生きる遺品
数人の管理者が、真っ白なエリアに居た。
そこには熊や猫、ウサギのぬいぐるみが散乱し、中央には天蓋付きの木製ベッドが置かれている。ぬいぐるみで遊んだり、ベッドで眠ったりしていたであろう子どもの姿はない。
「次は、七がAIDAの担当か…」
「壱拾参がしくじった分、取り返さねばならない」
彼らは固有の名前を所有しておらず、数字で呼び合っているらしい。
「ところで九拾九、スケィスの回収はどうするつもりだ?」
九拾九と呼ばれた管理者は、足を動かすような動作を見せることなく床を滑るように移動する。そして不意に止まり、小さめのウサギのぬいぐるみを手に取る。
「まだその時ではない。今、斑鳩とハセヲは半分ずつデータを保有している。創造主も、その件については沈黙を守ったままだ」
九拾九がウサギを持つ手に力を入れると、頭がボロリともげ落ちる。風化して脆くなっていたようだ。それだけこの部屋は古くから在り、そして忘れられている。
「では、オーヴァンの方は…?」
別の管理者が、少し遠慮がちに訊く。どうやら、九拾九は管理者の中の中心人物のようである。それはつまり、斑鳩の前に現れた管理者。
「彼は、G.U.に任せておけば良いだろう。AIDAに呑まれることなくここまできたのは想定外だったが、その働きは評価出来る」
九拾九は仮面の下で笑っているようだが、それは定かではない。
「私は次の指示を仰ぎに行く、各自の任務を怠るな」
「了解しました」
管理者たちは一斉に右手を左胸の前に翳し、九拾九を見送った。すると、先程質問した管理者に、一人が近付いてきた。
「お前は壱拾伍か、最近入ったと聞いたけど?」
思いの外砕けた口調で声を掛けられ、壱拾伍は面食らったようだ。それを見た管理者は小さく噴き出す。
「皆真面目ぶってるけど、九拾九の前でだけだし。お前もそんなに固くなるな」
「は、はい。えーと…」
「あぁ、俺は弐拾参だ。ったく、何で数字…しかも漢数字なんだろうな?お偉方のどうでも良い趣味かなんかだろうけどさ」
弐拾参の言葉に周囲がちらりと目を向けるが、すぐにその視線は外される。上層部に対して、完全に服従しているという訳ではないようだった。
「あの、弐拾参。一つ良いですか?」
壱拾伍が再び謙虚な態度で聞こうとすると、弐拾参は足元にあった熊のぬいぐるみを、しゃがんで両手で持ち上げた。
「…この計画に本当に賛同しているか、だろ?」
「ぁ、はい」
聞こうと思ったことを的確に言い当てられ、壱拾伍は驚いて返事をする。
「新しく来たやつは必ず聞くからな。…俺は賛同するつもりはないし、服従してここにいるって訳でもない」
弐拾参は先程とは違うトーンで、真剣な口調で答えた。ぬいぐるみの頭を撫でると、子供用の小さな椅子に座らせる。
この計画を良しとしない立場ではあるが、管理者として活動する理由。壱拾伍にはそこまで聞けなかった。周囲に他の管理者が居るということ、九拾九の監視下にある可能性が高いことを考えれば賢明な判断だ。
「それに俺達は、最終的な目的を聞かされていない。多分、九拾九にも分からないんだ」
弐拾参は肩をすくめて、半ば呆れたように言う。
「え?なら、この計画は誰が…」
「九拾九が“彼”“創造主”って呼んでいる奴さ、the worldでの創造主と言えば…」
「もしかして、ハロルド・ヒューイック?しかし、彼はもう亡くなったと」
壱拾伍は最近得た知識を、思考の棚から引き出して答えた。この世界を作り、エマ・ウィーラントの意志を継いだ男。
「俺達の言う《生きている》とは次元が違うかもしれないが、ハロルドは生きてる。この世界で、世界中を駆け巡るハロルドの意識がまだ存在しているらしい」
それは斑鳩に似た現象であるが、ハロルドには既に肉体が無い。過去に一般プレイヤーとの接触があったとの報告もあるが、定かではない。
「何故彼が、自分の作った世界を破壊しようなどと思ったんですかね。Auraと八相の関係、前回のネットワーク・クライシスを見る限りでは、解決したのでは?」
「あれは、どちらかと言うとモルガナの嫉妬だったからな。まぁ、こんなネットの中で痴話喧嘩されても困るよなぁ」
弐拾参がカラカラと笑うと、壱拾五も釣られて小さく噴き出す。現実にまで影響を与えたその原因が、痴話喧嘩だったなどと説明しても誰も納得しないだろう。
「…つまり、今度はハロルドの不満が現れ始めたと?」
「不満、かどうかは分からないな。ただ、奴にとってもAIDAは良い物じゃないみたいだ」
弐拾参の説明は、さっきの話と矛盾する。AIDAを管理者に託し何かを行っているのはハロルドの筈なのに、そのハロルドがAIDAを良く思っていない。壱拾伍のプレイヤーは、モニターの前で両肘を付き、手を組んでその上に顎を乗せる。
「俺個人の考えなんだけど、AIDAはハロルドの思考回路の中の膿や癌細胞みたいなモノじゃないかと思うんだ」
弐拾参は、やや声を低くして言う。このことは、まだ他の管理者に話していないようだ。
Auraを脅かす八相は今はなく、姿は変わってしまったもののAuraはこの世界に存在している。それこそ、ネットワークを構成する神そのものとなっている。それは究極AIを望んだハロルドの願いを凌駕するものであり、ハロルドにとっても喜ばしいことだったはずだ。
「だが彼は“彼女”を、この世界を破壊しようとしている…。世界が彼女であることは、彼が一番良く知っているはずでは?」
「…可愛さ余って憎さ百倍ってやつ。自分が創ったthe worldだけじゃなく、我が子が全てのネット世界を掌握したんだ。本人が気付かないうちに、妬みやら怒りやらが溜まったんじゃないか?」
結局は嫉妬、しかもハロルドの無意識の部分で動いている。モルガナが行ったことと大差ないことなのかもしれない、というのが弐拾参の推測だった。
「そんなものに、振り回されているんですか…上の人達は」
「まぁ、ハロルドは今でもCC社のトップと同義だからな。分からんでもないさ」
弐拾参は呆れて言うと、纏った黒を翻して壱拾伍に背を向けた。
「だから俺達は、ハロルド至上主義を壊すんだ。…お前はどうする?」
弐拾参の突然の告白と問い掛けに、壱拾伍のプレイヤーは思わずキーボードから手を退いた。CC社の内部、否、裏側に干渉することは命に関わると言っても大袈裟ではない。だが、少なくともここに居る“管理者”達は弐拾参の仲間だ。
「…協力するよ。元々この役割には疑問があったし、良い機会だ」
「良し、決まりだな。詳しい活動はメールで知らせる。あと、動きやすいように新しいアカウントのキャラ作っておいてくれ」
弐拾参は言いながら、アドレスを書いたショートメールを壱拾伍に送った。受け取ったことを教えるように、壱拾伍はそのアドレスにメールを送る。それを確認したのか、弐拾参は頷いてこの場を去った。壱拾伍もそれを追うようにログアウトし、再び白いエリアに静寂が降りてきた。




