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両家の正月

 元亀二年(西暦一五七一年)一月、毎年恒例の年始大評定が越後春日山城下で開かれた。新田又二郎を当主とする新田家の重臣たちが集められ、働きに応じて又二郎から報奨金が贈られる。銭、黄金、刀剣、絹織物など様々だが、その中には後の世に伝わる名物と呼ばれる茶器なども含まれている。


「曜変天目であろうが牧谿の掛け軸であろうが構わん。好きなものを呉れてやる。海の外に出ぬ限り、誰が持とうが五〇〇年後には日ノ本の宝よ」


 信長と又二郎の違い。それは名物への拘りであった。信長は家臣掌握のために、意図的に茶器に破格の値を付け、一種のバブルを起こすことで、土地に代わる褒美として位置付けたが、土地をすべて取り上げ、貨幣経済を推し進める新田家においては、資産バブルなど起きてもらっては困るのだ。

 又二郎としては、五〇〇年後に博物館に飾られていれば、それで良しという考えであった。後に名物となるであろう財宝を世界中からかき集める。今は茶器だの刀剣だのだが、いずれ此処にダ・ビンチやミケランジェロ、ラファエロなども加わる。


「それにしても、今回の大評定は少し様相が違いますな。武将の方々が少ないような…… 奥瀬殿、顔色が少しお悪いようだが?」


 伊達総次郎輝宗は、田名部吉右衛門政嘉の代理として参加している、新田家文官の事実上の頂点である奥瀬判九郎定家に声を掛けた。


「あぁ、いや…… ハハハ。これまでは後ろに控えていた故、どうもに落ち着かず、面目ありませぬ」


 実直で懸命に仕事に取り組む姿勢により、田名部吉右衛門をはじめ新田家文官の中で絶大な信頼を得ている奥瀬判九郎だが、本人は未だに場違いな場所にいる自分を不思議に思うことがあった。


(油川で安穏と暮らしていた儂が、なんで元奥州探題の御方の隣に座っておるのだ? 吉右衛門殿は若君の傅役として、政務一辺倒というわけにもいかぬ。だが、儂を信頼してくださるのは嬉しいが、せめて今日くらいは、此処に座ってくださればよいものを……)


 田名部吉右衛門としては、いつまでも自分が文官の頂点でいるわけにはいかないと考え、主君からも部下からも信頼の篤い奥瀬判九郎に次を譲るつもりなのだが、本人だけが自己評価が低かった。


「武将の数が少ないのは、駿河に集まっているためでしょう。とはいっても、加賀や能登の護りを薄くするわけにもいきませぬ。最上出羽守(※最上義光)殿、斎藤下野守(※斎藤朝信)殿、小野寺遠江守(※小野寺景道)殿、蠣崎若狭守(※蠣崎政広)殿が越前方面に備え、他の武将の方々は、駿河で出陣待ちをしております」


「駿河…… なるほど」


 やがて主君が姿を現す。今年で齢二五となる。普通の大名家であれば、ようやく家督を相続するかどうかという若さだ。だが一〇〇名以上が集まる重臣たちの誰も、主君の若さを侮る者はいない。二歳にして立ち、五歳にして初陣し、八歳で津軽と糠部の支配者となった怪物なのだ。


「皆の者、新年おめでとう」


「「おめでとうございます!」」


「気づいている者も多いと思うが、武将及び謀臣たちの数名は、今は駿河にいる。いや、そろそろ船を出したところか。この正月で、伊勢の南端にある志摩を獲る。小さな土地だが重要な場所に位置している。志摩を得れば、尾張湾を遮断することも可能になるし、堺のみならず、土佐や薩摩、さらには琉球までの海運も容易になる。その気になれば簡単に発展できるのに、その小さな土地に十三もの家がひしめき、互いに争っているそうだ。まとめて叩き潰し、我らが領する。天下統一に向けての重要な一手だ」


 東西和平が成ったとしても、天下統一を諦めたわけではない。今は力を蓄えつつ、必要な手を打っていく。厭戦気分が広まらぬよう、当主は常に、背中を見せ続けねばならない。


「それと、内政の(おさ)も代わった。田名部吉右衛門は健在だが、嫡男吉松の傅役でもあり、負担が大きい。そこで奥瀬判九郎定家を次の文官長とする。新田一七〇〇万石、三〇〇万人を超える領民たちの暮らしが掛かっている。吉右衛門からも、判九郎以外にはいないと太鼓判を押されている。頼むぞ」


