報告
翌日から、八咫達が知識の蛇に籠る時間が長くなった。管理者に察知されたのか、エリア自体にプロテクトが掛けられていたからだ。モニターに出すことも出来ず、当然エリアに入ることも不可能な状態だった。
△ 隠されし 禁断の 帳
ワードからしてロスト・グラウンドの可能性もあるが、斑鳩からエリアの様子を聞く限りそれは無いと結論付けられた。恐らく、管理者が一般PCを近付けさせないために付けた名前だろう。
「くそ、アトリ連れてった時は普通に入れたのに…」
参考人として同じく知識の蛇に籠っている斑鳩が、焦れをあからさまにする。特殊なエリア転送が出来る斑鳩も、プロテクトをすり抜けることが出来なかったようだ。
「落ち着きなさい、今日明日のうちにモニタリングくらいは出来るようになるわ」
パイは操作パネルから視線を逸らす素振りを一切見せず、壁際の斑鳩を宥める。
と、★が手を止めて小さく伸びをする。それを見たパイが、呆れたような、それでいて心配するような溜め息を吐く。
「★、たまには休んだらどう?今日は非番でしょ?」
言われて★は、笑いながら頷く。だが、返された答えは遠慮の色を含んでいた。
「いえ、大丈夫です。休みの日はやることあまり無いですし、時間は有効に使いたいですから」
「その“時間”、見てみたら?」
パイが珍しく子供っぽく笑って言うと、★が小首を傾げて時計を見やる。
「えっ、もうこんな時間…。ごめんなさい、ちょっと出てきますね」
急にソワソワしだしたかと思えば、丁寧にパイと八咫に一礼して斑鳩にも会釈する。そして小走りで知識の蛇を出ていく。
「…な、何だあいつ」
呆気にとられていた斑鳩が、やっと声を発する。
「面会時間。病院が近いからって、あの子いつもギリギリなんだもの」
それを聞いた途端に、斑鳩は何も言わずに★を追い掛けて、ドアを抉じ開けるように飛び出した。
ワープゲートを使おうとしている★に、斑鳩が駆け寄る。★は驚いてゲートのウィンドウを閉じ、改めて斑鳩を見る。
「斑鳩、どうしたの?」
斑鳩は乱れた息を整えると、口を開いた。
「病院って、嵩煌の見舞いか?」
が、★の質問に答えるものではなかった。★はそれを咎めず、頷いただけだ。
「休みの日は会いに行ってるよ、勿論真さんのところにもね」
本当は純弥の部屋にも行きたいのだが、今は我慢するしかない。
「そういうことは、早く言えよ…」
「え…?」
斑鳩の哀しげな様子に、★は言葉を詰まらせる。しかし幸いなことに、斑鳩が続けてくれた。
「嵩煌に、それに真にも言いたいことあったんだ。出来るなら、直接…」
意識不明なのは知っている。
だが本人を前にして伝えることには、大きな意味がある。リアルに戻れない斑鳩にとっては、なおのこと。
「ごめん、そうだよね。私で良かったら伝えるよ」
★はそれに気付いてやれなかったことを反省し、斑鳩の願いを少しでも叶えたいと思った。
「嵩煌に“ごめん”って、真には“ありがとう”。それから二人に…」
短い単語であっても、斑鳩の思いが十分伝わるものだった。そして最後に、★を真っ直ぐ見詰めて言った。
「“絶対助けるから、絶対に”って…」
まるで本人を前に話しているかのように、碧の瞳が決意の色を放っていた。
「分かった、必ず伝えるよ」
★は斑鳩との視線を外すことなく、はっきりとそう言った。斑鳩は長く押し込んでいた言葉を出せたからか、ふっと安堵の表情を見せた。
「それじゃ、行ってくるね」
「ああ、いってらっしゃい」
互いに軽く手を上げて挨拶を交わすと、★はthe worldから消えた。それを確認した斑鳩は、上げた手をゆっくりと下ろしながら呟いた。
「いってらっしゃい、か」
日常生活の中では当たり前のように使う挨拶が、酷く新鮮に思えた。今自分が置かれている状況下で、口にするとは思いもしなかったのだから。
斑鳩は踵を返すと、“家”に帰ることにした。
パソコンの電源を切った斉木は、ショルダーバッグと鍵を手に玄関を出る。戸締まりを確認すると、足早に病院に向かう。
竹馬病院。
もう夕飯時からか、外来患者も見舞いの人も数える程しか見えない。まずは5階の真の部屋に向かうことにし、エレベーターを待つ。
「…あ、斉木さん。今日は遅いですね」
声を掛けてきたのは今藤の友人である看護師、居織だった。
