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魂曳き  作者: はら田かこ
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病死した女性と猫

動物シェルターにきた美人の白猫ユキちゃんの話です



 会社の寮生活を送っていた私は、ひょんなことで動物愛護活動をしているグループでボランティアとして手伝いをしている。実家で大小の動物に囲まれた日常だったので、独りぽつりとした生活は味気のないものだった。駅前やスーパーマーケット前で飼い主を募りゲージに入った犬猫を人垣に混ざって眺めることが頻繁にあった。眺めるだけなのは、寮では動物の飼育を禁止されているからだ。

 ある土曜日の休日、特にすることがないため昼まで惰眠を貪った後、1週間分の食事を買い出しに出かけた。肩に下げたエコバックの中の野菜が重くのろのろと歩いていた帰路で目を引かれる光景に出くわした。寮近くの民家のガレージから尾を道路に延ばした猫の集団に出くわす。何事かと近づくと初老の女性がキャットフードを小皿に取り分けている最中だった。私の視線に向こうも気づいて、にこりと笑う。


 「こんにちは。いつも募金をありがとうございます。」

 「えっ?あっ、こんにちは。」


 駅前で動物の里親を探しをしている場にいる女性だとこちらは分かったが、まさか向こうに覚えられているとは思わなかった。引き取り手のない動物たちのご飯代の助けになればと小銭を設置された募金箱に入れることが時々あった。手際よく皿を猫の前に配ると、お腹を空かせていたらしく一心不乱にカリカリと音を立てる。


 「猫が好きですか?」

 「はい。猫も犬も動物は好きです。」

 「この子たち、みんな私たちが避妊手術をして地域猫にしています。とても懐こくていい子ばっかり。」

 「そこの会社の寮に住んでいますが、見たの初めてです。」

 「今日は雨が降るというから、早くやってきたの。時間が変わると来ない猫もいるけれど、雨はなかなか猫が集まらないからね。」


 あっという間に平げて、おかわりは来ないと知っているのか、毛づくろいを始めたり水を飲んだりしている。器をペットボトルの水ですすいで片付けると、次に回るからと言って立ち去る前に、「ここで保護した動物を世話しているの。こうして外の子たちのご飯もあるから、身の回りのことだけになっていて構ってあげられない現状でね。良かったら遊びにきてくれる。」と、名刺を渡される。駅から寮への道の途中のようだ。女性の親しみやすい印象から、会社帰りにドアを叩いて以来、みるみるボランティア活動に取り込まれることになる。


 土曜日、日曜日、朝寝坊をするが昼間でダラダラとすることはなくなった。午前中、猫たちのトイレを掃除に出かけるからだ。随時、15匹いる猫の半分は通い始めた頃から既にいる私よりも保護生活ベテラン勢だ。動物愛護のボランティアの代表の戸田さんの自宅の一角が猫の保護施設になっている。高齢女性が中核となり外猫対応、去勢のための捕獲に取り組む。主婦ばかりなので、午前中に保護猫のトイレ掃除をしておくと大層喜ばれた。この日、一匹の新しい猫が加わることを知っていた。布を捲ってゲージを覗くと怯えて大きな目をした白い猫が蹲ている。食事をした形跡なく綺麗に盛られたまま残っていた。


 「おはよう唯ちゃん、ユキご飯は食べられたみたい?」

 「おはようございます。食べていないです。すっごく緊張していて、シートも取り替えられないなって見ていました。」

 「心配で様子を見に来たけれど、そうよね、まだ無理かもね。」


 白猫は雌なので用心深い。打ち解けてくれまで時間がかかるだろう。洗顔しただけで心配で顔を覗かせただけの戸田さんは慌ただしく戻って行った。

 暗がりで寂しそうに蹲る白猫は青い瞳を見開いたままだ。4歳と聞いている。還暦を超えたばかりの女性が飼っていた。手術を受けるために1週間入院するにあたりペットホテルに預けた。しかし、10日経っても迎えに来ない。入院という事情を踏まえて様子を見ていたが、緊急連絡先に電話をかけてみた。驚くことに予期しないしなかった箇所の血管が剥がれ、術後直ぐに他界していた。身寄りがなかったらしく猫だけが家族だった。ホテルの地区から車で4時間かかる地域であったが、受け入れ先を求めて連絡がきた。当初、収容数の上限を超えてしまうので悩んでいたが、他ではどうにもならないのなら、積極的に引き受けましょうと戸田さんは腹を括った。


 「ユキちゃんっていうんだね。真っ白の美人さんだね。よろしくね。早く仲良くなろうね。可愛いからすぐに新しいご縁があるよ。」


 翌日の日曜に再び足を運ぶと、ユキちゃんはやはり何も食べていない。戸田さん率いる捕獲部隊が捕獲の準備をしている。去勢していない猫が数匹いるらしく仕掛けに行くそうだ。


 「ユキちゃん、食べていないみたい。」

 「そうなのよ。移動から含めて3日半。水も飲んでいるか怪しくて。ペットホテルに電話で聞いても、飲んだり食べたりができていたのか曖昧なのよ。正午までに入れば見てくれる病院があるから、これを早く済ませて行ってこようと思うの。少しだからお留守番頼めるかしら?」

