半身
1週間後―知識の蛇、端末前。
「ぅわ、またハデにやったな…」
斑鳩が破壊したエリアをモニター越しに見たクーンの、第一声がこれだった。地面を全て削り取ってもまだ足りなかったのか、空や水面のグラフィックも剥がれていた。
「でも、良かったわ」
「これのどこが“良い”んだよ;;」
パイの言葉に、クーンは突っ込まずにはいられなかった。1週間経ったとは言え、1人でエリアの原型が分からなくなるほど暴れたのだ。
「彼が、このエリアに留まっていたことが良かったのよ。まだ斑鳩としての意識があって、何とか抑えているんだと思うけど…」
説明を聞いたクーンは、おぉと納得のリアクションを示した。と、次にハセヲが口を開く。
「で、あいつをどうやって止めるんだ?…スケィスが絡んでる以上、俺が一番関わるってことだろ?」
面倒臭そうではあるが、やる気が無いわけではなさそうだった。
「スケィスのデータをどうにかして斑鳩に渡せれば、落ち着くと思うんだけど…」
パイが端末とモニターとを交互に睨みながら、今ある仮説を口にする。だがハセヲの表情は浮かないままだ。
どうやってデータを移すのか?近付かねばならないとしたら、斑鳩を助ける前にこちらに引き込まれてしまうだろう。
斑鳩に関しては、G.U.よりも嵩煌達の方が詳しい。が、その嵩煌は未帰還者となり、それ以降★もインしていない。
「…なぁ、あのエリアから出る心配が無いなら、しばらくこのままでも良いんじゃないか?」
クーンは沈黙を決めているパイとハセヲの間に入り、妥協案を出す。
「でも、いつハセヲさんに全て流れるか分からない。最低でも、斑鳩の意識を完全に取り戻させないと…」
その声は3人の背後、知識の蛇の入り口から聞こえてきた。ハセヲが振り向くと、大きな帽子を被った呪癒士が立っていた。
「…★!」
「もう大丈夫なのか?」
クーンが★に駆け寄ると、心配そうな表情で問い掛けた。
嵩煌が――今藤が意識を失ってから、★がずっと傍に付き添っていただろうと容易に想像出来た。ともすれば、もうこの世界には戻ってこなかったかもしれない。しかし、それはクーンの杞憂でしかなかった。
「先輩は、落ち着きましたから。それに…先輩の隣に座っていても、何もしていないのと同じだし」
そう話す★の瞳には、揺らぎは一片も無かった。
★は歩を進め、ハセヲに軽く会釈するとパイの傍に立つ。続けて右手を差し出すと、その手には何かのプログラムが握られていた。
「…これ、は?」
パイが受け取りながら★に聞くと、★はモニターに映る斑鳩を見つめながら説明を始めた。
「何か手掛かりがないかと思って、先輩のパソコンのファイルを閲覧していたら見つけたものです。斑鳩がいつか暴走した時のために、プログラムを組んでいたようです。先輩はパイさん同様、スケィスのデータを一定量斑鳩に戻すという形で、鎮められると考えています。このプログラムは、斑鳩とハセヲさんが接触した際、斑鳩からデータが流れ出ないようにするもの。つまりは逆流を防止する弁です」
パイは感嘆の念を持って、再びプログラムに目をやった。仮説はいくらでも立てられるが、それを形にするのは難しい。しかもこれ程複雑なものを、個人が作ったのだ。斑鳩と憑神の関係を知ってから構築したことを考えると、そう長い時間を掛けてはいない。
「一定量というのは計算されているの?」
「はい、斑鳩にスケィス因子の43.62%以上が存在すれば安定するそうです」
今、斑鳩に残ったデータは2~3%。このギリギリまで耐えていた斑鳩の精神というか自我というか、相当なものである。
「安全圏を含めて約50%とすると、かなり長い時間ハセヲと接触する必要があるわね」
パイはメガネを押し上げると、端末にプログラムを読み込ませた。
「先輩の予測では、1%の転送に85秒かかるとあります。逆流を防ぎながらの作業になるので、これ以上速くすることは出来ないそうです」
パイはその数字に納得したように頷くと、プログラムの起動準備を始める。
黙って聞いていたハセヲが、背中を壁から離す。
「で、結局どのくらい掛かるんだ?」
もうプログラムの内容に関して色々聞くことはしない。聞いても理解に時間がかかる、否、理解できるのかも怪しい。それはただの時間の無駄遣いでしかない。
「そうですね、大雑把にみて1時間と少し。50%台を目指すなら1時間半は必要です」
「…俺は良いとして、あいつはそんな長時間持つのか」
