私が悪役令嬢?ーーそれは随分と面白い冗談だ
「ライリー殿下! 私の話を聞いていただきたい!」
甲高くも必死な声が、講堂内に響いた。
ここは貴族の令息令嬢が切磋琢磨する王立学園の大講堂。
現在ライリーはこの国の王太子として、学園生たちの前で演説を行っていた。
明日より訪れる長期休暇を前に、学園長からの依頼で注意喚起を促すためだ。
領地へ帰る者、王都の屋敷で過ごす者、学園に残る者――行き先は様々であるが、学園の名に恥じぬ振る舞いを忘れてはならない、と。
全ての話を終えて、彼が壇上を降りようとした……その時だった。
演説の余韻が残る壇上に、あまりにも場違いな叫び声。
生徒達はどよめき、視線が一斉に声の主へと向く。声の主の周囲は、触らぬ神に祟りなし……とでも思ったのだろうか。声を上げた者達の周囲には、空洞ができていた。
ライリーは目を細めて彼らを一瞥した後、舞台袖にいた教師へと視線を送る。ライリーのクラス担任は、首を縦に振った後踵を返した。
その背を見送った後、彼は演台へと戻る。そして声を荒げた者達を見据えた。
「……良いだろう。ここで声を上げたのであれば、余程重要な案件と見える」
先程よりも静かだが……底冷えするように低い声。彼の堂々とした佇まいに圧倒され、大声で叫んだ者は身震いをした。
「皆、済まないが少し時間を貰えるだろうか? この者達が言う『重要な案件』とやらが気になるからな」
ライリーが周囲の生徒達に同意を求めると、多くの者が頷いている。彼は感謝を述べた後、叫んだ男へと視線を戻した。
「では、訴えを聞こうではないか」
冷静かつ、威厳をたたえた声が講堂内に響いた。
「殿下の婚約者様である、ノエル・アーネット公爵令嬢様についてです!」
ライリーの側近候補である男が、引き続き声を上げる。彼は伯爵家の次男で、父親である現当主は法の番人と呼ばれる法務庁に勤めていた。
「公爵令嬢は、殿下のご友人であらせられますリディ・スコット男爵令嬢に対し、度重なる無礼を働いておりました」
彼らの周囲を取り巻く者達は、伯爵令息の言葉を聞いて縦に首を振る。彼らもライリーの側近として候補に挙がっていた者達だ。ただその中でも、頷く事なく異様な雰囲気を纏っていたのは、現宰相の息子であるフレデリック。
彼は壇上のライリーを静かに見つめていた。
「無礼とは、罵詈雑言を投げかけたり、社交の場から排除したり、身分を利用した嫌がらせを行ったりと……リディは単に我々と交流しているだけであります。そんな彼女を虐げるなど……将来の王妃としては相応しくない行動ではありませんか!」
「無礼ねぇ……」
伯爵令息の言葉にライリーは小声で呟く。大凡彼らしくない言葉遣いではあるが、彼の口調に気がつく者はいない。ただ一人……フレデリックだけは、壇上にいる彼を見据えていた。
彼は小さく肩をすくめると、後ろから近づいてくる足音に気がつき背後を一瞥する。
そこに現れたのは、現在話題に上がっているノエルだった。
「殿下、私の名前が聞こえてきましたが……何かございましたか?」
美しく微笑む姿はまるで我が国で信仰されている女神のよう。慈愛に満ちたその笑みは誰もが魅了される。だが、ライリーとフレデリックだけは知っている。その瞳の奥に隠された炎が。
彼女を糾弾していた者達までもがその美しさに見惚れている。
そんな周囲の様子を感じ取った男爵令嬢は、慌てて声を上げていた男の裾を何度か引っ張った。
「何かございましたか、だと! お前のせいでリディは……!」
ノエルは伯爵令息の言葉に一瞬きょとんとする。
「リディさんとは、どなたでしょうか……?」
心底不思議そうな表情で首を傾げるノエルに、伯爵令息は堪忍袋の緒が切れたのか、口から唾を飛ばしながら叫び出した。
「とぼけるな! 己の振る舞いの報いを、今さら忘れたとでも言うのか!?」
