白川純弥
マク・アヌ、斑鳩は今日もそこにいた。AIDAに傷一つ付けられなかったことに対する憤りが、未だに消えずにいる。それがあってか、レイヴンとは更に距離を置くようになった。
斑鳩は軽く溜め息を吐き、河に映る橙色の揺らめきを見つめる。
と、ドームの方から肩を落として歩いてくるクーンの姿が見えた。彼の溜め息の深さは、斑鳩のそれを遥かに凌ぐもので深刻さを物語っていた。斑鳩は少し気に掛けた様子だったが、自分から声を掛けようとはしない。何だか、どうでもいいことに巻き込まれそうな予感がしたからだ。
しかし、斑鳩の意に反してクーンが斑鳩に気付き目が合ってしまう。斑鳩は慌てて視線を反らしたが、遅すぎた。クーンがツカツカと歩み寄り、手摺にかなり勢いをつけて背中を預けた。斑鳩は何とか他人のフリをしようとするが、肩にクーンの手が置かれた瞬間、諦めろと本能が諭してきた。
「いかるがぁ~」
クーンが項垂れ、軟弱な声で呼ぶ。この至近距離で無視することは出来ない、斑鳩は視線を夕日に向けたまま返事をする。
「…何ですか?」
棒読みでしかも敬語、クーンは斑鳩の無関心さを嫌でも感じ取る。それでも尚、斑鳩に話し掛ける。
「ちょっと相談があるんだ…」
「俺じゃなくても、ギルドに行けば良いじゃないですか」
斑鳩の間髪入れない返答で、クーンは言葉に詰まる。だが、引き下がりはしないようで。
「お前じゃなきゃ駄目なんだ。な?取り敢えず聞いてくれないか?」
クーンのしつこさに負けたのか、斑鳩は気だるそうに頷いた。その直後、クーンの口から予想だにしなかった言葉が出る。
「ついさっき、雛菊ちゃんにフラれちゃってさ。もうすぐ負け試合が3桁に突入しそうなんだ。…なぁ、どうしたらモテるんだ?」
斑鳩はしばらく思考が停止する。そしてやっと出た返事が、
「…はい?」
だった。
斑鳩は更に「そんなことかよ」と一蹴しそうになったが、何とか言葉を飲み込んだ。落ち着くように自分に言い聞かせ、改めて口を開く。
「何で俺に聞くんです?」
「だってお前さ…」
クーンが言いながら後ろを向くと、斑鳩も視線だけそちらにやる。そこには女性PCが数人居て、斑鳩を見つめている。本人非公認のファンクラブの面々のようだ。
「…俺は、別に何もしてないですよ」
そう、斑鳩はただ橋の上にいるだけだ。
「そう!それが問題なんだよ。エンデュランスもただアリーナで戦ってるだけなのに、やたらとファンがいる…」
始めは威勢良かったが、語尾は萎れてはっきりとは聞き取れなかった。つまり、口説きやアピールを全くしない二人に、何故女性PCが集まるのか?と言いたいらしい。
「あ、あの。あまり気にしなくても良いんじゃ…、たかがネットの世界なんだし」
どうせ架空のキャラクター、性格、外見でしかない。それに恋して付き合う方が、斑鳩には不思議だった。稀に、ゲームで知り合ってリアルの結婚に至ったという話もあるが、そうなる確率などたかが知れている。
「エンデュランスには、聞かないんですか?」
「…あいつはそーゆうのには無関心だからな、軽く無視されて終わりそうだ」
斑鳩は歓迎会の時とAIDAに遭遇した時しか、エンデュランスを見ていない。どんな人物かは想像すら出来ないが、口数が多いようには見えなかった。
斑鳩は、ふと疑問に思った。
「何で彼女が欲しいんですか?リアルで探した方が良いと思うんだけど…」
段々敬語も面倒になってきたのか、タメ口に近付いていく。
「リアルで出会いがないから、ここで探してんの」
「…でも、ネカマとかだったらどうするの?」
「うっ…」
斑鳩の素朴な問いに、クーンは肩をガクッと落とす。
性別すら偽れる世界で、恋人探しなど無謀な行為ではあるが、クーンにとっては生き甲斐の一つらしい。いつまでも付き合うのは願い下げだと思った斑鳩は、何とか改善策を提案する。
「きっとキャラの見た目とかで判断するんだろうから、新しいキャラ作ったら?性格もロールすれば良いんだし」
「…でも、ロールしたらそれは本当の俺じゃないだろ?それに憑神が使えるのは、このPCだけだし、他のキャラじゃ何かあった時にギルドと連絡取れない」
斑鳩の案は悉く棄却され、もう好きにしてくれと内心思う。
