猫と僧侶
ギルド・レイヴンの@HOMEの奥、知識の蛇と名付けられた端末が置かれている。それはthe worldの管理側が有する権利、監視やデータ解析を主な機能としている。
その前に静かに立つPCがいた。
アジアの僧侶を思わせる衣服に、小さめの眼鏡。そして、その体格には似合わない扇を手にしている。彼がレイヴンのギルドマスター、さらにプロジェクトG.U.の枢軸である八咫だ。
ギルドの@HOMEに入れるのは、そのギルドに所属するPCのみ。特にレイヴンは“一般PC”を受け付けない、特殊なギルドである。
が、八咫の背後に小さな影が現れた。
八咫は振り向くことなく、扇を静かに収めて眼鏡を軽く押し上げた。
「…ハッカーか、それとも内部の人間か」
それは問いと言うより、予想を並べているようだった。影は忍ぶことはなく、しっかりとした足取りで八咫に歩み寄った。
「ハッカーじゃないけど、それに近いかもしれないね。元社員の特権ってやつかな」
影が声を出すと、八咫はゆっくりとその姿を視界に入れる。
そこに立っていたのは猫型のPC、嵩煌だった。
「元社員でこの場所を訪れる可能性がある人物…」
八咫は再び思考を巡らす。相手に尋ねるという至極簡単な手段を、敢えて使わない人間らしい。
「…RAの関係者か」
八咫は確認するような口調で言った。
「そう、あの馬鹿げた実験を止められなかった愚か者さ」
嵩煌は自嘲しながら、静かに答えた。八咫は一息置き、初めて疑問文を並べる。
「あの後、辞職したのは2名だった筈だが…?」
「へぇ、こんな平社員のことも一応は把握してたんだね。もう一人は別行動だよ、あんまり一緒だと、上の連中に怪しまれるからね…」
嵩煌が言うと、八咫は再び端末に向かった。
「…天城のことは、此方にも非がある」
「私がここへ来たのは、過去の話じゃなくて、今の話をする為だよ」
嵩煌はそう言うと、今までの斑鳩に関するレポートを八咫に押し付けるように渡した。八咫は一瞬眉を潜めたが、レポートを開き大雑把に読み始めた。
「なるほど。まだ天城の失態が、こんな形で残っていたか」
レポートのファイルを閉じると、八咫は知識の蛇にコピーし始める。
「あの子は、一番の被害者なんだと思う。ここで助けられたとしても、リアルがどうなるか…」
「彼には会ったのか?」
八咫はレポートを差し出し、嵩煌に聞く。
「実験中に一度だけね。その後はthe world内だけで、リアルの居場所は分からない」
嵩煌はレポートを受け取ると、尻尾を僅かに動かした。
「今更かもしれないけど、罪滅ぼし…したいんだと思う」
「どのようにして?」
レポートを読んだ限りでは、斑鳩について知らないことの方が多い。
「一番実行可能で、斑鳩を助けられるであろう方法は…」
「「スケィスを元に戻す」」
八咫と嵩煌の意見は見事に合致した。
「しかし、今の斑鳩はデータのみの存在だ。彼ごとハセヲに流れ込む可能性は高い」
八咫は早速問題を指摘し、嵩煌は腕を組む。
「それは、私も考えてた。多分、斑鳩がデータになりながらも普通に活動出来るのはスケィスが居るからだと思うんだ」
つまり、スケィスを斑鳩から引き離せば、斑鳩自身の存在が危うくなるということだ。だが八咫の知識を持ってしても、現段階ではこの方法しか浮かばなかった。
「リアルに戻すには、彼の精神がどのようにしてthe worldに癒着しているのか知る必要がある」
八咫は片手を端末に掛けると、モニターを見上げた。
「まず、人の複雑な思考をデータ化することが不可能。かといって、斑鳩が完全にパターン化してる訳でもない」
嵩煌はそう言うと、出入口に爪先を返した。
「…何か分かれば、こちらからも連絡しよう」
八咫は嵩煌に背を向けたまま、しかしはっきりと言った。やや間があって、
「ありがと。私達、管理者とか名乗ってた割りにこの世界のこと、何も知らないような気がする…」
八咫は無言で作業を始め、嵩煌はレイヴンの@HOMEをあとにした。