彼女の記憶
――――――…
「ねぇ純弥、掲示板に出てた新しいバイト見た?」
「いや見てねぇけど、なんか良いヤツでもあったのか?」
「内容は良く分かんないんだけど、ネトゲやるだけで稼げるらしいよ」
「何だよそれ、怪しすぎだろ…」
「そーだけどさ…、面接くらい行ってみない?」
「…ったく、仕方ねえな」
……――――
「…ん、ね。ごめんね…」
泣くなよ。
「ごめん、なさい」
だから泣くなって。
「だって、私のせいだから…」
違う、悪いのはあいつらだ。
「…私が、純弥を誘ったから」
そんなの、気にすんなよ…。
「だからね、これは罰なんだよ…。ごめん、純弥」
「…ま、こと……」
その言葉の次には、閉じた瞼から涙が滲む。レイヴンの@HOMEのソファーで眠っている斑鳩を、アトリが心配しながら見つめていた。
「起きたら、この事をお話した方が良いでしょうか?」
アトリが木箱の上のクーンに問うが、クーンは首を横に振った。
「どう考えても良い夢じゃないし、目が覚めたら本人は忘れてるんだ。夢のことを知るにしても、斑鳩が自分から思い出す方が良い」
「…そう、ですね」
クーンの最もな意見に、アトリは反論する理由は無かった。再びソファーに目をやれば、溜まった涙が頬を伝おうとしている。アトリはお節介と分かりつつも、人差し指でその水を静かに拭った。
「……ん」
なるべく斑鳩に触れないようにしたつもりだったのだが、起こしてしまったようだ。アトリは慌てて後退り、帽子が落ちそうな勢いで頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ…」
謝られた斑鳩は、まだ覚醒しきっていないのか目を擦るだけ。何故アトリが謝っているのか、心当たりもないようだ。
「何で俺に謝ってんの?…また泣いてたのか、我ながら気色悪いな」
擦った目が濡れていることには気付いているが、夢は忘れているようだ。斑鳩は軽く伸びをすると、「運動してくる」と言い@HOMEを出ていった。
クーンは軽く溜め息を吐くと、足を組み直す。
「“まこと”って、斑鳩の友達だよな」
「はい、実験の被害者で未帰還者だと★さんが言ってました。何だか、ハセヲさんに似てますね」
ハセヲも志乃という未帰還者を救うために戦っている、そして憑神の力を持っている。
「俺は憑神(この力)が特別なもので、俺達にしか出来ない仕事があるって思えるんだけど…。斑鳩にとっては、憑神は罪悪感の塊かもな」
クーンが言い終えると、★が@HOMEに現れた。
「こんばんは★さん。パイは一緒じゃないのか?」
軽い会釈と共に、クーンが声を掛ける。
「こんばんは、パイさんはまだ仕事中だと思う。今日は二人だけ?」
「さっきまで斑鳩さんが居たんですけど…エリアの方に行ったみたいです」
アトリが説明するが、★はその声色に疑問を抱いた。どこか申し訳なさそうな、後ろめたい態度だったからだ。
「何か、あったの?」
★は回りくどい聞き方はせず、ストレートな言葉をアトリに投げた。アトリは一度クーンを見、先ほどの斑鳩のことを話すことにした。斑鳩には怒られるだろうが、斑鳩をリアルに戻す手掛かりが見つかるかもしれない。
アトリが最近の斑鳩の様子を伝えると、★は喜びつつも肩を落とした。
「先輩が居てくれたら、かなり進展出来たんだけどね…。私は計画に直接関わっていた訳じゃないから、斑鳩のリアルのことは詳しくは分からなくて」
★が真に会ったのは、すでに未帰還者となってからだった。ベッドの上で身動き一つしない彼女しか知らない★には、どうしようもない。
「やっぱ、未帰還者を元に戻すしかないですかね。嵩煌さんやまことちゃんが帰ってくれば、斑鳩の事も何とかなりそうだし」
クーンが場を和ませようと努めて明るく話すと、★は顔を綻ばせた。
「…あ」
アトリが何か思い出したように、声を漏らした。
「私、斑鳩さんとまことさんのことで一つだけ知ってます」
それは斑鳩とほぼ初対面だった頃、手の皹を治してもらった時の事だ。斑鳩が口にした“あいつ”が“まこと”同一人物だと、感覚的に分かった。女のカンにも近いのかもしれないが。
「…つまり、真さんもイニスの碑文使いだった可能性が高いということになるね」
…――――
「また、動きが鈍くなったか」
斑鳩は、鞘に刀身を納めつつ溜め息を吐く。ハセヲから憑神のデータを受け取ってから、数値上は安定している。だが1つの憑神が二人によって共有されている状態では、何か問題が起こってもおかしくない。
消えるモンスターのグラフィックを何の気なしに眺めていると、ふと寝起きの時のことを思い出した。起きた時に涙が出ていたのは、今回が初めてではない。何かの夢を見ているからなのだろうが、覚醒すると綺麗さっぱり忘れているのだ。
