元凶
翌日、G.U.のメンバーはブレグ・エポナのカオスゲート前に集まっていた。普段は知識の蛇に居る八咫も、今回は現地に赴くらしい。
「…よし、じゃあ行くか」
全員の意志を確認し、ハセヲが声を掛けた。そこには斑鳩の姿は無く、★は最後までタウンに留まったが現れる気配はなかった。少し残念ではあったが、危険に晒されることを回避出来ると思えば悪くはない。皆を待たせる訳にはいかないと思い、★は転送を実行した。
Σ忘我なる 罪科の 意訳
樹海タイプのダンジョンで、頭上からは枝葉が擦れる音が聞こえてくる。八咫はハセヲにデータの歪みの場所を提示し、移動することに。
途中何度か戦闘になったが、大した支障はなかった。これから相対するオーヴァンに比べれば、可愛いものである。ここで苦戦するようなら、オーヴァンの前に立つことも出来ないだろう。
「次の広い所に歪みがあるはずだ」
後ろを走るクーンに言われ、ハセヲは気を入れ直す。が、歪みよりも先に見覚えのあるPCが視界の中に現れた。
「遅いぞお前ら」
「何でてめぇが、俺達より先に居るんだよ…」
データの歪みの手前で、斑鳩は袖をヒラつかせていた。ハセヲが「何でここに居る?」と聞かない辺り、斑鳩が来ることは想定していたらしい。だが自分達より先に目的地に立っているというのは想定外であった。
「ここに入ったのは俺の方が後だった、そっちの転送履歴から追い掛けたからな。で、エリア内でデータが拗れてる所探して直接飛んだだけだ」
斑鳩が少々めんどくさそうに説明すると、アトリが胸の前でポンと手を合わせた。
「それって、瞬間移動ですよね!凄いですっ」
アトリのテンションの高まりを読み取ったパイが、そっと肩を叩いて制止する。
「…オーヴァンは、お前が思ってる以上に強い。戦ってる最中に庇ってる余裕なんか無いからな」
ハセヲが斑鳩の右側を通り過ぎながら、斑鳩にだけ聞こえる声で言った。
「庇うとかお前らしくもないこと言うなよ、気持ち悪い。手前の身は手前で守るから心配すんな」
斑鳩は軽く笑いながら、そう返した。
八咫もパイも、斑鳩を追い返す体は見せなかった。ここまできて除け者にする理由は無い。斑鳩も一行に加わり、オーヴァンが待つ認知外迷宮に進入した。
異形のモンスターを退けながら進む道中、★が斑鳩に訊いた。
「斑鳩だったら、認知外迷宮にも入れたんじゃない?」
オーヴァンにAIDAのことを問い質すならば、一対一の方が都合が良いはずだ。だが斑鳩はハセヲ達が来るのを待っていた。
「一回試してみたんだけど、俺のやり方じゃ不安定でダメみたいだ。まともなエリアと認知外の中間のデータ群までしか行けなかった」
斑鳩の独自の直感や感覚的なやり方では曖昧過ぎて、ただでさえ不確定要素が多い認知外迷宮に辿り着けなかったのだろう。
「そうだったんだ。でも良かった、1人で…」
「お二人さん、そろそろ話しは終わりにした方が良さそうだ」
★の言葉を遮ったのはクーンだった。言われて進行方向に視線を戻すと、既にハセヲとオーヴァンが対峙していた。
気が付けば、そこは真っ白な部屋だった。大量の本が散乱し、オーヴァンの傍らには安楽椅子に座った少女が見える。
オーヴァンの口から、この部屋が“創造主”のものであること、そして積み上げられた書物が“黄昏の碑文”であることが明かされた。斑鳩はここに似た白い部屋を知っている。そこには安楽椅子の代わりに玉座があり、少女ではなくハロルドを模したモノが座っていた。あの空間自体、今居るこの場所を似せて作られていたのだろうか。
―少女はアイナといい、オーヴァンの実の妹――最初の未帰還者。兄はただ妹を救わんが為、AIDAや碑文使いを利用してきた。そして、ここでハセヲと戦うことも儀式の一部でしかない。もしオーヴァンに勝てたとしても、未帰還者が全員助かるとは限らない。志乃も嵩煌も、真に至っては手掛かりすら得られないかもしれない。
ハセヲは最後の言葉を交わすと、双剣を構える。
「行くぜ…パイ、オーヴァンの後ろに回れ。アトリは補助頼む」
