敗北感
この日初めて、斑鳩の元にショートメールが届いた。事件前はプレイヤー全員が同じ部屋に居たことで、リアルでやり取りすれば事足りた。データ化された後は、誰とも接して来なかったためメールが送られてくることは無かった。
(八咫から?開くには…)
普通ならコントローラーのボタン一つで出来る操作だが、斑鳩には手間の掛かる作業のようだった。やっと開き本文を読もうとしたが、叶わなかった。
文字化けだ。面倒な手順をこなして開いた斑鳩には、怒りしか湧いてこない。
「んだよ、あのハゲ。新手の嫌がらせか…?」
と、ぼやきつつも一応目を通す。意味を成さない漢字やカタカナが入り乱れ、読んでいるという感覚すら薄れる。だが終盤、明らかに意味を成し読める単語があった。
「AIDA…感知、Ω…」
肝心のエリアワードが文字化けしていたが、文字数と辛うじて残っている本来の文字から推測出来そうだ。
だが本来、Ωサーバーはエリアを持たないサーバーだ。しかし斑鳩はマク・アヌ以外のタウンに行ったこともなく、他サーバーの数や設定も知らない。
Ω チ味な/: 支ロ@\?#の %*シ路
これに当てはまるのは、
Ω 美味なる 支離滅裂の 通い路。
と分かったが、マク・アヌからはΔサーバーのエリアにしか行くことが出来ない。斑鳩は試しに、ゲートのサーバー移動システムに直接入ってみることにした。女神と何度かやり取りした後、斑鳩は青い光に包まれた。
システム内は、総じて青の空間らしい。以前、知識の蛇から侵入した場所に良く似ていた。
斑鳩は女神の力添えを受け、Ωサーバーの回線の流れに入り、エリアワードを指定した。
辿り着いた先は、今まで見たことのないエリアだった。ダンジョン系ではあるが、壁面がまるで内臓のようになっている。骨や腫瘍、脈打つ音までする。
斑鳩は確かめるように、その場で床を踏んでみる。鈍い音がし、分厚いゴムを踏みつけたような感覚だった。文字化けしたメールに書かれたエリア、イレギュラーなのも仕方ないと言えばそれまで。
同じ所に留まることもない、斑鳩は取り敢えず奥に進んでみることにした。
どこを見ても薄気味悪い赤い壁と床、モンスターや宝箱も無い。これでAIDAすら居なかったら、帰って八咫を殴り飛ばすと斑鳩は決めた。
階段を降りても、相変わらずの通路が続き、半ば飽き始めた時だった。目の前に、染みができるように黒い斑点が現れた。
「…あのハゲを殴り損ねたな」
少し残念そうな口調だったが、斑鳩はやっと体を動かせることを喜んでいた。抜刀して両の手で柄を握り構えると、相手の出方を窺う。
しかしAIDAは動かず、代わりに同じく黒い者が出現した。斑鳩は一瞥しただけで、それを何か認識出来た。
「管理者とウィルスが、仲良くご登場か…?」
「仲が良いように見えるか?」
管理者は肩をすくめ、斑点を見やる。斑鳩は左手を柄から離すと、刃先を下ろす。そしてAIDAと管理者を交互に見て、言ってやる。
「悪いようには見えねぇけどな」
「これでも、彼らとの付き合いには難儀している」
「だったら消しちまえば良いだろ?」
間髪入れず、斑鳩はそう言い放つ。何故面倒な相手を生かして側に置くのか、ナンセンスな話だ。
「彼ら、AIDAもまたthe worldの一つの形。the worldという身体の一部だ、簡単に排除することは出来ない」
管理者が平然と語ると、斑鳩が反論する。
「こいつらに感染したら、俺みたいな未帰還者になるんだろ?管理者なら由々しき事態ってやつなんじゃないのか?」
言いながら、斑鳩は再び構える。
「これは、この世界の“父”の意思だ。我々はそれに従うのみ…」
管理者が下がっていく。斑鳩は逃がすまいと走り出すが、AIDAが形を変えて立ちはだかった。
半透明で細長いシルエット、例えるなら鰻のような姿にAIDAは変化した。と同時に空間が青白い開けた場所に変わり、管理者は消え失せた。斑鳩は軽く舌打ちしつつも、魚類型のAIDAを見据える。
この空間は憑神を呼んだ時と同じ、AIDAは憑神でしか倒せない理由が何となく分かった。斑鳩はスケィスを呼び出し、大鎌を振り翳す。
