水の都 マク・アヌにて
今日のマク・アヌも、茜色が美しかった。水面が揺れる度に輝くそれは、リアルよりも秀麗だと誰かが言った。
そして斑鳩はいつもの場所に陣取り、沈まぬ夕日を飽きることなく見つめていた。
マク・アヌに架かる唯一の橋の上。そこが斑鳩の指定席だ。風の噂で、以前にもここに陣取っていたPCがいたと斑鳩は聞いていた。きっと自分と同じように夕日を愛でていたと思うと、一度会ってみたいと細やかな願望が沸いた。
しかし、最近になってそれは叶わぬものだと知った。
そのPCは、もうログインしてこない。否、出来ないのだ。
それでも、斑鳩は橋に通うことは辞めなかった。the worldの中で、一番休まる場所だったからだ。
ずっと同じ所に居座り微動だにしないあたり、寝落ちかAFKのようだ。人通りの多い橋、斑鳩の名前を知るプレイヤーは思いの外多かった。
外見も、着崩した和服が翻り、髪留めで目が見えにくい。近寄り難いが、小規模のファンクラブがあるらしい。エンデュランスに似たような立ち位置とも、言えるのかもしれない。
だが、斑鳩が強いという話は一切囁かれない。斑鳩は決してパーティーを組まず、生粋のソロプレイヤー。PKをすることもなく、本当にいちプレイヤーだった。
そのせいか、巷では自立AIだとかイベントキャラだとか、様々な説が作られては消えていた。斑鳩本人は全く気に留めていないようで、毎日ほぼ決まった時間に橋に現れ好きな夕日を眺めている。
今日も何事もなく、川の水が流れていく。斑鳩は手摺に肘を付き、時より何かに思いをはせるように瞼を閉じる。
「ちょっと…やめといた方が良いって;;」
橋のカオスゲート側。呪術士と魔導士が何やら話していた。ヒューマン女の呪術士と、獣人女の魔導士。魔導士はかなり小さなネコタイプで、呪術士は前屈みになって視線を合わせているようだ。
「へ~きへ~き(-w-)b」
そう言うと魔導士は呪術士の制止を易々と振り払い、斑鳩に向かって走り出した。走るというよりも、突進に近い勢いだ。
魔導士は斑鳩の背後の1m程手前で本当の猫のように跳躍すると、斑鳩の正面の手摺に着地した。
斑鳩は不意を突かれ、後ろに飛び退いた。周りに居たPCも、斑鳩が動いたことに驚き、視線が集まった。
魔導士はそのまま手摺に腰を下ろし、平然と斑鳩の前に居座った。一緒いた呪術士は頭を抱えてアタフタするしかない。
大衆も、その様子を遠巻きに見るしか出来ない。だがファンクラブのメンバーとおぼしき数人は、興味津々のようだ。恐らく彼女達のリアルの指は、キーボードのSSボタンの上にあるだろう。
やや間があって。
「……おい」
斑鳩の他人の前での第一声となった。
魔導士は耳だけを斑鳩の方に向け、姿勢を変えることはない。その態度がカンに障ったのか、斑鳩はいきなり抜刀する。
「物騒だなぁ…」
やっと魔導士が口を開き、斑鳩を見やった。
「そこは俺の指定席なんだよ、とっとと退きやがれチビ猫」
斑鳩は切っ先を迷うことなく魔導士に突き付け、碧の眼で睨み付ける。無口=クールというのは、必ずしも成り立たない図式だったようだ。魔導士はそんな斑鳩の姿に目を細め、何故か安心したような顔をした。
「良かった、まだ“生きてる”みたいだ」
「は?…当たり前だ」
訳の分からない言葉を投げられ、斑鳩は戦意を喪失したのか刃を鞘に収めた。
「ワタシ、あんたに興味があるんだ。少し付き合ってくれな…」
「断る」
斑鳩は、魔導士に最後まで言わせまいと一喝した。
「じゃあ、観察させて」
「…お前なぁ。…まぁ見てるだけなら、他の連中と変わらねぇし好きにすれば」
斑鳩はチラリとファンクラブのPC達を見、呆れたように言い捨てた。
「ありがと(o~-')b」
「けど、俺見てたって詰まんないと思うけどな」
「良いの*2、見える所に居てくれるだけで十分だからさ~」
「…はぁ」
それからと言うもの、魔導士は、斑鳩が橋に現れるとすぐに傍に寄ってくるようになった。別に話し掛けてくる訳でもなく、二人して夕日をぼんやりと眺めているだけ。一つ変化したことと言えば、ファンクラブの嫉妬の視線が時々刺さるくらい…。
そうこうしているうちに、1週間が過ぎた。斑鳩はレベル上げのためにエリアを出入りしているらしいが、そこに魔導士が着いていくことはなかった。正確に言うと、着いていけなかった。
だから斑鳩を観察出来るのは、マク・アヌのタウン内のみ。しかも橋の上限定である。
「…そう言えば、まだ名前聞いてなかったな」
1週間経って、斑鳩が久しぶりに発声した。魔導士は不思議そうな顔をして、自身の頭上を指差した。
「ココに出てるでしょうが~。見えてるから聞かないもんだと思ってたんだけど?」
「…どこにあるんだよ」
「もしかして、非表示にでもなってるんじゃない?あんた、実は初心者に近いとか…」
「…多分、非表示にしたまま離れちまったんだ…」
「何~?」
斑鳩は独り言のように小さく呟き、聞き取れなかった魔導士が前のめりになって聞き直そうとする。
「何でもねぇよ。考え直したら、別にお前の名前なんか知らなくても良いんだし」
そう言うと、斑鳩は手摺から体を離してゲートに向かって歩き出した。
「珍しいね、こんな時間に狩りなんて~」
魔導士は、斑鳩の背中にぶつけるように叫ぶ。しかし斑鳩は何も言わず、凛とした鈴の音だけが微かに返ってきただけだった。魔導士は小さく溜め息を吐くと、さらに大きな声で、
「ワタシは<嵩煌>!忘れるなよー(`o´)」
その直後、僅かに斑鳩の頭が縦に振れた、気がした。