追い風
2日後、★が立ち会い知識の蛇で斑鳩とイニスの接触を試みることになった。
端末の傍らに二人が座り、★がサポートのために端末のキーボードに指を置く。アトリが緊張した面持ちでいると、斑鳩が声を掛けた。
「心配すんなよ、目ぇ閉じてればすぐ終わるから」
「は、はぃ」
と、アトリは小さく答える。その様子を微笑ましいと見ていた★だが、本題について斑鳩に問う。
「私は二人のデータの安定しか図ってあげられないけど、大丈夫?」
「ああ、前にデータ化してこの端末に入ってるから要領は分かってる」
「でも今回は、憑神を持つアトリに干渉することになる。そのことは忘れないで」
しかもその憑神自体のデータを垣間見ようとしている、アトリの精神面に何か影響が出ても不思議ではない。★は今一度斑鳩に念押しし、斑鳩も頭の中で復唱して言い聞かせる。
「じゃ、やってみるか」
「わ、私はどうすれば?」
まだ挙動が不審なままなアトリが、なんとか平静を装おうとしている。
「ただ目閉じて、そのまま待っててくれれば良いよ」
アトリは不安を残したまま目を瞑ると、布が擦れる音がした。視界が奪われると、聴覚が敏感になるのは仕方ないことだ。斑鳩が座り方を変えたのだろうと思い、深呼吸して肩の力を抜く。
「ちょ、ちょっと斑鳩何するの?」
(えっ…!?)
★の小声で言っているのが、逆に恐怖感を煽る。
「何って、このままじゃ中見れないし。…これって女子からするとセクハラになんの?」
(…せ、セクハラ///)
斑鳩の軽いノリに、★が溜め息を一つ。が、アトリはそれどころではないようだった。
「セクハラ…になるかどうかは、受け取る側に依るから何とも言えないけど」
取り敢えず★が返答すると、また斑鳩が移動したであろう音が聞こえた。アトリは眉間に皺が寄りそうな程、きつく目を閉じる。
「熱っぽい時とか、普通にやるだろコレ」
「まあ…仲良い友達とかとなら、ね」
★が苦し紛れに言うと、斑鳩はそれを肯定文として受け取った。アトリに膝立ちの姿勢で近付くと、腰を下ろして両手を膝に乗せる。
…―――こつん
触れたのは額。
斑鳩の体が青く淡い光を放ち、それが螺旋を描きながらアトリを巻き込む。寒色であるのに、何か温かみのようなものが感じられ、アトリの瞼から力が抜け、自然に閉じられていた。
「ちょっと邪魔する…」
斑鳩の一部がイニスの中の記憶――記録を目指してアトリに流れ込む。時間を遡り、真のPCに組み込まれていた頃の記録を探す。
その途中、イニスをめぐった榊とのやり取りの記録に行き当たった。アトリのリアルと、榊の邪念、そしてハセヲの声。斑鳩は大体を察し、これ以上踏み込むを止めて目的地に進路を取り直す。
一瞬、暗転して再び記録が見え始めた。恐らくは空白、真からアトリへと切り替わった地点だったのだろう。
一番「今」に近い記録は、あの計画で最後に憑神を呼んだ時のものだ。閃光と衝撃だけが残されているだけで、何が起こったのか当事者にしか汲み取れない。
その次に現れたのは、天城とあの泉。斑鳩が見たかった記録だ。
たまに入るノイズは、イニス自体に欠陥があったためだろう。真のPCに異常が見られたのは、因子の構成の一部が乱れていたからのようだ。
あの光る泉の前、真と天城の会話が響いてきた。
“ここは、あの光っているのは何ですか?”
“…あれはこの世界の中心。そして憑神たちの産みの親の、レプリカのようなものだよ”
“産みの親…?これって、ネットゲームですよね。プログラムの不具合なら、ただ書き直せば良いんじゃ?”
“the worldはちょっと特殊でね、ある夫婦の間に生まれた子供のようなものなのだよ”
真が天城に促されるようにして、泉の縁で膝を折る。ゆっくりと水に傷付いた左足を差し入れると、光が強くなる。
(何だ?…すげぇ速さでデータが動いてやがる。あのレプリカってのが修復してたってことか。アトリの時は、イニスそのものが無かったから無反応だったのか)
“ハロルド、コレが憎いか…?”
(憎い?)
あの時、離れていた斑鳩には聞こえなかった天城の呟きがはっきりと聞き取れた。
“もう大丈夫だろう、出してごらん”
“あ、はい”
左脹脛に走っていた亀裂消え、会話からリアルの痺れもゆっくりと引いていくのが確認出来た。
“あの…”
“何だ?”
