第七話 地に伏す
第七話 地に伏す
夜明け前の薄闇を引き裂くように、鋭い警報アラームが基地全域に鳴り響いた。
金属の壁を震わせる低い振動音とともに、赤色灯が規則的に点滅し、通路や居住区を血のような光で染め上げていく。
「総員、戦闘配置!」
無機質なアナウンスが何度も反復され、眠りの残滓を引き剥がすように兵士たちを現実へと引き戻した。各部隊は一斉に動き出し、格納庫へと続く通路を小さな足音が無数に駆け抜けていく。人類はかはかつてより二十分の一の大きさとなった存在――そのため巨大すぎる施設内部では、彼らの動きはまるで機械仕掛けの兵隊のように精密で、素早かった。
バグロスのコックピットハッチが開き、蒸気が白く噴き出す。
第二機体部隊が次々と搭乗を完了し、予定通りのルートへと散開していく。
予定通りでない部隊があった。
第三機体部隊。
搭乗シークエンスの表示灯は点滅し続け、同期が完了しないまま警告音を発していた。その中で、火野アキラと桜井だけが、定められた動線から外れたまま、第三居住区方向へと向かっていた。
そのときだった。
「……いやな予感が、当たっちまったな」
霧島の低い呟きが、誰に向けるでもなく漏れた。背筋を冷たいものが伝い、視線が反射的に第三居住区の外壁へと向く。
――次の瞬間。
ギ…ギギギギ……。
金属が内側から無理やりこじ開けられるような、不快な音。わずかに歪んだ壁面に、亀裂が蜘蛛の巣のように走った。
そして――
爆ぜるように開いた裂け目から、影が滑り出た。
「……軍曹……!」
小さな体躯とは不釣り合いなほど重々しい存在感。
第三居住区の壁を破って現れたのは、“やつ”だった。
軍曹。
床に音も立てずに着地すると、次の瞬間には、すでに火野と桜井の正面に立っていた。
その動きは異常なほど速い。
左右、左右――視認する前に、視界の端に残像が走る。
サイドへ高速にステップを踏みながら、軍曹はわずかに腰を落とし、両腕を構えた。臨戦態勢。
空気が張り詰めていく。まるで周囲の空間そのものが固まっていくようだった。
火野は一歩前に出て、歯を食いしばる。
「……来るぞ、桜井」
「分かってるわ……!」
桜井もまた、すぐに姿勢を低くし、神経を研ぎ澄ませた。二人の小さな体が、鋼の床をきしませながら構えを取る。
赤色灯の点滅が三人の影を歪め、壁に不気味なシルエットを踊らせる。
誰も、まだ動かない。
だが――次の一瞬で全てが始まることだけは、誰の目にも明らかだった…………。
その瞬間、月影は――“ありえない”という言葉しか頭に浮かばなかった。
本来、敵性反応は正面の破孔から侵入し、そこから誘導・迎撃する。
教範通りの動き。想定通りの流れ。
それが――第二機体部隊に与えられた、はずの役割だった。
「……後方、熱源反応……?」
オペレーターの震えた声が、インカム越しに耳へ滑り込む。
同時に、レーダー表示の端――想定外の位置に浮かび上がる赤い点。
次の瞬間。
衝撃。
乾いた破裂音とともに、バグロスの装甲に何かが叩きつけられた。
警告灯が一斉に赤へと変わり、コクピット内に甲高いアラームが炸裂する。
「ばかな……ッ!」
月影は歯を噛み締めた。
正面じゃない。
側面でもない。
“背後”からだ。
頭の中で、何度もシミュレーションした戦況の図が、音を立てて崩れていく。
あの“軍曹”――アシダカグモは、知能はなく、ただ物量と反射で動く存在のはずだった。
にもかかわらず。
待ち伏せ。
角度。
タイミング。
――完全に、人間の戦術だった。
「……知性が……ない、だと……?」
思考より先に、感情が噴き出す。
胸の奥を殴りつけるような熱。喉の奥が焼けつくような感覚。
“読まれた”のではない。
“操られた”のでもない。
ただ――自分たちが、単純に上を行かれたのだ。
機体を通して伝わる振動が、月影の身体を嘲笑うかのように揺らす。
自分の描いた戦術線、部下に叩き込んだ動線、完璧だと信じていた布陣。
そのすべてが、何の意味も持たなかった。
「……屈辱だ……」
誰に聞かせるでもなく、月影は吐き捨てる。
知性を持たないと侮った“敵”。
理性も戦意もない、それが前提だった存在。
――そのはずのモノに、“奇襲”という概念を突きつけられた。
それは敗北以上に、心を削る。
「……認めない。こんな……こんな形で……」
震える指で操縦桿を握り締める。
関節が軋み、グローブが悲鳴を上げるほどの力。
誇りを折られた感覚。
積み上げてきたものを踏みにじられた感覚。
警報音が鳴り続ける中、月影の視界は静かに、だが確実に赤く染まっていった。
ーーーーーーーーーーーーーー
第三居住区区画。
崩落したコンクリート壁の隙間から、冷えた外気が吹き込み、微細な粉塵が宙に舞っていた。
――動いたのは、同時だった。
軍曹――アシダカグモの脚が甲高い擦過音を立て、床を蹴る。
それに呼応するように、火野のバグロスがサイドにジグザグに曲がる。
「左へ……踏み込む!」
機体が滑るように横へ流れる。
床のひび割れを弾くように、火野機は左右へステップを刻みながら距離を詰めた。
両手で構えられた大型の金槌――通常のバグロスでは持てない大きさのグリップを、無理矢理両手持ち仕様に重加工した歪な武装。
機体の駆動音が一段高くなる。
「叩き潰す……ッ!」
アクセル全開によるブーストと回転トルクを乗せ、身体ごと振り抜く。
――横薙ぎ。
空気が裂ける音とともに、金属塊が軍曹の胴体側面へと叩き込まれる。
ガンッ!!