 「新しいねこじゃらしを買って来たので遊んで待っています。」


 クッションの上で鈴の音を立てながら羽根を振ると、興味で目を輝かせた数匹の猫が飛びついてくる。このおもちゃも、あっという間にボロになるな、と四方に振り回す。

 頭が重くなった気がした。

 息苦しさと倦怠感が瞼を重くする。猫じゃらしを惰性で振ったが手からすり抜けて床に落ちた。指先がぴくっと痙攣して、ふっと眠りに落ちていたことを知る。

 これは悪い気配だ。

 室内を見回す。猫が勝手に羽根を咥えて遊んでいる。頭を振ってもう一度ゆっくりと目を凝らす。


 -- ユキちゃん --


 ハウリングしている音声、ラジオの周波数が合わず、雑音のような人の声が聞こえた。その方向に歪みがあった。私は自発的に’ミヨウ’としたことはなかったが、この時は見ようとした。ユキちゃんの前にベージュのアンサンブルを着たお婆さんが立っていた。

 悪気をまとっていないようで猫たちは騒がない。頭部が黒く形を崩していることから死後1週間くらいが経過している魂だと目算した。


 -- ユキちゃん。ホテルにいないからびっくりしたわ。ここにいたの。良かった。良かったぁ。お母さんね、手術してユキちゃんと一緒に後20年元気に生きようとしていたのだけれど、死んでしまったみたい。お葬式をしていたからわかったの。火葬されたら行きたいところに動けるようになって、やっとユキちゃんに会いにこれた。すぐ迎えに来るよって約束したのにごめんね。お母さん、ユキちゃんに会ってもう力が残っていないみたいだから、…寂しいけれど、元気でね。お母さんのこと忘れていいから、新しいお家でいっぱい可愛がってもらって --


 悲しい声音だった。黒煙るように全身がほろほろと崩れてゆく。


 「まぁっ、まぁお。」


 ユキちゃんが必死で掠れた声を出した声も切ない。長く声を出していなかった声を絞り出している。ふたりの別れを邪魔をしてはいけないと考え息を潜めていた。感覚に違和感が出ているが、死者に対する恐怖はなく、猫の今後を心配するお婆さんの心残りに胸がぎゅっと締め付けられた。


 「みゃお、にゃっぉ、みゃっ。」

 -- ああっ、だめだ。いい子でここにいなさい、ユキちゃん、いい子だ・か・・・ら --


 全身で鳴き続けるユキちゃんの悲痛な叫びが反芻する。前足をばたつかせる姿が隠された布の先に見えた気がした。


 「ユキちゃん!!だめっ!!」

 「みゃーーーっ、みゃー…っ…ぐっぎゃっ。」


 咄嗟に叫んだ。ユキちゃんのゲージがぐにゃっとした。黒い煙のように変化して透けてゆく塊の足元に当たる辺りに尾を立てて、頭や体を擦り付けて、咽喉を鳴らしながら甘えてまとわりつくユキちゃんの魂がふわりと現れた。


 -- …… --


 -- …… --


 -- あら、ユキちゃん。留守番が長いと拗ねるのに  -- みゃーん --  いい子に待ってくれていたんだね。いい子だね --みゃん -- --


 黒い霧にユキちゃんはすっぽりと覆われてゆく。急いで蘇生をすれば蘇るかも知れなかった。でも、霧の合間で見え隠れする、嬉しそうに揺れる長い尻尾をみると、往く手を阻むことが殺生な気がして戸惑った。お婆さんの胸元で前足を動かして目を細めながら、一緒に魂の向かう場所進む映像が頭の中で浮かんだ。

 一粒涙が落ちると止めどなく溢れ出した。

 硬直が始まる前に、ユキちゃんの目を閉じてあげようとゲージを開ける。寿命はたっぷりあった分、生きることを拒絶した死の苦しみの跡があった。不自然に捩じれた体を抱き上げて本来の態勢に直し、飛び出した舌と口中に、閉じようとした目は半分までしかできなかった。暖かな身体を抱いて涙と鼻水を垂れ流し床にへたり込む私に、帰ってきた戸田さん一行は驚き、状況が飲み込めると、代わる代わる亡骸を抱きしめて涙にくれた。


 「脱水だったのかしら。早くに病院に行くべきだった。」


 後悔し肩を落とす戸田さんに、私が伝えたかったことを周囲の人が口々に形にしてくれる。


 「飼い主さんを追いかけて行ってしまったんだ。」

 「辛いけれど、ユキちゃん寂しそうだったから、今、飼い主と会えて嬉しがっているかも。」


 涙ながらににユキちゃんは今はきっと幸せなのだという慰めを言い聞かせるように繰り返した。確かにユキちゃんの最悪の条件がおばあさんに置いていかれることだったから。


 ユキちゃんには死ぬよりも辛いことがあった。

人と動物の幸せは形が違うのです

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