猫宿りの瞳
「金と銀の木犀の秋、12種類の薔薇の春、そして一輪の花」のフローレンスの叔父の『沈黙の庭』が気になっていたので少しだけ絡めて書いてあります。
世界は同じですが違う大陸なので、それぞれ独立した別作品となっております。
よろしくお願いいたします。
昔々王国を建国した初代国王が神と、とある契約をした。
以来その王国では目に映らない猫たちが人間と共生するようになったと言う。
誰にも見えぬ。
誰にも触れぬ。
そんな猫たちだ。
大きさは豆つぶほどの1センチから10センチまで。
タンポポの綿毛のようなふわふわな猫もいれば。
ビロードのような艷やかな毛の猫もいる。
なかには背中のちびちゃい羽根をしまい忘れて、人間には聞こえていないが、仲間の猫たちにニャアニャアと叱られている粗忽者もいたりする。
そんな猫たちは、ひとりの人間に一匹の猫がその人間が生まれた時から死の瞬間まで魂に寄り添ってくれて。
見守ってくれるのだ、小さな小さな守り神となって。
しかし守り神と言っても、災いを払ってくれるわけでもなく、厄から助けてくれるわけでもなく、ただ傍らにいてくれるだけ。
ただそれだけの猫。
それだけの猫であるが、大切な猫。
見えなくとも、悲しい時も苦しい時も全ての人々から見捨てられた時であっても離れず側にいて、小さな体温で一生懸命に温めてくれているのが何となく感じることができるのだ。ここにいるよ、いっしょにいるよ、と。
決して、決して、ひとりぼっちにはしないからね、と。
ただひとりの。
ひとりの人間のためだけの優しい優しい猫たちなのだ。
そして伯爵家の令嬢であるリリージュは、そんな猫たちを見ることができる能力の所有者であった。
数十年あるいは数百年の確率で現れる『猫宿り』という金色の瞳。
リリージュの瞳も金色であった。
それは人に憑く猫が、瞳に憑いた証なのだ。
しかもリリージュは、自分のみではなく他者にも見えないはずの猫を見せることができたのである。
リリージュが相手の手を握ると、その相手は自身の猫を見ることが可能となり不可視ではなくなるのだ。
貴重な能力ゆえに、王国を支配する国王はリリージュと第三王子との婚約を命じた―――リリージュと第三王子が6歳の時であった。
王家で厳重にリリージュを囲った、とも言える婚約だった。
しかし、もう幾度となく誘拐未遂が起こっており伯爵家でリリージュをつつがなく守護することは限界だったのである。
第三王子ギリオンは天才と名高く、一を知れば十を成し遂げ、その上に魔力量も膨大。齢6歳にして才気を持て余し人生に飽きて退屈している子どもだった。
けれどもリリージュと出会って。
わずか3センチの自分の猫を見せてもらって、メロメロになってしまった。綿の実のようにふんわりとした毛の真っ白な猫は、空色の目とカタツムリみたいにクルンと巻いた尻尾が可愛くて。3センチの大きさから、ギリオンは「そら豆」と名付けたのだった。
「そら豆、可愛いね」
「はい、とっても可愛いですね」
最初はそら豆を中心とした子どもらしい会話であったが、リリージュが子どもらしくない柔らかな表情でほほ笑むことにギリオンはじきに気がついた。ギリオンが天才ゆえに子どもでいられなかったのと同様にリリージュも特異な能力ゆえに子どもの境遇に浸ることはできない少女であることを。
誰もが自分の猫を見たがり。
誰もがリリージュの手を求めて。
何より猫が本来の役目を果たす時にリリージュが寄り添うことによって、その相手が安らかに最期を迎えることができる、そのことがリリージュの価値をより高めたのであった。
けれども、それは全ての者に与えられる幸運ではない。
リリージュはひとりしかおらず、従って機会は平等ではなかった。
それでもリリージュは小さな自分の手をひろげて精一杯の努力をした。
手のひらに乗せた3センチのそら豆さえ、カタツムリの尻尾をフリフリ揺らして、ちびこい体をすり付け力を尽くしてギリオンを温めてくれている。見えないからこそスリスリとせめてぬくもりを、と。ギリオンはリリージュを見て、そら豆を見て、自分が恥ずかしくなった。
