第二話 侵略者
第二話 侵略者
――第2訓練:推進装置稼働テスト
格納庫に、再び緊張した空気が流れていた。
火野の背中側。
モニターに、見慣れない表示が浮かぶ。
《背部推進装置 接続確認》
《水圧正常》
背中に積まれたのは――
大きめのペットボトル。
中には水が満たされ、内部圧力が限界まで高められている。
「次は“逃げる訓練”だ」
教官の声が落ちる。
「敵に勝つ必要はない。生きて帰れ」
火野は、6本のハンドルのうち、背面推進専用のレバーに手をかけた。
掌に伝わる、微かな振動。
《カウントダウン開始》
――3
――2
――1
「噴射!」
火野は、レバーを引き切った。
バシュアァァッ!!
背中で水が一気に噴き出される音。
巨大な力で、バグロスの機体が――前に弾き飛ばされた。
「うわっ……!」
視界が一気に流れる。
床のラインが、横に引き延ばされる。
車の速度メーターのような装置に速度が浮かぶ。
《速度:10km/h》
《15km/h》
《18km/h》
《20km/h》
重い機体なのに――異常なほど速い。
風切り音のような振動が、操縦席全体を揺さぶる。
ハンドルがガタガタと震え、路面の凹凸をそのまま手に伝えてくる。
「速…すぎる……!」
重たい戦闘車両が、氷の上を滑るように疾走していく。
その時。
《模擬障害物 出現》
前方の床がせり上がり、崩れたビルの瓦礫を模したブロックが現れる。
火野は即座に右のハンドルを切る。
ギギギィィ――!
金属が床を削る音。
だが曲がりきれない。
「ブレーキ!」
火野はペダルを踏み込んだ。
――ギャリィィィ!!
背中の噴射が止まり、重量級の車体が火花を散らしながらスライドする。
視界が横向きに流れ――
ギリギリで障害物の脇をすり抜けた。
息を止めていたことに気づく。
《速度:19km/h》
《姿勢制御 安定》
だが、訓練は終わらない。
床が連続して動く。
次々と現れる障害物。
急カーブ。
火野は、もう細かく考えなかった。
アクセルを踏む。
ブレーキを踏む。
ハンドルを切る。
噴射レバーを断続的に引く。
バシュウ!バシュウ!
ペットボトルロケットが断続的に水を噴き出し、機体を押し出す。
20km/h。
縮小された世界では――
それは“突進する獣”のような速度だった。
「……合格だ」
教官の声が、通信越しに落ちる。
火野は、ようやく深く息を吐いた。
汗が背中を伝っている。
手が、少しだけ震えていた。
だが――
恐怖の中に、確かな感覚が残っていた。
「……これなら……逃げられる」
この速度。
この感覚。
生き延びるための力。
火野は初めて――
バグロスを「重たい機械」ではなく、「自分の脚の延長」だと感じていた。
訓練は、さらに過酷になる。
それでも。
もう、引き返す気はなかった。
――第3訓練:レッドゾーン走行テスト
警告音が、静かに鳴った。
《主機モーター 出力制限解除》
火野の視界に、新しいゲージが表示される。
青 → 黄 → 赤
たったそれだけ。
だが――
“赤”に入った瞬間、機体は壊れる。
「今回は“速さ”じゃない」
教官の声が静かに落ちる。
「限界で走りながら、撃て」
床のレーンが変形し、直線コースが出現する。
遠方に、白い円盤型の的がいくつも浮かび上がった。
《距離:30m》
《制限速度:解除》
火野はアクセルを踏み込む。
ギイィィィン……!!
モーター音が、低音から高音へと跳ね上がる。
《出力:70%》
《温度上昇中》
床を蹴る振動が、操縦席に伝わってくる。
機体が重たい“車両”のように、一直線に加速する。
《速度:15km/h》
《18km/h》
《20km/h》
通常ならここで止める。
だが――
さらに踏み込む。
《警告:高出力域》
ハンドルが熱を帯び始める。
金属越しに、熱が手のひらに伝わってくる。
的が視界に入る。
「撃て!」
火野は左のサブハンドルを引く。
クロスボウ型兵装が前方にスライドする。
爪楊枝5本、装填完了。
だが――照準が揺れる。
速すぎる。
床の振動で、視界が細かくブレる。
《温度:黄領域》
「落とすな…!」
火野は一瞬だけ、アクセルを戻した。
たった0.5秒。
回転数が少し下がる。
《温度安定》
次の瞬間。
発射。
パシュンッ!!