鈍く、重い衝撃音。
外殻が歪み、節足が大きく揺らぐ。軍曹の巨体が一瞬、バランスを失い、よろめいた。
手応えは、確かにあった。
だが。
軍曹は倒れなかった。
脚部を後方へ大きく蹴り出し、半歩、さらに半歩と“下がる”ことで衝撃を殺していく。
完璧な衝突軽減――まるでそれを計算していたかのように。
火野が息を呑んだ、その刹那。
脚部が、床を穿る。
「ッ……くるぞ――!」
次の瞬間、軍曹の巨体が弾丸のように突進した。
真正面からの体当たり。
回避の余裕はなかった。
衝突。
ドゴォンッ!!
装甲と外骨格が激突し、衝撃波が空気を震わせる。
火野のバグロスは紙片のように吹き飛ばされ、床を削りながら十数メートル横滑りする。
火花が散り、装甲が擦れ、轟音が廊下に反響した。
「……ッ、まだ……!」
スラスター逆噴射。
膝部ブレーキとサイドブレーキを強引に作動させ、火野機はなんとか体勢を立て直す。
足元のコンクリートが砕け、粉塵が舞い上がった。
その間にも、後方から爪楊枝が放たれる。
――桜井ユヅキの援護射撃。
乾いた発射音。拡散しつつ連射される爪楊枝。
粉塵の中を切り裂くように弾道が走る。
だが軍曹は――
速かった。
節足が床と壁を同時に叩き、ジグザグに跳ねる。
天井、柱、残骸。そのすべてを踏み台に変えながら弾道を外していく。
爪楊枝が残骸を撃ち砕く音だけが虚しく響いた。
火野の視界の先で、軍曹は再び、低い姿勢を取る。
完全な――攻撃態勢。
火野は金槌を握り直し、桜井の方へ短く叫んだ。
「……次、挟むぞ……!」
粉塵の中、二機のバグロスが同時に機体を構え直す。
そして、
軍曹の脚が――
再び、床を穿った。
粉塵が舞い、視界はまだ完全には晴れていなかった。
割れた照明が火花を散らし、断続的に赤い警告灯が空間を染める。
その中で――軍曹が、動いた。
脚が床を穿ち、甲高い摩擦音を上げる。
一直線でなく、ジグザグ。だが狙いは一つ。
軍曹は桜井ユヅキのバグロスへ突進。
床を裂きながら距離を潰し、そのまま巨大な前脚で機体を挟み込もうとする。
組み付き。
外殻がきしみ、装甲がへこむ嫌な音。
「ちっ……離れなさいっての……!」
震える声。だが、逃げない。
桜井ユヅキは操縦桿を強く引き寄せながら、小さく舌打ちした。
「……べ、別に……あんたなんか、怖くないし……!」
その瞬間、彼女の左手がスイッチを叩き込む。
機体の腹部収納部がわずかに開き、そこから射出されるのは――
一本の“裁縫針”。
細く、鋭く、しかし鋼で作られた極細貫通杭。
距離、ゼロ。
「喰らいなさい……ッ!」
突き出される。
ズンッ!!
音というより、感触だった。
外殻を貫く鈍い感覚が操縦席まで伝わる。
軍曹の頭部側面に、針が深々と突き刺さる。
一瞬、世界が止まったように静寂が落ちた。
そして。
軍曹が――跳ねるように後退した。
脚を乱暴に振り回し、その身を引き剥がす。
刺さった針はそのまま残り、わずかに震えながら突き立っている。
……だが、それは勝利ではなかった。
空気が、変わる。
三つの複眼。
赤く――染まった。
暗い通路の中で、それは獣のように、いや、機械の警告灯のように光り始める。
「……ッ……」
火野の息が詰まる。
軍曹の“歯”が鳴った。
カチ……カチ……ギギギギギ……
金属音に酷似した、擦り潰すような歯ぎしり音。
威嚇。明確な敵意。殺意。
空気が凍りつく。
だが――
その一瞬の硬直を、火野は逃さなかった。
「……今だァァァァアッ!!!」
全力アクセル。
バグロスの全推進機、同時噴射。
背部、脚部、腰部、すべてのスラスターが白煙を噴き上げる。
機体が“跳ぶ”。
床を削り、残骸を弾き飛ばし、一直線に突っ込む。
両腕で構えた金槌。
回転数、最大。
機体トルク、限界超過。
「……これでぇぇぇッ!!!」
――クリーンヒット。
ドゴォォォンッ!!!!
