それぞれの罪
斑鳩の言葉に、ハセヲは耳を疑った。斑鳩をデータドレインすることは、白川純弥を殺すことに限りなく近い。いや、同義と言い切っても大袈裟ではない。今まで何度もハセヲのスケィスに引き込まれそうになったが、その度に対処して斑鳩の存在を維持してきた。
「…★には、話したのか」
ハセヲはデータドレイン以前の、しかし重要なことを斑鳩に訊く。
「言えるわけないだろ。ここに来る前に、バレないようにログアウトさせてきたんだ」
斑鳩は本人が居ない場で、見舞いに行かせた本当の理由を吐いた。
「お前っ…」
ハセヲは大股で斑鳩に向かい、襟元を掴む勢いだった。が、逆に斑鳩に胸ぐらを掴まれてしまう。
「俺は嵩煌を助けたいんだよ。ここで躊躇ってたら助けるどころか、★も未帰還者になっちまうかもしれねぇ。お前だって、志乃って人助けたいんだろ?だったら、迷う必要も理由も無いはずだ」
救う為に犠牲にする。ハセヲの脳裏にオーヴァンの影がちらついていた。
「他に方法は無いのか?…お前もオーヴァンも、一人で勝手に話進めやがって」
ハセヲは俯き、斑鳩とは対照的な力無い声で言う。語尾は言い切らないうちに、消えて聞こえなかった。
「例え別の方法があったとしても、もう探してる時間無いだろ。それに俺は、今自分に出来ること、しなきゃならないことをしたいだけだ」
斑鳩はやっとハセヲを放すと、台座を背にして立った。だが肝心のハセヲが決心出来ず、斑鳩は溜め息を吐く。
「なら、俺の我儘に付き合うって思えば良い。我儘には慣れてるんだろ?」
先日交わした会話に便乗するように、斑鳩は軽く笑いながら言ってやる。
「そんな簡単に、言うなよ…」
斑鳩の我儘は命に関わるもので、その責任はハセヲには背負い切れそうになかった。
そこにあるのは罪悪感で、それをどうにかすれば良い。斑鳩はアイナが持つ碑文を見つめて、何かに気付いたようだった。自分が★に黙ってここへ来たことにあまり罪悪感を覚えないのは、それに勝る使命感があるからだ、と。
ならば、ハセヲに「やるべきこと」を与えれば決断してもらえるだろう。
「ハセヲには、俺の分までやってもらわなきゃならないことがあるんだ。クビアをぶっ飛ばして嵩煌たちを助けること。その前に、★と一緒に泉に沈んでる黄昏の碑文を壊して欲しい。理由は後で分かるだろうけど、あっちはもう必要なくなるんだ」
「それは、俺よりお前がやるべきだ」
ハセヲは斑鳩の言い分を一蹴するが、すぐに反論されてしまう。
「アウラを呼んでからじゃなきゃダメなんだよ。…俺は先に戦線離脱して楽させてもらう、そう思えば後ろめたさもないだろ。お前には、お前にしか出来ないことをちゃんと果たす使命ってのがあるんだ。途中で立ち止まったら、俺やオーヴァンを裏切ることになる。泣くにしろ俺達を恨むにしろ、全部終わってからやってくれ」
斑鳩は全て話し尽くしたようで、静かに瞼を下ろした。八咫や欅、アイナは、ただ二人を見守ることしか出来ない。
ハセヲは視線を上げると、スケィスの名を叫んだ。
スケィスを纏ってからのハセヲは、迷いも戸惑いも見せなかった。目の前の斑鳩の覚悟に対して、無礼だと思ったのだろうか。間もなく、斑鳩の体は強い光に晒されてグラフィックが剥がれ落ちた。1と0の螺旋が、スケィスの手中に向かっていく。ハセヲの頬には、データドレインとは違う光が細い筋を作っていた。
やっと終わったかと思えば、次に黄昏の碑文が変化を顕著にした。完成された鍵に呼応したのか、その光にアイナを巻き込んでゆっくりと上昇する。
“スケィスが勝手にやるから、何も考えずに委せな”
「…っ斑鳩?」
ハセヲの頭に響く声は、斑鳩のものだった。だがハセヲの問い掛けに、その声の返事は無かった。
斑鳩が言った通り、スケィスはアイナを包むように掌を翳し、八相と同じ数の光が黄昏の碑文を貫いた。ハセヲの意思を必要とせずに、スケィスは音もなくハセヲから離れる。
「アイナは」
ハセヲが八咫に聞くが、八咫はアイナのPCを仰ぎ見ながら異なる名前で呼んだ。
「Auraだ」
ゆっくりと目を開いたアイナだが、雰囲気というかオーラというか、人を超えたものを感じずにはいられなかった。八咫がその名を口にした通り、目の前に居るのは女神そのものだった。
