自立
三日後
「あ、フォルケさんお疲れ様。どうです、★さんは」
ブリッジに入って来たフォルケに、クーンが手を軽く上げながら挨拶する。
「落ち着いてきた…とは思うんだけどね、完成復帰はまだ先になりそう…ってて」
「だ、大丈夫っすか?」
急に顔を歪ませたフォルケに、クーンは慌てる。
「ありがとう、平気だよ。久しぶりに飲んだから、体がついて来なくてね」
と、フォルケは後付けで苦笑いする顔文字を足した。
★のプレイヤー=斉木を知っているということで、フォルケのプレイヤーである小三坂が斉木の自宅まで様子を見に行くことになった。その日を皮切りに、斉木が連絡が来る度に酒に付き合わされている状態だった。大抵は小三坂が仕事を終えてからだが、昨日は日付が変わって間もない深夜に携帯が鳴った。
「まあ、今まで溜まってたものもあるだろうし。この際すっきりした方が良いんじゃないですかね」
クーンはフォルケを労いながら、★が戻って来てくれることを願いつつ言う。まだクビアも、そして役目を終えた黄昏の碑文も残っているのだ。
一方、ブリッジを出た先にある開けた場所には未成年組であるハセヲ、アトリ、望と、年齢的には成人であるエンデュランスが居た。
エンデュランスは分からないが、子供達にとって酒を飲むことは逃げているという印象が強い行為だった。故に、その行為の有用性も理解出来ないし、肯定など尚更無理な話だ。
「…私も、★さんが弱いなんて思わないですけど」
アトリは歯切れの悪い返事をし、小さく溜め息を吐く。ハセヲは朽ちたブラウン管テレビを椅子代わりに、若干不機嫌なオーラを出している。
「でも、まだやること残ってんだ。年長者が潰れてどうすんだよ…」
その不機嫌さを言葉にすると、望が眉を下げる。
「お兄ちゃん、★お姉ちゃんのこと嫌いになったの?」
望は本人にではなく、アトリに問い掛ける。アトリは少し困惑したが、
「そんなことないよ。大事な仲間だから、心配してるだけ」
と笑顔で答えた。
「けど3日経ってるし、そろそろ決めてもらうべきじゃないかな」
沈黙を守っていたエンデュランスが、ハセヲに進言した。
この3日間、クビアの位置の調査やレベル上げをしていて、何もしていなかった訳ではない。だがクビアの侵食による被害は広がり続け、もう悠長に構えていられないラインまで来ている。
「だけど元同僚のフォルケでも、説得出来ないんだろ?リアルで会ったこともない俺達じゃ、どうしようもない」
ハセヲが諦めたように言うと、ブリッジの方から足音が近付いてきた。最初にエンデュランスがそちらを見ると、他の3人も釣られて目をやる。そこに立っていたのはフォルケで、最後のハセヲの発言を聞いていたらしい素振りを見せた。
「ほんとに、こういう時にまで役に立たなくて申し訳ないよ」
「あ、いや…そう言うつもりは」
ハセヲは反射的に立ち上がり弁解するが、フォルケは気にしないでと軽く返した。そして更に続けた。
「何でも君に押し付けて悪いんだけど、★のプレイヤーと話してみてくれないかな。メールで電話の番号教えるからさ」
だが、いきなり「知らない他人」から電話が掛かってまともな話し合いが出来るとは思えない。ハセヲがその旨を伝えるが、フォルケは杞憂だと言う。
「匿名性が、時に力を発揮するんだよ。実際、こうやってPCを通して会話すれば、普段言えないことを言えたりするでしょう?ロールするかしないかは、プレイヤーの自由だけど、ある意味人目を気にせずに言動出来る」
フォルケの説明に、アトリが大きく頷いた。
「…私も、リアルの友達にには言えないこと、ここでなら不思議と話せてしまいます」
匿名性は、何でも出来てしまうと言う無秩序を生むと同時に、雁字搦めの現実から、自分の周囲の目から解放させてくれる。ネット犯罪などで前者に注意が向けられがちだが、後者の特性で助けられている人達がいることも事実だ。
