決戦前夜
G.U.は当初の目的に向かっても動いていた。オーヴァンとの決着。AIDAの原因はオーヴァン一人だと思われていたが、斑鳩絡みの事件が明るみに出たことで事情が変わった。オーヴァンの上に、もっと大きな何かが潜んでいるようなのだ。
G.U.メンバーは知識の蛇に集まり、最終確認に入っていた。
「前回の戦闘よりも、確実にあの男は強くなっている。と同時に、AIDAによる侵食が進行している可能性も考えられ…」
八咫が説明する中、斑鳩は興味半分で壁に凭れ掛かっていた。たが関心が無いという訳でもなかった。
オーヴァンは被害者であり、加害者でもある。その原因にあるのは、斑鳩の敵が持つAIDAだ。しかしオーヴァンは、管理者と同じようにAIDAを制御している。叶うならば、本人から情報を引き出したいと考えていた。
「斑鳩、終わったよ?」
八咫が解散を宣言しても微動だにしなかった斑鳩に、★が声を掛けた。
「…ん?ああ、そうか」
どこか上の空になっている斑鳩に、★が肩をすくめる。
「オーヴァンとAIDA、気になるのは分かるけど、私達は結果を待つしか出来ないから」
「待つしかって…」
終始受け身がちな★に、斑鳩は壁から背中を離した。すると、★ではなく近くに居たクーンが口を開いた。
「本当に聞いてなかったんだな(^_^;)…オーヴァンは強い。AIDAを伴った攻撃をお前が受けたら、どうなるか分からない。データドレインはもっての外、だからお前は待機だ…って八咫に言われただろ?」
八咫の言葉の引用部分は、やけに真面目な声色だった。クーンも同意見なのだろう。そして、決して軽い口調で話せる内容ではなかった。
「俺はハセヲと渡り合えたし、自分の身くらい自分で守る」
声は抑えているが、怒気は確実に伝わってくる。だがクーンは平常心を保って続けた。
「それは、俺じゃなくて八咫に交渉するんだな」
「くそっ…」
斑鳩は返答せず、壁に拳を叩き付けるとツカツカと知識の蛇を出ていってしまう。クーンも★も、引き止めはしなかった。引き止める理由がなかった。八咫が簡単に折れる男ではないことは、斑鳩にも分かっていた。その男の名前を出された時点で、勝機は消え失せていたのだろう。
「まあ、斑鳩の気持ちは分からんでもないけど…。命に関わることだしな」
クーンは頭を掻きながら、何となしに★に言う。
「斑鳩が言っていた通り、ハセヲの憑神に後れは取っていなかったから。力はあるのに何も出来ない、この矛盾は苦しいと思う」
やっと有能感を見い出した斑鳩にとっては、出鼻を挫かれたも当然だった。これで大人しくしていてくれるか、斑鳩の動きに注意を払う必要がある。
「聞いてなかったなら、ギリギリまで教えない方が良かったかな?」
クーンが少し内省的になると、★がそれを否定した。
「出発直前になって揉めるよりは、良かったんじゃないかな」
一方その頃、フォルケがアリーナ脇の路地裏に足を運んでいた。アールからthe worldのインストールが完了したと、連絡が入ったからだ。袋小路まで来ると、重ねられた木箱の一つに腰を下ろす。
程なくして、通路をこちらに向かって走ってくる銃戦士の姿が見えた。
「リカバリーお疲れ様でした、何か支障はありましたか?」
「いや、物理的にHDDがやられただけだ。仕方ないから外付けの買ってきたけど、給料前にはキツいな」
アールが冗談混じりに答えると、フォルケは小さく噴き出した。アールがログイン出来なかった間、フォルケが代理を務めていた。その間の情報をアールに伝え、最後にG.U.の動きを話題にした。
「明日、彼らはオーヴァンに挑むようです。パイさんからメールをもらいました」
「そうか…。オーヴァンの件が片付いたら、こっちも進展があれば良いけど」
と、思い出したようにフォルケがアールに未開封のメールを差し出した。
「誰からだ?」
「参拾八です、親展だったので内容までは分かりません」
ハロルド探しのハッキングにしくじったからか、参拾八は妙に慎重になったらしい。その極端さに呆れつつ、アールはメールを開いた。
内容は、再びハッキングを試みたところから始まっていた。長々とした文章だったため、アールは斜め読みしながら経過を追っていく。そして最後に、成果が記されていた。
「…ハロルドの本体を発見」