王族だと。
天才だと。
人々からもてはやされて―――天狗になって。
が、自分は誰かのために一生懸命に働いたことはなかった。
そう思った時にはギリオンはリリージュから目を離せなくなっていた。
「リリージュ、僕も手伝うよ」
「嬉しいです。ありがとうございます、ギリオン様」
そうしてギリオンは常にリリージュの傍らに立つようになった。
新芽が木々の梢を飾り、花々が咲きこぼれる春も。
熱い日差しが降りそそぎ、熟れた熱気を纏う風が走る夏も。
何色もの色糸で模様を織り成した織物のように山が紅葉する秋も。
雪と氷におおわれた木々がガラスでできた枝のように輝く冬も。
巡り巡る季節をリリージュとギリオンは共に過ごした。
以来10年間リリージュは王宮で暮らして、リリージュとギリオンはお互いを思いやり仲睦まじく成長したのだった。
さまようみたいに。
星でもなく月でもなく太陽とも違う、幽く淡い光の蛍が夜の底を飛ぶ。
生まれるはずの時期に生まれなかった季節外れの蛍を窓から眺めながら、リリージュは豆のサヤ型の寝床を縫う手を止めた。3センチのそら豆のための寝床である。本物の豆のサヤのように小さい。
見えない猫たちは食事もしないし、コロンと寝転がっても眠ることはない。猫の姿をしているが、猫ではないのだ。それでも部屋には、爪研ぎ用の板もおもちゃも寝床も小物もあった。人間が一方的に、使ってくれる様子を想像して用意してしまうのである。
リリージュは針を机に置いて、ギリオンを振り返った。
「ギリオン様、蛍が呼んでいるみたいです。庭の、ほら、あそこの花園に蛍が。あの花々は庭師長が丹精こめて育てた花です、たぶん、最近寝込んでいる庭師長は今夜……」
寝室は隣だが、ギリオンはほとんどの時間リリージュの側に護衛として共にいる。王子が護衛とは豪華であるが、それだけリリージュを国王は重要視していた。
リリージュとギリオンが手を取り合い部屋から出ると、扉で控えていた護衛兵たちが後ろに続く。
廊下では使用人たちが恭しく頭を垂れて、壁へと静かに移動した。
皆、リリージュの仕事を知っているのだ。
トントントン。
王宮の使用人棟の一階に庭師長の部屋があった。
「っ! リリージュ様!」
リリージュの訪問に庭師長の家族は目を潤ませた。
「ありがとうございますっ! 父の旅路に来ていただけるなんて……っ!」
庭師長の息子らしい中年の男性が深々と頭を下げる。
「私、お邪魔してもいいかしら? もし家族だけでの見送りを希望する場合は」
リリージュの語尾にかぶせるように中年の男性が慌てて言葉を継ぐ。
「いいえ! いいえ! ぜひともリリージュ様に父の見送りの介添えをお願いしたいですっ!!」
「ではお受けします。よろしくお願いしますね」
庭師長の部屋はそれなりに広かったが、庭師長の家族とリリージュたちが入ることによって人間でいっぱいになった。しかしリリージュの瞳は別のものを見ていて、
「庭師長は部下たちに慕われていたのね。園丁の猫たちが庭師長のベッドに集まっているわ」
と言った。
庭師長の家族が驚きに目を見張る。
「そ、そうなんですか……!?」
「ええ、たくさんいるわ」
「庭師長、失礼しますね」
半ば意識のない庭師長の手をリリージュは丁寧に握った。背後からギリオンがリリージュを抱きしめる。ギリオンの魔力がリリージュにゆっくりと流れ込んできた。
そうしてギリオンの魔力に後押しされてリリージュの魔力が透明な水のように部屋に満ちていく。ちらちらと光る陽炎のごとく揺らぎつつ波が打つように波状となって満ち溢れる。
死の匂いが溜まった皺だらけの手であった。
ぴくり、と庭師長の指先がリリージュの声に反応して動く。
「庭師長、リリージュです。花が咲きましたよ。庭師長が研究を重ねた夜に咲く薔薇が花開きました。月を浴びて白い花びらが月光に染まるように淡くあえかに輝いて、凄く綺麗です」
