シュタインクロイツ/2
まだつまらんなぁ。
水山神社には南と東に鳥居があり、自分は南の小さな鳥居をくぐった。そちらが最短距離だからだ。
平日ということもあって、想像よりも混んではいなかった。この時間帯は人も大通りに流れているのだろう。
すぐに、社殿を向いた男が目に入った。
伸びた襟足に皺一つない背広。腰に帯びるは三尺の刀。
間違いない。秘匿課・番外執行隊に所属する、自分の上司――十石非徒その人だ。
「十石さん」
彼の背に声をかける・・・が、反応はなかった。
「十石さん?」
「少し待って」
十石は振り向かず、右腕を伸ばして人差し指をぴんと立てた。自分は大人しく黙って待つことにした。
改めて考えてみると、彼との初対面もこの水山神社であった。
あれは二年前の秋。秘匿課に所属してから半年を迎えようとしている中、長官から直々に仕事の連絡があった。当時はまだ秘匿課らしい仕事ももらえず、故にその連絡がそれはそれは嬉しかった。嬉しすぎて新品の自動車を衝動買いしてしまうほどだった。それが今では立派な愛用車である。
指示はK市の担当に聞くようにだけ言い渡され、期待たっぷりにK市へ。予定合流時刻の三十分前に辿り着いた。
私に遅れること十分、十石が神社にやってきた。
高鳴る胸を抑え、いざ現場。夢への一歩を踏み出す──。
しかし。
彼は言った。『既に事は済んだ』、と。
そして、彼の印象を決定づける一言が自分を刺したのだ。
『君が来るまで暇だったから、この十分で解決してしまった。代わりに、今日は僕の奴隷になってもらおうかな』
それからはもう、ショックであんまり覚えていない。次の記憶は、なぜかメイド服を着させられてシュタインクロイツのホールを掃除しているところからだ。
これが、自分が来たくなかった理由でもある。
つまるところ、十石非徒は最悪な人間だった。
「誰が最悪だって?」
「ぅわっ?!」
いきなり目の前にいた十石に驚いて、鞄を下敷きに尻もちをついてしまった。幸か不幸か、鞄も腰も無事だった。いや、それよりも。
「声に、出てました・・・?」
「いや顔に。阿呆面してたから、どーせ人の悪口でも考えてるんだろうなぁって。・・・まさか、僕の悪口じゃないでしょ?」
目尻を擦りながら興味なさげに答える十石。こういうところも最悪なポイントだった。
「ははは、まさかそんな、十石さんの悪口なんて考えませんよ、ははは」
下手なごまかしだったが、何かしらの罵倒が飛ぶのに先んじて首と手をぶんぶん振った。
自力で立ち上がり、鞄を背負いなおす。
「それで、仕事と面白い話は済んだんですか?」
「面白い話って方はまだだけど、指示された仕事はとっくに済んだ」
そう言って、十石は東の大鳥居へ向かって歩き出した。自分も急いで横に並ぶ。
「どんな指示だったんです?」
「たいしたことじゃない。間違っても客が入れないように、本殿に人避けの結界を張り直しただけさ。最近は何かと物騒なんでね」
「え?でも人、中にいっぱいいますよ?」
自分は目の前の建物を指さした。
「本殿はこの奥で、あれは拝殿だ」
「違うものなんですか」
「勿論」
十石はオモチャを見つけたといわんばかりに口元を歪めた。溜息をつかないでくれたのでまだマシな方だった。
「無知な結後輩に優しさで教えてやるが、本殿はそもそも人の出入りを想定していない。なぜなら、そこには御神体が在るから。対する拝殿は文字通り、本殿を拝する為の場所なんだ。・・・といっても、中には本殿がない神社もある。そういうところは山や土地そのものが御神体としてそのまま扱われているんだ。このタイプの拝殿は、捉え方によっては『神の内側にある』ともとれるかな。
どちらにしろ重要なのは、そこには神霊が在らせられることだ。知らないでそんなところに迷い込んでみろ。ただじゃすまないぞ。神隠しどころの騒ぎじゃないかもしれん。良かったな、ここで僕から学べて」
「・・・」
行き場のない不愉快に、自分は頬を膨らませた。十石の言っていることは事実だし、無知であった自分の恥は認めよう。しかし、どうしてもイライラした。
「なにをムスッとしているんだ?」
危うく口から出そうになったものを何とか抑える。恐ろしいことに、彼は知識を披露するときだけは大真面目にこれをやっているのだ。早く話題を切り替えるしかない。
と、思い出した。
「あれ?指示された仕事が解決したのなら、なんで私をここに呼んだんです?」
「さっき言った、面白い話の方に少し付き合ってもらおうかなと、ね」
爽やかに十石は笑う。
ああ、やっぱり今日は厄日だった!