家
斑鳩が目を覚ましたのは、日付が変わって間もなくのことだった。★は寝落ちしたらしく、人形のように木箱の上に座っている。
斑鳩は★をソファーに寝かせると、@HOMEを出る。
日付が変わったことで、嵩煌の言った「今日」のラインはクリアした。約束はちゃんと守ったのだと改めて確認し、斑鳩は橋に向かった。
マク・アヌには、夜行性のプレイヤーが行き交っている。夜すら来ないこの街は、眠らないのではなく眠れない街なのかもしれない。
斑鳩は橋に着くと、手摺に体重を掛ける。嵩煌は朝までインしてこないだろうし、一人で考え事をする時間が出来た。
と言っても、分からないことだらけで疑問しか浮かばない。全ての解答を持っているのは、恐らく管理者。だが、すぐに見つけられる相手ではない。
斑鳩は自分の掌を見つめ、呟く。
「…殺された。でも俺は、the worldに居る」
そう言えば、自分以外の被験者の入院先が分かったようなことを嵩煌が言っていた。病院に居る以上、植物状態であったとしても生きている可能性は高い。
真も、まだ生きているかもしれない。斑鳩のようにthe worldにインし続けていないなら、ただの昏睡状態。何かのきっかけで意識を取り戻してもおかしくない。
だが自分は、斑鳩にはリアルの体が無い。嵩煌がその所在を掴んでいないだけなのか、既に葬られてしまったのか。後者は考えたくはないが、可能性としては否定出来ない。
一人で考えると、悪い方にしか思考が流れない。斑鳩は軽く頭を横に振り、溜まった憶測を一掃する。
気分転換したい。
斑鳩が取る行動は一つ、狩りだ。
斑鳩はドームに向かい、女神と対話する。簡単に斬れる弱い相手では、満足出来そうにない。斑鳩は、自分のレベルより10程高いエリアを希望した。
斑鳩にしては珍しく、荒野タイプに雨という組み合わせだった。雨に濡れることを嫌っていた筈なのだが、今日はそれを許すらしい。
転送されたのは、フィールドの左端。目の前でゴブリン系の敵が、綺麗な円を描いて回っている。
斑鳩は抜刀すると、不意討ちの初撃で無影閃斬を叩き込む。本来、不意討ちは通常攻撃でしか出来ないが、斑鳩は逸脱している。
だが10近くレベル差があるせいか、一撃では片付けられない。直後に2匹の攻撃を防ぎ、まとめて薙ぎ払う。斑鳩は間を取ると、相手の出方を見る。1匹が赤いオーラを発し、突進の体勢に入る。斑鳩はそれを確認すると、残った敵の背後に回り盾代わりにする。そこに突っ込んで同士討ちになったところで、畳み掛けた。
「…俺も似たようなもんか」
モンスターを盾にした自分と、あの時の管理者が重なる。このモンスターもデータ、同胞を身代わりにした感覚が拭いきれない。
その後、4グループ程と戦闘を行った。まだフィールドに敵が点在しているようだが、斑鳩は太刀を納める。雨の中を駆けて戦うのは、予想以上に体力を消耗する。
取り敢えず雨を避ける為、獣神像が置かれている神殿の屋根下に入った。階段に座ると、髪留めを外して髪を掻き上げる。更に頬に張り付く髪を指で剥がすと、水滴を払うように手櫛で荒っぽく解く。ついでに、裾や帯の先をまとめて絞る。
一通り終えて座り直し、雨筋越しに見えるワープゲートの光を見つめる。淡い緑色の光は、薄暗い中では安心出来る。
何かが足に触った。
神殿周囲には、敵影は無かった。そもそも、向こうからプレイヤーを探して追ってくるような仕様はない。
見れば、触れたのはラッキーアニマルのはっしばだった。子馬のような外見で、短い尻尾を振っている。
「…お前も雨宿りか」
言葉が通じる訳でもないのに、何となく聞いてしまう。斑鳩が頭を撫でると、水気を飛ばすために鬣を振るわせた。当然、水滴が斑鳩に直撃する。
だが怒りもせず、もう一度頭を撫でる。はっしばが目を細めると、斑鳩も釣られて顔を綻ばせた。
このエリアが晴れることはない。はっしばはプレイヤーが来るまで、1匹で待ち続ける。そして蹴り飛ばされて、違うエリアに移動する。その繰り返し。
「頑張れよ…次は晴れてるエリアだと良いな」
最後に斑鳩はそう言って、エリアを後にした。
