死神×死神
[ それから暫く、斑鳩の前周りから嵩煌の姿が消えた。斑鳩は、喧しいのが居なくなってせいせいしていたが、同時に微かな孤独感を覚えた。
一人でいることが至極当然だった筈なのに、妙な虚しさが斑鳩を襲った。
「…ほんと、余計なことしかしねぇな…あの女は」
斑鳩は夕日に向かって、初めて愚痴というものを溢した。
誰にも聞こえないように、そっと静かに。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ~」
「とっととしろよ…こっちは定試前なんだ。クエストに付き合ってやってるだけでも感謝しろって」
忙しなく駆ける呪術士と、その前を行く錬装士。元々の移動速度を考えても、差が開くのは必然的だ。
少し騒がしかったが、斑鳩は一瞬視線をやっただけで、すぐに戻した。
「ったく、クエストなら月の樹の連中と行けば良いだろ。何のためのギルドだよ…」
錬装士が小言を口にしながら、斑鳩の背後を通り過ぎた。
ジッ…ジジッ…――
その直後、斑鳩の視界、思考に何かが走り抜けた。音にも似た、ノイズのような。
斑鳩はそれに耐えきれず、膝から崩れるように座り込んだ。目眩でも起こったかのように、周りが揺らいで見える。斑鳩は瞼をきつく閉じ、治まるのをじっと待つ。
その様子を見た呪術士が、斑鳩に駆け寄ってきた。
「あ、あの大丈夫ですかっ?」
斑鳩は返事をする余裕もなく、ただ踞るだけだった。それでも呪術士は、何とかしようと斑鳩に声を掛ける。
「ハセヲさんっ…この人何だか様子が」
ハセヲと呼ばれた錬装士が、明らかに不機嫌そうな顔で、足を止め向き直った。
「どうせゲームのやりすぎで、リアルがへばっただけだろ」
「でも……、ぁ」
斑鳩がゆっくりと体を起こすと、呪術士は立ち上がって距離を置いた。
斑鳩は手摺伝いに立ち上がり、錬装士を見据えた。黒の錬装士、呪術士がハセヲと呼んだPC。
「…死の、恐怖。スケ…ィス」
「っ!?」
斑鳩から発せられた単語に、ハセヲは目を見開いた。二つ名だけならばまだしも、極僅かな人物しか知り得ない憑神の名前を、初対面のPCが口にしたのだ。
「…そう、か。アンタが…死の恐怖」
まだノイズが入るらしく、斑鳩の言葉は途切れ途切れになる。目も焦点が合わないようで虚ろ、手摺にすがらなければ立つことすら出来ない状態だ。
そんなことには構わず、ハセヲは斑鳩に食い付くように言う。
「おい、何でソレを知っている?CC社の人間か、それとも…」
「は~い、ちょっとごめんょ」
突然、ハセヲの頭を踏み台にして嵩煌が現れた。これには我慢ならなかったハセヲは、嵩煌が着地する前に尻尾を鷲掴んだ。
「んだこのチビ猫、人様を足蹴にするな」
「ぅわ、二人揃ってチビ猫言うか…」
嵩煌は呆れながらも、確認するように呟いた。
「いやその、緊急事態だから許して(-人-)ねっ」
そう言うと、ハセヲの手をスルリと抜け出し斑鳩に近寄った。斑鳩は嵩煌に気付いていないらしく、肩で息をしている。
「斑鳩、分かるんだね?死の恐怖が…」
嵩煌が言った最後の単語に、斑鳩が反応する。
「ぁ、あぁ…」
やっと嵩煌を認識したのか、かぶりを振ってノイズから逃れようとする。
それは二つ名としてではなく、『八相』としての死の恐怖を意味していることが、何故か互いに了解出来た。
「てめぇも何か知ってんのか?」
ハセヲは嵩煌を凝視し、返答によっては武器を引き抜きそうな剣幕だった。嵩煌は立ち上がると、目尻をキッと上げて言った。
「八咫から何も聞いてないなら、コレはあんたには関係無いってことだよ」
「八咫…やっぱりCC社の人間か」
「まぁ、社員の前に“元”が付く身だけどね。まだ斑鳩のことも、八咫達の動きも良く分かってないんだ」
嵩煌が大体の身分を明かすと、呪術士がハセヲを宥める。
「ハセヲさん、この人達にも事情があるんですよ。私たちと同じように…だから」
ハセヲは軽く舌打ちすると、当初の進行方向へと爪先を向けた。
「八咫は、てめぇのこと知っているのか?」
「…さぁね、部署も違ったし。PCネームだけで分かるとは思えないよ」
ハセヲと嵩煌は視線を合わせることなく、ほぼ無感情で言葉を交わす。ハセヲは小さく「そうか」と返すと、クエスト屋に向かって歩き出した。呪術士は慌てて嵩煌にお辞儀をし、ハセヲの後を追い掛けていった。
「やっぱり、データ上の干渉が起こったって訳か…」
2人が居なくなったあと、嵩煌は斑鳩を見据えて呟いた。
ノイズは完全に消えたようで、斑鳩はいつものように夕日に目をやった。ハセヲが離れたら治まった、そんな感覚が残ったような気がした。
斑鳩は深い溜め息を吐き、手摺に座った嵩煌に問う。
「…何だったんだ、今のは」
「斑鳩、さっきの錬装士の名前見えてた?」
返ってきたのは、答えではなく疑問符が付いたものだった。しかし、今はそれに怒ることも出来なかったようで。斑鳩はそれに素直に答える。
「いいや」
「じゃあ、あいつが『PKKのハセヲ』ってことも分からなかった?」
間髪入れずに、嵩煌は再び問うた。
「知らねぇよ、そんなこと。さっき初めて見たんだぞ」
「つまり、あいつの二つ名を知らないままあの単語を口に出来たってことか…」
「何のことだ?」
斑鳩は不思議そうな表情で、嵩煌の言葉に反応した。
「あんた、ノイズが入ってた間のこと覚えてないの?」
「あぁ、ただ頭がやたらと痛くなって…。あの黒い奴とお前が話してる辺りから、何となく記憶にはあるかな」
斑鳩は視線を落とし、水面をぼんやりと眺める。川は静かに揺れながら、周りの景色をそのまま映し出す。
「俺、何かヤバいのか…?」
斑鳩は嵩煌に、初めて弱気な態度で聞いた。何か言い様のない不安感に襲われたからだ。
「気にするなって、今システムが不安定な部分があるだけだから。すぐに直るよ」
二つの死の印、
それは全く異なるものではない。
そしてそれは、
世界を揺るがす象徴へと変わる。
Crisis Symbol
《危機の象徴》