立ち往生と休息
斑鳩が憑神を解除すると、突然転送の青い光が体を包んだ。the worldの仕様から逸脱した空間であるにも関わらず、である。
しかし斑鳩に不安感は無かった、いつもと同じ感覚だったからだ。
「…ごめんアウラ、俺上手くやれなかった。折角キミがチャンスをくれたのに」
斑鳩は、白い部屋の届きそうにもない天井を見上げて呟いた。
斑鳩がマク・アヌに戻ると、知識の蛇がそれを感知した。★がすぐに嵩煌に伝えると、嵩煌は橋に急いだ。
斑鳩はカオスゲートのドームから、少し重い足取りで橋に向かう。緊張が解れたからか、疲れが襲う。
何とか定位置に着くと、久々の石の手摺の感触を確かめる。見慣れていたはずの夕日が、やけに眩しく感じる。
走ってくる足音が聞こえる。
歩幅の狭い、忙しない音。斑鳩は敢えて音の発信源を確認しない、しなくても誰なのか分かっているからだ。
足音は斑鳩の後ろで止まり、小さな深呼吸が聞こえた。
「お疲れ様、斑鳩」
「…あぁ」
斑鳩は言いながら体の向きを180度変え、嵩煌と目を合わせた。
「管理者が言ってた『外部からの干渉』って、お前か?」
「まぁ、ね。全然状況が分からなかったから、CC社のデータ送受信だけで判断してた。余計なお世話…だったかな」
嵩煌は終始自信無さげに話す。斑鳩はその様子に呆れるように腰を下ろし、嵩煌の視線の高さに合わせる。
「心配すんな、ほんと助かった。あのままだったら、俺は消えて無くなってだろうから」
言い終えた後、嵩煌の頭にポンと手を置いた。それに応えるように、嵩煌は笑顔を見せる。斑鳩も釣られたのか、目を細めた。
嵩煌は手摺に飛び乗ると、夕日と斑鳩を交互に見た。斑鳩は向きを戻し、再び夕日の観賞する体勢を作る。
しばらく2人で、ただ景色を眺める。
斑鳩がふと、視線を嵩煌の横顔に移す。嵩煌には、元CC社の社員という事実がある。近付いて来たのも、監視の為ではないかと思えてならなかった時もあった。だが管理者と出会って、その違いを知った。
管理者は自分を物の様にしか見ないが、嵩煌は普通に、人として見て接してくる。知識の蛇で嵩煌に怒りをぶつけようとした時、銃戦士が止めたくれたことに今更ながら感謝する。
「斑鳩、疲れてない?」
長い沈黙を、嵩煌が破る。
「ん…まあそれなりに」
管理者のプログラムに晒され、憑神まで呼んだのだ、嘘でも疲れていないとは言えなかった。嵩煌は手摺から飛び降りると、手招きする。
「なら、@HOMEで休も。ここじゃ人多くて落ち着かないでしょ(-ω-)」
嵩煌に着いて行くと、木製の扉の前で足を止めた。
「なんだここ?」
「そっか、斑鳩は自分で入ったことないんだっけ…」
嵩煌は言いながら、ポケットから何かを取り出した。絵柄を確認して、斑鳩に差し出す。渡されたのはカードで、眼鏡を掛けた変なマスコットの顔が描かれている。
「これで出入り出来るからさ、後でもっと楽な方法に変えてあげるから我慢して」
そう言われても、斑鳩には良く分からない。今は取り敢えず、嵩煌に従うしかなさそうだ。
「そのまま扉開こうとすると、選択肢出るから。レイヴンってやつ選んで」
言われるままに扉に歩み寄ってレイヴンを選択すると、扉が開き@HOMEに繋がった。
「この部屋、あの端末がある所か」
見覚えがある部屋の内装に、斑鳩が言う。嵩煌は頷くと、奥に入るように勧める。
斑鳩をソファーに座らせると、知識の蛇の部屋に居た★を呼ぶ。
嵩煌が斑鳩の隣にちょこんと座り、★は近くの木箱に腰を下ろす。
「久しぶりだね、3人揃うのは」