ハセヲはモニター越しに、壊れたエリアに蹲る斑鳩を見やる。
「そればっかりは、やってみないと分からないですね。恐らく先輩の不安要素も、同じものだったと思います。斑鳩に因子が入れば、回復の方向に向かうとは思いますが…」
要するに、運。嵩煌の仮説が正しいか否か、誰にも分からないのだ。
「もし、しくじったらどうなる?」
聞くのに少し躊躇したが、ハセヲはそれを口にした。
「弁が機能しなかった場合、斑鳩が持たなかった場合。どちらにしてもスケィスのデータはハセヲさんに流れ込みます。結果として、斑鳩は消滅し、スケィスは本来の形に納まることになります」
斑鳩の存在を維持したままスケィスを一つにする方法を見つけるまで、斑鳩は何としても守りたい。嵩煌のテキストデータに、その言葉がはっきりと記されていた。それを思い出した★は、こう続けた、
「私が、絶対に成功させます。じゃないと、先輩に叱られますから」
と。
★もパイの準備作業に加わり、時よりハセヲに説明しながら進めていった。クーンもその内容を自身で噛み砕きながら頭に入れていく。
「なぁ、逆にハセヲが斑鳩に取り込まれちまうって可能性は無いのか?」
ふと疑問に思い、クーンが言った。★は一瞬手を止めたが、すぐに再開しながら答えた。
「可能性としては、否定できないです。リンクの切断が不可能になった場合、斑鳩に因子が送られ続けることになる。しかも弁があって斑鳩からハセヲさんには戻せない、と考えれば…」
その先は、言わずとも察することが出来る。一方通行なのは斑鳩にとっては安全であるが、万が一の時は大きな壁になる。
「そうなった時は、必要な分だけ渡したら無理矢理にでも引き剥がす」
「…お願い、しますね」
★にはそれしか言えなかった。実際問題として、プログラムが制御不能になったら頼みの綱はハセヲになる。内側から破ってもらうしか、脱する方法はない。
そうこうしているうちに、プログラムの準備は終わった。
「ハセヲには、斑鳩がいるエリアに入ってもらうわ。エリア全体を一つの部屋として利用するから、護衛は付けられない」
「いらねぇよ、そんなもん」
ハセヲは自分に言い聞かせるのも含めて、いつも通りの調子で言う。その様子に★は目を細め、説明を続ける。
「斑鳩に近づいたら、これを使ってもらいます。キーボードのエンターキーとシフトキーを同時押しすれば、斑鳩とハセヲさんを繋ぐプログラムが起動します」
言いながら、★はハセヲに薄いファイルを渡す。亮は改めてキーボードを見下ろし、キーを確認する。
「あとはこちらで転送プログラムを操作するから、最低でも1時間は頑張ってちょうだい」
ハセヲは「言われなくても分かってる」という態度で爪先の向きを変え、カオスドームを目指した。パイに教えられたエリアワードを選択すると、転送前に深呼吸をする。エリアに入れば何が起こるか分からない、その心構えを再度確認し転送の文字をクリックした。
そこは、もう見慣れたthe worldのエリアではなかった。足を着けている地面も、グラフィックが剥がれ、赤黒い沼の様。木であったであろうオブジェクトも、皮が削がれて横倒しになっている。
そんなエリアを、ハセヲは一人歩きだした。早く斑鳩を見つけて因子を渡さなければ、このエリアを出られたら手遅れになる。
3分か5分か、歩いたところで“彼”の姿を目視することが出来た。荒れたエリアに、赤い光を纏った体が目立つ。モニターで見たように、スケィスの影がダブっている。ハセヲはプログラムを発動させる用意をしながら、斑鳩に近寄る。正面から、真っ向から対峙するように。
ハセヲに気付いたのか、斑鳩がゆっくりと顔を上げた。その眼には光が無く、焦点も存在しなかった。ただ虚ろに、どこかを見ている。いや、見ているという意識すら持ち合わせていないようだった。
「ったく、手間掛けさせやがって。さっさと済ませて、馬鹿を叩き起こさねぇと…」
“…随分遅かったな”
いきなり声を発した斑鳩――スケィスに、ハセヲは驚き目を瞠った。
「データ量少ない割には、しっかりしてんだな」
“で、俺を消しに来たのか?あぁ、正確には斑鳩を消すってことになるか”
「いや、助けに来た。言っとくがてめぇじゃない、斑鳩を助けるんだ…勘違いすんなよっ!!」
ハセヲは言い終わらぬうちに双剣を構えて、斑鳩との距離を一気に詰めた。だがスケィスはそれを許さず、斑鳩の太刀を抜刀して受け止める。ハセヲは左でそれを支えて、空いた右手に握られた剣を斑鳩の左腕に突き刺した。