AIDAはそれに反応したかのように身を翻し、スケィスに向かってくる。近付いてくるAIDAは、思いの外大きかった。スケィスはギリギリのところで躱わしながら、横腹に向かって刄を一閃した。
が、鎌は弾かれ反動がスケィス本体に来る。
(奴が硬いか、俺が弱いか…)
自分でも、後者であることは薄々分かっている。AIDAが吐いているだろう泡のようなものも、防ぐので精一杯。当然機動力も削がれ、相手の背後に回ることも出来ない。
泡の弾幕が濃くなった直後、何かの収束音が響いた。
AIDAの側面に、エネルギーの収束が数ヶ所か見える。泡を盾にして防ぐか、避けられる位置まで移動するか。いくら数が多くても、泡でやり過ごせるとは思えない。移動するにしても、周りの障害物を斬らねば進めない。だがAIDAは待ってはくれない。充填が済んだらしく、今度はエネルギーが溢れていく。
青黒いエネルギーが直線的に放たれる。それは真っ直ぐに、スケィスに向かう。
「…メイガスッ!」
そう誰かが叫んだ瞬間、斑鳩の視界は巨大な葉のような物に覆い尽くされていた。良く見れば葉は一枚ではなく、スケィスを取り巻くように幾重もあった。
「まったく、無謀なことするのはハセヲだけで十分だ…」
メイガスを操る碑文使い、クーンが溜め息混じりに言う。だが呆れている訳ではなく、斑鳩の無事に安堵している口調だった。
「…また、来るよ」
マハの碑文使い、エンデュランスが二人に忠告する。
スケィスの右前方に現れたマハは、下半身が薔薇を思わせる憑神。メイガスと同様に、スケィスの数倍の大きさだ。
「斑鳩は下がって、後は僕たちが…」
ただ守られて退くことしか出来ないことに苛立ちつつも、スケィスは黙って前線を明け渡す。メイガスもAIDAと対峙する形を取り、それを斑鳩は見ているだけ。マハの攻撃が、メイガスの増殖プログラムによって強化され、すぐに勝負が着いた。
AIDAが消滅すると、元居たエリアに戻る。三人は憑神を解除し、ダンジョンの床に足を着ける。
「…俺、何も出来ないな」
斑鳩は言うなり、クーンとエンデュランスに背を向ける。屈辱と悔しさ、何よりAIDAに負けたという敗北感が胸に広がっていく。
「一般PCだったら、俺達が来るまで持たなかった。AIDAに対抗出来たんだ、何も出来ない訳じゃ…」
クーンの言葉を、エンデュランスが首を横に振って止めた。
エンデュランスには、ミアの為に一人で戦い続けハセヲに敗れた過去がある。斑鳩ほどの特殊な状況下にあった訳ではないが、気持ちを察することは出来る。生半可な慰めや気休めの言葉は、意味を成さない。
クーンは押し黙るが、すぐに切り替える。
「しかし、良くこんなエリアに入り込んだな。どうやったんだ?」
クーンの問いに、斑鳩は文字化けしたショートメールのことを話した。
「おかしいね。いつもの彼ならAIDAの反応があれば、碑文使い全員にメールを送る」
「あぁ、それに文字化けやΩサーバーを指定したのも気になるな」
一連の会話の中でその他に分かったことは、このタイプのダンジョンはR2には存在しないということだった。R2から始めたメンバーは、グラフィックやエフェクトに躊躇って進行に支障をきたす可能性がある。よって、前バージョンの経験者が抜擢されたらしい。
「ま、とにかく無事で良かった。★さんに言われたんだけど、タウンに帰る時は斑鳩の方法でって、どういうことだ?」
エリアが存在しないサーバーに、カオスゲートなど無い。欅のハッキングを使って入ることは出来たが、エリアからのPC回収は難しいらしい。
「俺はゲートが無くても移動が出来るんだ。一緒に連れてくには、パーティー組まなきゃならないけど」
「なるほど、りょーかい」
クーンは善は急げと斑鳩をパーティーに誘い、リーダー権を渡す。R1からプレイしていたクーンだが、この内臓ダンジョンは長居したくはないようだ。
斑鳩はマク・アヌに戻る旨を、世界に伝える。
「ゲート無しで転送出来るって、どんな仕掛けなんだろうな…」
クーンの呟きに、斑鳩は目を閉じたまま答えた。
「女神が側に居てくれているから、かな。転送始まるぞ」
転送完了直前、エンデュランスは斑鳩の言葉の続きが聞こえたような気がした。
「それに、俺はデータだから」
と。