スケィス
斑鳩は“いつもの方法”でタウンへ帰還した。そして橋の上から、夕日を眺める。短時間のうちに色々な事があり過ぎたからか、こうやってゆっくりするのが久しぶりのように感じた。
後ろから、誰か走ってくる足音が聞こえてきた。
「良かった、やっぱり…ここにいたんだ」
嵩煌が息を切らしながらも、斑鳩の無事な姿に安堵した。だが嵩煌の笑顔とは反対に、斑鳩の表情は固かった。
「…もう一度聞く。俺の近くにいる理由は何だ」
斑鳩は瞳だけを嵩煌にやり、低い声で問う。
「何だって、斑鳩を助けたいからに決まって…」
「CC社の人間が、か?」
斑鳩は手摺から体を離し、嵩煌にずいと歩み寄る。
「もう辞めたって前に話したじゃない」
「そんなの、どうやって証明出来る?」
以前とは態度が、雰囲気が変わった斑鳩に、嵩煌は戸惑った。
「良いこと教えてやるよチビ猫…」
斑鳩が身を屈め、嵩煌の耳元で更に続ける。
「思い出したんだ、何もかも」
嵩煌は驚き斑鳩の顔を見る、が、嵩煌が知っている斑鳩はそこには居なかった。全てを疑う鋭い目付き、無表情の中にも、何か自信に満ちた笑みがある。それに良く似たものを、嵩煌は一度だけ見たことがあった。
100人のPKを相手を、双剣で、大剣で、そして鎌で捩じ伏せ最強と謳われたPKK。
《死の恐怖》PKKのハセヲ
彼と全く同じ顔が、今嵩煌の前にある。憑神のせいではないだろうが、死の恐怖と二つ名を与えるに相応しい。
「なぁ、あの八咫とかいうPCは何処にいる?」
「…会ってどうするの?」
嵩煌は刺激しないよう、努めて柔らかく振る舞う。
「彼奴は、確実に今もCC社にいる人間だろ?色々聞きたいことがある」
即答出来ないが、斑鳩は長くは待ってくれない。嵩煌はキュッと目を瞑り、意を決して答えた。
「分かった。でもその場所にいつも居るとは限らないから、連絡取ってみる」
ここで斑鳩から離れようとすれば怪しまれると判断し、嵩煌はその場で★にショートメールを送ることに。
〈知識の蛇に八咫は居る?〉
ややあって。
〈居ない、というか行方不明なんですよ。パイさんが慌ててエリア検索してます〉
タイミングが悪かった。
八咫が消えた理由を、推測している暇はない。
「ごめん、今は居ないみたい」
「…なら待つまでだ。戻ったらすぐに知らせな」
斑鳩は再び橋の手摺に体重を掛け、夕日に目を戻す。嵩煌はそれ以上の会話も出来ず、ただ頷いて橋から立ち去った。
しかし、行方不明とはおかしな話だ。ネット上で迷子になることはまず、無い。しかもあの八咫だ。嵩煌は気になって、知識の蛇へと向かうことにした。
部屋に入ると、パイが珍しく焦っていた。行方不明というのは、どうやら本当らしかった。
召集が掛けられたのか、程なくしてハセヲ、アトリ、それから青髪の銃戦士が知識の蛇に現れた。
「全く、世話が焼けるよな」
ハセヲがそう吐き捨てるが、今のパイにそれを一喝する余裕はなかった。端末を操作する手を休めることなく、捜索を続ける。
「…見つけたっ」
パイはすぐにメインモニターに出す。そこは洞窟タイプのダンジョンで、最下層のようだった。
「ちょっと、あれって…」
嵩煌が、八咫の異変に声を上げた。八咫のPCが橙色の紋様に被われている。音声は途切れ途切れだが、明らかに苦しんでいるのが分かる。
「八咫も碑文使いなのか!?」
銃戦士がパイに確認するように言う。
「…えぇ。しかも今の状態なら、暴走する可能性が高いわ」
そう言いながら、パイは知識の蛇を出ようとする。それをハセヲが制止した。
「一人で行く気か?」
ハセヲはパイに言いながら、銃戦士に目で合図を送る。それに応えるように銃戦士が頷き、パイより先に部屋を出る。
「悪いけど、私も一緒に行かせてもらうよ」
その流れに便乗するように、嵩煌もハセヲ達に続く。
「★はここでモニターよろしくね」
「今回のことは、あなたには…」
今にもドアを開けようとする嵩煌に、パイが声を掛けるが遅かった。
「八咫にはコッチの件で世話になってる…」
最後の言葉は、ドアの閉まる音に掻き消された。パイは深呼吸して自身を落ち着かせ、3人のあとを追った。
カオスゲートに向かうには、当然あの橋を渡る必要がある。そこには斑鳩が居、ハセヲが近付けば反応が起こる。
「…っ、何であいつが一緒なんだよ」
軽いノイズに頭を押さえながらも、斑鳩の視覚は嵩煌を捉えていた。不振に思った斑鳩は、やや間を置いてドームに入った。