その部分を、アールが声に出して読み上げた。その言葉にフォルケも居直る。
「だが奇怪なことに、サーバー移動や一時的な消失が確認された。どこかの一室に眠っていると、勝手な先入観が見事に崩された。更なる調査を進め、本体との直接的な接触を目指す」
アールは情報漏洩を避けるため、すぐにメールを消去した。
「“彼”はまだ生きているというのは、本当のようですね」
「ああ…余計に厄介なことになりそうだ」
再びマク・アヌ。
斑鳩は橋の上で、茜色の光を全身に受けていた。丁度混み始めた時間帯らしく、カオスドームと広場を行き交うPCが増えてきた。斑鳩が雑踏に耳を貸すはずはなく、視線を水面に落とす。
「やっぱりここに居たね」
そんな斑鳩の背後から、★の声が聞こえた。あの後の斑鳩の機嫌が気になったらしく、追い掛けて来たようだ。斑鳩は僅かに視線を上げたが、★を直視することななかった。★は小さく溜め息を吐くと、斑鳩の左隣に立った。側に行っても良いかという問いは、もう必要ないようだった。
「…あのさ」
斑鳩は相変わらず視線を落としたまま、口元だけを動かした。★が相槌を打つと、斑鳩はおずおずと続けた。
「俺、本当に元に戻るのか?その、可能性っていうか、確率的な数字とか無いワケ?」
唐突な要求に、★は言葉を詰まらせる。嵩煌が居れば上手く取り繕えるだろうが、不在の人間に助けを求めるのは甘えでしかなかった。
リアルに戻れるようにする、と言葉にするのは簡単だ。斑鳩自身も、この長い夢から覚める為に努力している。今は倒すべき相手が居て、目標もあるのだが、逆に不安も生まれる。もし達成しても戻れなかったら?多少の期待が、大きな絶望感を作り出すことは往々にして有り得ることだった。
斑鳩としては、その期待を最小限に抑えたいのだろう。自分が勝手に抱えた期待に裏切られる、それは自己責任と言ってしまえばそれまでだが―――。その為には、具体的な数字が欲しい。叶うなら、絶望にも期待にもなり得ない数字が。
「ごめん、この場で私だけで決められることじゃない。でも、これだけは言える“0%じゃない”ってね。曖昧なのは分かってる、けど白川純弥の意識はここにあって身体もちゃんと生きてる。昔の事件で未帰還者になった人達もちゃんと戻ってきたし、ね」
★は自信が無いながらも、言い吃ることなく話した。
「ゼロじゃない、か。賭け事のレベルだな。まあ俺がこうなったのも偶然や奇跡みたいなもんだし、戻るのも偶然ってのが必要かもな」
斑鳩は急に顔を上げると、笑いながら答えた。本人は明るく言うが、★には半ば諦めたように聞こえてならなかった。
「斑鳩、戻れなくても良いと思って…」
「いいや、んなこと考えてねぇよ。そんなこと言ったら嵩煌を裏切ることになる」
自分の為に未帰還者にまでなった嵩煌の努力を無駄にする訳にはいかない、斑鳩はそれを忘れたことはない。
「そうだよね。私の方が先輩のことを蔑ろにするところだった…」
★はバツが悪そうに俯いたが、斑鳩は言及しなかった。代わりに、斑鳩は新たな意志を表明する
「それに、同じ賭けなら勝率が高い方を優先しようと思ってる。俺は、嵩煌と真を絶対に助けるって約束した。あの二人の方が俺よりもリアルに近いのは確かだと思うし、嵩煌が復帰してくれなきゃ俺が戻れる可能性は低いまんまだから。まずは二人を助ける、それまでは自分のことは考えないようにする」
二兎追うもの一兎をも得ず。
一度に多くのことを考えても、混乱と焦りの元にしかならない。ならば順番に、確実なものから解決すれば良い。
「…オーヴァンとの戦い、行くの?」
「ああ、あいつがAIDAに蝕まれた瞬間が知りたいんだ」
オーヴァンが自ら受け入れたのか、それとも管理者が関わっているのか。それが分かれば、嵩煌救出に一歩近付く。
「他の碑文使いも居るけど、無茶はしないでね」
★は怒ることなく、穏やかな表情で言った。斑鳩もそれには驚き、思わず★の方を見る。反対すると思っていたのに、あっさりと承諾されたからだ。
「じゃあ、私は休むね」
話に切りがついたところで、★は爪先の向きを変えた。
「分かった、おやすみ」
斑鳩に見送られ、★はセーブ屋の前で消えた。
“…――――――”
(ん?あぁ、やっぱ君には隠せないか)
“………”
(大丈夫だよ、馬鹿な真似はしないから…)