ノエルは彼の手の先にいる彼女を見ると、「ああ」と言葉を漏らした。
「あなたでしたか……礼儀作法は習得されましたか?」
ノエルはリディに視線を向け、にこりと穏やかに微笑んだ。
その様子を目にした令嬢方の中には、彼女が幾度となくリディへ言葉をかけていた姿を記憶している者も少なくない。一方で――女神の化身と謳われる彼女が、あのような“小物”と関わりを持っていたとは、と驚きの表情を隠せない者もいた。
声をかけられたリディは、怯えたような面持ちを見せてから伯爵令息の後ろに隠れる。それを見た彼らは顔を真っ赤にした。
「やはり……! 彼女がこんなに怯えているのは、お前のせいだろう?! そう思いませんか、殿下!」
伯爵令息とリディの周囲を取り巻く者たちは、目を釣り上げて彼女を見た。そしてすぐにライリーへと視線を送る。ライリーは彼らの様子を見て少し肩を落としてから、ノエルへと振り返った。
「という話らしいが……身に覚えはあるか?」
そう彼が尋ねるけれど、ノエルは眉尻を下げて左右に首を振るだけだ。彼女の様子を見て「まあ、そうでしょう」と呟く。聞こえたのは、近くにいたノエルだけだろう。
ライリーとノエルの視線が静かに交差する。
そして二人は互いの目を一瞬合わせただけで、言葉など不要なほどに意志が通じ合う。ライリーがわずかに頷くと、それを受けてノエルはゆるやかに口を開いた。
「いいえ、全く身に覚えがないものですわ。そもそもの話ですが……私には彼女を害する理由はございません。何故私が彼女に構わなくてはなりませんの? 確かに礼儀作法について言及させていただいた事はあるのですが……」
困惑半分、疑問半分……ノエルはまるで初めて耳にするかのように小さく目を瞬かせる。そんな彼女に不満を持った伯爵令息は、更に声を荒げた。
「殿下との仲に嫉妬したんだろう!」
「嫉妬……でございますか……?」
ノエルは静かに目を伏せる。そしてライリーへと顔を向けた。
「殿下、そもそもあの娘をご存知で?」
「知らんな」
わずかな間を置くこともなく、瞬時に告げられる返答。ライリーの言葉に側近候補たちが息を呑む。その答えが当然だ、とでも言うようにノエルは「ふふ」と声を漏らした。
「こう殿下が仰っているのですよ? 私があの方に嫉妬する必要がありまして?」
騒ぎを起こした者たちを囲んでいる生徒達は、すでにこの一件を茶番劇だと判断していた。そしてリディの周囲に侍っている令息達に冷ややかな視線を送っている――だが残念かな、当の本人たちはそれに気づく様子もない。
講堂内が静かだからだろうか……リディの呟く声がフレデリックには聞こえていた。
「なんで……! なんで……! 私が知ってる物語と違う……! あの女が断罪されないと、私はライリーの婚約者になれないのに!」
その言葉を聞いて、フレデリックが無表情で彼女を一瞥する。だが、すぐに彼女に興味がないとでも言うかのように、彼は壇上にいるノエルを見た。
ノエルの笑顔は側から見れば美しく穏やかに微笑んでいた。しかし、ライリーとフレデリックだけは理解していた。
あのくだらぬ芝居を一番楽しんでいるのは、ノエルである事を。まるで小さなネズミを玩具のように追いかけ回す猫のよう――――いや、もしかしたらヒョウの戯れかもしれない。
令息達は、それが無駄な努力である事に気がつかないまま、彼女を追い落とそうと声を上げる。
「だったら、リディが殿下に近づくのが嫌だったとか――」
「それはありますわね」
思わぬ言葉から同意が取れて、叫んだ伯爵令息でさえ目を丸くする。そして思わぬ同意を得られたと舞い上がったのか、反撃を開始しようとしたが……。
「だってその方……礼儀作法すら弁えない方でしょう? 婚約者がいる殿方とあのように仲睦まじくされるのは……如何かと思いますわ。正直なところ、彼女のあの振る舞いでは殿下のお目を汚してしまいますでしょう?」
