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北条家の様子

 戦国時代は小氷期にあたる。この期間は、日本においてもヨーロッパにおいても、飢饉が頻発していた。限られた食糧を巡って人々が争いを起こし、戦国の世となったのは必然であったのかも知れない。

 そうした社会環境の中で、一気に農業の生産性が向上し、飢饉の不安が無くなったとしたら、どうなるだろうか。飢えを満たされた人々は、争いを止めて皆で手を取り合い、平和に暮らし始めるだろうか。


「そんなはずが無かろうが。人間とはそんな生き物では無いわ」


 春日山城下の屋敷において、新田又二郎は武田家、北条家からの報告に苦笑していた。農業の生産性が高まり、この冬は安心して暮らせそうだと思った矢先、なんと一揆が起きそうなのだという。


「飢えが満たされたら、次は酒を。酒が飲めるようになれば、次は女を。そうやって、欲望を際限なく肥大させるのが人間だ。だから教育の充実と法の整備、そして警邏という実効力が必要なのだ。それを組織的に行うには、単独の政体によって統一した統治が必要となる。国人ごとに土地を治めておっては、それができぬ。一揆が起きた土地は、国人から取り上げろと、太郎と新九郎に伝えよ」


 現代においても、企業において従業員満足度調査というものが行われたりする。そして殆どの場合、給与に対する満足度が一番低い。では給与を二倍にしたら、全体の満足度は上がるかと言われたら、実は上がらない。今度は労働時間についての満足度が低くなる。そして労働時間を短くしたら、今度は職場のコミュニケーションが低くなる。


「ヒトは生きている限り、満足するということはない。故に、様々な思想や宗教が生まれたのだ。まさに現世とは、餓鬼道そのものよ」


 だが、その尽きぬ欲望こそが、文明を発展させる原動力となっているということも、また事実である。ヒトが足ることを知ったとき、進歩は止まってしまうだろう。





 北武蔵で力を持つ国人「成田家」では、北条からの命令で田畑や街道の整備を行っていた。そのおかげか、元亀元年の収穫は大豊作となり、冬は餓死者、凍死者を出さなくて済むと各村民たちも喜んでいた。だがそれは長くは続かなかった。利根川を挟んだ北側の様子が伝わってきたからである。


「新田様の領地では、我ら百姓でも酒が飲めるとよ! 米だけじゃねぇ。野菜も肉も食い切れねぇくらいあるし、炭薪も山ほどあって、毎日が正月みてぇなんだとさ!」


「いくら豊作でも儂らはその分、領主様に年貢で取られてしまう。残ったのはようやく暮らしていける程度の米しかない。着物を買うなどの贅沢もできぬ。なんでこうも違うのだ」


 ヒトは所詮、自分が見える世界で物事を判断する。新田の百姓だって、決して楽ではないのだ。だが希望がある。昨日より今日、今日より明日。自分たちはもっと豊かになる。そして遠くない未来、戦国の世が終わり、輝かしい新たな世が生まれる。新田又二郎がそれを成し遂げる。新田家の重臣以下、民までもが、未来の希望に己の欲を重ね合わせている。「すべての臣民の道標」となるのが、天下人なのだ。


「領民たちが騒ぎ立てている。だから新田の文官を入れろと言ったのだ!」


「何を言う! 奥州者の言うことなど聞けるか! 第一、貴殿とて賛同したではないか!」


 忍城内では、成田家に連なる国人たちが騒いでいた。事実上、新田家に従属した北条家では、新田式を学ぶために新田家から数名の文官を招き、戸籍整備などの統治方法から田植えの仕方まで、細かく学び始めている。

 だがやはり、大名と国人という旧態依然の土地管理方法では、領内すべてに同じ統治を行き渡らせるのは困難であった。成田家とて北条家の傘下とはいえ、一個の国人なのだ。領地管理についてまで、北条家に口を挟まれる筋合いはない。まして一年前まで敵対していた新田家から教わるなど、言語道断である。そう主張する者も少なからずいたのである。


「北条の領地では、五公五民から少しだけ下げたと聞く。新田との交易で富を得たということもあるが、それ以上に前の戦で被害が出ていないからだ! だが我ら武蔵七党は違う。一万もの兵を動員したのに、一反の土地も広げられず、それどころか利根川沿岸まで失ってしまった。本来であれば、北条が我らを援けるべきであろうが!」


