悪巧み
永禄一三年(西暦一五七〇年)水無月(旧暦六月)、六角義治の乱心により三ヶ月近く遅れてしまったが、蠣崎季広とその次男である明石元広は、無事に都へと到着した。年賀の贈物の中には、一部痛んでしまっていたものもあるため、又二郎は追加の品々を用意した。
「東西和平の成立は、戦国の終わりを象徴するものよ。この目出度き日を言祝き、元号を元亀と改める。未だ戦国が続く西国を征するために、新田には一層の活躍を期待する」
要するに、織田を支援しろということである。新田は幕府に服したわけではない。その証拠に、副将軍などの幕府任官をすべて拒否した。だが、足利義昭以下幕臣たちは、新田が足利幕府に屈したと無意識に見下していた。これには浪岡具運も辟易したが、一先ずは言葉を飲み込み、持ち帰ることにしたのであった。
同時に、今回の騒動の詫びとケジメのために、織田信長直筆の書状を携え、羽柴藤吉郎秀吉が再び春日山城を訪れた。
「若狭をお譲りすると申し上げながら、斯様な仕儀になり、面目次第もありませぬ」
秀吉は畳に額を擦り付けて詫びた。将軍を動かし、六角を誅する。その上で若狭を譲ると啖呵を切ったのに、合戦すらなく若狭は空白地帯となり、そこに幕府が入った。状況的に若狭を領するのは幕府が相応しいということになり、今更新田に譲るなど言い出せない状況となってしまったのだ。
「正三位権中納言に任じるか…… まぁどうでも良いな。それより蝦夷府を開き、蠣崎弾正を蝦夷権帥に任じるとある。此方のほうが嬉しい」
又二郎は秀吉を無視して、信長の書状を読んでいた。その間、秀吉は顔を上げることなく、ずっと畳に額を押し付けたままであった。やがて又二郎はフウと息を吐き、苦笑した。
「いい加減、顔を上げろ。若狭の件は仕方がない。羽柴殿に責が無いことくらいは解る。織田殿とて、これから西征というところで、幕府との摩擦は避けたいだろう。巡り合わせが悪かったのだ」
「某にできることなど、腹を斬ることくらいしかありませぬ。御望みとあらば……」
「いらぬわ。もし死ぬというのなら、代わりに新田に仕えろと言いたいところだが?」
「そ、それは…… お許しくだされ。我が殿は、百姓であった某を此処まで引き上げてくださいました。裏切ることなど、とてもできませぬ」
秀吉は、死ねと言われれば死ぬつもりであった。それでも、織田を裏切って新田に仕えることなどできない。それだけは、人としてやってはならないと、肌で直感していた。
「解っている。ここで裏切る奴など信用できぬ。それより、幕府の動きが気になる。羽柴殿の眼から見て、室町幕府は我が新田家と、どう向き合うと思うか?」
「無論、大いに頼みにしていると存じます。東西和平、そして若狭を直轄領にしたことにより、幕府の背骨もしっかりしました。これからは東を新田様、西を織田とし、幕府主導で戦国の世を終わらせようとされるでしょう」
「真にそう思うか? 俺の見立ては違う。足利義昭の器量では、次の天下は描けぬ。幕府が安定し、一定の力を得れば、次は何かと口を挟んでくる織田家を疎ましく思うであろう。新田については尚更よ。此度の上洛で、もう新田を下に置いたと思っておろう。そのうち命令口調で、どこぞの土地を渡せだの、金を出せだのと言ってくるに違いない」
「そ、そのようなことは……」
秀吉は返答に窮した。確かにその可能性はあるが、秀吉自身は、室町幕府についてそこまで情報を持っているわけではない。畿内すら、完全に平定されているわけではないのだ。岐阜に戻り次第、伊勢への出兵が待っている。
「いずれにせよ、若狭については気にしておらぬ。新田はこれから、内政に力を入れる。飢えず、震えず、怯えずの三無を領内すみずみまで行き渡らせる。織田殿には、御武運をお祈りすると伝えてくれ」