「何故だ! 学園は平等だと……!」
「そうであっても……ある程度の節度はありますでしょう? 学園ではそれで良いかもしれませんけれど、もしその方が社交会に出たらどうなさるのです? 礼儀作法すら弁えていない状態で、社交界に参加したらどうなるとお思いで……? 私はそのことも考えてお声掛けさせていただいたのですよ」
微笑みながら告げるノエルは、側から見れば慈愛の女神にしか見えないが……ライリーは気がついていた。そろそろ彼女の我慢も限界に近づいてきているようだ。彼はノエルの元へと歩き、肩にそっと触れた。
お互いを想い合う、仲睦まじい姿。リディの関係者以外の者達はそんな二人の姿に感銘を受ける。ただ、リディ一人だけは爪を噛みながらぶつぶつと呟いていた。
「なんで選択肢通りに動いているはずなのに、あんなに好感度が上がらなかったの? 無理やり断罪劇を起こせば……ルートも正常になると思ったのに……あいつは悪役令嬢の癖に、なんで物語の通りに動かないのよ……」
少しずつリディの声が大きくなっていたからか、彼女の言葉が聞こえている者達は眉をひそめている。殿下の婚約者である公爵令嬢を、あいつ呼ばわりするリディに嫌悪を感じたのだろう。
視線が彼女に集中している間に、ノエルはライリーへと密かに囁いた。
「そろそろ面倒になってきたな。さて、例の件を世間に明かすとしようか」
「……よろしいのですか?」
ライリーは目を丸くする。もし他者がこの会話を聞いてしまえば、きっと驚きを隠せまい。ノエルの振る舞いは、あまりにもライリーに似通っていたのだから。
「ああ、父上には言ってある」
「……仰せのままに」
ライリーは気が付かれない程度に礼をとった。
「皆の者、聞いてくれ」
ノエルはドレスを翻し、声を上げた。普段の彼女らしくない言動に、生徒達は目を丸くする。その中でただ一人、フレデリックだけは……この後の展開を予想しているのか、ため息をひとつついていた。
まるで王族であるライリーその人のような行動を取る彼女に……リディも、彼女の取り巻き達も圧倒される。それが好都合、とでも言うかのようにノエルは話を続けた。
「ノエルが何故、そこにいる男爵令嬢へと危害を加えていないのか……もうひとつ理由がある。刮目せよ!」
そう告げたノエルは、舞台袖から現れた使用人に手渡された宝玉を手に取る。そしてそれを天へと掲げると――。
「みりょぬなみりょぬな……おいでませ!」
摩訶不思議な言葉をノエルが唱えたと思えば、上空に光が現れて……ポン、というやわらかな音と共に、光の中から現れたのは女の子。
その子は周囲をキョロキョロと確認してから、ふわりと壇上に降りる。彼女はノエルよりも頭ひとつ分小さい。黒いとんがり帽子に、同じく黒のマント。そして両側に編み込まれたおさげ髪。
まるで絵本から抜け出したような幻想的な少女――。
「呼ばれて飛び出て、ジャジャジャーン☆」
荘厳な空気に包まれていた講堂内に、妙に元気なその声が響き渡る……一瞬にして、神秘的だった彼女の印象は音を立てて崩れ去った。
この茶番劇を無表情で見ていたフレデリックでさえも、呆然としている。
「ライリーもノエルも、おひさぁ〜!」
「魔女っ子ユイミ様、いつもお世話になっております」
ノエルは、王族らしく男性の所作で丁重に礼を返した。ライリーは淑女の礼をとっている。
「もう、ライリーもノエルも堅いんだから! もっと気楽にしてね? っていったじゃないー! それに今の姿でその礼を執ると、見た目がおかしい事になっちゃうよ? ほら、皆口をあんぐり開けてこっちを見ているよ?」
