一人二役
「アー(じゃなかった…;;)弐拾参、ちょっと」
「何だ?てか、いい加減使い分けしろよな」
今日も白の部屋に、細長い影が立っていた。召集は掛かったのだが、肝心の九拾九が現れないでいた。
「…すみません。あの、他のグループで何か進展は?」
壱拾伍は少し周りを気にしながら、弐拾参に聞いた。実のところ、未だ誰が九拾九派なのかはっきり把握出来ていない。反対派に属していても、直接会ったりサブPCで活動したりといったことを拒む者もいる。
「参拾八の所が、ハロルド本体がいるサーバー探ってるのは聞いてる。俺は早まるなと警告はしてるんだがな、向こうにバレたら厄介だ」
弐拾参もまた小声で返すと、壱拾伍が軽く頷く。
「遅れてすまない」
部屋全体に九拾九の声が響いた。そして、ゆっくりと本人が姿を現した。管理者達は一斉に動き、所定の位置に立つ。
「では、それぞれ報告を」
「全サーバは問題なく稼働しています。ただ昨夜23時過ぎに、Σサーバで若干のラグ(サーバに負担が掛かり、動作が遅れること。タイムラグ)が見られましたが、許容範囲内です」
九拾九の右手に居た一人が、事務的な応答をする。更に続けて、その隣の管理者が報告する。
「チートによるステータス改造PCが28名、アイテム改竄6件。前者はアカウント停止、後者は回収し作成者を調査中です」
例の事件や斑鳩に関することを除けば、他のネットゲームの管理者と何ら変わりないようだ。the worldが円滑に稼働するように整備を行う、謂わば表の顔だ。
すると、今度は弐拾参が発言した。
「アリーナも特に問題無しです。装備の改竄をしているPCが2名いたので、没収と1週間のアカウント停止の処置をしましたが」
弐拾参の担当はΩサーバのルミナ・クロスのようだ。言い終えると、弐拾参は壱拾伍に報告するように促す。
壱拾伍は緊張を捨てきれないまま、エリアの状況報告を始めた。
「エリアはフィールド、ダンジョン共に障害はありません。△とΘサーバのエリアでBOT行為(プレイヤーに代わり、プログラムがPCを動かし、敵を倒したり宝箱等のアイテムを集めること)が4件ありましたが、対応済みです」
無事に終えると、小さく安堵の一息を吐いた。定型文を読むだけのことだが、どうも九拾九には威圧感を感じるらしい。
「ご苦労だった。…私の方からも、皆に報告せねばならんことがある」
いつもならばここで解散なのだが、今日は違った。管理者達はは顔を見合せ、少々ざわついた。
「最近、上層部内に不穏分子が入り込んでいるようだ。今は特に支障は無いが、場合によっては創造主に意見を仰ぐつもりでいる」
(やっぱ参拾八が足付けたな…)
弐拾参は胸の内で舌打ちしたが、表層は至って平常心を装った。
「子供のように、態々犯人探しをするつもりはない。いずれあちらから姿を見せよう」
九拾九は並んだ管理者を一瞥し、黒を翻して背を向けた。
「では、定例報告を終了する」
語尾の辺りには本人の姿は無く、置き去りにされた言葉が響いていた。完全にエリアから消えたことを確認すると、反対派のプレイヤー達はモニターの前で胸を撫で下ろした。そして誰ともなく定位置を外れ、徐々にエリアからPCが減っていく。
「じゃあ俺達も行くか、また“向こう”でな」
弐拾参が壱拾伍に声を掛けると、壱拾伍は頷き先にエリアを出る。やや間を置いてから、弐拾参も白い部屋から退室した。
(思ったより早く警戒網を張られちまったな…動き辛くなったらG.U.を頼るしかなくなるが)
弐拾参のプレイヤーは、一度ログアウトして別のアカウントで再びthe worldに入る。彼は今から、弐拾参ではなくアールだ。
壱拾伍もフォルケとしてログインすると、マク・アヌのカオスゲート前に現れた。程なくしてアールも姿を見せ、例の緑の光がPCに走った。
「少し厳しくなりましたね、侵入用のプログラム組んでる時間も無いし…」
フォルケが左手を顎に添え、表情を曇らせる。
「まあ、遅かれ早かれ気付かれるんだ。俺達は俺達の仕事するぞ」
アールは軽く流すと、フォルケの横を通り過ぎゲートを操作する。エリアワード 隠されし 禁断の 帳を入力すると赤のアクセスブロックの表示が目の前に広がる。
「おい、いつまでも悩んでないでハッキング手伝え」
