喪失
クーンと斑鳩、もとい香住と白川の会話が思いの外弾んでしまい、肝心な話が進まないままだった。結局、嵩煌と斑鳩がまともに話せるようになったのは、30分以上過ぎてから。
嵩煌は、今の白川純弥が置かれている状況を説明した。
「つまり、俺はほぼ死亡者扱いってことなんだな」
斑鳩は再びモニターに目をやり、微動だにしない自分の身体を見つめる。
「でも健康体は維持されてるし、戻る方法さえ見つかればすぐにリアルに戻れるはずだよ」
嵩煌が励ますように明るく声を掛けると、斑鳩は僅かに首を横に振った。
「そういう話は、確実に戻れると決まってからにしろ。俺は不確定なものに期待や希望を持てるほど、余裕ないんだ…」
クーンと話していた時と、雰囲気が全く違う。急にリアルの事物に触れ過ぎたからか、逆に現実と仮想の溝を実感してしまったのかもしれない。
嵩煌は、ごめんと頭を下げるしかなかった。
「何かクーンとはしゃぎ過ぎて疲れた、一眠りしてくる」
斑鳩は言いながら爪先の向きを変える。嵩煌は引き留めることもなく、斑鳩をただ見送った。
一息置いて、嵩煌は★の方に振り返った。
「うちらもちょっと休もうか。病院に潜り込んでから、あんまりゆっくりしてないしさ」
★は何か言いたげではあったが、それを口にすることはなく嵩煌の提案に賛同した。
「あれ、先輩午後から仕事入っていたんじゃ?」
ログアウト間際に、★がふと思い出したように言った。すると嵩煌は、シッポを揺らしながら返答した。
「心配ご無用、有休はこういう時に使うもんなのよ(-ω-)b」
「なるほど、先輩らしいです」
★は吹き出しつつも安堵の表情を見せ、改めて挨拶してログアウトしていった。それに嵩煌も続くと思われた。が、嵩煌はカオスドームに向かって歩き出す。途中の橋に斑鳩が居ないことは既知のはず。嵩煌の目的地はカオスゲートだった。
嵩煌が辿り着いたエリアは、
Δ 隠されし 禁断の 飛瀑。
またの名を、ロストグラウンド、アルケ・ケルン大瀑布。
他のロストグラウンドとは異なり、異常な変化や物事が起こったことはまだない。
嵩煌は一本しかない道を、迷いなく進む。滝に最も近い行き止まりには、1人のPCが立っている。全身黒ずくめの、管理者PC。
「…何故あなたを呼び出したか、分かりますか?」
管理者は背を向けたまま、いきなり切り出した。しかし嵩煌は動揺することなく、即答する。
「カマかけるような連中じゃないことくらい分かってるからね。…斑鳩、白川純弥のデータのことでしょ?」
「えぇ、話が早くて助かりますよ。流石は元社員ってところでしょうかね」
管理者は振り向き様に言うと、改めて嵩煌と対峙する形になる。
「こっちは、彼が無事かどうか知りたかっただけなんだけど。あんな風に隠されちゃ、怪しんで下さいって言ってるようなもんよ?」
「秘密にしておきたい事くらい、2、3あるものでしょう?」
管理者がシレッとした態度で流すように言うと、嵩煌は急に感情的になる。
「あのね、人の命に関わる事を隠すのは秘密ってレベルじゃないよ。あんたらがやってるのは隠蔽でしょうがっ」
「人聞き悪い言い方ですね。彼が憑神を返してくれれば、すぐに…」
「それが殺すことと同義だってこと知ってんでしょ!?」
感情を露にする嵩煌に、管理者は肩をすくめる。が、嵩煌の問いに反応を示さない辺り答えはyesのようだ。
「大丈夫、ちゃんと我々が責任を持ちますから」
「どの口で言ってんの、……っ?」
嵩煌が言葉に詰まったのも無理はなかった。管理者の周囲に現れた斑点、AIDAが視界に飛び込んできたからだ。
「CC社とAIDA、本当に絡んでる訳…?」
「まあ色々あるんです。あなたには少し舞台を降りてもらいますよ、リアルで動かれても困りますからね…」
斑点の収縮が一気に速まったかと思うと、塊となって嵩煌を襲った。
「――――――…」