魔女という言葉に皆が一様に驚いていた。確かに王国には魔女がなんでも願いを叶えてくれる、というおとぎ話がある。もっとも、真に受ける者など滅多にいない――眉唾ものとして、子どもたちの夢物語として片づけられていたのだ。
その夢物語の魔女が目の前にいた。彼女は首を傾げている。
「それより……こんな目の前でネタバラシしちゃっていいのぉ?」
「父上には了承をとっていますので」
「ああ、陛下も大丈夫なんだぁ〜! 私も宣伝になるから、こんな大きな舞台で自分のお披露目ができるなんてありがたいねぇ。皆さん、私は魔女っ子ユイミ、よろしくねぇ〜」
その言葉に講堂内の生徒たちが騒めきだす。この超人的な存在を夢として逃してはならない、と思ったのだろう。
皆がユイミを見る。彼女が何をするのか、興味を持ったのだろう。集まる視線に動揺する事なく、ユイミはライリーとノエルに向き直った。
「なら、二人とも指輪をしている手を出して〜。オッケー、いっくよぉ! そぉーれっ!」
いつの間にか現れた杖を、左から右へと振る。その瞬間、ライリーとノエルの二人が光に包まれた。全員が注目する中、光が離散すると――そこにはドレスを着ているライリーと、王子服を着ているノエルが現れる。
「あ、ごっめーん! ついでに服も替えるねぇ☆」
もう一度杖を振れば二人の服装が変わる。ドレス姿のノエルは凛として美しく、王子服に身を包んだライリーは堂々たる気品をまとっていた。
その光景に、生徒たちは再び息を呑む。
静まり返る講堂内。元に戻ったライリーの声が響いた。
「見ての通り、私はノエルとして……そして彼女は私として、この学園では過ごしていたのだ。その意味が諸君らに分かるか?」
その意味を理解した者達の顔から、血の気が引く。ライリーは魔法で代わっていたノエルだった。つまり――リディは王太子に扮した女性へ、好意を向けていたことになる。
「ええ。同性に迫られたところで……好意は抱けませんよね?」
ノエルは微笑んだ。
「じゃあ、私は行くねぇ〜! 魔女っ子ユイミをよろしくぅ〜☆」
そう満面の笑みで帰っていくユイミを見送った後。
ライリーが騒ぎを起こした者達に視線を送ると、魂が抜けたような表情をしていた。彼らは知らなかったとはいえ、王族に喧嘩を売っていた事に気がついたのだ。
ただ一人、リディだけは「なんで」「どうして!」と喚いていたが。
「フレデリック」
「はっ」
ライリーに声を掛けられたフレデリックは、頭を下げリディに近づく。彼女は彼の端正な顔に見惚れていた。だが次の瞬間、リディは何者かに手を掴まれたと思った途端に視界がぐらりと揺れ――彼女の目前に広がる冷たい地面が目に入る。
ライリーの指示でリディは捕えられたのだ。
「フレデリック様――」
「お前に名前を呼ばれる筋合いはない」
リディの言葉が終わる前に、フレデリックは一刀両断する。取り巻き達は目の前の事態に理解が追いつかず、ただ立ち尽くすばかり。味方だと思っていたフレデリックがリディの身柄を取り押さえている――その事実が信じられなかったのだ。
「フレデリック様……なぜ……?」
目を見開く彼らに、フレデリックは表情を変える事なく答える。
「私が、君たちの味方であると……いつ告げた?」
「……あ……」
そこで気がつく。フレデリックは彼らと行動を共にする事が多かったが、その理由は殿下が居たからだ。彼自身は殿下の側にいただけで、リディの存在について一言も告げていないのだ。
「何度か以前から忠告はしていた。だが君たちは聞く耳を持たなかっただろう?」
感情のない声で告げられ、周囲の者達は口をあんぐりと開けている。そう言えば、彼から一言二言釘を刺されたような気がしていたが……彼らは気のせいだと放置していたのだ。何故なら、フレデリックは味方だと判断していたからである。
「フレデリックは、早々に私たちが入れ替わっている事に気がついていた。私に扮したノエルへと付かせたのは、彼女の手助けをしてもらうためでもあったな」