言い終える前に、ハセヲは走り出す。オーヴァンは眼鏡の奥の目を細めると、左腕を解放した。
オーヴァンの基本戦闘スタイルは銃戦士だ、距離を置いては不利になる。ハセヲとパイはスキルを発動し、一気に間合いを詰める。
「旋風滅双刃!」
「虎咬転身撃ッ」
オーヴァンはハセヲの双剣を刀身で防いだ所へ、パイが気功と蹴りを繰り出した。が、3本目の腕―トライエッジに阻まれる。パイはなんとか受け身を取って着地するが、その視界が急に陰った。
「…パイ!!」
かと思えばハセヲの声。それは一瞬のことで、見上げた時にはオーヴァンの銃剣の切っ先が振り下ろされていた。更にトライエッジが追撃を掛け、パイは吹き飛ばされる。だが、地に体を打ち付けることはなかった。
「いつもの威勢はどうしたんだ?…俺が代わりに行く」
丁度パイの一直線上に居た斑鳩が、受け止めていた。そしてすぐに立ち上がると、抜刀して前線に走っていく。
「駄目!オーヴァンの腕は、斑鳩には危険過ぎる」
★が叫ぶが、意味を成さなかった。パイも立って体勢を整えたが、戦線に戻ることは諦めていた。恐怖心が一番の理由だが、それ以前にオーヴァンとの格の違いを実感したからでもあった。
オーヴァンは斑鳩に気付くと、左手を軽く上げて周囲に球体を呼び出した。拒絶・復元の隣人、厄介なサポート役だ。ハセヲは武器を大鎌に換えると、全体攻撃で隣人を纏めて斬っていく。斑鳩がオーヴァンと刃を交えるが、拒絶の隣人がいる限りダメージは通らない。それでも回復担当のアトリに近付けさせないことは出来る。
「…もう一人の死神、か。面白いな」
メガネとマフラーで隠された顔では、表情は全く分からない。どんな目で斑鳩を見、言葉を口にしたのか。
「本当に、お前を倒せば未帰還者は…戻って来るのかっ」
斑鳩は、オーヴァンの赤黒い腕を弾き返しながら叩きつけるように聞く。
「さぁ、どうだろうな」
しかし、返ってきたのは曖昧なものだった。そこで斑鳩は、別の質問をぶつけた。
「それってつまり、あんたも“被害者”だから“よく分からない”って…ことか?」
その問いの直後、オーヴァンの動きがワンテンポ遅れるのを斑鳩は見逃さなかった。
一気に懐に踏み込み右手で第三の腕を掴むと、左に持ち換えた太刀でオーヴァンの脇腹を貫いた。当然血などは出ないが、AIDAを解放している状態ならば痛みはある。
斑鳩が右手に力を入れると、オーヴァンは尋常ではない握力を感じた。見れば、斑鳩の腕にスケィスの影が重なっていた。
「あんた、AIDAに取り憑かれた時に誰か見なかったか」
斑鳩の問いに、オーヴァンは眉一つ動かさずに答えた。
「あの瞬間、黒に染まったこの部屋と妹の怯えた目しか…記憶に無いな」
オーヴァンは言い終えると、刺さった刀身に手を掛け斑鳩ごと引き離した。斑鳩は受け身を取り体勢を崩さないように飛び退く。
「なら、お前の中の憑神に訊くまでだな」
斑鳩は側に浮く拒絶の隣人を切り捨てると、ハセヲを一瞥しつつ再びオーヴァンに向かって太刀を構えた。前方に注意を引き付けさせ、ハセヲが背面に回るのを待つ。
「…悪いが時間が無い、そろそろ終わらせて貰おう」
「ああ、俺達もそう思ってたんだ。なぁ…ハセヲッ」
「…ッオーヴァン!」
ハセヲが跳躍し斑鳩が一歩退くと、ハセヲの双剣から天下無双飯綱舞いが繰り出された。だが、オーヴァンは逃げることも防ぐこともしなかった。ハセヲは着地すると、驚きと戸惑いの混じった視線をオーヴァンに向けた。
「それで、良い…ハセヲ」
オーヴァンは肩を落とし、しかし穏やかな表情を見せた。が、その表情はすぐに消え失せ、代わりに憑神の紋様が浮かび上がる。
「お前の死神で、俺の首を刈れ…来たれ再誕、コルベニク!」
「な、何なんだよっ、ワケわかんねえよ…オーヴァン」
ハセヲがコルベニクの前に立ち尽くしていると、斑鳩が叱咤する。
「ここまで来て大人しく殺られる気かよ?迷ってたら、お前まで未帰還者になるんだぞ!」
「くそっ…」
ハセヲは踏ん切りが付かぬまま、それでも憑神の名を呼んだ。
「…俺は、ここにいる―――」
「「スケィス!!」」