返事をするように庭師長が弱々しくリリージュの手を握り返し、ふぅと呼気を口から吐き出した。リリージュの魔力によってあらゆる苦痛が取り除かれた庭師長の、星を読み解くような長い長い呼吸であった。
「庭師長の猫は心臓の上にいますよ。白黒の素敵な斑猫ですね」
リリージュの遠い記憶が蘇る。亡き祖母の猫と似た猫だった。
「庭師長、いつも美しい花をありがとうございました」
最期の息が終わり、庭師長の手から木に繁った葉が落ちるように力が抜ける。
「「「「「「ニャアアア!!」」」」」」
聞こえぬはずの猫たちの鳴き声が響く。共鳴する音楽のように。
ベッドに横たわる庭師長の身体の1メートルくらい上に、半透明な庭師長が白黒の斑猫を抱いて立っていた。庭師長は老いて皺のある目尻を細めている。
斑猫の背中にはちびちゃい羽根があった。
リリージュの魔力によって、部屋にいる人々には常ならば見えない猫も死者の魂も視界に映るようになっていた。
『リリージュ様、ようやく自分の猫にさわれました』
半透明の庭師長が穏やかな表情で胸に抱いた10センチの斑猫を撫でる。
見えない猫は、生きている間は見られないし触れない。死者となってはじめて自身で見れるし触れるようになるのだ。今、部屋の人々が庭師長の姿や猫を見られているのは全てリリージュの能力の恩恵であった。
普段はリリージュが相手の手を握ることによってのみ見える猫だが、最期の時は猫が自分の羽根を出して自身の本来の力を開放するため、その力を利用したギリオンが魔力でリリージュの能力を増幅して可視化を可能にしているのである。
「今宵は満月です。死の国への道を月が冴え冴えと照らしてくれていますよ」
『はい。死の国まで迷うことはないでしょう。それに斑猫といっしょです。寂しくはありません』
見えない猫は、死の国まで死者のために道を敷く【御迎えの使者】であった、本来ならば。
だが、神と初代国王がどのような契約を結んだのか誰も知らないが、【御迎えの使者】は姿を変えて、死の瞬間ではなく誕生の瞬間から見守り最期の時は導いてくれる猫となったのである。
最後に、庭師長は己の家族と視線をあわせた。
リリージュの能力によりリリージュとは会話をできたが、家族とは話すことができない。
ただ、見つめた。
優しく。
慈愛の眼差しで。
尽きることなく降る雨のような愛情をこめて。
ふわり、と。
白い靄のごとく庭師長が動いた。
安らかな顔をして死した肉体を遺して、庭師長が猫を大事に抱きかかえて天へと昇っていく。
庭師長の家族が泣きながら手を振った。
「父さんっ!」
「おじいちゃんっ!」
涙で喉がつまり言葉が出ない。かわりに手を大きく手を振りまわした。
リリージュのおかげで穏やかな看取りができた庭師長の家族は幸運だった。大多数の家族には叶わぬ願いだ。
それでも。
王国の誰もが、誕生した時からひとりではなく。
死後もひとりぼっちではなく温めてくれる猫といっしょに逝けるのである。
その後、リリージュは庭師長の家族と別れの挨拶をかわして夜の庭園を歩いた。
隣をギリオンが同じ歩調で歩く。
「リリージュの両親は明日の何時頃に王宮に来る予定?」
「昼頃に。久しぶりに会えるので嬉しいです」
花を散らす夜風が冷たい。
早春の月がほのかに霞む。
リリージュは朧月夜の空を仰いだ。
「今夜は幾人も空へ上がって行っているわ。みんな猫を抱いている、あら、あの人は猫の肉球をぷにぷにしているし猫と鼻チューの人もいるし、うふふ、あの人は猫のお腹に顔を埋めてスーハースーハーしているわ」
「猫を抱っこ……」
「肉球……」
「鼻チュー……」
「スーハーって猫吸いだよね……」
護衛兵たちが羨ましげに呟く。全員でチラリチラリと窺って視線でリリージュに無言の訴えをする。
ピン、と察したリリージュが笑った。
「自分の猫を見たいのですね?」
護衛兵たちがブンブンと首を縦にふって頷いた。
