漂流
斑鳩を残し3人がタウンに戻った直後、知識の蛇で待機していた拳術士と★(キラ)がエリア隔離を実行した。これで斑鳩の状況を把握することは出来なくなったが、斑鳩の“消失”は防げた。
ハセヲはレイヴンの@HOMEに入るやいなや、八咫に食って掛かる。
「何でお前等は、いつもいつも説明を後回しにしやがる!順序が違うだろうが」
「まぁまぁ、落ち着きなって。アンタのお陰で斑鳩のこと、色々分かったんだ。今からまとめて八咫が話してくれるからさ」
ハセヲが声の発信源に目をやると、足元に嵩煌が立っていた。ギルドメンバーではないPCが、@HOMEにいることはあり得ない。しかも態度が大きいとくれば、ハセヲの怒りは否応なしにに上昇する。
「てめぇ、もうCC社辞めた一般人なんだろ?どうしてココに居んだよ」
嵩煌は、先程のように笑顔で話すことはなかった。キッと目尻を引き上げ、瞳孔を細める。
「…最後の仕事、残ってるからだよ」
――俺がスケィスで、
…―スケィスが俺で。
「彼もまた碑文使い、ハセヲと同じく第一相《死の恐怖》スケィスを憑神としている」
「ちょっと待てよ、じゃあ俺のスケィスは?」
突然、自分と同じ憑神を持つ碑文使いがいると言われても到底納得出来ない。八咫は眼鏡を押し上げると、そのまま続きを話す。
「碑文使いに適するPCを探す中で、ハセヲより前に選ばれたPC。それが斑鳩だ」
スケィスも1と0で構成されたデータ、その一部が斑鳩のデータに癒着しているのだという。ハセヲが持つスケィスは限りなく完全に近いが、斑鳩の中に数%のデータが残っている。だから互いが近付くと、不完全な斑鳩のスケィスがハセヲのスケィスの干渉を受けるらしい。
「そして斑鳩が言った“持っていかれる”っていうのは、ハセヲのスケィスが斑鳩ごと自分のデータを取り込もうとしたと考えられるね」
★から先程の斑鳩のデータを受け取って、嵩煌がまとめて結論を出した。
「なら、アイツのスケィスのデータを俺に戻せば済むんじゃないか?」
そう、可能であればそれが一番良い対処法である。だが出来ない理由があった。
「ワタシ達も同じことを考えた。でも無理なの」
「何で?」
間髪入れず、ハセヲが問う。嵩煌は耳の後ろを軽く掻いて、八咫の方を見やる。八咫は無言で頷くと、嵩煌はハセヲの問いに答えた。
「斑鳩はね、未帰還者なんだよ。彼と話して判ったことは、意識だけじゃなくて感覚もthe worldにあるってこと。ハセヲ、あんたも感覚がthe worldにある時があるんじゃない?」
「……AIDAにやられたり、憑神の時か」
「つまり斑鳩はただの未帰還者じゃなくて、憑神、スケィスそのものなんだ。だからハセヲにスケィスを戻すってことは、斑鳩ごとってことになる」
嵩煌の声が途切れた後、暫く沈黙が破られることはなかった。
閉ざされたエリアは、しかし静かである。プレイヤーが居ないのは勿論だが、グラフィックの更新が断たれたことも大きい。
雲も、草木も、湖面も絵のように張り付いたまま。時が止まった、そう言っても良い世界が広がっている。だが一つだけ、動けるものが在った。最初に動いたのは瞼、次いで髪、首、腕…。
斑鳩はゆっくりと立ち上がり、まだ残る頭痛に顔をしかめた。だが前回とは違った。
苦しんでいる間、あることを思い出した。
「…俺は、スケィスを知ってる。スケィスの呼び方も、他の憑神も」
自身の思考を一つ一つ確認するように、右手を握り締める。そして乱れた衣服を直し、改めて空を仰いだ。形を変えぬ雲が、青い紙に描かれている。斑鳩は視線を戻すと、ハセヲと八咫と呼ばれていた男の会話を思い起こす。
「あぁ、だから“聞こえない”んだな…
キミの声が」
