決着
斑鳩達は、認知外迷宮のようなエリアとエリアの狭間に放り出された。かと思えば、背景が流れ始めた。まるでベルトコンベアに乗っている、そんな感覚だった。
“今、皆さんをあのエリアの位置まで動かしています。AIDAによる干渉で、少し手こずるかもしれませんがご了承下さいね”
欅の事後報告に、ハセヲは溜め息を吐く。そういうことはタルタルガで言ってもらわなければ、心の準備すら儘ならない。
「ここを通るってことは、ワードが分からないのか?」
斑鳩が何処にともなく質問を投げると、欅がしっかりと返してきた。
“恥ずかしながら、その通りです。でもちゃんと送り届けますから、安心して下さい♪ そうだ、着くまでにプログラムを入れて下さいね。クーンさんには、万が一ハセヲさんが危うくなった時、ハセヲさん自身に残った因子を増殖させてサポートしてもらいます”
「つーことで、よろしくっ」
クーンは指を2本揃えて、額に添える。
「ああ、頼むな」
斑鳩は言いながら、データを自身の中に組み込んでいく。青い光が、頭から足下に向かって走り無事に収まった。軽く手を握り、正常であることを確かめる。
“気を…付けて下さい、そろそろ出、ま…”
欅の声は途切れ途切れで、目標が近いことを嫌でも分かってしまう。一瞬ノイズが入り、次には強すぎる光に目を瞑ってしまう。
急に白い部屋に変わったことで、それを光だと誤認したようだ。ハセヲとクーンの目がやっと慣れた頃には、既に斑鳩がハロルド向かって走り抜刀していた。
「あ~もう、協調性ってのは無いのか」
クーンが嘆くのを他所に、ハセヲも双銃を構える。
「愚痴ってないで、俺達も行くぞっ」
ハセヲの言葉に、流石のクーンもスイッチを切り替えて愛銃のトリガーに人差し指を掛けた。
ハセヲとクーンがほぼ同時に放った銃弾が、斑鳩よりも先にハロルドに到達する。だが本体であろう管理者PCには届かず、AIDAが壁のように展開して弾いてしまう。
斑鳩は跳弾をサイドステップで交わすと、そのまま踏み込んで管理者を被う黒布に一閃を見舞った。尖ったフードが二つに裂けて、初めて素顔が晒される。
広がる白い長髪、それと同じくらい白い肌。この部屋に置かれていたレプリカと、瓜二つの顔がそこにあった。
「…本当に、ハロルドなのか」
斑鳩は眼前に刃を構えたまま、全神経を目の前のPCに向ける。しかし返答は言語化されたものではなく、僅かな頷きだけだった。身体の半分以上をAIDAに浸食され、自我も一握り残っているかどうかだ。
追い付いたハセヲとクーンが、守るように斑鳩の前方の左右に立つ。
「ハロルドの意識が切れたら、AIDAが暴走して厄介になるな。まだ大人しいうちに、データドレインした方が良くないか?」
クーンが膨張するAIDAの末端を撃ち抜きながら、二人に提案する。だが、ハセヲはそれを却下する。
「因子を渡すまで時間が掛かる。あいつの動きを止めなきゃ、俺達が無防備になったらやら…」
悠長に話している暇はなく、ハセヲの言葉は突進してきたAIDAの塊に遮られる。斑鳩は避けながら、二人に言う。
「出来るだけ本体からAIDAを剥がして、直接ハロルドを叩く」
「了…解っ」
クーンは低姿勢でAIDAの攻撃を回避すると烈球繰弾を撃ち込んで、反動を利用して距離を置く。ハセヲは大剣に持ち替えると、ハロルドとAIDAの結合部を両断する。一度はべちゃりと床に落ちたAIDAだったが、磁石でも付いているかのように一瞬でハロルドのPCに戻る。ハセヲは舌打ちしつつ大鎌に替え、斑鳩の攻撃で体勢を崩したハロルドに追い打ちをかける。
「…環伐弐閃っ」
AIDAを幾重もの斬撃で薙ぎ、遠心力も手伝って辺りに斑点が散々になる。
それを見計らい、斑鳩が跳躍しハロルドの真上に舞うと太刀を真っ直ぐに突き立てた。