ゲート前に立った斑鳩は、静かに目を閉じる。
“さっきの連中と同じ場所に…”
女神がそれを許したらしく、斑鳩を転送の輪が覆う。斑鳩は、初めてこの方法を有効活用出来たと実感した。いちPCならば、不可能だったのだから。
斑鳩が降り立ったのは、第3層。嵩煌を追ってきたが、先回りしてしまった。
斑鳩は取り敢えず奥に進むことにし、目の前のT字路を左に進んだ。しかしその先は、宝箱が2つあっただけで袋小路。斑鳩は運の悪さに舌打ちすると、直進してT字路の右に向かう。
と、何かが聞こえた。
モンスターの鳴き声ではない。
くぐもった、呻くような声が微かに聞こえる。斑鳩はその声のする方へ走っていくと、獣神像の頭部が見え始めた。そして更に歩を進めると、声の主が踞っていた。それは斑鳩が探していた、八咫。
斑鳩はを見下すように八咫の正面に立つと、太刀の切っ先を八咫の額にあてがった。
「…あのエリアで会った時、違和感はあったけど。やっぱお前も碑文使いだったか」
何故か分からないが、この八咫の姿を見ていると怒りと優越感が込み上げてくる。
(誰かに似ている…)
「あぁ、似てるんだよあの野郎に…。俺達を巻き込んで、真を“殺した”天城にそっくりだ」
計画の最高責任者にして、開眼に手こずっていた男。いつも大きな態度でいながら、何の責任も負わずに被害者として逃げた。
斑鳩は口元を緩めると、しゃがんで八咫にゆっくりと言って聞かせた。
「劣化してようが、俺も碑文使いだ…。呼び方を教えてやるよ」
「私は…完璧なのだ…貴、様などにっ」
半分崩壊している八咫は、斑鳩に噛み付くように叫ぶが、斑鳩が表情を変えることはない。
斑鳩は太刀を持つ手を下ろすと、ゆっくりと目を閉じる。軽く深呼吸すると、あの時の感覚を思い出しながら内側に意識を集中する。
何かが、繋がった感覚。
ハ長調ラ音が響く。
「…来な、俺の
スケィスッ」
斑鳩の体に紋様が浮かび、更にその上に影が現れる。斑鳩の憑神、第一相スケィスの姿が成されていく。しかし、ハセヲのそれとは違っていた。
ノイズが走り、所々グラフィックが欠けている。頭の弧を描く角も、途中で折れたようにいびつだった。
それに斑鳩は歯噛みしつつも、試しに大鎌を展開する。やはり鎌も劣化していたらしく、刃先がパラパラと崩れ落ちていく。だが、今の八咫を狩るには充分。
「あんたに聞こうと思ってたけど、もういい。碑文使いも、CC社も俺が消してやる…」
スケィス、斑鳩は鎌を掲げ八咫に向かって振り下ろした。
が、刄は八咫を捉えることはなかった。
パイの憑神、タルヴォスの両翼で形成された盾が八咫を守ったのである。斑鳩がその姿を見、更に怒りを露にする。天城の憑神までもが、目の前に現れたのだ。
「…斬りたい奴がまた増えやがったか」
スケィスは一度後退し、再び大鎌を振り上げる。だがタルヴォスの防御体勢を崩せる威力は、皆無に等しい。
タルヴォスは僅かに翼を開き、本体をスケィスに晒す。そして叫んだ。
「止めなさい!あなたは無理をして憑神を呼んでは…」
「データを回収出来なくなるからだろ!?お前らにやるくらいなら、使いまくって粉々にしてやるよ」
スケィスから放たれた言葉に、パイの思考が一瞬停止した。自分の知らないCC社の何かが、斑鳩に何かをした。八咫からはっきりとは聞いていない、今は本人に聞ける状況でもない。
「…後ろ、ガラ空きだぞ」
動きを止めたタルヴォスに呆れたような態度で、小さく呟く声がした。その直後、もう一体のスケィスの曲刄が斑鳩の背後で振り切られた。
斑鳩は何の抵抗も出来ず、倒れ込み地面に伏した。嵩煌がすぐに駆け寄り、無事を確かめる。幸い気を失っているだけだ。
パイは憑神を解除、ハセヲは八咫の暴走した憑神、フィドヘルを鎮めた。
洞窟がいつもの静けさを取り戻し、水が落ちる音が聞こえる。
「ったく、八咫だけだと思ってたらこいつまで面倒事起こすのかよ」
ハセヲが言いながら、まだ意識が戻らぬ斑鳩を見据える。
「八咫様に、何か恨みでもあったということかしら…」
パイは腕を組んで、嵩煌の隣に立つ。嵩煌は黙って立ち上がる、リアルであの報告書のコピーを手に取った。
「…CC社と憑神のこと、そして斑鳩のことを話しておきたい」
「なら、レイヴンの@HOMEに行きましょう」
パイがそう促すと、嵩煌は頷いて斑鳩と共にタウンへと戻った。
ただ振り下ろされる怒りは、
罪を生む。
Crime Scythe
《罪の大鎌》