転送された先は、ギルドショップが並ぶ広場。斑鳩は周りを一瞥することもなく、橋に向かう。
階段を登りきった時だった、後ろから名前を呼ばれた。振り向けば碑文使いの呪術士、アトリが居る。
「やっと見つけました、嵩煌さんが@HOMEで待ってます!」
言い終わるかどうかのタイミングで、アトリは斑鳩の袖を掴んで急かす。
斑鳩は折角登った階段を、すぐに降りる羽目になった。だが嵩煌が呼んでいるということは、何か進展があったのかもしれない。そう考えれば、斑鳩に拒否する理由はない。ここは大人しく、アトリに引かれて@HOMEを目指すことにする。
@HOME前に着くと、アトリがクルリと向き直る。
「斑鳩さん、ギルドカード持ってますか?」
「あぁ、嵩煌から貰ってる」
斑鳩はアトリにカードを見せ、扉の前に立つ。アトリもそれに続き、レイヴンの@HOMEに入る。
が、部屋に嵩煌の姿がない。
「…奥の部屋か?」
「あの、えっと…」
居場所を聞いただけなのに、アトリは異様なまでに戸惑う。この@HOMEには部屋が2つしかないことは、確認してある。手前の部屋に居ないなら、必然的に端末がある部屋に居ることになる。
アタフタするアトリを他所に、斑鳩が知識の蛇に足を踏み入れる。
「おいチビ猫、どこに居…」
言葉が詰まったのも無理はない。知識の蛇には嵩煌以外に、レイヴンのメンバーが揃っていたのだ。
しかも全員、斑鳩の姿を見た途端、驚きの表情のまま硬直している。その中には初めて見るPCもいて、斑鳩もどうすれば良いのか分からなくなる。
アトリが恐る恐る斑鳩の影から顔を出すと、嵩煌が一喝した。
「…ちょっとアトリ!準備出来るまで入れちゃダメって言ったじゃないっ」
「ご、ごめんなさいっ」
ブンッという効果音が入りそうな勢いで、アトリが頭を下げる。嵩煌は次の声も出ず、その場にへたり込んだ。
やっと心に余裕が生まれた斑鳩が、部屋を見渡す。簡単な飾り付けがあり、何か祝賀会でもやりそうな雰囲気。その内容は、左右のモニターに映された文字で判断出来た。
《Happy Birthday Ikaruga》
「…誕生日、俺の?」
嵩煌が気を取り直して立ち上がり、小さく咳払いをしてから言った。
「そう、今日8月6日は斑鳩の19回目の誕生日。…仕事の合間にグラフィック弄るしかなかったから、中途半端になっちゃったけどね(-ω-;)」
the worldの中にずっと居た斑鳩には、日にちの感覚など無くなっていた。街のPCの数で、昼か夜が何となく分かる程度だった。
「斑鳩、あんまり騒ぐようなの好かないと思ってね。今日はどちらかと言うと歓迎会」
「何の歓迎会だよ?」
「ちょっとギルドカード貸してもらえる?」
斑鳩の問いには答えず、嵩煌が手を広げて催促してくる。斑鳩は取り敢えず従って、カードを肉球の上に乗せる。嵩煌は、それをそのまま★に渡す。
「★、お願い(・ω・)b」
★は頷くと、端末に向かい操作を始める。カードが分解されて文字列に変わり、それが斑鳩の右手に集まっていく。やがて文字列は、斑鳩の体に収まった。
斑鳩自身、何か変化があったようには感じられなかった。自分の手を不思議そうに眺める斑鳩に、嵩煌が言った。
「プレゼントを色々考えたんだけど、これくらいしか浮かばなくてね」
これくらいと言われても、斑鳩はピンとこない。
「カードのデータを斑鳩の中に入れたから、何もせずに直接ここに入れる。レイヴンは碑文使いが集うギルド、斑鳩もね。だからここが皆の、そして斑鳩の家だよ」
@HOMEは、一般人にとってはただの部屋でしかない。だがthe worldで生きる斑鳩には、それ以上の意味を持つ空間となる。しかも碑文使いだと認められた、ハセヲの、スケィスの破片でしかないのにも関わらず。
「俺の、家…」
ここ暫く無かった感覚が、斑鳩の胸を埋めていった。後ろに居たアトリが、前に出ながら斑鳩の手を取って柔らかく言った。
「ハッピーバースデー、そしてようこそ、私達のギルドへ」
急かず、
たまには立ち止まることも大切。
意味を成す行き止まり。
Cease Scaffold
《途絶えた足場》