「今の★に、斑鳩の話を持ち出しても大丈夫なのか……って」
ハセヲが語尾を切らずにはいられなかったのは、早速フォルケからメールが届いたからだった。まだ承諾していないのだが、取り敢えず携帯に番号を登録した。
結局言いくるめられ、電話することになったハセヲ――三崎亮。キーボードの隣に置かれた携帯と暫く睨めっこしていたが、覚悟を決めて開く。
アドレス帳には、斉木ではなく★の名前で登録されていた。入力する時に迷ったのだが、自分が知っているのは斉木という個人ではなく、★というPCだった。★の番号を選ぶと、発信ボタンを押し込んだ。
――斉木宅
テーブルに無造作に置いてあった携帯が、電子音と振動で着信を知らせてきた。斉木はビールの缶を退かし、ディスプレイを確認しないまま通話ボタンを押す。
「小三坂君…?」
『いえ、いきなり済みません…ハセヲのプレイヤーの三崎です』
斉木は、戸惑いながら名乗った少年の声に思わず居直った。その拍子に近くにあった缶が倒れ、恐らく三崎にも音が聞こえただろう。
「ご、ごめんね。態々電話までしてもらって…」
何故ハセヲのプレイヤーが番号を知っているのか、そんなことはどうでも良かった。それに関しては言及せず、斉木はバツが悪そうに謝罪する。
『本当は、マク・アヌで話せば良かったんですけど。まだ斑鳩に頼まれてることがあって』
三崎の口調は、ハセヲのものとは違った。友達とは砕けた話し方をするのだろうが、年上と話す時は節度を持った態度が取れる。そんな印象だった。
「でも、私に出来ることなんて…」
『クビアは、俺達碑文使いがケリを着けます。勿論、斑鳩とオーヴァンも一緒に』
「……」
斉木はただ三崎が話すことを聞いていた。三崎は斉木の返事が無いと分かると、そのまま続ける。
『Auraと黄昏の碑文のことは、パイからメールがいったと思いますが、問題は残ったもう一つの碑文で…。古い碑文の処分を★にも頼みたいと、斑鳩に言われたんです。…明日、13時過ぎからタルタルガで待ってます』
三崎は何度か区切ろうとしたが、勢いで全ての用件を伝えた。斉木とこれ以上の雑談が出来る自信が無かったことと、斉木のメンツのことを考えてのことだった。
『…分かった』
最後に小さく返事が聞こえ、三崎の携帯に、通話時間と目安料金が表示された。
三崎は携帯を投げるようにベッドに置くと、深い溜め息を漏らした。
翌日 13時20分
ハセヲは約束通り、タルタルガのカオスゲート近くで★を待っていた。一点だけ電話の内容と違うのは、隣に望が居ることくらいだった。
「悪いな、付き合わせて」
ハセヲが穏やかな声で言うと、望は無邪気な笑顔で見上げてくる。望にとってはハセヲと★が仲直りすることが、一番の喜びらしい。
「大丈夫。今日は夜までおるすばんだし、みんなの役にたてるってうれしいから」
誰かの役に立つ、喜ばしいことの筈なのに、その感覚がハセヲの中で薄れていた。二人の仲間をデータドレインしたことは、結果として役立っているが達成感には至らないでいる。
(クビア倒せば、素直に喜べんのかな…俺)
「あ、きたよ」
ハセヲが考え込んでいたところに、★は姿を現した。望がトテトテと走り寄り、挨拶を交わしている。一通り終えたのか、ハセヲの所まで一緒にやって来た。
「待たせちゃって、ごめんね」
「いや、思ってたより早かったから助かった。…もう、大丈夫なのか?」
ハセヲの問いに、★ははっきりと頷いて答えた。
「じゃあ行くか、望にも手伝ってもらうから一緒に来てもらう」
そう補足すると、3人はパーティーを組んで△ 隠されし 禁断の 帳へ向かった。
クビア・ゴモラの襲撃を予想していたが、杞憂に終わる。この日も月は静かに浮かび、泉の水面は僅かな風に揺れていた。
