都の闇
「一体、どういうことか! 詳しく申せ!」
幕府軍三〇〇〇、織田軍一万五〇〇〇、計一八〇〇〇の討伐軍は、小浜に入る要衝地「遠敷」にて陣を構えていた。この地には若狭彦神社があり、必勝祈願の参拝をした後に、一気に小浜城を攻める手筈であった。その矢先に知らされた六角父子死亡の報せに、信長は怒声を上げた。
「二条殿下の話によると、六角右衛門督殿は、父親の左京太夫殿がいる神宮寺を訪ねたそうです。殿下も同行されたそうですが、父子二人で話したいとのことで、別室で待機していたところ、ニ刻経っても音沙汰ない故、寺の小僧に様子を探らせ、その結果、父子が死んでいることを確認したと」
六角義治は右肩から袈裟斬りにされ、承禎は十文字に腹を斬っていたという。状況から、父親である承禎が愚息を斬り殺した後、自ら切腹したと思われた。
「大樹に宛てた、左京太夫殿の書状も残っているとのことから、責を取っての自害と思われます」
「遅いわ。腹を斬るのなら、さっさと斬れば良かったものを!」
信長は舌打ちして怒鳴った。幕府の手によって誅する前に、相手が死んでしまった。これでは一万八〇〇〇の警備兵を連れて、小浜まで物見遊山に来たようなものである。追い詰められての死と見做すこともできるが、将軍の威信を高めるには、些か弱い。何のためにわざわざここまで来たのかと、義昭も苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「御屋形様、事こうなってしまっては、やむを得ませぬ。まずは小浜に入り、若狭を平定いたしましょう。大樹には、六角父子の頸を検分いただき、勝鬨を挙げていただいた上で、都にお戻りいただくが良いかと……」
「それしかない、か……」
形だけでも、勝利としておかねばならない。明智十兵衛光秀の進言により、討伐軍は速やかに小浜へと入った。
「左京太夫より、身共に詫状が遺されていた。天下を乱したことを詫び、責を取るとある。左京太夫は確かに、子を育てることには失敗した。されど、身共を援け天下の為に動いていたことも、また事実。六角家は取り潰すが、父子の遺骸は丁重に弔ってやるがいい」
将軍足利義昭は、小浜城にて六角父子の頸実験を終え、織田信長に後を任せて都へと引き上げた。関白である二条晴良も、それに同行する。晴良は馬上で、前日の夜に明智光秀との内々の話を思い出していた。
「六角父子の混乱に乗じて、蠣崎弾正大弼殿以下、新田家の重臣たちは若狭を脱出したようです。幽閉されていた屋敷の中はもぬけの殻でした」
「さすがは新田よの。最初から、家臣たちを救出する手筈であったのだろう」
「今回の件ですが、気になる点があります。何故、左京太夫殿は右衛門督殿を斬ったのでしょうか?」
「何を言っておる? 遺書にある通り、責を感じてのケジメを付けたのであろう?」
「確かにそう見えますが、であれば南近江からの国替えの時にでもできました。あるいは新田家臣たちを捕らえた直後にでも、止めようと思えば止められたはずです。大樹の御出陣が決まった時点でも良かったでしょう。そうした機をすべて逃し、大樹が若狭に入られ、小浜城に迫った段階で動いた。何故、今だったのでしょうか」
「ふむ。大樹に迷惑を掛けたくない。されど倅をギリギリまで信じて動かなかった…… ではないか? 明智殿は一体、何を不審に思っておられるのか?」
「なんと申しますか…… 座りの悪さと申しますか、都合が良すぎるのです。大樹の御出陣により、幕府此処に在りと畿内に示すことはできました。されど戦にはなりませんでした。結果、武威までは示せず、幕臣の中にも中途半端な気持ちが残るでしょう。織田家においても同じです。若狭を攻め取っていれば、その後の新田との交渉でも五分以上の立場になります。羽柴殿は、若狭を新田に差し出すと約束したそうですが、若狭攻めに加わらなかった新田側から、それを強請るのは難しかったでしょう。されど今回、若狭での戦は無く、新田も織田も、若狭での手柄はありませぬ。若狭は当面、幕府による直轄とすることになるでしょう」