草原フィールドで休んでいた斑鳩に、★からショートメールが入った。とにかく急いでカオスドームに来て欲しい。穏やかではない文章に、斑鳩はすぐにマク・アヌに戻った。
ドームに入ると、ゲートの前でそわそわする★が見えた。近寄ろうとすると、斑鳩に気付いた★が物凄い勢いで走ってきて袖を引っ張った。
「な、何だよいきなり」
「嵩煌がっ先輩がっ…早く!」
気が動転しているのか、単語しか出ないらしい。斑鳩は★の両肩を掴んで、真っ直ぐ自分の前に立たせる。斑鳩と視線が合った★は、我に返ったように動きを止める。
「ご、ごめん…」
「あいつに何かあったのか?」
「多分、私達がデータを盗んだことが管理者にバレたんだと思う…。一応ログインはしてるんだけど、返事来ないし。電話にも出なくて」
★は先程とうってかわって、意気消沈したように言葉を繋げる。
「どこのエリアに居るのか分かるか?」
斑鳩が聞くと、
「恐らくアルケ・ケルンだと思う、転送履歴はそれが最後だから」
★が答え、斑鳩は手を離す。
「そんな危ないこと、二人はやってたのか?…って今は話てる場合じゃないな。サーバーとワードは?」
斑鳩は気を取り直すと、ゲートに向かいながら言う。
「Θ 隠されし 禁断の 飛瀑。ロストグラウンドの一つだから、他のエリアとは色々違う」
「分かった。俺をパーティーに誘って、助けに行くぞ」
★は深く頷くと斑鳩をパーティーに加え、例の如くリーダー権を渡す。斑鳩はそれを確認すると、早速サーバーとワードを伝える。
「ワードがはっきりしてるから、すぐに移動出来る筈だ」
斑鳩の言葉の直後、二人のPCを光が覆った。
カオスゲート前に転送された。落ちる大量の水が、轟音と靄を生んでいる。
「…ぁ、あれ!」
★が叫ぶと同時に走り出す。斑鳩がその先を見ると、何やら黒いものが蠢いている。
「もうお仲間のご到着ですか。今回、彼は接触の対象外なので失礼します」
嵩煌に言ったのだろうか、管理者はそう呟くと姿を消した。
「くそ、管理者の野郎逃げたか…」
足を止めた★に追い付いた斑鳩が、反射的に言う。そして残された黒い塊は、よく見れば虎のような豹のような姿をしている。
「…せん、ぱい」
★の力無い声に、斑鳩は耳を疑った。
「…こいつが?まさか、AIDAに飲まれちまったのかよ」
言っている間に、宙を漂っていた塊から足が伸び地を掴んだ。目がはっきりと見開かれ、斑鳩を睨む。
“…斑、ルが。ごメん…ね”
突然AIDAから発せられた言葉に、斑鳩は思わず後退りしてしまう。
「マジ、なのか」
声を発したのはこれ一度きりで、次の行動は前足を振り上げるというものだった。斑鳩は棒立ちの★を、半ば突き飛ばすように後ろに下げると、抜刀してAIDA――嵩煌を牽制する。
「おぃ、あいつを助ける方法は?」
「…データドレインで、AIDAを排除するしかない…です」
元々ある丁寧な性格が出たのか、斑鳩に対して敬語で答えてしまう。だが、その斑鳩のスケィスにはデータドレイン出来るだけの力が無い。
それでも、斑鳩はスケィスを呼び寄せて曲刄を構える。★は項垂れたまま、視線を上げることすら出来ない。
「…無理、ですよ。先輩はもう…」
「諦めんな!AIDAを消せなくても、叩けばあいつの意識くらい戻るだろ。俺は真の時みたいに、ただ見てるだけなんてこと…出来ねぇからな」
しかし、嵩煌に取り憑いたAIDAはスケィスの倍以上ある。更に劣化が進んだスケィスには、巨大な壁に等しい。嵩煌自身は完全の意思は全く感じられず、獣のような唸り声を上げるだけ。
スケィスは腹をくくったように大鎌の柄を握り締めると、AIDAに向かって突貫した。
「しっかりしやがれ、こんな奴に負けてんじゃねぇ…よ!」
振り上げた鎌を、AIDAの顔面に振り下ろすが、引き裂くどころか刺さりもしない。斑鳩は軽く舌打ちすると、今度は側面に回る。そのまま仕掛けようと飛び込んだが、AIDAは長い尾を鞭のようにしてスケィスは弾き飛ばす。
「くそっ…」
