カオスゲート
ドームの扉を開き、ゲート前に立った斑鳩は、再び動かなくなった。何かを考えているかのように口元に手を当てがい、じっとゲートを見つめる。
(レベルは…俺より2、3上で。たまにはフィールドタイプにしようか。あ、雨は絶対無理…髪濡らしたくないから)
誰かと話しているように、斑鳩は頭の中で淡々と続けた。
「会話」が終わると、斑鳩はエリアへと転送された。その様子は他のPCと同様ではあったが、エリア選択の過程は全く異なっていた。
嵩煌が、斑鳩に着いていけない理由がここにある。斑鳩はワードを使用せずにエリアを決定し、移動することが出来る。勿論、the worldにそんな仕様は存在しない。
消える斑鳩を扉近くの柱に寄り掛かって見ていた嵩煌に、あの時の呪術士が歩み寄ってきた。
「あまりベタベタしてたら、感付かれるんじゃない?」
と言われた嵩煌は、尻尾を2、3度揺らしただけだった。
「上も、彼に関しては干渉しないって決めてるし…」
「で、あの子に何かあっても『知りませんでした』とか言うつもりなんだろ?」
嵩煌は、猫特有の細い瞳孔をさらに鋭くしゲートを見る。その問い掛けに、呪術士は返す言葉が無かった。確かにその通りだと、知っていたから。
「★(キラ)はその心配性をどうにかしないとねぇ。斑鳩には、今の自分の立場を知るきっかけが無い。もしかしたら、思い出さないように、自己防衛が働いてる可能性すらあるんだ…」
晴れ渡ったフィールドに、斑鳩は立っていた。青い空に深紅の帯が映える。エリアワードも、正確なレベルも分からない。そこに居るのは、斑鳩ただ一人だ。だが、エリアとしては成立しているらしく、モンスターも宝箱も、獣神像の建物も存在する。
「…さて、殺りますか」
すると斑鳩はいきなり古刀を構え、宝箱の周りのモンスターに仕掛けた。しかし、モンスターに接触したというのにバトルエリアが展開されない。まるでR:1のシステムのようだ。
モンスターも縦横無尽に移動し、別のモンスターの群れを巻き込むこともあった。
モンスターを一掃した斑鳩は、獣神像に向かうことなく、空を一仰ぎして目を閉じた。
「…あぁ、帰るよ。またあの場所に…」
周囲にゲートは見受けられないにも関わらず、斑鳩の身体は転送の光に包まれる。斑鳩の転送手段は、ゲートに頼る必要がない。それは特殊なことであったが、本人は当たり前だと思っているらしかった。
タウンに戻ると、そこはドームではなく橋の袂だった。嵩煌の姿はなく、斑鳩は少し安堵して橋の半ばに向かう。
しかし、その安堵は長くは続かなかった。嵩煌が嬉々として、斑鳩の指定席で待ち構えていたのだ。
「おかえり~、楽しかった?」
「…別に。お前、かなりの暇人だな。ニートか?」
斑鳩は呆れながら言い、手摺に体重を預けた。
「斑鳩君に言われたかないね。ずっとログインしっぱなしなのは、そっちじゃない」
「…お前もそうだろ」
「ワタシはちゃんと休憩取ってるよ、あんたがエリアに行ってる間はね~。仕事だってあるし」
「仕事って、ガキじゃないのか?」
今までの言動から、明らかに自分より年下だと思っていた斑鳩には、理解し難い事実だった。
「これでも20代なんだけどな…、このキャラはロールしてるだけだから(-.-;)」
「…へぇ、意外と器用なんだな」
「意外とって、どういう意味」
斑鳩は返答せず、僅かに口元を緩めただけだった。嵩煌の前で初めて見せた笑顔、笑顔と言えるか怪しいが、確かに表情は変化した。
「…まぁ、たまには休みなさいよ」
「お前に心配される筋合いはねぇよ」
「斑鳩の心配してるんじゃないから。ずっとパソ使いっぱなしじゃ、熱で回路融解しちゃうよ(-w-)電気代もバカにならないしね~」
嵩煌は手摺から飛び降りると、ゆっくりと振り向きながら言った。
「それこそ、お前には関係ないことだろ」
斑鳩はただ夕日を見たまま、嵩煌に言葉だけを投げてよこした。
それには感情は無く、寂しくも聞こえた。嵩煌は揺らす尾を止め、橙に照らされる斑鳩の横顔を見やる。
「お前、俺に興味があるとか言ってたな」
「…うん」
斑鳩は視線を動かすことなく、静かに、しかし確かに聞いた。嵩煌は真っ直ぐに斑鳩を見、頷いて答えた。
「…そうか」
斑鳩は嵩煌の声を受け取ると、目を閉じ、そのまま顔を伏せた。
嵩煌は今までのようにちょっかいを出すことはせず、橋を後にした。
嵩煌はそのまま傭兵区の路地裏に入り、★と落ち合った。
「やっぱり、色々と違うみたいだね」
★は嵩煌のレポートに目を通し、難しそうな顔をする。
「特に、転送に関しては謎だらけって感じ。システムに無いことされたら、こっちもお手上げ」
嵩煌は木箱にひょいと乗り、軽く伸びをしながら言った。さらに続けて、
「ログイン・アウトのことも気になるし…、まさか個人情報を掠める訳にもいかないしなぁ」
「…彼、ずっとthe worldに縛られたままなんですかね」
――まるで、鎖に繋がれた手枷に戒められるように。
Chained Shackle
《繋がれた手枷》