刀身はハロルドの背中から胸を貫き、白い床まで達していた。斑鳩は太刀のデータを書き換えて、刺さった部分を床と同化させた。これで簡単には抜けないだろう。AIDAも司令塔である宿主の意識を失い、萎縮していく。
「斑鳩、さっきのプログラム起動しろ。そしたら俺から因子流すから」
1秒でも無駄には出来ない状況は、さして変わってはいない。半ばハセヲに急かされて、斑鳩は先程のプログラムを立ち上げる。斑鳩の体を、淡い光が包む。ハセヲ――三崎はそれを確認すると、エンターを押した。
「……な、なんだ…くっ」
ハセヲのPCにノイズが走り、スケィスの紋様が浮かんでは消えてを繰り返す。因子が遺伝子の様に細い螺旋になって、ハセヲから斑鳩へ向かって何本も伸びていく。
「ハセヲ、大丈夫かよ」
斑鳩が心配そうに声を掛けるが、ハセヲは笑って余裕を見せた。
体からデータを引き剥がされる感覚。斑鳩と同じ痛みを、ハセヲも体感している。しかし斑鳩の神経が全てPCに有るのに対し、ハセヲはまだ間接的である。斑鳩が感じる痛みは、もっと大きく鮮明であるのだろう。
(…あいつ、今までこんなのに何度も耐えてきたのか…。くそ…まだ30%以上残ってんのに、情けねぇ…な)
斑鳩が暴走する直前の保有率は一桁だったことを思えば、限界を覚えるには早すぎる。ハセヲは直立していられず、膝を着いて肩で息をしている状態。だが、あと20%は斑鳩に流さなければほぼ完全なスケィスは呼べない。クーンはハロルドの動きに注意しつつ、ハセヲへの応急措置も考える。
残り5%を切ったところで、何かが砕ける音が響いた。斑鳩の太刀が折られたのだ。ハロルドがゆっくりと起き上がり、斑鳩を凝視する。クーンはそれを遮るように立つと、自分の内側に呼び掛ける。
「ここでちゃんとやらなきゃ、カッコ悪いもんな。…来い、メイガスッ」
クーンのPCに憑神:メイガスの影が重なり、下肢でハセヲ達の周囲を取り巻いた。タルヴォスの翼盾には劣るが、幾重にもなる葉の壁は簡単には破れない。ハセヲは一時AIDAを忘れ、転送に集中する。
(92%…いける)
――――…
斑鳩が確信した直後、ハセヲは腕の力も失って倒れ込んだ。意識は何とか保っているようだが、それが精一杯のようだ。
「クーン、ハセヲを頼む」
それは受け渡しが終わったという意を含んだものだった、クーンは斑鳩側の壁を僅かに開き出口を作る。斑鳩は素早く出ると、スケィスに呼び掛ける。紋様が現れた時には、メイガスの壁は元に戻っていた。
「…ここに居る、俺は…the worldにいる…スケィス!」
斑鳩の声は天を仰ぎ神に願いを乞うような、そんな風に聞こえた。スケィスの姿はそれに応えたように見えた。真っ白な身体に、後光に似た剣を8本背負っていた。
今までのスケィスとは比べ物にならなかった。一度に複数のターゲットに対して閃弾を撃ち込むことも可能となり、浮遊するAIDAを一掃する。
ハロルドの嫉妬心は、強い力を持った憑神を前にして最高潮に達した。膨れ上がる嫉妬をAIDAが視覚的に表現しているようだった。ハロルドを呑み込み、赤黒い血管のような筋を伸ばしていく。そしてそのシルエットは、腕の長い猿人に近いものであった。ハロルドの激しい感情を原動力にして、一気に成長したのだろうか。
「気に食わねえが…アウラを助けるついでに、てめえも楽にしてやるよ」
斑鳩は届くかどうか分からないが、ハロルドに言ってやった。感謝の言葉などは無く、代わりにリーチの長い腕が振りかぶられる。スケィスは直ぐ様大鎌を手にして防ぐと、ハロルドの左側に向かって加速する。右手で追い掛けていたハロルドが、左手を伸ばし始める。なるほど確かに知能はある、さらに手のひらから光が溢れ、無数の弾幕が放射状に放たれた。