嵩煌が軽く伸びをしながら言うと、★が続けた。
「そうですね。私はこうしてゆっくりお話しするのは初めてですし」
★が斑鳩とまともに会うのは、転送実験以来だった。それ以降、会っても言葉を交わすことはなかった。
「斑鳩、中枢部で管理者はどうなったの?スケィスの反応があった後、全くデータ解析出来なかったんだよね」
嵩煌は座り直して、肝心な話題に入る。
「6人殺ったけど、俺に関わった連中はまだ他に居る。それに、俺のスケィスじゃリアルまで力が及ばない…」
自分の体、リアルの体が有れば、CC社に乗り込んで端から殴り飛ばしたいとまで思う。その相手に何も出来ない苛立ちだけが、積もっていく。
斑鳩は足を投げ出し、天井を仰ぐ。
「なぁ、首謀者格を探すことは出来ねぇのか?」
「管理者が集まりそうな場所の目星は付いてるんだけど、人物を特定するのは難しい」
嵩煌は今の現状を、はっきりと伝える。曖昧な発言は、斑鳩を危険に晒しかねない。
「…それに、常にログインしてる訳じゃないしね」
彼らにはリアルが有り、それはこの世界とは分離している。the worldに居ない者を、探すことは不可能。
斑鳩は、小さく舌打ちをして足を組む。部屋の空気が、明らかに重くなっていくのが分かる。と、★が口を開いた。
「今は焦らずに、しっかり体を休めた方が良いですよ。そのままでは、例え管理者を見つけられたとしても勝率は低い…。貴方自身が、一番良く分かっているはずです」
そう言われた斑鳩は、右手を開いて天井に翳す。確かに、今の自分にはスケィスを呼べるかも怪しい。悔しいが、それが現実だった。
さらに嵩煌が、
「それに向こうは、次はもっと複雑なプログラムを組んでくると思う。今回みたいに、ワタシ達が入り込めるとは限らない」
と付け足した。
それを聞いた斑鳩は、黙って視線を落とす。
今回ですら、嵩煌達が居なかったら危うかった。相手の包囲網が強力になり、嵩煌達の干渉が断たれたら確実にこちらがやられる。
「ぁ、仕事の呼び出し来ちゃった…(-w-;)」
突然、嵩煌は言いながらソファーから下りる。そのまま出口に歩きながら、斑鳩に言う。
「いい?今日はちゃんとココで休むんだよ。★が居るから一人にはならないし、安心しなさい」
そして、振り向き様にピシッと斑鳩を指差して念を押す。
「分かった!?」
「ぇ、あ…はい」
勢いに押されて、斑鳩はただ返事をするしかなかった。
「よろしい(-ω-)bそれじゃ★、あとお願いね~」
そう言い残し、嵩煌は部屋から消えた。
2人になった部屋は、静かだった。★は嵩煌の様に口数が多い性格ではないし、ロールするつもりもない。
★が急に、しかも意外な言葉を放った。
「隣、座っても良いですか?」
斑鳩は一瞬思考が停止する。別に好きな女性という訳ではないし、今まで隣に座っていた嵩煌も同じ女性だ。外見がヒューマンだから、だけではないような気がする。斑鳩は声にはせず、小さく頷くしか出来ない。
「ありがとうございます^^」
そう言うと、★は木箱からソファーに移る。
取り敢えず会話しよう、斑鳩は一息置いて話し掛ける。
「…★(キラ)さん、だっけ」
「★だけで良いですよ。嵩煌より年下だし」
だが敬語を使われると、嵩煌のようにタメ口で話すのは憚られる。それを打開する為に、斑鳩はまず★に頼む。
「俺の方が★より年下なんだから、その、普通にと言うか敬語じゃなくて良いからさ」
「分かりま…じゃなくて、分かった^^知らないうちに、話し辛くさせてたみたいだね;;」