「…来ないでっ」
★の声に慌てて振り返ると、三爪痕――と言われていたPCが蒼い炎を纏って現れた。
三爪痕――蒼炎のカイトは、震える★に興味を示すこともなく、スケィスとAIDAに近付いていく。少し距離を置いた位置で停止すると、右腕をゆっくりと上げる。腕を中心に円が幾つも現れ、光を放ち始める。
「…データ、ドレイン?加勢する気か」
AIDAの動きも鈍ったため、スケィスは武器を引いて間を取る。が、カイトに嵩煌を救うなどという思考は存在しない。
「だめ…!早く止めて」
★がスケィスに向かって叫ぶ。斑鳩がその意味を飲み込めないでいると、★がさらに続ける。
「彼らにデータドレインされたら…未帰還者になってしまう、ハセヲさんの友人と同じようにっ」
「なっ…!」
蒼炎騎士のことを、もっとしっかり聞いておけば良かったと後悔しても遅い。カイトの放った螺旋の光はAIDA、嵩煌を貫いた。獣の姿を成していた黒い塊は拡散して消え去り、ボロボロになった嵩煌のPCだけが残った。カイトは、何も無かったかのように炎となって去ってしまう。
斑鳩は憑神を解くと同時に走り出し、地面に落ちる寸前のところで嵩煌を抱き止めた。
「…おぃ、馬鹿ネコ」
薄開きの瞼の奥の瞳に、光は無い。目を合わせても、焦点が合わない。★は斑鳩の側に寄り、ただ立ち尽くしている。
「…嵩煌、何か言えよ」
斑鳩が絞り出すように、嵩煌の名を口にした。それでも反応は見られず、脆くなった左腕がもげ落ちる。それを皮切りに、全身のグラフィックが淡く光りながら舞い上がっていく。
それとは別に、斑鳩の頬を伝う光が嵩煌の顔に落ちる。
「俺のせい…だ。俺がこんなことになって、それに関わって。…俺なんかのために、危ないことして…」
斑鳩の腕には、もう嵩煌の重さは無く、最後の破片が空に消えた。
その場に顔を伏せようとした斑鳩を、★が無理矢理に立たせる。そのまま空いた手で、斑鳩の顔を叩く。
突然のことに、斑鳩は目を見開いたまま硬直する。
その時の★の表情は、泣くのを堪えた気丈に振る舞おうと必死なものだった。
「…後悔したって、先輩が還ってくる訳じゃない。貴方がすべきことは、これからを考えること。確かに、貴方をこんな境遇にしてしまったのには、私達の側に責任がある。…その責任を誰よりも重く感じて、一番頑張っているのが先輩。もう“斑鳩”だけの問題じゃないの…。今、この状況から逃げる為の自己嫌悪は、私が許さないから」
今までにない覇気を漂わせ、★は全て言葉にした。だが同時に、自分にも言い聞かせていた部分もある。何故もっと嵩煌の様子に気を配っていなかったのか…。★自身も後悔の念に苛まれ、自己嫌悪に潰されそうだったからだ。
斑鳩から離れた★は一転、肩をすぼめてカオスゲートに向かう。
「…これから、どうすれば」
斑鳩が、★の背中に向かって声を投げる。★は振り向くことなく、ゲート前に立って言う。
「ごめんなさい。偉そうなこと言ったけど、今は何も考えられそうにないの。とにかく、先輩を病院に連れていく。…しばらくイン出来ないと思うから」
一人残された斑鳩は、膝から崩れ落ちる。水の音が耳鳴りのように響き、孤独感を煽る。
「―――…
はっきり言えよ、
俺のせいだと。
余計な気遣いなんて、無意味だ。
中途半端な同情よりタチが悪い…。
嵩煌、お前は何がしたかったんだ?
結局俺は、助からないのか?
分からない事ばっかり、
残していくなよ…。
お前を助けてやりたいけど、
俺にはその力が無い。
劣化、出来損ないだから な。
ハセヲ(あいつ)みたいに
強くないんだよ、俺。
きっと、あとのことは
あいつらがやってくれんだろ?
だったら俺は用済みだな。
…てか、
初めから必要無かったんだろ。
ただ、スケィスが欲しかっただけなんだ。
そう、俺じゃない。
必要だったのはスケィスの破片…。
もう俺は、
ただのPC、データ。
スケィス、
お前のやりたいようにやれ…」