“…っ、過激なことするな”
一瞬顔を歪めたが、痛がる様子はない。ハセヲは僅かに目を伏せ、
「少しだけ、我慢しててくれ…」
と斑鳩に語りかけて、エンターとシフトキーを押し込んだ。
途端に、ハセヲとスケィスの間に閃光が走り、それが一筋の回線になる。それを確認した★は、パイとアイコンタクトを取ると嵩煌のプログラムを起動した。
エリア全体にハセヲ達を中心にして、青白い光が広がる。あまりの明るさに目を開けていられず、ハセヲは慣れるまで視界を奪われた。やっと見えるようになった時には、目の前の斑鳩は太刀を手放していた。スケィスの意識も飛んだらしく、微動だにしない。ハセヲは双剣を納めると、静かに目を閉じる。自分の内側にいるスケィスを引き出すイメージを膨らませ、転送を促そうとする。
「―――…斑鳩?」
ハセヲは自分の意識の中に、斑鳩を見つけた。データを共有している状態だからか、二人は同じ意識の部屋に居た。真っ白な、何もない空間。ハセヲの声に反応するように、斑鳩は目を開く。
「…ハセ、ヲか。何をしたんだ?」
「話せば長くなる、とにかくお前を助けに来た。俺のスケィスのデータをそっちに送って、暴走を止めるんだ」
斑鳩は口を開きかけたが、すぐに噤んで目を逸らせた。
「…そんな面倒なことしなくても、お前がスケィスを全部持っていけば良いだろ」
無表情のまま斑鳩が言うと、ハセヲはイラつきながら言い返す。
「俺もそうしてもらいたいんだがな、これは嵩煌の作戦だから俺は従うことしか出来ねえ」
嵩煌という言葉に、斑鳩は自分でも驚くくらい反応した。このエリアに入ってからというもの、自分で何かを意識していたことはなかった。当然、嵩煌のことを考えることも。
「作戦って、あいつはもう…」
「お前が思ってる以上に、嵩煌はお前のことを考えてるってことだ」
ハセヲは言い終えてから、ガラにもないことを口にしたと少し後悔する。だがここに居るのは斑鳩だけで、その斑鳩はそれを察する余裕などない。
「でも俺は、嵩煌を未帰還者にしちまった。恩を仇で返したようなもんだ…」
斑鳩は完全にハセヲに背を向けると、思考をスケィスの奥に沈めようとする。ハセヲは慌てて斑鳩に駆け寄って腕を引っ張る。
「…てめぇ、逃げんじゃねぇよ」
「逃げる?償いの間違いだろ…?」
「ふざけんなよっ」
ハセヲの右拳が、斑鳩の頬を捉え振り切られる。
斑鳩はバランスを崩すも、踏ん張って体勢を戻す。
「そんなに罪悪感感じてんなら、自分で償え。何も出来ないからって、スケィスの中に隠れて高みの見物でもするのかよ?」
「…お前に、何が分かるんだよ」
斑鳩は自嘲するように吐き捨てると、ハセヲは今までとは違う声色で言った。
「★から聞いてるだろ、俺の大切な人も未帰還者になってる。お前と同じように、目の前で…何も出来ずに」
斑鳩はただ黙って聞くしかない。
「俺は“その時三爪痕だと思っていた奴”を倒すために、強くなることだけを考えていた。憑神の存在なんて知らなかったし、普通のやり方じゃ無理だってもことも分からなかった。俺が弱かったから助けられなかった、そう言い聞かせて、奴を追いかけてた」
ハセヲは斑鳩から離れると、殴った右手を広げて見つめた。
「…で、結局負けてレベル1に戻されちまった。でもそれがあったから、今のギルドに入れた。一人じゃ出来なかったことも出来たし、いろんな事を知ることも出来た。お前、昔の俺にそっくりだ。何も知らないくせに、一人で決め込んで思い込んで…。だからさ、余計にイラつくんだよ」
イラつくと言葉にはしたが、その表情はしかし穏やかだった。今まで言えなかったことを全部出した、胸の閊えが取れたような感覚もあった。
「…自分で償え、か。俺に出来るものだと思うか?」
「それをこれから考えるんだって、お前一人じゃねぇんだ。出来る出来ないを勝手に決めるな」
斑鳩は一息吐くと、両手で前髪を掻き揚げた。まるで思考を一新するように、何かを決めたように。
「そうだな。俺にはまだ出来ること、やらなきゃならない事がある。…お前に助けられるなんて思ってなかったけどな」
そう言うと、斑鳩が手を差し出した。ハセヲは意外そうな顔をしたが、無言で掌を重ねた。元のPCの状態に戻れば、干渉し合って近付くことは出来なくなる。
手が離れた瞬間、プログラムの光が収まりハセヲと斑鳩の間のリンクも切られた。
スケィスのデータ転送は成功し、斑鳩の因子保持率は48.3%となった。