今までずっと斑鳩の側にいた“世界”が、この場所にはなかった。斑鳩と会話していたのはthe world、世界そのもの。
そしてそれは、突然姿を消してしまった女神。
「…アウラ、キミが居なきゃ、俺帰れないんだ」
斑鳩がゲートを経由せずに転送出来た理由、それは世界と対話する術を持っていたからだ。しかし、今立っているエリアは孤立し、女神の懐から溢れ落ちた破片のようなもの。カオスゲートを使っても出られないそれ以前に、斑鳩は正しいゲートの操作を行うことが出来ない。
…とにかく歩いた。
じっとしていると、何かが狂ってしまうような恐怖が襲ってくる。確かにフィールドは見えているのに、それらは無音で全く動かない。これでは、暗闇の中を進むのと同じだ。
斑鳩は何とか獣神像がある神殿に辿り着いたが、出入口にあるカオスゲートは回転を止めている。
女神を呼び戻す儀式、すぐに終わる筈だった。だが天城が用意した舞台に、女神は姿を現すことはなかった。
その代わりに鮮烈な衝撃が全員を、エリアを襲い全て凪ぎ払った。
倒れた斑鳩が、次に見たのは時間の流れを奪われたエリアだった。近くにいた碑文使いの姿は無く、天城も見当たらない。
と、遠くで何かが動いたのが見えた。
斑鳩が急いでその方向へ走って行くと、黒ずくめのPCが5人、何かを囲んで立っている。その足元を見ると、薄ピンクの大きな帽子がある。そこに居たのは、イニスの碑文使い、斑鳩のリアルでの友人“真”だった。
『このPCもダメですね』
『医務班に、古立真を運ぶように連絡を』
『…天城も、面倒なことをしてくれた』
『まあ、社内で片付けられる範囲だっただけマシだろう』
『彼らには悪いが、計画を隠蔽する手間が省けたな』
斑鳩は無意識のうちに太刀を抜いていた。
斑鳩に気付いたPCが、仲間に散るように合図した。斑鳩の一閃は空を切り、そのままバランスを崩してしまう。先程の衝撃のダメージが、まだ残っているらしい。瞬きした瞬間、斑鳩の目の前に黒い壁のように1人が現れた。
『…CC社の人間だな』
斑鳩は柄を持つ手に更に力を込め、表情を変えぬ白い仮面を睨み付ける。
『いかにも、だが君はそれ以上知る必要はないんだよ』
………っ
(…痛ぇ)
まるで影が伸びるように腕が飛び出し、斑鳩の腹に拳が入った。しかもネットの中のはずなのに、激痛が走ったのだ。斑鳩は腹に手を持っていくことも出来ず、地面に倒れ込んだ。
ボヤけていく視界の中に、真のPCが在る。手を伸ばしても、触れることは叶わない距離。
『彼は何相だ?』
『確か、第一相だったかと』
『これだけ動ければ、まだ内にあるな…』
『では…、……を連…い…』
もう黒ずくめの会話も、ほとんど聞こえない。斑鳩は怒りと悔しさのうちに、意識を手放した。
その後に待っていたのは、皮を少しずつ剥がされていくような恐怖と痛みだった。
青っぽい変な空間に閉じ込められて、スケィスのデータを引き剥がされる。それと同時に、記憶が何処かへ飛んでいくのが分かった。だが、スケィスを完璧に回収することは出来なかった。CC社は作業を一時凍結し、斑鳩をthe worldに戻した。
「…そうだ、俺はあいつ等に」
斑鳩は、再び太刀を抜く。黒ずくめのPC、管理者を目の前にして、斬らずにいられる筈がない。
しかし、遠くに居た管理者達は、音も無く消え失せた。孤立しているエリアを出入りすることは、管理者の特権で可能だろう。それとも、斑鳩の意識の底にあった何かが幻でも見せたのか。
「今度こそ、全員切り刻んでやる…」
斑鳩が太刀を静かに納めると、風が髪を掠めた。エリアが時を取り戻し、全てが正常なエリアとなった。
隔離された、小さな世界での出来事。
Cuddy Side
《小部屋の一片》