見えない檻
この日はタウンが騒然としていた。CC社のサポートPCが集まり、一般PCがその周りを囲んでいる。
斑鳩はそれを横目にしつつ、いつものように橋で夕日を観賞する。珍しく嵩煌の姿が無く、そのせいか周囲の声が耳につく。
「…やっぱお前もか。ったく、どうなってんだよ」
橋を歩く3、4人のグループが、何やらぼやいている。
「キーボードもモニターも無し、ログアウト出来ない…イベントとかじゃないよな」
(ログアウト、出来ない…?)
斑鳩はその言葉に、手摺から体を離す。
「サポートの連中も焦ってたみたいだし、イベントは有り得ねえだろ」
銃戦士が呆れながら言うと、妖扇士が肩を落とす。
「それって、運営でも原因が分からないってことでしょ?…私達、ずっとこのままなのかな」
「最悪、サーバーの回線切るんじゃないか?」
「それで戻れるのか…」
「だって他に方法は…」
グループは、議論しながら広場の方に歩いていく。斑鳩は無性に気になり、その後を着いていく。
自分以外にも“帰れない”PCが居る。それも1人や2人ではない、恐らくログインしているプレイヤー全員が同じ状態なのだ。
普段はギルドショップで賑わっている広場は、サポートPCに抗議する罵倒が飛び交っていた。何人か仲裁に入ってはいるものの、数で押されてしまう。
「只今調査中ですので、お待ちください。我々も皆様と同じ状態ですので…」
「何で運営してるお前らが原因分かんねえんだよ!おかしいだろっ」
拳術士が詰め寄るが、今は調査中の一点張りで会話は似たようなやり取りの繰り返しだった。
斑鳩はいくつかの集団を回ってみたが、状況を把握出来る情報は得られなかった。
と、路地裏に妙なPCが2、3人集まっているのが目に留まった。
頭は円錐形で、真っ黒なローブを身体に巻き付けているような格好。しかし顔を被う仮面は白く、影の中から浮かび上がっている。
(…何だ?…俺、アイツ等を知ってる…?)
斑鳩は不思議な感覚に襲われた。懐かしいような、恐ろしいような。
記憶喪失の人間は、時として過去を知る、つまり記憶が蘇ることに恐怖するらしい。と、いつか聞いたことがある。
あの黒いPCが、斑鳩の過去に関わっている。しかしに近付くことに躊躇する。
無意識からなのか、何処からかは分からないが、警告を発している。
“逃げろ”と。
しかし体は言うことを聞かず、小刻みに震えているのが分かった。軽く舌打ちし、自分のひ弱さを恨む。
「…おぃ、あの男」
「…っ」
1人が斑鳩に気付き、残りのPCが一斉に斑鳩を凝視する。
「まさか、あの斑鳩か?」
「PCネームの重複は不可能だ、彼で間違いない」
斑鳩が黒いPCを知っていたように、向こうも斑鳩を知っているようだ。だが近付いてくる気配はなく、何度か言葉を交わした後、影に溶けるかのように姿を消した。
視界から彼らが居なくなった瞬間、斑鳩の全身に張り巡らされた緊張が一気に消えた。
斑鳩は、まともに力が入らないその足で、何とか広場から橋まで歩ききった。手摺にすがるように掴まると、数回深呼吸をして自身を落ち着かせる。
しかし、すぐに別の痛みが斑鳩を襲った。以前にも感じた、ノイズを伴うあの痛みだ。
(また…あいつかょ…)
あの時の黒い錬装士が、ピンク髪の拳術士の女PCとドームに向かって走っていく。
(あの女…、タル、ヴォス…?)
頭の中から、急に単語が沸いてきた。
(タルヴォス…ってなんだ)
自分で思考したはずなのに、その意味が分からない。
斑鳩はただ、小さくなっていく2人の背中を見つめるだけだった。
錬装士が扉の奥に消えると、ノイズも収まり自力で立てるようにはなった。
もう、分からないことだらけだ。ついこの前までは、毎日変わらない平凡な時間を過ごしてきた。時々物足りなさを感じたこともあったが、夕日を見ればどうでもよくなった。
錬装士だけでも面倒なのに、あの黒ずくめのPCまで現れた。
「…あの猫に会ってから、ロクなことねぇな」
斑鳩はボソリと愚痴を溢し、夕日を見る。
この数時間後、何者かによってログアウト出来ないという問題は解決された。
斑鳩を除いては。
ただ一人、残された。
Crying Shadow
《涙する影》