リリージュの専属護衛兵の座は熾烈の争いだった。猫を見せてもらえる機会が多いからだ。
見えない猫たちは、護衛兵の肩に乗ったり頭の上に座ったりマントの端に爪を引っ掛けてプラプラ遊んだり、腕や足にくっついたりしている。見えぬことをいいことに顔面のド真ん中に張り付いている猛者な猫もいた。猫であって猫ではないので、自ら存在感を消してしまうと体温も体重も消滅する故にやりたい放題である。
「猫の方もご機嫌みたいなので、では猫持ちのポーズを」
リリージュの言葉に、護衛兵が全員もれなく同じポーズをとって並んだ。
右手は手のひらを上にして目線の高さに。
左手は握手を乞うて真っ直ぐ突き出して。
「猫の皆様、右の手のひらに乗ってあげて下さいませ」
猫たちがブルブル震えて手のひらへと移動する。
リリージュの背後のギリオンが恐ろしい圧力で睨んでいたからだ。威嚇をこめて見据える眼差しは背筋が凍るように厳しい。10年間リリージュと手をつないできたギリオンは自分の猫だけではなく、他者の猫も見られるようになっていたのである。
「はい」
風に吹かれて飛んでしまいそうな1センチのちびこい猫が。
「はい」
タレ耳が愛らしい5センチの猫が。
「はい」
夜の化身のような真っ黒な黒猫が。
「はい」
縞模様の混合が絶妙なキジネコが。
「はい」
白と黒と茶の毛色のでっぷりとした三毛猫が。
「はい」
お尻を向けて座ってめんどくさそうに尻尾をちょこっと左右にする10センチの猫が。
握手の間だけ姿を現す。短い、数十秒の対面だが護衛兵たちは猫たちの可愛らしさに、ある者は鼻血をおさえ、ある者は胸をおさえて悶絶した。
「「「「可愛すぎる〜っ!!」」」」
「お尻がたまらんっ!」
負けじとギリオンのそら豆もセクシーポーズのお座りをする。が、3センチのそら豆ではお色気満載のセクシーにはならずに可愛いだけであった。ぽっこりお腹が萌えたぎるほどカワイイ。
「そら豆が可愛い」
「はい、ギリオン様。とっても可愛いですね」
10年間、繰り返した会話だった。
可愛い可愛い3センチのそら豆。
しかしリリージュは、相手に猫を見せることはできても自分の猫は見ることができない。リリージュの猫は瞳に憑いているからだ。
そのことを少し残念に思うリリージュであった。
翌日。
王宮には続々と貴族たちが集まってきていた。
今日は建国祭のパーティーで、子どもも登城できる昼間から大人の時間の真夜中までパーティーが続くのである。
国王への拝謁後、貴族たちは最大の目的であるリリージュにイソイソと手を差し出す。子どもも大人も自分の猫が見たいのだ、純粋で一途な代わるものなどない唯一無二の猫を。
建国祭の期間は1週間なので、明日からは王宮門で平民たちとの握手会である。こちらは洪水のような人数となるため、リリージュ専属の護衛兵の他に多数の騎士たちが配置されて、毎年の王都の名物となっていた。
「リリージュ、休憩をしよう」
人波が途切れて、ホッと息をついたリリージュにギリオンが声をかける。
「ああ、かわいそうに。手を使い過ぎて炎症が起きている。治癒魔法を流すよ、すぐに治るからね」
ギリオンは壁側に置かれた長椅子に座り、膝の上にリリージュをのせる。後方には窓とカーテンがあり、窓からは銀色の月の欠片が差し込みギリオンとリリージュを照らした。リリージュは疲労した身体から力を抜いてギリオンの肩に頭をあずけた。
ギリオンの鼓動が聴こえる。
そら豆もチマチマチマと短い脚で駆けてきてリリージュの右手に3センチの体をくっつけて、リリージュを気遣うように温めてくれた。
広間では流行の曲が奏でられ、紳士淑女がテンポよくクルクルと踊っていた。
天井から吊り下げられたシャンデリアの装飾のガラス細工が煌めく光を散らし、ドレスの裾が花が開くように華やかに広がる。
音を詰め込んだように弾む演奏がだんだんと速くなり、ダンスの技巧的回転が増えていく。
そして遠心力に敗れた猫が、ポーン! と飛び出した。
あちらからも、ポーン!
こちらからも、ポポーン!