秀吉は帰路において、越中国と加賀国を通った。つい先日まで戦火で荒れ果てていたはずなのに、もう復興しはじめている。そこかしこで街道の整備が始まり、賦役に就いた者たちへの炊き出しが随所で行われている。この早さなら、来年には豊かな収穫が期待できるだろう。
「……新田様が天下を獲ったほうが、民は幸せなのかのぉ」
小さく呟き、慌てて首を振った。
春日山城では、今後の幕府への対応について話し合われていた。新田が若狭を諦めたことにより、幕府は新田を下に置いたと考えるのではないか。武家の棟梁なのだから、新田が幕府の言うことを聞いて当然。そう嵩に掛ってくる可能性は十分にある。
「それは良い。幕府が無理難題を言ってきたら、その使者をぶっ殺して幕府に宣戦布告してやろう。そして織田に選ばせるのだ。幕府を選んで新田と争うか、それとも自らの手で室町幕府を終わらせるかをな」
「当然、織田家もそれを読んでいるでしょう。幕府を宥めようと様々な手を打つはずです。そしてやがて、幕府との溝が大きくなり……」
「西国統一よりも織田家を始末し、幕府が畿内を征する。それくらいは考えそうですな。織田は畿内を完全に制したわけではありません。尾州畠山家や丹波波多野家、伊勢北畠家。さらには石山本願寺や雑賀など、畿内には織田に完全には服していない勢力があります。さて、我らはどう動きましょうか……」
南条広継と八柏道為は、クククと低く笑った。又二郎は三人目の謀臣である沼田祐光に意見を求めた。
「上野之助はどう思うか?」
「式部大輔殿(※浪岡具運)に動いてもらってはどうでしょう」
それを聞いた他の謀臣二名は、すぐに狙いを察したが、敢えてここは黙った。新田家としての話ではなく、臣下である浪岡家の繋がりを利用しようという策だからである。主君の前に自分たちが言葉を発するのは、烏滸がましいと判断した。
「……伊勢か」
伊勢北畠家と浪岡北畠家は、武士ではなく公家の家柄である。南北朝時代に分かれたが、両家とも元は村上源氏の庶流である北畠雅家を祖としている。片方は新田家の中で家老として力を伸ばし、もう片方は伊勢の片隅に追いやられ、織田に滅ぼされそうになっている。
沼田祐光の策は、二〇〇年前に分かれた二つの家をまた繋げようというものであった。具運の嫡男である顕村は既に元服しているが、一〇歳にもならない次男がいる。伊勢北畠の養子としては適当であろう。
「織田と盟を結んだ新田としては、表立って伊勢を支援することはできぬ。だが式部大輔を通じて、繋がりを求めることは可能だ。駿河から伊勢まで、船を出すこともできる。二〇〇年ぶりなのだ。当然、土産も必要であろう。具運は此度の件で色々と苦労した。俺が褒美として土産を持たせてやったところで、問題あるまい。そして……」
「その上で、幕府からの所領安堵を……」
「なるほど」
「御見事」
南条広継と八柏道為は、苦笑してその策を認めた。織田が所領安堵をするのではなく、幕府が所領安堵をするのだ。織田としては、伊勢の南北を完全に領して伊勢湾の制海権を握り、同時にまだ服属していない伊賀や、警戒が必要な大和国、さらには雑賀まで牽制したいと考えている。自分に服さない独立した大名が伊勢にいるなど、認められないだろう。
だが幕府の御墨付が出てしまったら、現時点でそれを認めないわけにはいかない。認めなかった場合は、幕府との亀裂は決定的になりかねない。
一方、新田が所領安堵を約束したわけではないのだ。幕府が滅んだ後に伊勢を領したところで、何の約定違反にもならない。
「クックックッ…… まったく、揃いも揃って悪ばかりだな」
「お褒め頂き、有難うございます」
三人が高笑いする中、沼田祐光は笑みを浮かべて、肩を震わせるだけであった。