「ありがとうございました。お陰様であなた以外に気づかれる事なく、無事にここまで過ごせました」
「もったいないお言葉」
軽く頭を下げたフレデリック。その間もリディは抜け出そうと暴れていたが、力が強いのか彼女は陸地に上がってしまった魚のように体が跳ねているだけだ。
すぐに衛兵達が現れ、フレデリックの代わりにリディを拘束した。だが、それに納得していなかったのは、勿論当人のリディだ。
「なんで! なんで、私が捕まるの?! 拘束されて国外追放になるのは……あんたの役でしょ、あの女の!」
喚き散らす彼女の醜態に、彼女の取り巻き達は言葉を失う。
彼らは彼女の姿を見て、ライリーとノエルに対する不敬をまざまざと実感させられていた。
「性転換って何よ! あんたが……あんたがシナリオ通り、私を虐めないから! 私がこんな事になってるんじゃない! 私は物語を元に戻そうとしただけよ!」
理解不能な言葉を叫ぶ彼女に、周囲の者達は顔を背けたり、芝居でも見るような目で見つめていたり……多種多様の反応をしていた。一方でそれを見ていたライリーは彼女の品位を欠いた所作に顔をしかめる。
更に騒ぎ立てるリディに、平静を保っていたライリーの仮面が剥がれ落ちそうになった時――彼の後ろに佇んでいたノエルが、彼の隣に立った。
彼女の澄んだ瞳に見惚れる者は多かったが……彼女の瞳の奥に燃えさかる怒りを理解した者はライリーだけだ。
「何故私が、取るに足らぬ真似事を致さねばなりませんの?」
女神のように微笑む彼女であるが、その笑みにはどことなく圧が滲む。その場にいる全員が、彼女の中に眠る次期王妃の貫禄を……否応なく感じ取っていた。
「本当にご退場いただくのであれば……ねぇ、皆様。考えていただきたいのですが……わたくしが、そのような細々とした面倒事に手を染めると、お思いで?」
「それはあり得ないな」
鼻で笑うライリーに、ノエルは「そうでしょうとも」と同意する。
彼女の言葉を聞いた者達全員が、理解した。もし、煩わしいと思っているのであれば……彼女の家ごと手を回していたのであろう事に。
リディも彼女の表情と言葉に、自分の立ち位置をやっと理解したのだろう。暴れるのを止めたのと同時に、足の力が抜けたのか床へと座り込む。
「もしかして……ここはゲームの世界じゃ……ないの……?」
「げーむ? という言葉が何か分かりませんが、世界は物語のように決まっておりませんわ。それを貴女は理解する必要があったようですね」
ノエルにとどめの一言を告げられたリディは、そのまま衛兵に引きずられて行った。
彼女の姿が見えなくなると、我に返ったのか……顔面蒼白の伯爵令息がライリーへと声を掛けた。
「殿下……何故リディを……?」
「何故? お前達は何故あの女が捕えられたのか、分からないと?」
絶対零度の視線を向けられ、リディの取り巻き達は全員が黙り込む。目の前の事実を呑み込めていないのだ。そんな様子の彼らを見て、ライリーはひとつため息をつくと、講堂内の者達に向けて毅然とした声を発した。
「先程の訴えについて明言しておこう。私があの者にノエルとして接していた際、不当な扱いをした覚えはない。せいぜい……礼儀作法における不備を指摘した程度だ。この件については、証拠も残っている。もし確認したい者がいれば、私に言うといい。一言一句、記録してあるからな」
「そんな……」
誰の呟く声が聞こえる。ライリーは続けた。
「私は王族だ。将来、王家を担う立場として、常にその言動が問われている。今この瞬間も、我らの一挙手一投足が、民の信頼に足るものかを見定められているのだ。勿論、婚約者であるノエルも同様である」
ライリーは一歩後ろで控えていたノエルを一瞥する。その視線に気がついた彼女は、礼を執った。その美しすぎる礼にライリーは満足そうに頷くと、向き直って話し始める。
