血染めの大地
その後、斑鳩がマク・アヌの橋に戻ることはなかった。ひたすらエリア移動を繰り返し、モンスター、プレイヤー問わず狩り続けていた。
そんな行為が1週間も続けば、噂はゲーム内に溢れ返る。神出鬼没のPKと怖れられ、第二のハセヲ『死の恐怖』とまで言われるようになった。
当の斑鳩は、データを書き換えでもしたのか、PCに被るようにスケィスの影が現れていた。斑鳩が太刀を振るえば、スケィスが大鎌を同じ動きで振り下ろす。だがスケィスには攻撃判定がないらしく、ただの残像であるようだ。
悪い意味で有名人になってしまった斑鳩が、次第にPKギルドに狙われるようになる。突然現れる特殊なPCであることから、ご丁寧に賞金を提示するギルドまであった。
「…もう終わり、か」
斑鳩が太刀を鞘に納めると同時に、3人のPCが倒れ込んだ。静かな神社ダンジョン、遠くのトラップの蒸気の音だけが、微かに聞こえた。
マク・アヌの代わりに、斑鳩はロストグラウンドを選んだ。流石に、普通のエリアを徘徊し続けるのは難がある。
アルケ・ケルン大瀑布。
嵩煌が消える瞬間が、今でもフラッシュバックする。
頭を振り気を取り直すと、斑鳩は道なりに進んで足場の端に立つ。滝壺から吹き上げる風が、妙に冷たく感じる。斑鳩はその場に腰を下ろすと、足を投げ出して足場に腰掛ける形で座る。
“…いくら狩っても、何も手に入らねぇぞ”
「分かってる、スケィス(お前)はどうしたいんだ?」
斑鳩は目を閉じ、自分の内側から響く声を静かに聞く。
“別に。俺は斑鳩が望むことを望むだけだ、俺に頼るのはお門違いだぜ”
もう一人の自分は、紅い瞳を無邪気に光らせて言う。
「俺の人生歪めた連中に仕返しを…なんて思っても、俺一人じゃ何も出来ねぇしな」
“…力が欲しいとか、思わねぇの?”
斑鳩は、呆れたように小さく笑う。
「お前のデータの92%は、ハセヲが持ってる。たった8%の力で奪えると思うのか?」
時に、リアルにまで干渉するデータドレインの力。本来憑神が有するものであり、また嵩煌を襲った力でもある。手に入ったところで素直に喜べるか、斑鳩は不安だった。
“俺たち憑神の強さは、物理的じゃなくて精神力で決まる。てめぇの考え一つで、幾らでも変わるもんだ”
斑鳩の心配を他所に、紅眼の斑鳩が話を進めようとする。そこで斑鳩は、あることに気付いた。実際問題、力を欲しているのはスケィスではないか。
「…お前さ、色々言ってるけど、ようは元に戻りたいんだろ?俺が望まなくても、お前自身が望んでるじゃねぇか」
そう言われた紅眼は、言葉に詰まる。つい今しがた、斑鳩が望むことを望むと言ったのだが、矛盾してしまった。
“力を手に入れることで、最終的にそうなるってだけだ”
“……ん?”
「どうした、スケィス」
斑鳩は紅眼をスケィスと呼び、何を察したのかを確認する。
“やたらとプレイヤーがインしてるエリアがある、イベントか…”
スケィスの言葉の続きを、斑鳩が奪うように言った。
「俺たちを誘ってるか、だろ?」
斑鳩はまるで新しい遊びを思い付いた子供のように、目を輝かせた。ただのデータ、ゲームでしか存在しない以上、やることは一つ。戦う、それだけだ。戦うことを除いてしまったMMO-RPGなど、無意味に等しい。
斑鳩は静かに立ち上がると、スケィスに誘われるように転送を開始した。
エリアからエリアへ、タウンを介さずに移動出来るのもスケィスと女神の力。しかし荒んだ斑鳩に手を差し伸べ続ける女神の真意は、斑鳩自身にも分からない。内心、すぐに女神との縁を切られてしまうと思っていたからだ。
“着いたぜ…”
スケィスの声で目を開けば、視界一杯にPCが並んでいた。
どのPCもそれなりに高レベルで、装備も整っているようだ。そして斑鳩の出現に戸惑わない辺り、PKの集団だと断定して間違いない。
“良かったな、フツーのPCじゃなくて”
スケィスが笑みを含みながら言うと、斑鳩は抜刀して小声で返す。
「あぁ、無抵抗じゃ詰まらねぇからな…」
言い終えるかどうかのタイミングで、斑鳩は走り出し目の前の銃戦士に斬りかかる。
それを合図にするように、PK達も一斉に戦闘体勢に入った。
斑鳩は次々に切り捨て、すぐに新たな目標に刄を向ける。