「無能非才な我が身ですが、懸命に取り組みまする……」


 久しぶりに、胃が痛くなり始めた判九郎であった。





 その頃、志摩国の沖合には巨大な船が並んでいた。それを見上げる三〇過ぎの男が、呆れたように顎髭を撫でていた。


「これが噂に聞く新田の巨船か。確かに大きい。だが海の戦は、船が大きければ良いというものではない。その辺は今後の鍛え所であろうな」


「殿、本当に良かったのでしょうか? たとえ勝っても、志摩の土地はすべて新田のものとなってしまいます。我らは土地を持たず、ただ銭で飼われるだけなのでは……」


 家臣からそう問われ、男はチラと視線を向けた。やれやれと首を振る。


「儂らは海の男であろう? 海に生きる儂らが、なぜ(おか)に拘る? 帰る港があり、儂らの帰りを待つ家族たちが安心してそこで生き、皆で酒を飲んで歌う。そしてまた海へと出る。これが儂らの生き方であろうが。土地になど拘るな。海こそが、儂らの生きる場所よ」


「……立派な覚悟です。もう某は何も言いませぬ。殿が望まれる海を何処までも征きなされ。我ら九鬼衆は、何処までも殿についていきます」


「織田殿は儂に、志摩一国をと言われた。だが儂の心には、何も響かなかった。こんな小さな土地などいらぬ。ずっとそう思っていた。そんな時だ。新田陸奥守殿から書状が来た。遥か世界の果てを見たくないか。共に来れば、海の向こうを見せてやる。そう書かれていた。呆れ、そして震えたわ。フフフフッ」


 九鬼衆当主、九鬼右馬允(うまのじょう)嘉隆は、家老の生熊貞政(いくまさだまさ)に笑みを向け、そしてまた大海原へと視線を戻した。まるで夢見る少年のような眼差しであった。





 織田家においても、正月が祝われていた。年始の祝賀には、同盟者である徳川家康も参加している。新田からの圧力を受け、織田家との繋がりを一層持つべきと考えての上洛であった。織田家としても、新田との壁となる徳川家は、味方に付けておきたいところである。信長は幼馴染であり、唯一の友と呼べる男を自ら出迎えた。


「竹千代、よう来てくれた」


「吉法師殿、御久しゅうございます」


 大広間には、織田家と徳川家の重臣が並んでいる。信長は敢えて、当主の座から降り、家康と向かい合う形で座っていた。同盟者として対等の立場という気遣いである。そして家康の後ろには、一組の男女が座っていた。


「本日は、某の倅を連れてまいりました。信康、御挨拶をせよ」


「松平次郎三郎信康でございます。御義父上に御目文字が叶い、大変嬉しゅうございます」


「父上、御久しゅうございます」


 齢一三となる嫡男の信康と、その妻であり信長の娘である徳姫であった。信長は目を細めて頷いた。なぜ今日、この二人が来るのかは、あらかじめ聞かされていたからである。


「信康はすでに、初陣を済ませておりまする。徳川より三〇〇〇の兵をお出し致します故、何卒良しなに」


 つい数年前まで、徳川家にとって最大の敵は武田家であった。だが新田家の台頭により、東海道の勢力図は大きく変わった。武田家は衰退し、新田家に事実上従属している。駿河は新田家直轄領となったが、奥州との間には北条がいるため、飛び地の状態である。徳川から手を出さない限り、新田家が攻めてくる可能性は低い。

 となれば、当面は戦が無くなる。嫡男を鍛えるにしても、戦が無ければ大将として鍛えることは難しい。ならばいっそ、織田家に預けてしまおう。どうせなら、嫁の徳姫も付けてしまえ。岡崎城で何かと衝突しがちな姑(※築山御前のこと)と離れられるし、織田家も徳川家を疑うことはなくなる。理由はどうあれ、事実上の人質として嫡男を出すのだ。疑えぬし、見捨てられぬとなるだろう。


「新田はすでに、志摩に向けて兵を出しました。されど、それ以上は進めぬでしょう。徳川は最後まで、織田と共に戦いますぞ」


 実際のところ、家中には織田ではなく新田に付いてはどうかという声もあるにはあった。主に旧今川家や遠江の国人衆の声である。だが家中で力を持つ三河衆は、断固として拒否していた。土地を手放すなどあり得ん。手放すくらいなら潔く戦い、討死すると息巻いている者が多い。

 そして家康も、新田には降れないと考えていた。徳川は織田の盟友として天下に知られている。もしこれを反故にしたらどうなるか。降った瞬間、信用できぬと皆殺しにされるのではないか。実際、新田ではそうした事例が複数ある。

 何より、家康には新田又二郎政盛という男が、理解できなかった。非常識で即断即決という点では、目の前の幼馴染(うつけ)がその代表例だろう。動かずして敵を畏怖させる重厚な巨人としては、武田信玄が代表例だ。だが新田又二郎は、そのいずれにも違う気がしていた。敵の人物像がまるで想像できない。家康にとってそれは、武田信玄以上に恐ろしいことであった。


「かたじけない。感謝するぞ、友よ……」


 様々な理由はあれど、徳川家は織田家と命運を共にすると決めたのだ。新田という巨大な圧力に逆らうのは、自分たちだけではない。この事実は織田家中にとっても救いとなる。

 信長は目尻を赤くしながら、家康の手を取って頷いた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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