「私は既に眠りについた存在…この世界の未来を決める力はありません」
Auraはこちらの願い事を見透かしたように、自ら話し始めた。しかしその言葉には、the worldには干渉しない意思しか含まれていない。
「…けど、the worldと無関係って訳じゃないだろ」
ハセヲはAuraの言い分を、素直に受け入れることは出来なかった。オーヴァンと斑鳩、二人を犠牲にして成された神降ろしだ。何の成果も得られずに終わったなど、二人に合わせる顔がない。だが、ハセヲが期待する回答は返っては来なかった。
「この世界をどうするか、それはプレイヤーが、人が決めること。人と人の想いの行く末に、この世界の未来がある」
言い終えたAuraは、先程とは微妙に違う光を纏い始める。「去ってしまう」、ハセヲは直感的にそう思った。
手を伸ばして引き留めようとしたが、ハセヲのそれは空を掴むだけだった。アイナのPCから別の何かが離れ、離れた端から霧のように溶けて消える。
「――黄昏に光を探す者たち…母の小さき子らに、どうか幸せを」
声は頭上から降ってくるだけで、女神の姿はどこにも無かった。アイナの体は静かに降下して、爪先から床に着地した。
「何なんだよ…これは」
ハセヲはその場に両膝を着いた、まるで神に懺悔しているようで。対面する位置に立つアイナも、何も言えずに本を抱え直すしかない。
“泣き言言ってる暇は無いだろ”
「―――っ!?」
また斑鳩の声が、内側から響いてくる。本当に高見の見物客のようで、殴りたくなった。が、斑鳩が続けたのはからかう言葉ではなかった。
“俺達に任されたってことは、俺達の力でどうにか出来るって意味だろ?……アイナに本の後ろの方、開いてもらえよ”
ハセヲは自分で理解出来ないまま、取り敢えずアイナに催促した。斑鳩の声は周りには伝わらないらしい。
アイナは言われた通りに、厚い表紙を持ち上げる。すると何百とある中から、勝手にそのページは開かれた。
しかしエマ・ウィーラントが綴った闇の女王と光の王が辿り着いた筈の結末部分が、途中から白紙になっていた。アイナは確かに最後まで書かれていたと言うが、先を捲ってもインクの染み一つ無かった。
「この先は僕らが変えていけ、ってことですかね」
欅が碑文をまじまじと見つめながら、そう解釈する。ハロルドとエマという親から離れ、やっと一人立ち出来た世界。今生きている人間が、方向を定められる世界になったということだろうか。
ふと、ハセヲは「もう一つの」碑文を思い出した。水の中に眠る碑文は、エマが著した原文のまま。ならばもう、この世界には必要の無いものだ。ここに来てやっと、斑鳩が言ったことが飲み込めた。Auraから新たな黄昏の碑文を受け取らなければ、憑神の存在も危ぶまれる。
「今やれること、か」
ハセヲは立ち上がると、女神の像が在った場所を見上げた。
ちょうどその頃、斉木が病院から帰りパソコンの電源を押していた。連絡の有無を確認するため、一番にメーラーを開く。未開封のものが無いと分かり、閉じようとした時だった。
左上にあるメンバーアドレスの一覧に、斑鳩の名前が無いことに気付いた。ログアウトしても、名前が灰色になるだけで消えることはない。第一、今の斑鳩にログアウトは不可能だ。
マウスを握る手に不自然な力が入り、嫌な汗が滲む。名前そのものが消える時、それはPCが消去された時だけだ。
――きっとクビアの影響で、読み込みが遅れているだけ…
斉木は自分を落ち着けようと、単語を区切りながら内言語化した。一息置いて、斉木はthe worldを立ち上げログインする。
やはり、メンバーの一覧に斑鳩の名前は無い。漢字二字で登録されているのは、嵩煌と八咫、そして斑鳩の3人しかいない。そのうちの1人が消えているのだ、見間違いではない。
★は斑鳩の安否を確認する為、急いでブリッジに向かった。せり上がった扉の奥にはパイとアトリ、それから欅の側近である楓の姿があった。
アトリと視線が合った瞬間、アトリが目を伏せて顔を僅かに背けた。が、★は深読みせずに端末横に居るパイに歩み寄った。