「それが? 大樹には強固な基盤がなかった。若狭を得たことで、幕府にも背骨が通るであろう。それで良いのではないか?」
「つまり、此度の騒動でもっとも得をしたのは、新田でも織田でもなく幕府。そして……」
公家衆を動かし、関白を派遣した朝廷なのではないか? 言葉にはしなかったが、光秀はそう聞きたかった。だがそれに対して、二条晴良は無言のままであった。
「……何事も、塩梅が大事よな」
馬上で小さく呟いた二条晴良の言葉を聞いた者は、誰もいなかった。
「蠣崎弾正以下、全員が無事に敦賀に入ったそうだな。混乱に乗じたとはいえ、見事な手並みだ。さすがだ」
夜。又二郎は陣内の寝所において、加藤段蔵と話をしていた。六角父子の死と討伐軍迫るという中で、小浜は大混乱の状態であった。その隙を突いて、蠣崎季広以下家臣たちを救出し、船で脱出したのである。幕府や織田に借りを作らずに済んだだけでも、僥倖だったと言えるだろう。
「此度の件、不審な点がございます」
だが、加藤段蔵の中には、成功の喜びは微塵もなく、むしろ薄気味悪さすらあった。
「混乱に乗じたのは確かですが、蠣崎弾正様たちを幽閉していた屋敷に、兵が一人も居りませんでした。いえ、兵だけではなく、小者一人いなかったのです」
「うん? 皆、逃げたからではないか?」
首を傾げる又二郎に、段蔵はさらに続けた。
「小浜の湊にて押さえられていた三〇〇〇石船にも、兵は居りませんでした。にも拘わらず、船の中には誂えたように、数日分の兵糧と水がありました。湊までの道にも、追跡の兵など一人も居らず、易々と脱出できたのです。一度は偶然もあるでしょう。されど重なる偶然などありませぬ。まるで何者かの手によって、整えられていたような……」
「段蔵」
又二郎はそこで話を止めた。
「都は思っていた以上に、闇が深いようだ。より深い闇によって、飲み込むしかないのかもな」
「殿も、お気を付けを」
決して陽の下には出てこない闇ならば、より深く濃い闇で、塗りつぶすしかない。加藤段蔵は、新たな闘争に静かに燃えていた。
たとえ荒れた土地とはいえ、幕府直轄領を得たことで、室町幕府の力が増したことは確かである。若狭を押さえたことにより、北近江、丹波、若狭と都の北方については、ほぼ固めることができた。合戦にはならなかったとはいえ、都の安全性を高めたことは、将軍足利義昭の功績であることに間違いはない。
「戦にはならなんだが、若狭を安定させたことは大きい。これにより、都の北方に憂いはなくなり、いよいよ三好と決着を付けることになろう。波多野家は代々、三好と争いし家じゃ。右衛門大夫の働き、期待しておるぞ」
都に戻った足利義昭は、丹波国の事実上の大名となっている波多野右衛門大夫秀治から、戦勝の祝いを受けていた。中途半端ではあったとしても、若狭一国を得たことで、幕臣たちにも土地を与えることができる。つまり軍を持つことができる。幕府再興の手応えを得た義昭は、当然ながら上機嫌であった。
「三好討伐後には、波多野家を正式に、丹波守護として任じるであろう。天下安寧のため、その力を身共に貸してたもれ」
丹波国で力を伸ばしていた波多野氏は、丹波衆と呼ばれる小国人たちを束ね、室町幕府に臣従している。元々、丹波波多野氏は守護でも守護代でもない、ただの豪族に過ぎなかったが、細川晴元に重用されたことから力を伸ばし、永禄年間では既に、丹波の戦国大名となっていた。
織田家上洛によって、織田信長に服属したが、名目上は室町幕府への帰属である。本領安堵を認められた上で、口頭ではあるが丹波守護の地位を約束されたとなれば、波多野氏当主である波多野右衛門大夫秀治は、幕府に逆らう理由はない。
「大樹が動いておりまするが、如何致しましょうか?」
「放っておけ。波多野程度であれば問題ない。若狭を得たことで、気が大きくなっているのだ。せいぜい、好い気にさせておけば良い。今ならば、都に巣食う無法者を消すことにも、同意するだろう」
「承知いたしました。根回しを図ります」
信長の指示を受け、明智光秀は細川藤孝を通じて幕府内への根回しを始めた。狙いは都の北東、比叡山である。