「ぁ、はい。すみません」
アールの一喝に、フォルケはハッとしてゲートに駆け寄った。二人掛かりでブロックを取り除くと、改めて転送の文字をクリックした。
「…しかし、ここはいつ来ても薄気味悪いな」
静か過ぎる月夜のエリアに、アールは未だに慣れなあようだった。
二人は他メンバーの今日の活動予定を確認しながら、泉の縁まで歩いた。相変わらず、モルガナのレプリカであると思われるものからは光が滲み出ている。しかし、心なしか以前より弱くなっているように見えた。意識して視ずとも、本の輪郭が分かる。
「…さて、何でも良いからこいつのデータを拝借しないとな」
今日のアール達の目標は、泉の底に沈む書物との何らかの接触だ。フォルケはしゃがむと、前屈みになって泉を覗く。
「普通のPCが水に触れても、支障は無い…ですかね」
「まあ憑神が無いんだし、特に何も起きないんじゃ…って、おい」
慎重なフォルケが、珍しく先に行動に移した。それに驚いたアールが制止しようと声を荒げたが、意味をなさなかった。フォルケは右手を差し入れ、変化が無いことを確認すると、肘辺りまで浸けてみた。
「大丈夫みたいですよ」
「…だな」
アールは頭を掻きながら適当に返事をすると、フォルケの隣で膝を着いた。
フォルケは更に腕を伸ばし、肩まで水面下に入ろうとしていた。だが届かないと判断したのか、潔く引き抜いた。するとフォルケは、今まで水に浸かっていた腕をまじまじと見つめた。
「斑鳩君ならこの水の感触も、温かいか冷たいかも分かるんでしょうね」
急に斑鳩の名前を出され、アールは返す言葉がすぐに浮かばない。確かに、碑文使いは一定の条件下で痛覚・触覚といったものがthe worldで感じられる。斑鳩の場合は特別で、自身が憑神であるが故、常に感覚を有する。しかも五感全てである。
子供の頃、ゲームや映画の世界に行ってみたいと夢見たこともあるだろう。その夢が叶った究極の形、それが今の斑鳩だ。
「覚めない夢ほど、胸クソ悪いもんはないな。斑鳩を現に連れ帰るのが、俺達の最終目標だ」
アールは胡座をかくと、いくつかのプログラムを立ち上げて接続を試みる準備を始めた。
フォルケも手伝って、使えそうなものを探す。
「まずはオーソドックスにハッキングかけますか?」
「そうだな…、足跡残さないようにブラインドと併用するのが面倒だけど」
アールは細やかな愚痴をこぼすが、準備の手は止めなかった。
「先輩はハッキングをお願いします、僕がブラインドの一切を引き受けますから」
二人居ることを有効利用するのは、常に考えるべきだ。フォルケはもう一つのログ隠し用のソフトを起動し、万全の体勢を作る。
「んじゃ、やってみるか…」
アールがフォルケと目を合わせると、どちらからともなく頷いた。ハッキング先を泉の中のオブジェクトに指定し、エンターキーを押す。
「…なっ、なんだこれ」
「アール…?」
アールの緊迫した声色に、フォルケが動揺する。
「向こうから、攻撃された。訳分からんテキストデータをHDDに…押し込んできやがる」
何とか切断しようとするが、それすら許さないようだった。焦ったアールは、リアルで無線LANのルーター(ネット接続する為に電波を出す機器)に手を掛ける。
「悪いが、一旦落ちる」
アールのプレイヤーは、椅子の背凭れに上半身の全てを預けた。天井を見上げながら、ポケットから煙草とライターを取り出す。そして静かに、天井に向かって紫煙を吐き出した。
「……っ?」
突然机の上の携帯が鳴り出した、座り直して携帯に手を伸ばし開くと小三坂の名前が点滅していた。
“大丈夫でしたか?”
「ああ、悪かったな。ログ残りそうか?」
“僕達があそこに居たというのは隠せてますが、ハッキングの形跡が若干付いてしまいました。今遡って書き換えてますけど、見つかったらそれまでです”
アールのプレイヤーは、知らぬ間に煙草のフィルターを噛み潰していた。まさか向こうが能動的に何かをしてくるとは、予想だにしなかった。一昔前の元AIを甘く見ていた。
「俺のPCはリカバリ(PCを購入時の状態に初期化すること)しないと使えそうにない、敵は思ってたよりデカいな…」
“えぇ。まずは体勢を立て直しましょう”
一頻り話した後、煙草を灰皿に押し付けながら携帯を畳んだ。