「こんばんは、ちょっと仕事が長引いてしまって」
斉木が苦笑いしながら答えると、エレベーターの扉が開いた。二人で乗り込むと居織が5階のボタンを押す。訊かなくても、斉木が行く場所は承知している。
「あの、先輩の様子はどうですか?」
「特に変化は無いですよ。真ちゃんの方は担当じゃないから、詳しいこと分からなくて申し訳ないけど…」
居織が抱えるカルテを持ち直し、少し視線を落とす。
「そんなことないですよ、居織さんには感謝してます」
そんな居織に、斉木は優しく言った。
5階に着いたエレベーターは、ゆっくりと扉を開く。居織は8階まで上がるので、斉木だけが降りる。
「それじゃあ、また」
斉木は向き直ると居織に頭を下げ、居織もそれに応えた。そして扉は静かに閉まり、電光掲示の5が消灯した。
517病室。
古立真だけが眠る個室だった。何故白川は隠蔽されているのに、他の被害者は面会を許されているのか。皆碑文使いで、少なくとも一般人よりCC社内部に触れているはずだ。唯一白川――斑鳩が他と違うのは、例のエリアに入り、修復の現場を見ていたことだ。さらに、the worldの中で活動しているのも彼一人。
色々と考えながら、斉木は花瓶の水を換えて丸椅子に腰を下ろす。
「今日は、白川君の伝言を預かって来ましたよ。…ありがとう、そして絶対に助けるから、と」
真が反応することはなく、まるで留守番電話に伝言を入れるような感覚。だが、僅かでも刺激信号となる。意識不明であっても、外からの働き掛けは重要だった。
「あの子、白川君は貴女を助けようと必死なんですよ。貴女からの記録を受け取ってから特に…」
明るく振る舞うが、光が強くなれば影も濃くなるもので。
「少し、心配なんですよ。先輩…今藤さんみたいに、なってしまわないかって。もし貴女が今の彼を見ることが出来たら、どう思うんでしょうか」
自分の使命を貫こうとしたあまり、今藤は未帰還者になった。正しいことをしようとしただけなのに、個と組織では力の差が有りすぎた。白川がやろうとしていることも、今藤と大差ない。G.U.というバックアップはあるが、それが上層部とどこまで張り合えるかも分からない。
それに輪を掛けて、白川はまだ“一人”で何とかしようとする傾向が残っている。
「きっと、貴女に叱ってもらえば反省するんでしょうね。私も、貴女に負けないように頑張らないと」
自分に言い聞かせるように言うと、斉木は真の病室を出る。
次は今藤の部屋、629病室だ。
再びエレベーターに乗り、6階の今藤の病室をノックする。こちらも個室で、返事がある訳ではない。だが何もせずに入るのは、どこか心苦しく感じる。
「こんばんは、先輩。ちょっと遅くなってしまいました」
斉木は先程と同じように、ベッドに椅子を寄せて座った。今藤もまた、入院していることを身内には知らされておらず、ここに来るのは斉木だけだった。
「先輩、今日白川君に怒られちゃいました。まだまだ、彼の気持ちには近付けないみたいです」
ネットゲームの中にしか存在していないという境遇は、健常者にとっては想像の域を軽く超えるものだ。安易に同情をしないようにはなったが、距離を縮めることに限界を感じ始めていた。
「…あ、白川君の伝言です。“ごめん、絶対に助ける”と。私、彼にはリアルのことは話さない方が良いんだと勝手に思ってました。まだ戻れる確証無いですし、苦しめるだけだと思ったから…」
「でも、逆だったみたいです。現実のことを知る術がない彼に、本当は伝えなきゃならなかったんですよね。情報を遮断することは、リアルから引き離すことと同じ。……先輩に話してたら、自分の中でも色々整理出来ました」
斉木は膝の上の鞄に置いた手に、何かを決めるように力を入れた。
「先輩に頼る癖、少し治る気がします」
そろそろ面会可能時間が終わる。名残惜しさを飲み込んで、斉木は立ち上がる。終始穏やかな今藤の顔を今一度見、静かにドアを閉めた。
1階に戻ると、外来受付窓にはカーテンが掛かっていた。スタッフの姿も無く、夜の病院の雰囲気が濃くなっていた。
斉木は外に出ると、振り返って4階辺りを見上げる。
「確かに、伝えましたよ」
この時、白川の直接伝えられない悔しさが理解出来たような感覚が斉木を包んだ。そんな斉木を、竹馬病院の看板の光が照らしていた。