“あの本に、名前あるんですか?イニスの母親なら、覚えておいてあげたいから”
“面白いな君は。ただのプログラムと言っていたのに…まあ良いだろう、彼女はモルガナ。この世界を最も愛し、そして破壊しようとする存在だ”
矛盾した説明に、真は小首を傾げるだけに終わる。だが斑鳩にとって、モルガナの名前を知ることが出来たのは大きな収穫だ。ここで天城に名前を口にさせた真に、感謝せずにはいられない。
これより前の記録も再生され始めたが、集団行動や開眼実験のみで情報収集としては使えない。斑鳩は自分のデータの螺旋を、ゆっくりとアトリから取り去った。
「…でさ…」
「…から、クーンは…」
知識の蛇のドアが開き、ハセヲとクーンが入ってきた。そこには端末を前にした★と、向かい合ったままの斑鳩とアトリが居た訳で。
「え~と、これは…」
クーンが人差し指で頬を掻く仕草を見せながら言うと、アトリがハッとして斑鳩から勢い良く離れる。★は説明すべき立場なのだろうが、突然のことにフォローも出来ない。
「なんだ、お前らデキてたのか」
さらにアトリに追い打ちを掛けるが如く、ハセヲがさらりと感想を述べる。アトリは言葉で返す余裕などなく、ブンブンと頭を横に振るしかない。
「んな訳ないだろ、アトリはお前とじゃないのか?」
斑鳩が裾を払いながら立ち上がり、意外そうに聞く。アトリはもうどうして良いのか分からず、ただ赤い顔を隠すだけ。
「は?そんなんじゃねえよ」
しかしハセヲがきっぱりと否定する声を聞き、アトリの何かが寂しさを訴えた。
「ま、まあ二人とも…アトリちゃんが可哀想だからこの辺にしような、うん」
この中で一番乙女心を理解しようとしているクーンが、アトリを一瞥して止めに入った。
「それに、斑鳩には成果を聞かないと」
クーンに便乗するように、★が本来の話に戻した。
「モルガナ、天城はそう言った」
斑鳩はイニスの記録の中で見聞きしたことを、大雑把に話した。ハロルドの名も挙がったことから、上層部絡みに関しても何かありそうだった。
「確かに、モルガナは嘗て八相という形で因子を作り出したAIだけど…。それが姿を変えて残っていたなんて、先輩からも聞いたことない」
★は、モニターの前で資料を漁りながら話す。
「レプ、リカ…レプリカ…」
「どうした斑鳩、何か心当たりあるのか?」
同じ単語を小さく繰り返す斑鳩に、クーンが疑問符を投げる。
「前にもどっかで……ぁ、管理者んとこ乗り込んだ時だ。ハロルドの像、レプリカがあった」
「それって、ハロルドもまだ居るってことなのか?」
ハセヲの問いに、斑鳩は表情を曇らせる。
「分からねぇ、ただ置かれてただけだし…。そいつに意思があるようにも見えなかった」
斑鳩は記憶を辿るが、曖昧にしか返せない。だが、the worldの根源であるハロルドとモルガナが未だに力も持っていることは明らかになった。
やっと落ち着いたらしいアトリが、気になったことを提示した。
「ハロルドが、憎んでるかどうか…って何か関係があるんでしょうか?」
それに応えたのは、腕組みして頭を捻っていたクーンだった。隣のハセヲは、考えるのが面倒になったのか沈黙を守ったまま。
「そっか、もしハロルドがまだモルガナのことを憎んでるって意味なら、ハロルドもどっかにまだ居ることにならないか?」
「可能性としては十分考えられるかと。斑鳩が見たように、管理者たちがハロルドを偶像崇拝の対象にしてるなら…」
★はメンバーから出た考えを次々に書き留め、重要箇所に丸を付けながら言う。
「ハロルドの居場所は分かんねぇから、まずはあの本だな」
これ以上の議論では憶測しか生まれないと判断した斑鳩は、区切りを付けるように提案する。
「けど、どのエリアか探すのは…」
「心配すんな、場所は俺が知ってる」
アトリの不安を全て言わせる前に、斑鳩が断言した。
だが、何の準備も無しに向かうのは無謀だ。あのエリアは管理者側のテリトリーと言って良い場所で、下手に侵入すれば一悶着あってもおかしくない。
下調べと対策は★やパイ、八咫に任せることにして、ハセヲとクーンは当初予定していたAIDA討伐に向かった。アトリは家の用事があるからと、一礼して知識の蛇を出ていった。
「パイ達とは連絡ついたのか?」
残った斑鳩が、端末の電源を落とす★に聞く。
「今は仕事中だろうから、メールを入れておいた。これで進展があれば良いけど…」
新たな情報が手に入りはしたが、★はすぐには喜べなかった。さらに、斑鳩がまた無茶なことをするのではという不安も沸いてくる。
「確実に前には進んでるさ、あいつがくれた目標出来たからな」
今までに無かった、真に直接繋がる目標の存在に、斑鳩は自信を持って言う。イニスの記録の中で、斑鳩に手を振った真の姿がしっかりと刻まれた。あの真に応えるために、もう一度あの場所へ。