金属塊が軍曹の側頭部へ完璧な角度で叩き込まれた。
赤く光る複眼が歪み、外殻が弾け、節足が宙に浮く。
巨体が、空を舞った。
まるで質量を失ったかのように、廊下の向こうへと吹き飛んでいく。
壁を突き破る寸前、鈍い爆音。
粉塵と破片が舞い上がり、視界が白く染まる。
静寂。
その中で、桜井ユヅキのバグロスが小さく機体を震わせた。
「……べ、別に……助けられたわけじゃ……ないんだから……」
通話回線に、小さく、震えたツンデレ声が残る。
火野は、短く息を吐いた。
「……ああ、わかってる……」
赤い警告灯が、二人の機体を照らしていた。
粉塵がまだ空中に残っていた。
静寂……ではない。
“気配”だけが生きていた。
最初に動いたのは――赤い光。
空気を切り裂くように、赤い閃光が一直線に走った。
軍曹。
砕けた外殻。裂けた脚部。
すでに“死に体”――のはずの化け物。
だが、その動きは消えていなかった。
「――っ!?」
桜井ユヅキの視界が赤く染まる。
避け切れない。
衝突。
軍曹の体当たりが、真正面からバグロスを叩き飛ばす。
機体が宙を舞い、壁を突き破り、金属音を響かせて転がる。
――大破。
操縦席に激震。
衝撃で視界が白く弾け、ユヅキの身体が力を失った。
「……ッ……」
声は、出なかった。
彼女の意識が、そこで途切れる。
軍曹は、立ち上がった。
割れた外殻の隙間から内部構造がのぞき、呼吸音のような低い振動音を発している。
壊れている。
壊れているはずなのに。
威圧感が、消えない。
覇気だけが生きていた。
赤く光る複眼が……
横たわるバグロスを、そしてその中の“命”を捉える。
脚が、動く。
ゆっくり……だが確実に、桜井ユヅキへと向かって踏み出す。
「……やめろ」
背後から声。
火野アキラの視界に映っていたのは――
壊れかけの機体。
火野アキラの視界に映っていたのは――
壊れかけの機体。
血の気が引くほど歪んだ外装。
警告だらけの赤い表示。
それでも。
レバーに、手を伸ばした。
誰も試さなかった方法。
危険すぎて、机上で何度も却下された狂気の手段。
――全開アクセル。
背中のペットボトルロケット、起動。
「……間に合え……!」
噴射。
衝撃音。
空気が裂ける。
推進力が限界を突破し、
バグロスの外装が悲鳴を上げる。
ボルトが飛び、装甲が剥がれ、火花が散る。
時速――約50キロ。
機体は“走る”ではなく、暴走に近い突進。
火野は歯を食いしばったまま、金槌を構えた。
両手で握りしめる。
機体ごと、身体を捻る。
回転。
遠心力。
重力。
覚悟。
「……これが……俺の――答えだッ!!!」
一瞬の、無音。
ドンッ――!!!!
音というより、衝撃そのものが空間を潰した。
金槌は、軍曹の頭部へ。
真正面。地面に叩きつけるように。
軍曹の身体が……地面にめり込んだ。
亀裂が床に走る。
蜘蛛の脚が震え、ぎくり、と痙攣し。
赤い光が……消えた。
振動音も……止まる。
完全停止。
火野のバグロスは――
限界だった。
外装は半分以上剥がれ落ち、骨組みがむき出し。
ケーブルが垂れ、装甲板がぶら下がっている。
それでも……立っていた。
火野は、ゆっくりと操縦桿を握り締めたまま、息を吐いた。
視線は……倒れ伏した軍曹に向けられている。
「……終わった……」
通信が、生きている。
ノイズ混じりの中、かすかに返事があった。
「……火野……?」
桜井ユヅキの声。
かすれながらも……生きている。
「……生きてた……か」
「……何よ……化け物みたいな突っ込み方して……」
一瞬の沈黙。
火野は、軍曹の残骸から視線を外さずに、低く言った。
「……敵討ち……できたな」
返事は……すぐには来なかった。
少し遅れて、小さく。
「……うん」
誰にも聞かせないような、小さな声。
粉塵の中。
壊れた機体同士。
冷えた空気。
でもそこには、確かな静かな勝利があった。
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