憑神とAIDAのみが知り得る空間に、三人は対峙した。コルベニクの左肩はAIDAの影響で肥大し、オーヴァン自身でも制御が出来ないようだった。
ハセヲを一喝した斑鳩ではあったが、このまま何も手掛かりを得られないままオーヴァンを倒したくはなかった。叶うならば、アトリの時のように憑神の記録に接触したい。かといって手を抜いたらこっちが危険だ、ほぼ暴走しているコルベニクにオーヴァンの意思はほとんど感じられない。
「ハセヲ、俺があいつに直接叩き込む。援護と弾幕任せた」
斑鳩が作戦を提示するが、語尾は同意を求める形ではなかった。
「何勝手に決めてんだよ」
当たり前の反応をハセヲが示すと、斑鳩は大鎌を展開して言った。
「本体を目の前にして、躊躇しそうなやつに近付かれても迷惑だ。…俺もまだ“死にたくない”んでね」
斑鳩はハセヲの返事を待つことなく、コルベニクを牽制しつつ接近を始めた。ハセヲはあれこれ考えるのを辞め、斑鳩を狙う弾を撃ち落とした。しかし、斑鳩にデータドレインの力は無い。最後は自分の手で決断せねばならない重圧が、ハセヲにのし掛かった。
ハセヲの惑いが振り切れる前に、その時はやって来た。斑鳩の一閃が、コルベニクを被っていた見えないハニカムの壁を壊し、正六角形の欠片が辺りに散らばった。それでもコルベニクは戦意を失わず、一気に後退して距離を離すと射撃を繰り返してきた。
「…あとはお前で決めろ」
「分かってる」
ハセヲの返事は、何とか絞り出した声だった。すると、斑鳩が徐にコルベニクに向かっていった。
「おい、お前も巻き込まれるぞ」
ハセヲが制止するが、斑鳩は振り返ることなく答えた。
「悪いけど、やっぱ試したいんだ…」
斑鳩もハセヲとは別の意味で、オーヴァンのことを割り切れないらしい。ハセヲがデータドレインを発動するまでの間、コルベニクの動きを止める代わりに、記録との接触を図りたいと言うのだ。ハセヲにとっては、巻き添えにしてしまうのではないかという不安要素が増えるだけだ。
「俺のことは気にすんな、ちゃんと避けっから」
斑鳩も必死さを隠しているが、友達を助けたいという思いはハセヲも痛い程分かっていた。そしてオーヴァンも同じく、大切な人を助けたいだけなのだ。目的は同じなのに、どうして戦わなければならないのか、もう修復出来ない所まで走ってきてしまったのか。
ハセヲが意を決するより先に、斑鳩がコルベニクとの接続を始めていた。流石オーヴァンの憑神と言うべきか、なかなか中枢部に入れない。今しがたの戦闘や、最近の場面が断片的に見えるだけだ。そうこうしているうちに、周囲の六角形の破片が集まり始めた。早くケリを着けなければ長期戦になりかねない。
(くそ…頼む、一瞬だけでも良いんだ。AIDAに襲われた瞬間を…)
斑鳩は焦りの色を見せ、半ば強引にブロックデータを抉じ開けていく。ハセヲはデータドレインが可能な時間ぎりぎりまで待っていたが、限界が来た。
ハセヲのスケィスの腕に、何重にもなるパラボラが開き、コルベニクに照準を合わせた。
「退け斑鳩っ、これ以上は待てねえ」
ハセヲの警告に、斑鳩は従わざるを得なかった。最後に出来る限りコルベニクのデータをコピーすると、離脱しようとコルベニクに背を向けた時だった。
―――左脚を掴まれた。
斑鳩の視線は、障壁の穴が確実に閉じていくのを捉えていた。斑鳩は、曲刄を振り上げると同時に叫んだ。
「やれ、ハセヲ!!」
放たれた閃光と振り下ろした大鎌は、コルベニクを確かに貫いた。終わったかに見えたが、再びオーヴァンの声が響いた。
「全ての憑神のデータを揃えたお前のスケィスが、やっと鍵になった。…今こそ“再誕”を発動する時」
コルベニクの身体が直視出来ないくらいに発光し、斑鳩の安否が分からない。
「おい!斑鳩っ……再誕って何なんだよオーヴァンッ」
1人残されたハセヲは、どうすれば良いか分からない。
気が付けばコルベニクの光に飲み込まれ、次には砂塵が走る荒野に投げ出されていた。
あの光の中に、もう一つの発光源があったことなど、知る由もなかった。