ドレスに爪をたててしがみつき頑張っている猫たちもいるが、クライマックスのギュルルルッという回転に敗退して飛ばされてしまった。
勝ち残った猫たちがドヤ顔で胸を張っているのが、超絶かわいい。
「くっくっくっ」
「うふふふふ」
たまらずギリオンとリリージュが肩を揺らす。誰にも見えていなくても、ギリオンとリリージュにはバッチリと見えている。
「猫って本当に可愛い」
くすくす笑いながら、ふとリリージュが過去を思い出す。
「そういえば、昨日の庭師長の猫。私の亡くなった祖母の猫にそっくりの斑猫でした、ただ祖母の猫は5センチほどの大きさでしたが」
リリージュが記憶を辿り言葉を紡ぐ。
「ギリオン様は他国にある『沈黙の庭』をご存知ですか? 死者の願いが叶うと言われる伝説の庭なのです。でも、それは伝説ではなく実在する庭らしいのです」
「祖母の斑猫が死者の女の子を拾ってきたのです。迷子の死者でした。女の子は『沈黙の庭』の主である青年に願いを叶えてもらったらしいのですが、そのために死の国への道から外れてしまい戻れなくなって、この国まで迷って迷ってさまよって来たそうです」
「斑猫は、死の床にあった祖母のところに迷子の女の子を連れてきて、その数日後。死をむかえた祖母は、片手に斑猫を抱いて、残る片手で女の子の手を握りしめて、天へと上がってゆきました」
「ギリオン様とお会いする半年前の出来事でした」
思案する顔で聞いていたギリオンは、
「僕も本で読んだことがあるよ『沈黙の庭』のことは。違う他国では全てを癒す『世界樹の葉』があるとか……。どんな呪いでも解呪できる『精霊の泉』とか……」
と、物語をひもとくように言った。
「もしかして本当にそれらは存在するのかも知れない。『沈黙の庭』が真実であるならば」
「まぁ! すばらしいですね。私は王国からの出国は許されていませんから、夢の中でいいので訪れてみたいです」
王宮からの外出が許可されていないリリージュにとって他国は夢の領域であった。
ギリオンが眉をひそめる。
リリージュは王国の宝だ。失えない。わかっている、わかっているが、子どもの頃から子どもでいられなかったリリージュの夢を取り上げてしまうのは苦しかった。
「ずっと考えている魔法があるんだけど」
ギリオンの青い双眸が月光の破片を取り込み、夏の海のようにキラキラと揺れる。
「リリージュには見えない猫を一時的に見せる能力があるけど、それを僕の魔法で実現できないかな、って。もし成功したら、リリージュと僕のふたりが束の間だけど猫を見せられるようになって、リリージュの負担も減ると思うんだ。そうしたら他国は無理でも国内の旅行は許してもらえるかも。地方の民たちにも猫を見せてあげる、とかの名目で」
リリージュが驚愕に瞳を丸くする。
「開発中だから、もう少し時間がかかる予定だけど」
10年間、常にリリージュを守ってくれたギリオン。
リリージュに配慮してくれて、華奢な双肩にかかっている重荷をいっしょに持ってくれようとしているギリオン。
猫だけが側にいてくれるわけではない。
愛する人はずっと寄り添って共に同じ方向へと歩いて、運命共同体となり、幸せを感じる関係だけではなく幸せを作り出すことを考えてくれている。
リリージュは、あふれんばかりの気持ちが胸の奥で熱く疼き瞳に涙を滲ませた。
「ギリオン様、好きです。愛しています」
涙を浮かべた瞳で真っ赤になって告白するリリージュを、ギリオンは骨が軋むほどに抱きしめた。
「い、痛いです、ギリオン様……」
あわててギリオンが枷のような腕を緩める。
「僕も好きだよ。愛している。一生、ずっと。死ぬまで、死んでも永遠に愛しているよ」
広間では甘くせつない旋律が蜜の吐息のように奏でられていた。
心得顔の人々がリリージュとギリオンから距離をとり、知らんぷりをしている。もっとも耳は興味津々にリリージュとギリオンの方へと向けている者は多いが。
「ギリオン様、恥ずかしいです……」
頬を染めたリリージュがギリオンの胸に顔を埋める。すがられたギリオンは相好を崩して、パチン、と指を鳴らした。
後ろにあるカーテンが翻る。
ふんわり、とカーテンは長椅子ごとリリージュとギリオンを覆って、少しの間だけ人々から隠したのだった。
そら豆はカーテンの隅っこで、ちっちゃい肉球お手々でお目目をおおって、見てないもん、をしていました。
読んで下さりありがとうございました。