スケィスは最大までロックオンして迎撃するが間に合わず、何発か直撃する。クーンは加勢したくて落ち着かない様子だが、今ハセヲを一人置いていくのは危険過ぎる。クーンはただ、斑鳩の健闘を祈るしかなかった。
クーンの思いが伝わったかは定かではないが、スケィスは即座に転進して大鎌を翳す。相手の攻撃手段、そしてパターンは大まかに掴めた。あとは隙が生まれる瞬間を見逃さずに、一気に間合いを詰めるだけだ。
斑鳩がスケィスをフル稼働させる度、ハセヲは引っ張られるような感覚を覚えていた。保有率が逆転しているのだから、ハセヲが斑鳩側に引き摺り込まれる可能性は十分にある。一度はクーンに因子の増殖を頼もうかともしたが、口にする前に押し込んだ。
斑鳩はこの感覚に一人で耐えてきた、そう思うと助けを借りることが狡いような、申し訳ないような気がするのだ。
その斑鳩は、ハロルドの障壁を何とか崩そうとしていた。何度か接近戦に持ち込んだが、数える程度しか攻撃出来なかった。すぐに両腕が回され、振り払われてしまうのだ。
(あの腕を何とか…)
AIDAが成しているそれは、体の割に長い。いや不自然な程で、先端に付いた掌も例外ではない。
(…いける、か)
何か思い付いたのか、スケィスが動きを見せた。ハロルドの背後に回り、一気に頭上まで飛ぶ。当然のように、左右から腕が迫ってくる。スケィスは更に上昇して、腕が真上に伸び切るのを待った。そして、今度はハロルドの前方を経由して急降下する。ただし一直線ではなく、腕の長さを半径とした半円の弧を描くようにだ。腕はそのままスケィスを追い、勢い良く振り下ろされる。
だがスケィスを最後まで追尾することは出来なかった。質量が大きい両の手が振り子のように動いたことで、軽い体が留まり切れずに前のめりになったのだ。スケィスはすかさず鎌の切っ先を上に向けて構えた。
「行けっ…斑鳩!」
クーンの声に後押しされ、曲刄は閃きハロルドの胴体を斬り裂いた。その瞬間、硝子が割れるような音と共に障壁が破れる。
スケィスは鎌を投げるように手放すと、データドレインのためのパラボラを開く。誰に教えられた訳でもないのに、次にどうすれば良いのか自然に浮かんでくる。斑鳩は、ただそれに身を任せることにした。
これで今度こそAIDAを殲滅出来る、アウラを本当の自由の身にし、クビアと戦う準備が進められる。
斑鳩は無言のまま照準を合わせる。言いたいことは沢山ある、沢山あり過ぎて何を言えば良いのか分からない。複雑な思いのまま、スケィスからデータドレインの衝撃が放たれる。
AIDAが端からぼろぼろと崩れ、腕がもげ落ちる。AIDAのものか、ハロルドのものか判らぬ断末魔が響く。消える寸前、本来のハロルドの姿が見えた。その表情は物悲しくはあったが、どこか晴れやかであった。
斑鳩は憑神を還すと、ゆっくりと目を閉じた。
「俺が出来るのは、ここまでだ…」
クーンもメイガスを解くと、斑鳩は急いでハセヲに因子を戻した。すると先程までの痛みが嘘のように消え、確かめながら立ち上がった。
「俺の我が儘に付き合わせて、悪かった。リアルの方は大丈夫だったか?」
斑鳩が頭を垂れて言うが、ハセヲは軽く返した。
「少し手が痺れただけだ。それに、ハロルドを討つように言ったのは俺だからな。斑鳩の我が儘だとか思ってない」
言いながら、拳を斑鳩に差し出す。斑鳩は視線を上げ、自分の拳を答えるようにコツンとぶつけた。
「あれ~、お兄さんは仲間外れなワケ?」
遠巻きに見ていたクーンが、拗ねた子供の声を上げた。ハセヲは呆れつつも、
「いや、クーンには助けられた。ありがとな」
と素直に感謝した。
タルタルガに戻った斑鳩は、ブリッジに向かう途中で口を開いた。
「…次は、本当に我が儘言うかも」
「気にすんなよ、我が儘言う奴にはもう慣れてるからさ」
ハセヲは、二つ返事で斑鳩に言った。