5本の爪楊枝が扇状に広がり、空気を切り裂いた。
――カンッ!
1枚目の的が砕けた。
だが、油断した瞬間。
《警告:温度急上昇》
ゲージが赤に迫る。
機体が、悲鳴を上げるような音を立てる。
ギギギギ…!!
「まだだ……!」
火野はアクセルを微調整。
踏み込みすぎない。
緩めすぎない。
ギリギリのゾーン。
《出力:92%》
《温度:赤手前》
第二の的。
再装填。
ハンドルを切り、機体の姿勢を調整。
走行しながら、狙う。
呼吸を止める。
――発射。
パシュンッ!!
今度は3本命中。
的が大きく歪んで弾け飛ぶ。
だが――
《警告音:連続》
視界が赤く点滅する。
《温度:限界域》
あと数秒でオーバーヒート。
最後の的。
近い。
だが、このままでは間に合わない。
「冷えろ……!」
火野は一瞬、ブレーキを踏んだ。
モーター回転が落ちる。
一拍。
即、アクセル全開。
爆発的な再加速。
《出力:100%》
《温度:限界》
最後の発射。
パシュンッ!!
――粉砕音。
ほぼ同時に。
ガチンッ……!
操縦席の振動が止まる。
《強制冷却開始》
《出力遮断》
機体はゆっくりと減速し、停止した。
耳鳴り。 汗。 息切れ。
……だが。
スピーカー越しに、教官の声。
「……合格だ」
「壊す前に、止めた」
火野は、ようやくハンドルから手を離した。
指先が、熱にじんでいた。
でも――
確かだった。
自分は今、“暴れ馬”のような機体を、御していた。
次はもっと過酷になる。
それでも。
逃げたいとは、思わなかった。
「――最後の訓練だ」
その言葉を、最後まで聞く者はいなかった。
甲高い金属音が校舎全体を引き裂くように鳴り響いた。
召集警報。
赤色灯が天井を殴るように点滅し、空気が一瞬で張り詰める。
乾いた機械音声が無機質に繰り返す。
「全候補生、緊急配置。繰り返す、全候補生、緊急配置。」
火野アキラは反射的に立ち上がっていた。隣にいた仲間たちも同時に動く。椅子が倒れ、床にぶつかる音すら、異様に大きく響いた。
誰も喋らない。
喋る余裕がない。
10人は走った。
廊下は赤く染まり、警報音が頭蓋骨の内側まで叩き込んでくる。
別室の重たい防爆扉が開いた瞬間、油と金属の匂いが喉を刺した。
中にいたのは、教官一人。
顔は青ざめ、普段の威圧感は消え失せていた。ただ、眼だけが異様に鋭く光っている。
「――聞け」
短く、低い声。
「クロアリが侵入した」
空気が凍りつく。
「第2居住区の外壁を食い破って内部に入り込んだ。確認された数、不明」
一瞬の沈黙。
そして、決定的な言葉。
「……これは訓練ではない」
壁の向こう、遠くからかすかに聞こえる――
キチキチ、と硬質な何かが擦れる不気味な音。
教官は叫ぶように腕を振り上げた。
「実戦機体・バグロス、搭乗命令を下す!」
金属製ロッカーが一斉に開く。
中に収められていたのは、車のような装甲に覆われた小型機体――バグロス。
ペットボトルロケットが背部に固定され、無骨なクロスボウ型武装がわずかに震えている。
震えている。
誰も迷わなかった。
走る。
跳ぶようにして各自の機体に飛び込む。
ハッチが閉じる音。
ロックの乾いた金属音。
火野の視界が、操縦用スクリーンに切り替わる。
心臓の音がうるさい。
息が、浅い。
外部スピーカー越しに教官の声。
「生きて帰ってこい。それだけだ。」
第2居住区方面――
暗闇の向こうで、無数の小さな影が壁を這い上がるのが映る。
牙のように輝く複眼。
バグロスのエンジンが低く唸る。
火野は、歯を食いしばった。
「……行くぞ」
赤色灯に染まる通路へ、10機の小さな戦闘車体が滑り出していった。