 文句は言うが、かといって北条家や成田家から離れることはできない。北に新田、南に北条と大勢力に挟まれている状態で独立などすれば、一〇日もせずに押し潰されてしまう。民を豊かにするということを知らない彼らは、恨み節を口にするだけであった。

 そんな中、いち早く北条を通じて、新田式農法を取り入れた者もいた。他ならぬ「成田長親」である。


「長親様! 五太郎のとろで赤子が生まれました。女子だそうです」


「そうか! では早速、名を考えねばな!」


 成田家のでくの坊と呼ばれる成田長親は、昨年の新田家との戦において、不名誉な呼び名を払拭……などできようはずもなく、相変わらず父親である成田泰親から任されている領地を駆けまわっていた。


「おぉっ、可愛いのぉ! 年の瀬ゆえ、名は…… 瀬名というのはどうじゃ?」


「……たしか夏に生まれた赤子には、夏奈と付けておられましたな?」


 そう言って皆で笑い合う。成田長親には、武勇など一切ないが、それだけに刀剣に金を使うこともない。赤子が生まれては、自分の懐から幾ばくかの金を渡したりしている。本人からすれば大したことではないのだが、領民にとっては愛すべき次期領主であった。


「長親様のおかげで、暖かく年を越せそうです」


 そう言って、手を合わせる者までいる。良かったのぉと肩を叩いて笑う。これまではこうした光景に、幼馴染の正木利英などは眉を顰めていたのだが、昨年の戦以来、利英は何も言わなくなった。それだけが、長親にとっての唯一の変化であった。





「頭領、揃いました」


 箱根山の奥深くにある「風魔の里」に、風魔党の主だった者たちが集まっていた。風魔党は北条家のお抱えの忍び衆ではあるが、その歴史は北条家よりも遥かに古い。そのため北条家に害が及ばないのならば、風魔党単独で仕事を受ける自由があった。

 戦が無くなった北条家に代わって、新たな雇い主が必要であったところ、日本でもっとも富裕な大名から、依頼があったのである。


「九十九衆を通じて、新田家から依頼があった。箱根の西、東海道の監視をして欲しいとな。依頼料は、年間で五万貫だ」


 気配の揺らぎはない。だが全員が内心で驚いていた。五万貫というのは、石高では一〇万石に匹敵する。それを毎年払うというのだ。一〇〇文、二〇〇文で使われる乱波にとっては、想像もできない巨額である。


「この話を持ってきたのは、加藤段蔵だ。猪助は懐かしかろう?」


「二〇年以上も前の話でございます。今でも、腕では負けるつもりはありませぬ。ですが、これでは九十九衆の風下に立つことになりますが……」


 そう言いながら、風魔の上忍である二曲輪猪助(にぐるわいすけ)は、少し遠い眼をした。かつて共に競い合い、そして別れた好敵手が、大きくなって戻ってきたのだ。五万貫の話を持ってくるということは、九十九衆はより多くを得ているということである。大新田家の当主から、それだけ信頼されているという証であった。


「九十九衆との共闘は既定だ。連中は二〇年、最前線で戦い続けてきた。伊賀や甲賀の上忍に伍する腕を持つ者たちが、ゴロゴロといる。良くもまあ、創り上げたものよ」


 見た目は六〇近くを思わせる風魔小太郎だが、その声色が変わった。そしてその姿も変わる。三〇過ぎの若い男の姿になった。今代の風魔小太郎である。加藤段蔵が認識している風魔小太郎の姿は、先々代の姿であった。頭領たるもの、安易に他者にその姿を見せるべきではない。それが風魔党の考え方である。


「結界を新田領全土に巡らせようとすれば、年に五〇万貫あっても足りぬであろう。段蔵もそれは理解している。故に、水際で止めようとしているのだ。風下に立つのではない。力不足故、我らに手を貸してくれと頭を下げてきた。そう思え」


 二曲輪猪助は黙って頷いた。小太郎は全員を見渡しながら、今後の方針を伝えた。


「甲伊(※甲賀、伊賀)とはこれまで、東西で棲み分けてきた。だが、我らが東海道に出れば、必然的にぶつかることになる。良い機会だ。天下に、風魔の芸を魅せてやろうぞ」


 面白くなってきた。風魔小太郎は忍びに似合わず、気が昂っていた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] の坊の人は新田の文官う [一言] の坊の人、新田の文官受け入れると言う事は見すぼらしい畑と言う事を認めたのかな?
[気になる点] 後北条家は早雲が四公六民と定めたことで有名と思っていました。
[一言] のぼう様が武蔵七党を制圧しそうですね
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