(俺が泣くような…って、夢なんだから自覚してる範疇にあるとは限らない、か)
真面目に考えようとした自分を軽く嘲り、マク・アヌに帰ろうとしたその時だった。寺院の壁を、まるで黴のように浸食する黒い斑点が現れた。――AIDAだ。
「ったく、構ってちゃんかよ」
斑鳩が呆れて再び抜刀すると、AIDAが本体を露にした。以前の魚型よりも巨大な、鳥のような姿で、悪であるのに何故か神々しさに似たものがある。AIDAが一鳴きすると、それを合図に斑鳩が憑神を纏う。
当初は微生物型だったAIDAが、蜘蛛、魚型を経て鳥型にまで姿を変えてきた。現実の進化の過程を、短時間でこなしてきたことになる。当然能力も格段に上がり、今までにない知恵すらも使うようになった。このままいけば霊長類、人間になるのも時間の問題だろう。
初めて戦うタイプの相手に、斑鳩は苦戦を強いられていた。
大きな図体の割りに素早く、なかなか一閃が決まらない。スケィスも機動力重視の憑神ではあるが、AIDAの懐に入らなければ致命傷は与えられない。
「……やっぱ、変だな俺」
大鎌を振り上げながら、斑鳩は呟く。振り下ろしたエモノは空を斬り、AIDAはヒラリと目の前を過ぎていく。
「前は屈辱の塊でしかなかったこと、考えてる…」
AIDAの段幕を何とかすり抜け、距離を詰めて攻撃有効範囲に持っていくが、今まであった優越感や掌握感が全くない。
(誰か、来てくんないかな)
一瞬気が緩んだのか、また間を取られてしまった。
「…い、るがさん、今行き…すからっ」
“外側”から途切れ途切れに聞こえてきた声が、今度はすぐ傍で響く音に変わった。
ポォ―――ン…
ハ長調ラ音と共に、白い身体の憑神が斑鳩の前に姿を現す。
AIDAから取り返したアトリの憑神、イニス。榊との事件を経て、完全に自身の制御下に置くことが出来た。だが戦闘経験はまだ数えるほどで、過信は出来ない。
「ま、こと…?」
「……ぇ?」
イニスを見た斑鳩は、彼女の名前を溢した。AIDAがまだ居ることを忘れたかのように、イニスの周りをゆっくりと回り確かめる。しかしAIDAが待ってくれる訳もなく、頭部にエネルギーを収束させる。それに気付いたアトリは、スケィスの盾になるように両手のブレードを展開する。
「斑鳩さん!」
そして放心状態に近い斑鳩を一喝して、斑鳩を「今」に引き戻す。
「…っ、悪ぃ」
斑鳩は頭を振って我に返ると、改めてイニスと戦線に立った。
「私がAIDAの動きを押さえますから、そのうちに攻撃を」
「あぁ、頼んだ」
イニスはまるで海中の人魚のように下半身を翻し、AIDAを牽制する。スケィスはイニスの影を利用して、AIDAの死角から接近していった。イニスはAIDAの頭上まで一気に上昇すると、ブレードで交互に斬りつける。当然AIDAの注意はイニスに向き、胴体部分が無防備になる。
「貰ったっ…」
そこにスケィスが飛び込み、曲刄で直接引き裂いた。AIDAが断末魔に似た声のようなものを発すると、アトリが斑鳩に離れるように指示した。
データドレインのためだ。
イニスは手を組んで祈るようなポーズの後、幾重にもなるパラボラを構築してAIDAを貫いた。
「…斑鳩さん、大丈夫ですか?」
二人は憑神を解除し、寺院の渡り廊下に立っていた。
「平気だ、さっきは悪かったな」
「いえ、ただちょっとびっくりはしましたけど」
アトリが少し苦笑いして言うと、斑鳩も戸惑うように髪を掻き上げる。
「それじゃ、街に帰るか」
斑鳩は軽く伸びをすると、アトリのためにゲートを探す。
「あ、あの」
すると背後から、意を決したかのような声を掛けられた。
「ん?何」
条件反射的に振り返ると、真っ直ぐ目を見てくる。
「真さんの憑神って、イニスだった…んですね?」
最後は自信無さげに小さくなったが、イニスを前にした斑鳩の反応を考えれば仮説よりも事実に限りなく近いだろう。
「…そうだ。だからお前に初めて会った時、因子を奪われていても、残ってた雰囲気みたいなもので碑文使いだと分かったんだろうな」
斑鳩は再びアトリに背を向けて、思い出すように目を伏せる。やや間があって、斑鳩が口を開いた。
「あのさ、お前の中のイニスのデータを見させてくれないか?」
「えっ…あの、えっと」
斑鳩の言葉にアトリは、何故か自分を守るように両手で肩を抱く。それを見た斑鳩は、ふっと吹き出して続けた。
「別に、お前の中に入ってどうこうはしないって。ちょっとデータを共有させてくれるだけで良いから」
そう説明されたアトリは、更に顔を赤くして肩の手を慌てて退けた。
「じゃ、今度こそ帰るか」
「…あ、はい!」