「あの者は、私が扮したノエルを虚偽の言葉で陥れようとした。その事実は揺るがぬものだ。彼女の中身が私であってもな。それが分からぬとは、なんとも情けない……あと一年半ではあるが、改めて側近候補の選定に入る。皆もそのつもりでいるように」
そうライリーに言い切られ、側近候補から外されたと知り愕然とする者達。彼ら元側近候補達は膝を折って首を垂れた。ノエルは穏やかな笑みを浮かべながら彼らを見ているが、その瞳の奥は冷たく光っていた。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
絶望の縁に立たされている側近候補達の後ろから、声が上がる。フレデリックだ。
「そもそも何故、殿下がこのような措置を取られたか……教えていただけますでしょうか?」
彼は冷静な声色で、今ここにいる者すべてが胸に抱いているであろう疑問を、慎重かつ的確に投げかける。ライリーは彼の言葉に頷くと、講堂内の者達の見回しながら、ゆったりと話し始めた。
「数十年前に起きた我が王家の不名誉については皆知っているな?」
声に出す者はいなかったが、その場にいた誰もが知っていた。
――現国王陛下の兄、当時の王太子が起こした一件を。
彼は公衆の面前で、正妃となるべき婚約者に婚約破棄を突きつけ、代わりに男爵家の令嬢を新たな王太子妃に据えようとしたのだ。
最終的には修復不可能となり婚約破棄。元婚約者である侯爵家の令嬢は、その後縁談を受け隣国で大公の嫁として現在幸せに暮らしている。
一方で、王太子であった彼は公務を放棄し、男爵令嬢と共に放蕩に耽っていた。そしてある日……酒場を抜け出した夜、騒動に巻き込まれ命を落とした――とされている。
「正直なところ、私とノエルは彼のように愚かではないのだが……念には念を、という事で魔女っ子ユイミ様に依頼をして、二人の身体を入れ替えてもらっていたのだ。この方法には、『色仕掛けによる誘導』が利かないという点だけでなく、それ以外にも『将来の側近を見極める』という利点もあった。私からの見る視点とノエルから見る視点を踏まえて側近選びを行う予定だったのだが……それも必要なかったな」
その言葉とライリーの視線に、床に伏せていた元側近候補達の肩が跳ねる。哀れな者達の末路だった。
「皆の者、他人の言葉に踊らされた者の末路は理解しただろうか。私も含めて……今日の事は胸に刻んでおくといいだろう」
ライリーの言葉に全員が頷いた。
「お疲れ様でございました、殿下」
王宮内にある王族専用のガゼボで、ライリーとノエルはお茶を嗜んでいた。ライリーは、久し振りにノエルが手ずから淹れた紅茶を味わっている。
「ありがとう。ノエルも疲れただろう? 後は侍女に任せて座るといい」
「……いえ、殿下のお茶は私が淹れたいのです」
頬を赤らめながら座って告げる彼女に、ライリーは微笑んだ。
「そうか……ならよろしく頼む。それよりも、この度の入れ替わり、大変ではなかったか? このために礼儀作法を覚え直したのだからな」
そう、体は魔法で変えられても、行動は自ら変えなくてはならなかったのだ。ライリーは淑女の礼を、ノエルは王族としての振る舞いを学んでいた。
と言っても、二人共に優秀だったため、そこまでの苦労は無かったが。
「こんな事言っては何ですけれど……私は楽しかったですわ」
ふふふ、と楽しそうに笑うノエルを見て、ライリーは胸を撫で下ろす。
「ノエルが楽しんでくれたのなら、こちらとしては嬉しいが……。はぁ、なんとかなったから良かったものの……唐突に父上から言われた時にはどうしたら良いものか、と思ってしまったよ」
「私も最初にお聞きした時には、驚いてしまいましたわ」
発端は魔女っ子ユイミだった。