「すみません、ちょっと先輩のお見舞いに行ってました。あの、斑鳩はどこに?」
嘘なら簡単に吐ける。
しかし、すぐにバレる嘘など何の意味もない。ただ相手からの評価を下げるだけ、デメリットの塊でしかない。そんなものを態々頭を捻って作るのは馬鹿げている、パイはそう割り切った。
眼鏡を軽く押し上げ、パイは覚悟を決めて八咫の報告メールの内容を伝えた。
「…え?」
まだAuraと黄昏の碑文についての話が残っていたのだが、その前に打ち切られた。パイもそうなることは承知していた、斑鳩が自らハセヲのスケィスにデータドレインされたことを話したら、★が困惑するのは当然だ。
★の肩は落とされ、目は自分でも驚くほど左右に泳いでいる。
そんな★の存在を知らずに、大聖堂からハセヲを除いた面子が帰還した。
「…ハセヲは?」
★の代わりに、パイが聞く。
「マク・アヌ、だと思いますよ」
状況を瞬時に把握したのか、欅が静かな調子で答えた。
★は聞くや否や、八咫たちの隙間を縫うようにしてブリッジを飛び出す。
「一人は危ないんじゃ…」
アトリが声を上げるが、楓は柔らかく否定するように首を振った。
「ハセヲ殿が居れば、大丈夫ですよ」
「…そう、ですね」
アトリの胸の内は複雑だった。★が多少なりとも好意を抱いているのは、斑鳩だ。ハセヲではないと分かっているのに、物理的、視覚的な要素がどうしても重さを持ってしまう。
★は斑鳩と最後に立っていた場所に、再び戻ってきた。しかし、カオスドームの扉の先で夕陽を見ているのは違う人物。もう斑鳩は居ない、そう言い聞かせて★はドームから一歩出た。
(っ斑鳩……)
急に明るい所に出ると、目が慣れるまで数秒掛かる。視界が十分確保される前に、★は橋の上の横顔を見てしまった。斑鳩と同じ白いPC、だが風に靡く袖や裾、紅い帯は無い。
★は頭を振ると、ゆっくり階段を降りてハセヲとの距離を縮める。まだハセヲは★に気付いていない様子だ。
ハセヲはやや目線を落とし、水面に映った光を見ているようだった。★に気付いていないのか、そのフリをしているのかは分からないが、肘を手摺に乗せて体重を預けたまま動かない。
★はどう声を掛けて良いか、“誰に”話し掛ければ良いのか戸惑っていた。結局答えは出せず、声にならない思いを行動に変えた。
ハセヲの後ろから両腕を回して抱き着き、額を背中に押し当てた。ハセヲは一瞬身を強張らせたが、すぐに平常心に戻り軽く息を吐いた。回された腕は、袖の色を見れば誰なのか分かる。いや、自分に会いに来てこうするのは一人しかいないと思っていた。
ハセヲは腕を払うことも、振り返ることもせずに呟いた。
「…ごめんな」
それはハセヲの言葉なのか斑鳩のものなのか、★は歯痒さを覚える。ハセヲの鳩尾辺りで組まれた手には、力が込もっているのとは違う震え方をしている。
★は目を閉じ、口の動きを最小限にして言う。
「迷惑なのは、分かってます…。でも、もう少しだけ、こうさせて下さい」
「みんな、罪作ったんだ。お互い様ってやつかな」
ハセヲは顔を上げると、川の上に浮かぶ半球に目をやる。
――嵩煌や★含めたCC社は斑鳩に、斑鳩は嵩煌と★に。俺は志乃やアイナや★、多分他にも居るんだと思う。そんな俺もオーヴァンや斑鳩に裏切られた気がして、恨んでない訳じゃない。
でも、恨む前に先に償っといた方が良いと思うんだ。恨むなら、その後でいくらでも出来るから。だから俺は、今はクビアを倒すことだけ考えることにした。
言うのは簡単だけど、★もそう考えても良いと思う。…って、斑鳩に言われたことなんだけどさ。
★はただハセヲの言葉に耳を傾け、その一つ一つに頷いた。自分達も斑鳩に対して罪がある、斑鳩を恨む権利は無い。しかし★個人としては別で、感情はどうしようもない。
「さて、またクビアの下っぱが来たら面倒だからタルタルガに戻ろうぜ」
ハセヲは努めて明るく言うと、★はそっと腕を解く。だがハセヲの顔は見れずにいた。
帽子に、手が乗せられた。
「俺も居るんだ、そんな顔すんなよ」
斑鳩だ、★はそう確信した。
声は有れど、姿が無い。
雲の様に形を変え、流れていく。
Cloud Strife
《存在しない者》