ハセヲと★が際に立ち、底に沈む目標を視認する。以前より光が弱まっているような気がする。
「望のスペルで水を巻き上げてもらって、足りない分は俺が補助する」
ハセヲは言いながら、規格外の大鎌を展開する。碑文使い達が手にすることの出来る、ロストウェポンの一つ「死ヲ刻ム影」だ。その長い柄を、★に差し出す。★はロストウェポンとハセヲを交互に見、少し躊躇いがちに受け取る。
「八咫の仮説だと、“普通の”武器じゃ壊せない可能性が高いらしい」
「私に、出来るかな」
今まで使ったことの無い接近武器を扱えるか、というよりも斑鳩や嵩煌が居ない独りという状態への不安感が強かった。
「…やってみなきゃ分かんないだろ。斑鳩は、★なら出来ると思ったから頼んだんだ」
ハセヲは大剣を担ぎ上げると、★の返事を聞く前に望に声を掛ける。★はこれで最後と自分を戒め、ハセヲの背中に斑鳩の影を重ねた。そして、大鎌を持ち直し、黄昏の碑文と対峙する。
本来、the worldのPCは水中には入れない。故に邪魔な水を排除する手間が掛かることになったのだが、斑鳩なら違ったかもしれない。平然と飛び込み、いつものような一閃で簡単に終わらせた筈。斑鳩のようには出来なくても、同じ結果に辿り着くことは出来る。
★は深呼吸し、目を閉じた。ハセヲの声だけに集中するために。
「望、頼む」
望は首を縦に振ると、魔典を開いてスペルを発動する。
「…いくよ、オルザンローム」
やや自信無さげな調子が、その場を平常に留めてくれた気がした。竜巻に吸い上げられるように水柱が立ち、水面が一気に下がったところにハセヲが飛び込む。巻き込みきれなかった水に向かって、大剣を振り上げる。大剣が描いた弧が、碑文を覆う水分を散らし古びた本が露になる。
「…っ来い!!」
ハセヲの呼び声に、★は目を瞑ったまま底に向かって飛び降りる。あとはただ、大鎌の重さに従って叩き付けるように振り下ろしていた。
曲刄の切っ先は確かに碑文を貫き、裏表紙からその鋭利な輪郭を覗かせていた。だが★本人はそれを確認するには至れず、大量の水が頭上に迫る。ハセヲは全ての武器を納刀すると、★を抱えて跳躍した。その足下では、黄昏の碑文が音も無く霧散していく。
望が立つ地上に戻った二人は、暫し息を整えることを優先した。
「出来たじゃんか、斑鳩が居なくても」
ハセヲは言い終えると立ち上がり、★に手を差し伸べる。★がその手を取り立ち上がると、光が失せた泉を安堵の表情で見つめた。
「…斑鳩に頼まれたから、ってなんか言い訳みたいに使ってたのかもな」
ハセヲが、急に神妙な面持ちで呟いた。
「でも、事実なんだし…」
「あいつに言われようが無かろうが、いつかはやらなきゃいけなかったことだ。斑鳩がって言うことで、心のどっかで責任転嫁してた気がする」
★の言葉を掻き消すように、ハセヲは本心を吐露する。
しかしそれは、誰かの許しが欲しかったから出たものではなかった。明言して自分の意志をはっきりさせ、改める為だった。
「志乃もオーヴァンも、嵩煌も斑鳩も。自分で決めて、自分にしか出来ないことを、すべきことをしただけだ」
ハセヲの意見に、★は否定も反論もない。
「皆が覚悟を決めて行った結果に、何もしていない私が口出しすること自体が間違ってた…」
★は視線を水面から月に移し、今までの無礼を詫びるように言葉を繋げた。
「私、自分のやるべきことを見つけます。そして必ず、未帰還者を助けます」
「ぼくも、できることがあったらお手伝いする」
望が手を上げて意気込みを表現すると、ハセヲが帽子越しに撫でる。
「ああ、絶対クビアをやっつけような」
(斑鳩とオーヴァン、Auraのように自己犠牲でこの世界を存続させてくれている。守ってくれた未帰還者達の精神は、私達が責任を持って取り戻します)
兄弟のような二人に目を細めながら、★は多くの人に誓いを立てた。