元々王家は伝説と言われていた魔女が暮らしている事を知る唯一であった。それは王家の管理している山中に代々魔女が住んでいるためだ。
――魔女は自由だ。
たまにどこからか現れては、王族と戯れて帰る。そしてその時に必要な魔道具や薬を置いて行ったりしていたのだ。
先代魔女はたまに現れるだけだったが、ユイミは違う。彼女は話す事が好きなため、いろいろな人と関わりたいと思ったらしい。そして王家へと相談に来たのだ。
自分の店が欲しい、と。
「そうでしたか、それでユイミ様に相談されたのですね」
「ああ。店を持ちたいという彼女の願いに応えて、王都の空き家を提供したのだが……まさか、二人の体を交換するなんて思いもよらない方法を取るとは思わなかった……父上も乗り気だったし」
「交換した当時は、お腹を抱えて笑われておりましたものね」
こちらを指差して笑う父親を思い出したライリーは、頭を抱える。
「ですが、本当に殿下へと色目を使う令嬢がいるとは思いませんでしたわ……本当にユイミ様の仰る通りでございましたわね」
「ああ。しかもあの娘は『げーむが……、悪役令嬢が……』と未だに訳のわからない言葉を呟いているらしい」
「ユイミ様は未来を知る魔法をお持ちなのかしら?」
首を傾げるノエル。一瞬、頷きかけたライリー。だが――。
「いや、深掘りするのは止そう。とにかく今回は彼女に救われた、という事だ」
苦笑まじりに告げたライリーの言葉にノエルも同意するかのように微笑む。
「殿下があの方に籠絡されるとは思いませんが……フレデリック様以外の側近候補だった方々を次々と手中に収めた方ですから、私が相対して良かったのかもしれませんね。見ていて彼女の手腕は見事でしたわ――」
「いや、君はあの女のようにならないで欲しい」
ライリーは、間髪を容れずに答える。不思議そうな表情のノエルを見る事ができず、ライリーはそっぽを向く。ノエルから彼の顔は見えないが、髪越しに見える耳がほんのりと赤くなっている。
ノエルはそれを見て、ライリーが何を考えているのかを察し……彼女の頬も朱に染まっていく。
「ご心配なさらずとも、私は婚約した当初より、あなた様をお慕い申しておりますわ。あなた様の隣をお譲りするつもりはありませんので」
ライリーを安心させようと発した言葉だったが、思った以上に恥ずかしい。それを誤魔化そうと、彼女は紅茶のティーポットに触れようとする。彼女の指先がポットに届くより早く、ライリーがその手を取った。
「私もだ。隣に立って欲しいのは、君しかいない」
「……ありがとうございます」
あの入れ替わりの日々は、二人の絆を確かに結び直していた。
「魔女っ子ユイミ様にはまたお会いできるでしょうか?」
「どうだろうか……すぐには会えないかもしれないが、きっと遊びに来てくださるだろう」
二人は知らない。
この翌日に、「やっほー!」と手を挙げて、ユイミが二人の元に現れる事を。
ちなみにライリーのドレス姿、ノエルの王子服を見て、そっちに目覚めた令息令嬢もいるとかいないとか……その原因である本人はーー。
「ええー、なんのことぉ? ユイミは知らないよぉ〜? ふふふw」
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
魔女っ子ユイミの部分、書くのが楽しかったです( ´ ▽ ` )
評価、感想、いいね、リアクション等々、入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!
以下、自作品です。
「完璧な悪役令嬢の弱点 ~婚約者だけには勝てません~」
「魔法少女おばあちゃん 〜78歳のおばあちゃん、16歳の侯爵令嬢に転生?!〜」
などを執筆しています〜。
よろしければこちらもご覧ください!