と、以前にも似た会話をしたような気がしてきた。the worldではなく、リアルのどこかで。その時も収集がつかなくなって、誰かからの受け売りの言葉で何とか終わらせた。その言葉がなかなか出てこない。誰の受け売りだったか、そっちを思い出そうとする。
隣ではクーンが力無く項垂れ続けている。
斑鳩は僅かに残るリアルの記憶を、無理矢理にでも引き摺り出そうとする。こんなことも思い出せない自分に、苛立ちすら覚える。その言葉も、それを教えてくれた人も、忘れてはならないくらい重要なことだと何故か思ってしまう。
と、一つの単語が浮かんだ。
(…自分、らしさ。あぁ、そうだった)
「…自分自身、自分らしさを受け入れて認めれば、同じように受け入れてくれる人が現れる」
その後は、一気に言葉が連なって出てきた。そして、教えてくれた人も。斑鳩は胸の支えが取れたような、すっきりした気分になった。他人に近寄る前に、まず自分と向き合え。その自分を知り、受け入れることが必要だというものだ。
「何か哲学っぽいな;;分からなくはないけど…って、前にもどこかで言われた気がする」
クーンはやっと背筋を伸ばし、視線を上げる。
「俺も受け売りだから、他にも言う人がいてもおかしくはないかな」
「なるほどねぇ。…あ、思い出した。バイト先の奴に同じこと言われたんだ」
やっとすっきりしたのか、クーンの表情がパッと明るくなる。斑鳩もバイト先という言葉に、ある光景が浮かんだ。休憩室で凹んで暗くなっていた先輩に捕まり、今と似たような状況に陥った。その時も、受け売りで乗り切った。
「…俺のバイトの先輩にも、同じ様な人いたからな」
斑鳩は呆れつつも、懐かしむように呟いた。
「その先輩とは仲良くなれそうだw」
クーンが嬉々として言った。
と、話が一段落したところに斑鳩にショートメールが入る。嵩煌からだ。レイヴンの@HOMEに来るように、という内容だった。
「何か進展あったのか?」
クーンが問うと、
「多分、何なら一緒に行く?」
こう斑鳩は返した。クーンは頷くと、@HOMEがある傭兵区に急いだ。以前アトリに連れられて行った時は、歓迎会というオチだった。それを思えば、全く不安がないということはない。
不安を抱えたままの斑鳩と、先程よりは活力が湧いてきたクーンが知識の蛇に入る。
奥の端末近くに嵩煌と★が立っていて、こちらに気付いた★が小さく手招きする。それに誘導されるように歩を進めると、正面のモニターに光が点く。
今回は真面目な話のようだ、と斑鳩が安心すると、改めて嵩煌に声を掛ける。
「で、何か分かったのか?」
「…斑鳩には、唐突過ぎる情報なんだけど」
勿体振る嵩煌の言い回しに、斑鳩は軽く眉を潜める。クーンも場の空気を察してか、キッと居直る。
斑鳩が★に目をやると、それに応えるように★が口を開く。
「斑鳩の、リアルの身体を見つけたの」
やや間があったが、嵩煌の予想に反して斑鳩は平静を保っていた。
「……本当、なのか」
否、放心状態に近く、思考が鈍っているようだった。
「証拠を見せるよ、そしたら納得してくれると思う」
言いながら、嵩煌は病院で得たファイルを開いた。
「…俺が、俺を見てる」
薄暗い病室のベッドに横たわる自分を、第三者の位置から眺める。きっと幽体離脱したら、同じものが見られるのだろう。
と、さっきまで大人しかったクーンがモニターに近付いて、視線を青年からネームプレートに移す。そして斑鳩よりもはっきりとしたリアクションを示した。
「お、お前のリアルの名前って…」
「ん?俺は白川純弥、だけど」
「名前、顔…うん、間違いない」
1人で勝手に納得しているクーンに、嵩煌の好奇心センサーが反応する。
「ね、何々?斑鳩のリアルのこと知ってるの?」
クーンはわざとらしく咳払いをすると、少し得意げな顔で答えた。
「あぁ、知ってるよ。俺は白川と同じゲーセンでバイトしてる香住智成だw」
言い終わるのと同時に、クーンは斑鳩を見やる。その言葉に斑鳩は目を丸くし、すぐに笑いだした。クーンもそれに釣られて目を細める。
「俺は、おんなじ奴におんなじことを相談して…w」
「俺は同じ奴に、同じアドバイスをしたってことか」
完全に蚊帳の外になった嵩煌と★は、状況が飲み込めないままだった。
「…?あの二人、何かあったんですかね」
「さぁ(-ω-)」