“逝っちまいな、…閻魔大車輪っ”
円を描くような斬りを繰り出し、呪術士と妖扇士を一掃する。斑鳩が着地すると、ぼやくように言った。
「…お前さ、いちいちでかい声で技を叫ぶな。恥ずかしくねぇのか?」
“うっせぇな、この方がテンション上がってイイんだよ。…それにコレはてめぇの一部だ、頭の隅っこで少しは…”
「それ以上喋るな、気が散る」
スケィスは詰まらなそうに、へぃへぃと中身の無い返事をして狩りに本腰を入れてかかる。
斑鳩のPCにスケィスの赤い影が被っている様子は、一般PCからも目視出来るらしい。それ故に、レアな装備か何かだと誤認されて襲撃される。斑鳩にとっても、勝手に出向いてくる相手の方が都合が良かった。
「…あんたで最後だ」
ものの20分も経たないうちに、200近くいたPKの群れを切り払った。統率が全くとれていなかったことから、ギルドではなくならず者の寄せ集めだったのだろう。
「はっ、チートして強がってる奴に負けたって何とも思わ…」
へたり込んだ双剣士は、負け惜しみの台詞を吐き捨てるように言う。が、語尾は斑鳩の一閃によって掻き消された。
色を失ない、半透明になっていくPCボディを見詰めつつ、しかし最後まで見届けずに斑鳩は去った。
大瀑布に戻った斑鳩は、心なしか苛立っているようだった。原因はチート呼ばわりされたことではなく、自身の弱さにあった。
こんなことを続けても、何も変わらないことは知っている。知っているのに、結局他に当てがなく行為を繰り返す。それは意志の弱さから来ている愚行であると、分かっている。
「俺は、このゲームそのものが無くなるまで、このままなのかな」
ゲートから滝に向かって伸びる足場を、ゆっくりと進みながら呟く。だがスケィスは、皮肉すら言わずに黙ったままだった。否、呑気に会話出来る状態ではなかったのだ。
それはすぐに、斑鳩の身体にも表れた。力が入らなくなり膝を折る。そのまま上半身も前に倒れそうになるが、両手で何とか支えた。
「…ぉ、い。何だこれ、は」
意識の維持さえ難しい、何かに引きずり込まれる感覚。そう、ハセヲが近付いてきた時と同じ感覚だ。
“向こうで、俺を…呼んでる。下手すりゃこのまま…”
今までハセヲが憑神を呼んでも、こちらには何の影響も無かった。これだけ強い干渉を受けると言うことは、もう長くはないことを意味している。
斑鳩は着いた手に力を入れて、岩肌に爪を立てる。別の痛み、刺激を受けることで気を逸らそうとしたのだろうか。
「…この、まま誰にも知られずに消えるなんて、死んでも願い…下げだ。何か、方法無いのかよ…」
“…こっちも、俺を憑神として呼ぶしかないだろうな。ただ、お前の自我が持つかどうかは…保証しねぇ”
「お前の保証なんか、有っても無いような…もんだっ…」
斑鳩は身体を地面から無理矢理引き剥がすように立ち上がると、咄嗟に浮かんだエリアワードを頭の中で並べた。
夜の草原フィールドに辿り着いた斑鳩は、半ば狂乱して叫んだ。
「…俺は、俺がスケィス…死の恐怖だっ。俺が、スケィス!俺は此処に居る、だから来い…
スケェェェィス――…」
呼び出すことは出来たものの、劣化が更に進行していた。両足の形は殆んど無く、亡霊のような姿。
斑鳩は何とか意識を保とうとするが、スケィスから波の如く押し寄せる破壊衝動に飲まれそうになる。それを発散させるかのように、視界に入るモンスターや木などのオブジェクトを片っ端から斬っていく。
消えそうな意識の中で、斑鳩は一般PCがこのエリアに来ないことを僅かに願っていた。今まで散々斬ってきた対象ではあったのだが、何故かそう思ってしまう。が、現実はそれを裏切り、3人組のパーティーが斑鳩、スケィスの前に現れてしまった。周囲にはもう斬れるものは無く、必然的にスケィスの刄はプレイヤーに向かう。
「嫌、だ…。
いやだぁぁ亜ぁぁ#%ぁー」
一番響いた悲鳴は、襲われたPCのものではなく、大鎌を振り下ろした斑鳩のものだった。
木々を薙ぎ倒し、獣神殿の壁を抉り、地面を掘り返した。グラフィックも剥がれ落ち、辺りは赤い―剥き出しのデータが続く。
止まらぬ衝動、
無心の死神。
Chalybeate Soil
《血染めの大地》