★が頭を軽く下げて、話し方を変える。斑鳩は一安心して、安堵の表情を見せた。
「嵩煌とは、リアルでも知り合いなのか?」
「うん、CC社に勤めてた時からかな」
入社し、同じ課に居た先輩が嵩煌だった。リアルでも喋り好きで明るい性格、当然のことながら後輩に人気な人。しかしRA計画というものの要員として引き抜かれ、暫く姿を見せなかった。
そして帰って来たと同時に、辞表を書いて出ていってしまった。仲が良かった★は事情を聞き、追うようにCC社を出た。
「…今は何してるんだ?」
「情報通信の仕事をね、同じ職場で働いてるの。CC社の動きを知るには、その手の所じゃないと」
★は帽子を直しながら、穏やかに話す。
新しい職場で仕事をこなす傍ら、CC社やthe worldを観察してきた。そしてある日、斑鳩の存在を知った。
「貴方を見つけた時、本当に喜んでた。生き別れた人と再会したみたいな感じだったよ」
★は思いを馳せるように目を閉じ、口元を綻ばせて言った。
「あいつが俺のことをどう思ってるのか、イマイチ分かんねぇな。…あ、あと斑鳩って呼んで良いよ、何か調子狂うから」
斑鳩が苦笑して言うと、★は顔の前で手を合わせた。
口調を変えても、呼び方をすぐには変えられなかったようだ。
「私も嵩煌みたいだったら、すぐに溶け込めるんだけどね…」
★が天井を仰ぎながら呟くと、斑鳩が意見した。
「★は★で良いんじゃないか?the worldじゃ、素でもロールでも生きられるんだし」
どちらでプレイするにしろ、それは個性になる。自分らしければ良い。
「…でもあいつ、ロールしてるって言ってたよな」
「ほとんど素なんだけどね;;“いい年して”って言われたくないんじゃないかな…」
「確かに、俺も初めはガキだと思ったしな…。でも20代じゃギリギリ有りなんじゃないか?」
“有り”と言いつつも、その表情は呆れている。ネトゲの中ならまだしも、リアルであの立ち振舞いをされたら引かざるを得ない。
「20代、まあ間違ってはいないか…」
★が意味深な言い方をすると、嵩煌の正確な年齢が気になってくる。だが女性に年を聞くのはある種のルール違反、斑鳩もその位のことは知っている。
しかし、★の方からそのルールをぶち破った。
「私が26で、嵩煌は3つ上だからね…最後の20代ってやつかな(^_^;)」
「…三十路かよ」
斑鳩が反射的に、その単語を出す。20代という表現で、23、4歳を想像していた自分が馬鹿らしく思えた。
と、斑鳩が目を擦る動作を見て★が慌てた。
「ごめんね、疲れてるのに;;少し眠る?」
ここに来た本来の目的は身体を休めるはずだったのだが、知らないうちに話し込んでいた。
「大丈夫、まだ平気だか…」
最後まで言えなかったのは、脳が酸素を求める生理現象のせい。つまりは欠伸。その図ったかのようなタイミングに、2人は思わず笑ってしまう。
「体の方は、眠りたいみたいだよ?」
★は立ち上がり、ソファーのスペースを空ける。
「…悪いな」
斑鳩は申し訳なさそうに頭を掻きながら、下半身をソファーに預ける。
「そういえば、今までも眠ることってあったんだよね?」
完全に横になった斑鳩を見、★は素朴な疑問を投げ掛けた。精神活動がある以上、確実に脳に疲労が溜まる。
「あぁ、静かな草原タイプのフィールドで寝てた。流石に街じゃゆっくり寝れないから。好きなエリアがあるから、今度…一緒に…」
言い終わりは、寝息に飲まれて途切れた。★は再び木箱に腰掛けて、柔らかく声を掛けた。
「おやすみなさい」
と。