限で、最優先の『行政命令』として実行しよう」
「献上品で、第一王子のお母上……聖女セシリア様の『魔力欠乏症』の解消目処も立ったのでしょう?」
ルーカスの無機質な確認に、ハミルトンは目を見開いて硬直した。それは、彼が今最も「喉から手が出るほど欲していた」政治的実績だ。
「……ま、まさか、あの絶滅危惧種と言われた素材を……」
「ええ。最後の素材、『月の涙』の幼生も納品してきました。錬金術ギルドに指名依頼を出していたのは貴方ですよね?……調合さえミスしなければ、すぐに『パッチ(特効薬)』ができるはずです。……まぁ、依頼があればまた集めてきますが、リソースの無駄ですから一度で作成していただきたいですね」
ルーカスは、事もなげに「王家の命を救う」という巨大なログを、デスクに積み上げた書類の一番上に置いた。
ハミルトン伯爵の頭脳は、既に処理容量を超えていた。
いつしか、体はまるで謁見室で陛下に対峙した時のように震えている。
政敵の断罪、食糧問題の解決、そして王妃の救済。これら全てを、目の前の「たかがポーター」を自称する青年が、わずか数日で完遂したのだ。
「……あ、あぁ……。わかった……いや、承知した、ルーカス卿。……いや、ルーカス殿。……君の望みは全て、このハミルトンが命に代えても受理しよう」
「あぁ、良かったです。……はは、そんなに震えないでください、ハミルトン様。……僕はただ、書類の不備を見つけるのが好きな、善良な市民ですから」
ルーカスは、座っていた椅子から音もなく立ち上がった。
限界を超えた疲労で視界が 1bit 揺らぐが、ハミルトンの前では一寸の隙も見せない。
(……スキャン完了。ハミルトンの全リソースを確保。……ハミルトン家の私兵、騎士団の委任状、そして王家への貸し。……これら全ての『管理者権限』をリーゼ、あなた一人のために投入します)
ルーカスの首筋に、隠しきれない熱が走る。
首筋の鱗が、いよいよ擬装を焼き切り、その獰猛な本性を覗かせようとしていた。
「ハミルトン様。……後の事務処理は、あなたの優秀な部下たちに任せてください。……僕は、今から騎士団に向かい、団長と共に『現地』へ向かいます。……なに、ただの確認ですよ。……お嬢様を繋いでいる、その『腐った回路(婚約)』を、僕がこの手で直接、物理的に引き千切りたいだけですから」
ルーカスは、無造作にデスクに手を伸ばし、ハミルトンが署名したばかりの「行政命令書」を懐に収めた。
(……リーゼ。……貴族の不潔な欲も、王国の命運も、すべてあなたの檻を壊すための『重り』として受理しました。……今すぐ、あなたの元へ)
その背中は、もはや一介の事務官でも、ポーターでもない。
愛という名の執着を燃料に、国家というシステムを私物化して突き進む、「略奪者」そのものだった。
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「魔石?マナ貨幣で十分だろ」




